世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

政治と金と医療費

2007-07-30 03:20:29 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
参議院選挙に行ってきました。政局が大きく動きました。我が一票が役に立ったようです。自らに甘く庶民に厳しい自民党の金銭感覚に批判の声が反映した結果が出ました。

昔、政りごとの相談役に占い師がいた。今回、六星占術で小沢一郎が勝つような卦が出ていたようですが、当りましたね。ますます細木大姉の鼻息が荒くなりそう。


ところで、医療費のマジックに、聡明な政治評論家もまんまと騙されていることを知らされました。選挙の関連深夜番組の中でのコメントであらためて確認しました。

しかし、尊いひとの命を預かる医療関係には、哀しいかな無条件で庶民は経済的負担を惜しみません。医療関係は優遇して置かないとまじめなまともな医療を保証してくれないのではないかとの「脅迫観念」があるのでしょうか。(ほんとに命を預けられるのでしょうか?命の管理は医療の分野だけではないと思うのですが)
医療は命にかかわる「特別な仕事」として特別待遇はなはだしい。高額収入を保証するような税制にもなっているのでしょう。
金勘定に気を取られずに、医療行為に純粋に取り組んで欲しいとの願いから高収入を保証するのは悪いことではないでしょう。でも、本当にひとのための医療を志す者なら「個人的収入や財産」より「医療行為」そのもののほうにより関心が強いと思うのです。

最近は以前より、医療関係は厳しい経済環境になってきているのも事実ではあります。国からの医療優遇が減ってきてはいます。薬価基準の見直しも値下げの流れです。しかし、一定の医療収入を保証しながら、赤字のために国の健康保険などの支払いを減額せざるを得ない、その穴埋めに「利用者負担」となり、保険に加入しているにもかかわらず「医療費0、1割負担から3割負担~」へと、庶民の負担は増えつつあります。病気は「唯一、医療機関」が治してくれるものと命がけで錯覚しているお人よしの庶民にとって、医療費はふんだくられても「仕方が無い」のでしょう。

皆さん、とりわけ庶民の皆さん、「医療機関、医師」は命の唯一の管理人ではありませんよお!医療行為は命の営みについての「限られた医学的部分行為」であって、命のすべての現象についての「絶対的管理」の力はありません。
「医療機関」と言えども「病気は我が医療で治します、治ります」とは標榜できないのを皆さんはご存知でしょうか。

命を生き生きさせ元気にさせられるのは「本人」です。医者、医師、医療機関はそのお手伝いに過ぎません。おいしいお酒を提供し愚痴を聞いていただける「居酒屋」も命のリフレッシュ効果が期待でき、健康回復、健康増進のお役に大いに役立っているでしょう。ですから、居酒屋に国からの医療費補助金が支払われてもおかしくないのです。なぜ、いわゆる「医療機関」だけが高邁な国の経済的保証が手厚いのでしょう。

「病気地獄の脅迫感」の弱みに付け込んだ一種の「詐欺的システム」が存在していると想像するのは寝不足による妄想でしょうか。

「庶民の健康不安」・・・「不安解消には唯一医療が絶対必要との洗脳」
・・・「医薬、医療行為・手術などに高額の医療費は当然との常識洗脳」
・・・「他の医療類似行為では、病気は治らない!との常識洗脳」(前述のように医療でも治る表現はできません!)・・・薬メーカー(化学メーカー)は農薬なども生産している・・・メーカーは政治献金がお上手。・・・税金、健康保険は庶民の義務、命は国が守りますとの「うそ」 厚生労働省の認可している「薬」でどれだけ薬害が出ていますか。

薬を使っても使わなくても、あるいは医療行為全般と何もしないこととの「治癒効果」に有意差は認められない、との研究発表があります。・・・???と云うことは、莫大な国の医療費はほとんど無駄遣いと云うことです。

無駄に使われている30兆円以上の莫大な医療費用補助(医療機関に支払われれる健康保険金補填分)は、関係者の経済を潤すために、天の恵みのように天から降ってくるのでした。天の恵みなんかじゃありません。庶民の血と汗の結晶です。

