世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

すずめのなみだ 哲学のすすめ・・・

2010-07-30 13:14:27 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
あしあとコメント転載・・・

「とりあえず生きる」ということは「潔い大儀」にならないのかどうか。安物買いの銭失い、という格言があります。インチキ食品でもとりあえず食べて生きながらえるのがしたたかな生命力といえるのか、はたまたインチキに妥協せず食わずに餓死するのが正義なのか、どうなんでしょうか?

昔、すずめを捕らえておいたら、まったく餌を食わずで、死なせてしまったことがあります。すずめにしてみたら、捕らえられたストレスで食欲どころでなく、ショック死だったんだろうが。正義はどこへ行ったやら・・・ 開放してあげるのが正義でしょうけど

dasoku:
話題新刊コーナーで「やたらに苫米地~」が目に止まべち、ウイッキペヂアでちょいと確認、なるほどそうなんだ!と思いました。確実なこと、あいまいなことの識別を明確にしつつ語り論ずる大切さを痛感しました。

当ブログは、想像の創造で想造であり想蔵でもあります・・・

苫米地氏いわく「生命を、科学では解明できない、宗教は妄想で論外!」同感ですが、哲学、披露聡秘はどうなんでしょうかね?

お盆が近いので・・・

2010-07-27 11:24:13 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
お盆が近いので、教養の押し売りなど。

お盆←ウラボン←ウランバーナ(梵語で、逆転、逆さにするの意)、つまり「苦→楽 逆転」、先祖のご苦労を供物によってねぎらう儀式・・・

神さんは結構残酷で、マゾサドの両刀使いです。なにしろ、隕石激突で、大量殺戮をやってのけるんだから。911などは、蚊の一刺しにもならない。低脳人面猿を操って、戦争ゲームで楽しむ神にはなりたくないですね。一般にイメージされている神は、正確には「神々」というべきでしょうね。雑神なんです。雑紙は無料で処分ですけど。寒い~。

暑中見舞いになれば幸甚です。

dasoku:
諸仏も雑神の別名でしょう。
さて、宇宙を「星☆★の世界」に限定して考える風潮が一般的ですが、変だと思いませんか?本来の宇宙論争は「哲学」出なければ、ほとんど意味がないと思うからです。つまり、宇宙とは、「宇と宙」、「時空」のことで、星空だけのことではないのですがね。
宇宙とは「天地人」全ての、無限存在のことですから、星、天体観測は宇宙哲学の極一部分のことなんです。部分イコール全体に出来る素養があれば、まあ良しとなりましょうが。

仏様には「ほとけごころ」などがあり、子孫には甘いところがあったり、困っている人を助ける優しさを感じますが、「神」とは、「中立 中庸」で、善悪の差別無く「命を自覚して生きるものを活かす」と云う具合に、いたって公平なもののようです。

教えてGOOグーから転載 無限考

2010-07-20 10:30:43 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
      永遠に? 色のあせない 紅葉かな (去年の紅葉)


 自分が書いた文章を読んで、断定的な言い回しには客観的に「なにっい」と反射的に思いました。つまり、良くわかっていないことを文章にするときは、それなりの書き方があるということを、今更に感じました。ということで、哲学を語るときは、常に言葉の「限界、クセ」を忘れずに謙虚に行きたいと思います。無限を考えるとき、大体が大きい方をイメージします。しやすいクセがあるのでしょうか。小さい方の無限を考えてみる必要があります。宇宙の果てを無限の対象にすることが多いですが、アキレスとカメの逸話のように、「狭い隙間の無限小」についてはどのように考えるのでしょう?

 現代になって量子論が生まれ、この世は「粒子と波動のコラボレーション」であるように考えられています。同感しています。つまり、固定的に考えないということでしょうか。「無限」という漢字表記であろうと、「かぎりなし」であろうと「む」でも「か」でもなんでもいいのだと思います。どんなに表現を変えても残る基本は「動と静」の組み合わせです。人間の認識は人間と云う制約がありますが、幅を持たせる工夫をすれば、その欠点を補えます。その幅は具体的には「4」と教わっています。(4値論参照)

 人間は、想像力によって、限界を超えることが可能だと思います。これも、無限は有限の繰り返しという考え方を根拠にするから出来ることです。(一般の言論も、この根拠なしには成立しないと考えています。)

 空間的にせよ、時間的にせよ小さいものが有限的に認識されるなら、大きなものも有限でかまわないと思います。すべてが対立・相補という考えでいます。その考えに立って考えると、有限と無限はお互いの立場でお互いを逆さまに感じているように思われます。現実世界にどちらか一方だけ存在できるとは考えにくいので、「大きさのある有限」が「無限に生成を繰り返す」ということで「一つの循環絶対宇宙」と考えるのです。無限大と無限小とをイコールにするための結び役=共通の概念が「循環=回転」と考えます。そこで、問題になるのが「繰り返し」の矛盾です。同じものは二つないのですから、繰り返すということは、本来ありえません。

