世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

御魂字訳師の考察

2007-07-06 19:15:41 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
徒然なるままに、ブログるのは、脳のリカバリーのためでもあります。哲学=希哲学は先達の苦労の成果が、いかに可笑しかろうと、それなりに尊重し、その上積みによって進展させるのが、本分だそうです。「論理的に思考し続けることを、楽しみ愛おしむ」のが希哲学でありますから、先達の「それなりの思考作業」を大いに尊重しねぎらうのは、同じ哲学=希哲学を志す同志としての礼儀ではあります。

して欲しいことは、相手にしてやりなさい。ですか。

最近、日本語が乱れている、という声を聞きます。いまどきの若い者は云々と同じセンスからもれる愚痴の類と思います。愚痴にかまっているほどヒマではないのですが、気になるので徒然に一言文句のひとつもたれたくなります。

「ことば」は、音と意で成り立っています。意は音の心と書きますが、音の響き、音色、リズムつまり耳ざわりや肌合いの良い悪いは、ひとの心の反応でしょう。
ひとの心ほどわがままなものはありません。

ものの良い悪いを決定する根拠は「そのひとの好き嫌い」というのが披露聡秘の結論です。(上尾在住の尺八演奏家K.Y.師説のパクリ) ものの善悪の判断基準は当事者にとっての都合で決まるということです。

言葉の乱れとか、正、不正は結構、揺れ動いていて不安定なものなのだと思いますし、それが言葉の宿命だと思います。個人的な感性の違いによって言葉は色々に変幻するのは当然なことです。
方言、訛りによる「発音の変化」は「その土地の土壌、水、食べもの、空気」に含まれているミネラルの違いによって決まる、という研究成果が出ているそうです。
カルシウムが少ない土地の人の音感では、「ゆきぐに」が「ゆぎぐに」「食え」が「け」になります。「ひとりしずか」は「すィどりすィずが」かな。鼻に抜け、濁音が多いのが気になります。

しかし、ものの持っている特有の質感は、物理的に固定している側面もあります。
たとえば、「綿わた」の質感、音・響きはふわふわの「わた」であって、決して「てつ」や「ガツン」「ゴリッ」ではありません。あくまで、私の感性によってではありますが、他のひとでも、感じ方はそう違わないと思います。

氷はクールかアイス 石は意志かストーン、岩をいわと感じるひとの性格と「ガン」と感じるひとの性格の違いを考察するのも、忙しい人の暇つぶしになるでしょう。

時代とともに変化する側面と、変わらない本質とその両方があって、言葉は生きているのだと思います。言葉に限らずすべてがそうなのでしょう。

ふわふわ飛ぶ粉はふらわあとか。具体的な感覚で捕らえる現象やものの表現は、感触と音の響きがよくシンクロしています。人間の頭の中で勝手に増殖する抽象概念の場合は、言葉の意味と響きが一致しないものが多いようですが、言葉が生まれ表現される「瞬間」を実感をもって味わいたいものです。

で、「自分で造語」をたのしんでいます。

時代、人の違いも何のそので、変わらない表現の中に「宇宙」の本質の尻尾が見えて来そうです。

「いらっしゃいませ、こんばんわ」慣れると妙に楽しくなります。

母音、子音、訃音? ふいんでは「父音」が出てこない!この世は母性社会。
何時の時代も父は影の薄い存在なのでしょう。

何が生き残って、何が消えていくのか、
必要があって掘っていた穴が自分の墓だった・・・重宝な化学物質も制御できなければ環境ホルモン・・・墓穴掘るもん・・・

お後がよろしいようで。<支配人ムカイ>


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