詐欺に騙される典型的条件は「脅迫観念 恐がり」です。

自分の健康、命はまず「自分で守りましょう」
「命・健康は病院へ」「教育は学校へ」「科学的は絶対正しい」「自分で生まれてきたのでは無い」などの「責任転嫁」を正さない限り、真の幸せは・・・


ちなみに、自分の身体を作っている血液を造ってのは「小腸粘膜の絨毛細胞」で
遺伝情報、食物、意識、腸内細菌、環境刺激の総合作用によります。

蛇足:自分が生まれた責任は①自分の意思で生まれてきた責任1/4
             ②両親の責任1/4
             ③先祖の責任1/4
             ④社会・自然界の責任1/4




手のひらパワー

2007-07-28 14:15:02 | 自然・環境・生活
手のひらには「パワー」があります。

痛い部分に手のひらを当てると、あら不思議!痛みが消えたり、和らいだりします。なぜでしょう?疑問にチャレンジ・・・哲学です。

それぞれの答え・・・

科学的解答:手のひらから、遠赤外線その他の電磁波が放射されていて、痛みの発生している部所の血行がよくなり、痛みが緩和される。また、マイナスイオンも放射され、炎症、痛みのあるところに発生するプラスイオンが中和消滅し、炎症の快復が促進されるので痛みも早く改善される。拠って、手のひらによる治療効果は存在すると証明できる。再現性の実証は各自行ってみれば確認できます。額を拳骨で殴ってたんこぶを作ります。痛みを確認したら、そこに手のひらを当ててみます。あら不思議!が体験できます。。

宗教的解答:素直な気持ち、冥想状態になって、無心で手のひらを痛いところに当てると、神の霊力によって細胞が活性化し本来の正常状態にもどり、痛みは自然に消える。手のひらは出来れば「異性」のものが良く、愛するひとのものが特上です

哲学的解答:本来身に備わっている自然治癒力、免疫力等の作用によって、痛みは消えたり、緩和されたりする。その作用を十分機能させるには、脳波を安定させ自律神経のバランスを整えるとよい。健康状態が良いときのほうが手のひらからの、有効電磁波、マイナスイオンの発生は多く、より治療効果は高い。また、手当てをする側は、治してあげるという気持ちより、すでに直ってしまってビックリ、喜んでいる結果をイメージすると良い。お互いの信頼関係が深いと効果絶大。イオンの中和作用は他に「唇、口腔粘膜」が強い。

注:「披露聡秘」では神=自然と定義します。

エネルギー革命

2007-07-27 14:03:47 | 自然・環境・生活
人類の歴史は「活用エネルギー源の変遷」ともいえます。

「ヒト」とは火人でした。火人はまだ進化途上の危ないサル的生物です。

「火」はエネルギーの象徴です。エネルギーの完全な制御が進化人類の究極の目的でもありましょう。宇宙はエネルギーの制御そのものです。人類の究極の願望は宇宙との同化です。エネルギーを自在にコントロールすることで至福の生活が得られるだろうとの欲望と言ってしまえばロマンが消えてしまうようですが。

熱・エネルギー源の歴史・・・

太陽 溶岩 温泉 薪・柴 生物油脂 石炭 石油 天然ガス 化学可燃物 化学電池 核・・・

エネルギー源は色々あります。もっぱら「熱、動力、圧力、明かり、」を利用するためが多いようです。エネルギー源そのものがあってもあまり意味がありません。生活の活動動力としてさまざまな形態のエネルギーに変換されて利用されています。「パワー」に偏っているようです。

ちなみに、エネルギーは①パワーと②パターンとに分けられます。
パワーとは「変化力」。パターンとは「形態(熱、圧力、動力、明かり等)」。
エネルギーとは型と力「カタ・チ」の合わさったもの。(披露聡秘による)

「木」はエネルギーの一形態です。①燃やせば火の力が発生します。 ②加工して木材として使えば、家、各種建築物、木工品、紙、などの「色々なパターン」として利用できます.