 先人の智恵を借りながらも、自分の頭で究極の原理を捻出するのも大事なことと思います。参考にし、大いに尊重はしますが、自分は出典の新旧、どこそこなどは真義の判断の根拠にしていません。特に人間の仕業に関しては。妄信せず、疑わず、自分で確かめる、を心がけています。

円の大きさには大小ありますが、角度は360°で皆おなじです。角度は有限的です。大小の円は同心円で、円の繰り返しです。

トカゲの尻尾:皆さん、「瞬間」を科学的、哲学的、論理的、宗教的に定義してみてください。どんな的でも構いません。コメント楽しみにしています。

ある農法が新しき世界を開く~革命前夜

2010-07-20 00:13:46 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
  米多収穫を実現できるある農法による稲の生育



人間は、人間であるが、宇宙自然の一部でもある

宇宙自然と対立する人間は人工の世界をつくる

それで

宇宙自然
野生世界
人工世界

の三つの世界が分かれる

農業に、野生の生命エネルギーを取り込むことで
人間は、宇宙自然と共鳴する

野生だけでは、人間は人間として生きていけない

今、農業に革命が起きる

多有機物肥料で、 多収穫で、高品質で、美味の野菜、米、畜産が出来る
また、無肥料で安定、高品質野菜、米のできることも解っている

もう、インチキな人間の勝手な命の操作は止めさせよう!

農業 医療 教育 経済 政治 芸術・・・・・

全ての人間の営みのインチキの大掃除を始めよう

インチキの語源を IN TAKE 隠すとすれば
マコトは OUT TAKE 公開となるか

経済の仕組みを公開することで、世界は平和になる予感がする

その第一歩は、生命産業の、農業革命だろう

かえる 帰る ふりかえる かんがえる

2010-07-19 12:32:08 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
<世なおし倶楽部の哲学を読み下すには、普段何気なく使っている言葉の語彙を、広く深くして、真の意味を理解してかからなければなりません>

哲学病に取り付かれて60余年、26年前に「沖ヨガ」に出会い哲学病の免疫を授かる。その後、「無限」の意味を喝破することになるのですが、科学者にも哲学者にも物理学者にも、今のところ共感者がいません。

改めて、皆さんの「無限」観を聴きたいと思います。

世なおし倶楽部の無限観は、「終りが無い。繰り返しの回数に制限が無い」です。直線的無限には論理的に無理があります。直線的線分には初めと終りが存在します。寸法が測れるということは、端っこがあるということ、つまり有限なのです。有限なのに無限を考えるところに矛盾、無理があるのです。一般の知識、智恵では、無限を理解することは無理でしょう。無限とはどんな概念なのかわからずにして無限の理解に挑戦しているのですから、回答がでるわけがありませんね。

でも、考えるということは、その矛盾を突破することにほかなりません。解りきっていることだけを組み合わせて、こねくり回しているだけの作業では、新しい発見、創造は望めません。解らないことを解るようにするためには、「言葉の定義」をご破算にして願わなければ無利です。

ところで、「教えてグー」に投稿したところ、無限の定義にニアミスがありました。「無限の定義に、循環を除く」とあるではありませんか!答えをつかんでいながら、なぜそれを排除するのでしょうか?世なおし倶楽部の無限観は「無限=循環」です。

ゼロは「0」です。無限の記号は「∞」でいみじくも「繰り返しの象徴」のような表示です。この無限の記号を作った人を、大尊敬します。



                      

人間は無限に進化するのか?
進化とはなにか?
人間とはなにか?
無限とはなにか?

すべて、言葉の理解なしでは進まない!

進化とは、人間が宇宙になること!
1であり∞であるための条件は「繰り返し=循環原理」です。

つまり、有限なる人生を無限に繰り返すのが宇宙、ということです。

人生とは、レイ・ヒフミヨイムナヤコトの循環。
霊・火風水土世草虫魚矢獣人

                      

言い争って地獄・・・漁夫は誰だ

2010-07-03 23:52:16 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済

世界の見えない庶民は、真実を知らない庶民は

お互いをののしり合い、言い争い、目先のことに囚われる。

獄と言う字は

了見が狭く、物事を大局的に見ることの出来ない者同士が

目先のことに囚われ、いがみ合いをして居る姿の象形であった

一部権力の欲望満足のための代理戦争は、まさに「獄」である。



                      
庶民よ、目を開こう!
情報を隠蔽され、目隠し状態の人を「民」の字で表す。


youtube

今風活動写真