世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

エネルギー革命

2007-07-27 14:03:47 | 自然・環境・生活
人類の歴史は「活用エネルギー源の変遷」ともいえます。

「ヒト」とは火人でした。火人はまだ進化途上の危ないサル的生物です。

「火」はエネルギーの象徴です。エネルギーの完全な制御が進化人類の究極の目的でもありましょう。宇宙はエネルギーの制御そのものです。人類の究極の願望は宇宙との同化です。エネルギーを自在にコントロールすることで至福の生活が得られるだろうとの欲望と言ってしまえばロマンが消えてしまうようですが。

熱・エネルギー源の歴史・・・

太陽 溶岩 温泉 薪・柴 生物油脂 石炭 石油 天然ガス 化学可燃物 化学電池 核・・・

エネルギー源は色々あります。もっぱら「熱、動力、圧力、明かり、」を利用するためが多いようです。エネルギー源そのものがあってもあまり意味がありません。生活の活動動力としてさまざまな形態のエネルギーに変換されて利用されています。「パワー」に偏っているようです。

ちなみに、エネルギーは①パワーと②パターンとに分けられます。
パワーとは「変化力」。パターンとは「形態(熱、圧力、動力、明かり等)」。
エネルギーとは型と力「カタ・チ」の合わさったもの。(披露聡秘による)

「木」はエネルギーの一形態です。①燃やせば火の力が発生します。 ②加工して木材として使えば、家、各種建築物、木工品、紙、などの「色々なパターン」として利用できます.

E=MC・C (エネルギーは、質量×光加速度 つまり、パターンとパワー)

※質量という表現が「曲者」です!数学的には「質」には「量」は無いが、物理学的には「質」にも「最低現実的に存在するためには一単位の量」を無視できない。

石炭や石油や核にしても、そのもの現物では、粗大ごみと変わりません。熱とか圧力とかの、生活に活用できる形態に変換して、初めてエネルギーとしての価値が活かされます。

エネルギーの素材としての石炭石油核を、変換していわゆるエネルギーとして利用しているのが現状ですが、その際、炭酸ガスや余分な熱、廃棄ゴミ物が出ます。
核燃料は核のゴミが出ます。核のゴミは炭酸ガスとは別次元で大変厄介なゴミです。

さて、人類は、いよいよ究極のエネルギー源を手に入れる段階に来ているようです。核に限らず、石炭、石油でもそれなりに「欠点、危険」はあります。究極のエネルギー源にも欠点はあります。辞職した大臣のことばを借りなくてもしょうがないことです。

究極のエネルギー源は「電気」です。珍しくないのが落とし穴なのです。
現実に電気はすでに利用されていますが、直接宇宙・自然界から電気を取り出して利用しているケースはまだまだ少ないのです。太陽電池などはそれに近いものでしょう。究極のエネルギー源は電気を直接発電する装置と言うことになります。

現在は、発電機を回すのに「水蒸気」を沸かしてタービンに噴射しています。水蒸気を沸かすのに石炭や石油や核を燃やして「熱エネルギー」を得ているわけです。電気を作り出しているのは「回っている発電機」で、核でも石油でもありません。
間接的にしろ「電気エネルギー」を得ているのですが、エネルギー効率が悪く不経済なのです。

エネルギー革命とは、エネルギーが電気形態だと色々使い勝手がよく、便利なので、「電気」を効率よく作り出す方法を見つけること、ということになるのです。

人類の智慧はいよいよ究極のエネルギー活用の段階にはいります。先にも言いましたが、便利なものには厄介が付き物なのですが、人類の智慧はそこの矛盾をいかに克服するかによって、その真価が問われます。

超便利な究極のエネルギーを間違って使えば、あっけなく「世界の終わり」です。核の驚異も歯がたったない規模のエネルギーシステムで、破壊力があるでしょうから、現在のような、幼稚な宗教観、科学倫理、お粗末哲学等では、究極エネルギーを制御することは不可能だと思います。

まずは、うまい話にやウラがある!との謙虚な気持ちを持つことからです。

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