E=MC・C (エネルギーは、質量×光加速度 つまり、パターンとパワー)

※質量という表現が「曲者」です!数学的には「質」には「量」は無いが、物理学的には「質」にも「最低現実的に存在するためには一単位の量」を無視できない。

石炭や石油や核にしても、そのもの現物では、粗大ごみと変わりません。熱とか圧力とかの、生活に活用できる形態に変換して、初めてエネルギーとしての価値が活かされます。

エネルギーの素材としての石炭石油核を、変換していわゆるエネルギーとして利用しているのが現状ですが、その際、炭酸ガスや余分な熱、廃棄ゴミ物が出ます。
核燃料は核のゴミが出ます。核のゴミは炭酸ガスとは別次元で大変厄介なゴミです。

さて、人類は、いよいよ究極のエネルギー源を手に入れる段階に来ているようです。核に限らず、石炭、石油でもそれなりに「欠点、危険」はあります。究極のエネルギー源にも欠点はあります。辞職した大臣のことばを借りなくてもしょうがないことです。

究極のエネルギー源は「電気」です。珍しくないのが落とし穴なのです。
現実に電気はすでに利用されていますが、直接宇宙・自然界から電気を取り出して利用しているケースはまだまだ少ないのです。太陽電池などはそれに近いものでしょう。究極のエネルギー源は電気を直接発電する装置と言うことになります。

現在は、発電機を回すのに「水蒸気」を沸かしてタービンに噴射しています。水蒸気を沸かすのに石炭や石油や核を燃やして「熱エネルギー」を得ているわけです。電気を作り出しているのは「回っている発電機」で、核でも石油でもありません。
間接的にしろ「電気エネルギー」を得ているのですが、エネルギー効率が悪く不経済なのです。

エネルギー革命とは、エネルギーが電気形態だと色々使い勝手がよく、便利なので、「電気」を効率よく作り出す方法を見つけること、ということになるのです。

人類の智慧はいよいよ究極のエネルギー活用の段階にはいります。先にも言いましたが、便利なものには厄介が付き物なのですが、人類の智慧はそこの矛盾をいかに克服するかによって、その真価が問われます。

超便利な究極のエネルギーを間違って使えば、あっけなく「世界の終わり」です。核の驚異も歯がたったない規模のエネルギーシステムで、破壊力があるでしょうから、現在のような、幼稚な宗教観、科学倫理、お粗末哲学等では、究極エネルギーを制御することは不可能だと思います。

まずは、うまい話にやウラがある!との謙虚な気持ちを持つことからです。

究極の食事07/07/26(27改定)

2007-07-26 16:52:37 | 自然・環境・生活
食事の話なら、食べものカテゴリーと思いきや、「自然いのち環境」に分類するところが披露聡秘哲学の真骨頂。と粋がるこのごろ。

7/17のブログで紹介した「ヒフミ~」の話は実は、究極の「食事」でもありました。ヒフミ~の話は「宇宙曼荼羅」です。以前、宇宙とは何かを問いかけるとき、「宇宙」と云う言葉をすでに「先入観」をもって意識していることが大問題であること、のようなことを指摘したことがありました。すべての言葉をいちいち再確認しながら使うことは、現実の生活実態に合いません。しかし哲学思考をするときには、大いに拘って欲しいのです。

「食事」とは、生存に必要な栄養分をとるために、毎日の習慣として物を食べること。また、その食事(広辞苑)

まさに、そのとうりでしょう。

で、生存に必要な栄養分は「物を口から食べること」だけで足りるのでしょうか。
生存とは?
ただ生きて植物人間的生存もあれば、夜も寝ないでがむしゃらに生きる生存形態もあります。生存以前に「存在」があります。宇宙を構成している物質は「存在」です。物質も存在するために「エネルギー、素粒子か電子か」を食べているようです!

生物だけがエネルギーを摂取しているのではありません。物質すべてが「エネルギー」でしたから、物質は物質を「共食い」しながら、互いに循環して存在、生存しているのです。

生物は、生きて、呼吸し食事をし、体を動かすために「エネルギー」が必要になります。

栄養とは、身体を作る「素材」であり、「力」であり、「システム」でもあります。

「食べもの」とは、生物が日常摂取して身体の栄養を保持するもの。(広辞苑)
に間違いありませんが、あらゆる物が「エネルギー」という「食べもの」を摂取しているわけなのです。

ところで、摂取するだけで、排泄しなかったらどうなりますか?

究極の食事とは「摂取」と「排泄」のセットなのでした。実はもう一声欲しいのです。それは「食べないこと」です。

朝食を抜いたほうがよいのか、食べたほうが良いのか、諸説ありますが、披露聡秘の見解は、「個性別・年齢別・経済力別・体調」によって臨機応変が正解なのです。

若い時代は、腸の粘膜で粗大な食物・物質・エネルギーを摂取する仕組みが優勢です。年をとると、腸粘膜細胞が変身し、腸、皮膚・全身細胞膜で外界大気・地面・環境エネルギーを「総合的に効率よく代謝する」と解釈するのが披露聡秘。
胎児、幼児は特に母親の愛エネルギーに偏ったエネルギー摂取をしている。

食事という言い方をすると生き物の食事ということに限定的になってしまいます。
哲学的思考をするとき、限定は限定で大事ですが、広く深く言葉を理解するために、慎重に制約をはずしましょう。

結局のところ食事の本質は「宇宙生命エネルギーの循環行為」と考えます。

宇宙そのものが循環と考えるのが素直な人間の思いです。とすると、食事は循環であり宇宙そのものと言うことになります。

7/17のブログにヒフミ~の紹介をしてあります。
「ヒフミヨイムナヤコト」は「123456789・10」のことでもあります。
古神道の祝詞のなかにあるそうです。(詳しい方からのコメントを期待しています)
このヒフミ~は、火風水土草虫魚鳥獣人という生物進化のおよその順番をも表しているようです。詳しくは「六甲斐秀真著 披露聡秘」参照。

また、ヒフミヨイムナヤコトはヘブライ語で「女神を暗闇から誘い出すときにかけることばは何か」という意味のある文章だそうです。つまり「宇宙生命エネルギー制御の仕組みは?」という問題であり、方程式なのです。

答えは方程式の中にすでにあります。解凍ならぬ解答すればよいだけです。
つまり、生物進化の中に宇宙エネルギーの超活用法がかくされているということです。生命進化は「食物連鎖」ともいえます。

植物の米の命、エネルギーが人間に成り代わる食事はコンパクト版「生物進化」でもあります。それはまた「宇宙エネルギー」の制御のひとつでもあるわけです。

食事=循環=背物進化=宇宙エネルギーの制御・・・

「披露聡秘・哲学」では、「ヒフミヨイムナヤコト」の不足を補っています。これだけでは循環が完結しないのです。

完結編ヒフミヨイムナヤコトは、

霊 光 日・火風水土草虫魚鳥獣人 「0 123456789・10」

「ヒト」とは「火人」で火を操る「二足歩行のサル」のことでした。ちなみに、火遊びに興じているうちは危ない「火人」です。

霊、火、日、光・・・のすべての「ヒ」を使いこなす「人」こそが、真の宇宙真理に目覚める「ひと」といたします。

「食事」の哲学的、披露聡秘的考察によって、色々なことが暴露されてきます。
破天荒な披露聡秘的哲学ならではの醍醐味です。常識的、学閥的哲学ではなし得ないでしょう。本来の論理的思考は破天荒なもののはずです。

芸術、宗教、科学その他諸々のセクトを超えて思考錯誤?試行錯誤するところに本物への道が開けるものと思います。

究極の食事とは「ことばを食べて、出す」ことでしょうか。

消化不良を起こさないように、難解な文章は何回でも繰り返し読み返して消化しましょう。

夏休みの思い出

2007-07-25 09:29:20 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
そろそろ、全国的に夏休みが始まるころでしょうか、この頃に「梅雨」があけるようです。夏になると、「夏休み」を思い出すのは、それなりに夏休みの印象がこころに強く残っているからなのだと思います。

昭和30年代に小学校に通っていました。3丁目の夕日をリアルタイムで体験した世代です。品川の荏原のあたりは、当時空き地の草むらに「糸トンボ」が飛んでいました。青、黄、緑など色とりどりだったと思います。
下水道化した「立会川」は、それでも早朝に行ってみると川の水は澄んでいて、魚や亀や蛙の姿を見ることが出来ました。

昭和30年代の東京の一角にはまだ、そんな風情がありました。打ち水も毎日やりました。風鈴も自然に鳴っています。床までの掃きだしは開けっ放しの自然通気冷房です。ゆったりとした時間が流れていた子供時代を思い出します。

夏休みです。

夏休みと言えばスイカです。井戸水で冷やして食べました。夏は冷たく冬は暖かい水の温度は摂氏11℃。飲んでもおいしい天然水が自宅の玄関先の手押しの井戸からじゃんじゃん出てきました。時々沢蟹が水と一緒に上がってきていました。
それも、隣に出来た銀行の冷房用水で汲み上げられるようになってから枯れてしまいました。今なら「訴えてやる!大事件」でしょうか。

ところで、子供の時間と年寄りの時間の速さに違いがあるように感じるのは錯覚でしょうか。披露聡秘仮説では、「物事の分別、理解が深まると、結論が速く出てしまうので、経年大人は一般に時間の経つのが速く感じられる」です。

NIEAOUM

2007-07-25 00:22:00 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
世なおしの必須条件は、
「まともな人間」でしょう。

まともな人間とは、サルの未熟児であり、想いは宇宙的に広く深く、行動は現実に出来る生き物。

基本食は、(胎児、乳児以外)
穀物60% 野菜30% 魚肉その他10%のバランスで、
根茎葉、頭尻尾など全体を食べる
穀物を食べるということは、「和」の字が 象形しているように「平和」の条件。

穀物食をすると「脳波」が安定することが研究されています。肉食すると、攻撃的ホルモンの分泌が促進し、脳波は興奮する。

「NIEAOUM にえあおうむ」と発音します。ネコの鳴き声になります。
反対に「MUOAEINの発音は「ウアン」でイヌの声に近いものがあります。
































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































緑色野菜に注意

2007-07-24 17:57:00 | 自然・環境・生活
野菜が糖尿病を引き起こす!「宝島社新書」河野武平著によれば、

濃緑色野菜(小松菜、ほうれん草、チンゲンサイ等)の中に、残留する
「硝酸塩、亜硝酸(化学肥料、ハウス栽培、促成栽培等で生じやすい!成分)」が、糖尿病、がんその他の成人病(生活習慣病)の原因になっているらしい。

国の機関では、その残留硝酸塩、亜硝酸の人体に対する健康上の影響について、
まじめに研究していないと言う(前述の新書による)。

小松菜は鉄分、葉緑素等が多く、お勧め野菜の優等生なのですが、市販の「見た目のきれい野菜」はハウス栽培がほとんどですが、そのきれいやさいが危ないのです。それで、生牛糞に活性剤を混ぜ、栽培してみたのが前回の写真のほうれん草です。安全安心なばかりか、アクも少なく「美味しい」のです。

哲学を語る士は、本来の食べものの生産現場を知っていなければダメだと、つくづく思いました。

机上の「空論」徹夜でガクガクは、私の志す哲学のイメージではありません。
哲学は普通のことを丁寧に、普通に探求することです。

無農薬の野菜を作り、食べることが「奇異」に感じるのは、当事者か外野のどちらかが異常感覚なのでしょう。世間体に囚われずに、正義を貫こうとすると、変人扱いされます。世の古今東西、を問わず世間とはそういうものでしょう。

桶田んぼの稲に、穂がつきました!

もちろん、勇気無農薬栽培です。花が咲くのが楽しみです。

みょうがとほうれん草

2007-07-23 20:24:28 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
南無妙法蓮華経

聞きなし

空耳

ひょうたんから駒

シンクロ二シティ

認識=共鳴=共振

nA mU mI yO U hO rE N gE I kYOU

ア ム イ オ ウ オ エ ン エ イ ヨウ

南無妙法蓮華経とは
「自然の摂理に、帰依する」という意味。
「御意」

一般的な意味は広辞苑を参考に!


前回のほうれん草は、無農薬生牛糞活性剤即種まき栽培で出来た、
元気百倍の巨大お化けほうれん草でした。
茹でても、しっかりしていて、食べ応えありましたよ。
アクが無く、後味もよかった。

今年は、小松菜とほうれん草の食べ放題!

追伸:
南無妙法蓮華経の母音は、NIEAOUMの「7音」全音あります。「O」が多くて陽性。
ちなみに、南無阿弥陀仏は・・・陰にこもります。


哲学のすすめ

2007-07-21 21:43:15 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
哲学に対する常識を理解するために、参考になります:ウェブ検索http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6

純粋生実践哲学とは、

宇宙、生命、存在、人間、人生、神、矛盾などの超基本概念について、「自分」で考える行為でしょう。

他人の哲学の実績を参考にするのも大事です。

さらに大事なことは「考えるのに使っている言葉の意味は正しく使われているかです。なぜ大事かと言うと「言葉の最初の定義は誰が、どのようにしたのか真偽の程がいまひとつ怪しい・・・」から、です!。

科学 宗教 哲学の、解りやすい究極の定義!

2007-07-20 16:25:06 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
哲学(哲学的思考)をする際に、初めにこころがけなけれならないことがあります。

それは「言葉」の定義です。哲学は論理的に言葉で思考します。使う言葉の意味が曖昧では、究極を窮めることは無理です。と言って、初めに言葉を定義するためには「哲学」をして言葉の意味を確定していなければなりません。

矛盾です。

哲学は永遠に「矛盾」を抱えたまま中立、中庸の立場で悶々と探求をやり続けるもの。宇宙存在を「想像・創造力・言葉」で認識し、肯定もし否定もし、明確に「不思議である」という認識を持ち続ける。

宗教は、矛盾を嫌い、証明不能な宇宙存在を「特定の体験事実により独善的に断定して主張する」 よって、排他的になりやすい宿命を負っている。

科学は、矛盾を嫌い、証明・実証・再現のできた事実を認識の根拠として宇宙存在を認識する。証明できないことに関しては、探究できない致命傷的欠陥がある。「科」は部分をあらわしますから、科学では、宇宙全体を総体的に把握認識できない!

<思考例題>
・光の当たらない「腸の中を他人に説明するのに、照明できないが・・・」
・宇宙の果てはどうなっているのか?(宇宙の定義を決めないと、問題としては不十分!)
・「もの」の表面、ものとものとの「接触面:境目」とか、ものの「端っこ」はどのような状態かを調べる方法は、科学的に考えて存在するか?
・生きていることにどっぷり浸かっていながら、「生きている」ことを識別認識できているのはなぜか?(同じものの集まりのなかで個を識別できるか)

(思考のコツ:問題の中に答えあり、または問題がおかしい!など)

模範解答は、後日に!

はざ賭けの効果

2007-07-19 10:13:32 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
火のまわりで夜な夜な、ご先祖様は自然の不思議について語り合ったと想像するのも楽しいものです。今、生の焚き火は色々な事情で禁止傾向です。さみしい限りです。そのうち、火を見たことの無い「人類」が誕生するのでしょうか。

笑っていられません。

日本人と米の縁の不思議についての考察は別の機会にゆっくりとしたいと思います。が、食べる米がどのようにして出来るのか、ルーツを正しく知って食べている人がどれだけいるのでしょう。

ものごとの原点を忘れての未来思考は、柏崎原発症候群です。

さて、はざ賭けの効果ですが、
①自然乾燥で味が良い。(遠赤効果もあるようです)
②燃料不要。(温暖化抑止)
③稲のエキスが逆流して「穂」に集まる。
④③の補足:天に向かうエネルギーの他に、地に向かうエネルギーが凝集される。
⑤実が充実し太る。重量が増える。
⑥発芽能力が増す?

欠点は、手間が掛かる。

焚火の周りで、自然、宇宙、人生を語れなくなりつつある不便な便利社会では、ぱそこんの周りで、語りましょう。

はざ掛け

2007-07-19 10:00:57 | 自然・環境・生活
目先の経済感覚による「米つくり」では、米の乾燥は「人工乾燥」。刈り取りと同時にコンバインで乾燥するのも多い。アメリカの得意技です。

写真は「稲のはざ掛け」です。

食べる人の、健康と未来の子孫繁栄を願っての「心を米た米つくり」の実態です。

目先の我利に奔走する「無辜の民」をたしなめる立場にあるはずの、最高学府、つまり「大学」の現在の農業経済学では、季節はずれの「高値で販売できる作物生産推奨」で栄養、健康無視のインチキ経済学を研究推奨、普及啓蒙しているふしがあります。

はざ賭けなんて、とんでもない! 不経済な!

とりあえず生きる、という時代は終わったようですので、ここらで、真の人間とは何かを問い始めましょう。

それが「披露聡秘」です。哲学らしからぬ哲学です。

目先の経済

2007-07-18 09:56:52 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
昨日に書いた「無辜の民」とは「何の罪も無い民衆」という意味です。

何の罪もない民衆なんていません。お墓の中にもいません!
民衆は「業」が深いもの、と相場は決まっているのです。

質の悪い政治家を選ぶのは、質の悪い民衆です。

質の良し悪しにかかわらず民衆は「自分の目先の利益」を争って奪い合います。そういうものなのです。そうしてしぶとく生き延びて子孫を残してゆくのです。そういう、しょうがない癖を「業」というのです。

そういうしょうがない民衆の中に、未来を想像し、未来を憂える「規格外民衆」が突然変異のように出てきます。自然の摂理ですね。目先の我利に囚われない100年200年先のことを想像し考えられる人間は、初め「バカかキチガイ」かのように思われますが、そのうち「利」をもたらすことが判ると大事にされます。

もともとサル社会では、リーダー格のボス猿の資格は「餌・餌場の確保と外的からの安全保障」です。人間の社会もサル社会の延長のようなところがありますから、同じような群れの機能をもっているはずなのです。

人間社会はサル社会に比べて、より「未来志向」であるはずです。目先の命の安全は当然のことです。あえて言うことはありません。しかし、人間の文化の複雑、広さを考えるとき、より深く広く未来への関心を持たないと「人間存在」の意味を放棄することになるでしょう。

目先の利益追求も大いに結構です。しかしさらに未来の利益についてもっと貪欲にならないといけないのです。人間を標榜するならば!

質の悪い政治家は、政治の意味、役割を知らず立場の特権に狂い、本来商人の役目である「お金的利益の追求」に奔走します。
「お金の価値」は、「人件費」とどのつまりは「エネルギー」
<支配人ムカイ>

地震に弱い原発 露呈

2007-07-17 22:51:34 | 自然・環境・生活
想定外の強い地震が来ちゃったので、しょうがねえじゃねーか!と云うのでしょうか。この度のマグニチュード6何某の中越沖地震は想像をはるかに超えているのでしょうか。そんなことはありません。
初めから、大衆を馬鹿にした「原発政策」の判りきった予想とうりの想定内の結果です。今回のお粗末は!

シラケ鳥も皆東の空に飛んでいってしまいます。

原発の施設の「経費節約」で経済的に「利」を被った方々がいるのでしょう。目先の経済行為のために「安全」を犠牲にしたのです。

東海沖地震がそろそろの今日この頃、自然災害ではありません。人災です。
まあ、どちらでも大差ありません。来世は過去世~現世とつながっていると考えるなら、生きざま、死にざまの「本筋すじ」の部分でうそついていても、お天道様はお見通しで、それなりの「お裁き」があるでしょう。各自の自覚の中にそれは存在しています。ろくな死に方はしないでしょう。死に方と云うのが耳障りなら「生き方」と言い換えても同じですが。

災害の準備は「出来ます」

出来ないまでも「金儲けのための安全無視・うそ」はやめましょう。うそを助長するような「無辜の民」ぶるのもやめませんか。
<支配人ムカイ>

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