世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

イケイケドンドン般若心経

2010-06-30 21:03:23 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
木魚のリズムは、一拍子有限。鐘のの一発は行ったっきりの0拍子でも有限。お椀・鈴の縁を繰り返しこすって出る「おわ~ん おわ~ん」はオワランオワランと聞こえて無限拍子。






教えてグーより転載

そもそも人間の生活(生き、活かし合う)が即ち哲学なのだとすればいいのです。ヨガの語源は「ユイ ユヒ ムスヒ 結い」と聞いています。インド本土というより、南インド地方の言葉の様です。ヨガよいうと何か特殊のイメージをもたれるのが世間一般の認識でしょうが、真理を求める目で認識するとなれば、表面上の認識では浅すぎます。ヨガ=ムスヒというイメージにすればまた、ニュアンスの違った認識が広がると思いますが。世我とすれば、人間と宇宙のむすび探求、つまり「人間生活すべて」が世我となります。言葉の持つ「象徴性」に囚われず、独自に広く深く認識解釈すればいいのです。ただし、対話する者同士でそのことを共有して居なければ無意味では有ります。本当のヨガ=世我を実践実行されたことはありますか?愚問ですね。人間生活そのものが世我なのですから、ほとんどの人は知らず知らずのうちに世我っている訳でした。イノチの働きも「ムスヒ バランス 循環 調和」と定義されます。生きていることはそのまま「バランス」現象なのです。病気はバランス回復作用・現象と観ます。世我的認識です。究極の時間に単位は不要です。空間にも単位は入りません。しかし、日常生活の便宜のために単位が有ります。究極の尺度と人間スケールでの尺度は違うのが当然なのでしょう。ところで、時間と空間の共通する単位が有りますが、それは「回転」です。瞬間にも一単位の長さがあり、一番小さな空間にも大きさがあります。量子論です。単位は秒でもメートルでもない、もっとも物理的ながいねんで「回転」なのでした。つまり、時間と空間とが区別つけられない状態、現象が、宇宙の究極現象で、論理に反しません。もっとも論理的です。哲学とはこういう結論を導き出す作業でもあるのです。科学には出来ません。
断定して譲らなければ「偏執宗教」にナリマス。あくまでも哲学の立場は、仮説ですから、皆さんのご意見を期待するわけです。わくわくしながら、別の見方の出るのを楽しみにして居ます。これが、哲学の醍醐味では無いでしょうか。自説を無理やり押しつけません。これ以上は解説不能というどん詰まりまで、テーマを追い詰めるのです。一人の力では限度が有ります。皆さん一緒に、真理を追い詰めてみませんか。般若心経の最後に、ギャーティギャーティパラギャーティパラサンギャーティ ボディスヴァハ というサンスクリット語の呪文がありますが、一つの解釈では「ゴウゴウイケイケドンドン、突き抜けると真理に至る」となるそうです。ギャーはGO、行く、ギョウと同義なだそうです。なるほどとおもえます。心経の前文は「0 空 循環」をといていますから、そのだめ押しでしょうか。


dasoku:
「瞬間」の長さの時間的単位と、一番小さな空間の大きさの単位とを同じにしてしまえば、
時間=空間となり、時間が空間に移行変換する場面になります。宇宙は一次元でも二次元でも三次元でも成立出来ません。つまり始めも終わりも無く常に、最低限四次元以上が必要でした。巨大宇宙も極微宇宙も最低存在を成立するための必要条件は「一回転」です。一回転しない時間は時間として捉えられない。空間も閉じてていないとカウントできない道理です。時間も空間も一回転する事で有限を確保出来、その回転を繰り返すのに、この宇宙には制限が内容です。その制限のないことを「無限」というのです。空間的果ての限りのないことを無限と想像するのは、論理的に破綻しています。空間と認識した時点で「限界 境界」を想定してしまって入る訳ですから、有限としてしまっているのです。それを無限と思おうとするのは「分裂 矛盾思考です」

                   

生臭い裏話 アメリカ~ロシア・・・イギリス

2010-06-28 20:44:08 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
お金が貨幣となり、いまや「コンピュータ上の数字」になって、一部の賢い人等の自由自在の権力になりつつあり、末恐ろしい

詳しくは・・プーチンとオバマの仲良しライバル

現在地球人の一部資産家+権力者+支配欲亡者・・・コンピュータマネーで世界経済支配
その下部に、小金持ちのサブリーダー格の「秀才」グループが形成されている。
その下部、取り巻きが「平均的日和見庶民」
その下部が「年収300万以下」
その下部が年収100万以下

着々と、地球人家畜化戦略が進められている

下部層にはそれなりのメリットがあるが、それを活かさないと、お先は真っ暗闇になる。

人間は仕事をする。報酬を頂いて、生活をする。
報酬は、お金であり、エネルギーである。
お金は人間を動かすエネルギー源である。

お金は人間を介して夢を実現させるエネルギーの一種である。

石油も、原子力も、電気もエネルギーである。

お金もエネルギーである。
人間はお金エネルギーで、活発に動く一種の機械でもある

人間の意識も一種のエネルギーである。
お金以前に人間の意識はエネルギーである。

エネルギーをどのように活用するかは人間の意識の持ち方による。
如何様にもなる可能性がないわけではない・・・

                    


dasoku:オルタナティブ通信より無断転載
 2000年、日本長期信用銀行は米国の「乗っ取りファンド」リップルウッド社に、10億円で乗っ取られた。こうして、現在の新生銀行は「創立」された。

この「乗っ取り」=売却の、手続きを「仲介した」米国銀行ゴールドマン・サックスに日本政府は手数料として10億円支払っているので、売却利益から手数料を引くと「利益はゼロ」であり、事実上、日本政府は「タダ」で、日本長期信用銀行をリップルウッドに「くれてやった」事になる。

この、リップルウッド社の「創立資金・経営資金」を出していたのは、ロスチャイルドのゴールドマン・サックスである。リップルウッドと、ゴールドマン・サックスは、事実上、「同一企業」である。

銀行の「買受人」であるゴールドマン・サックスに、なぜ、日本政府は、「仲介手数料」を支払っているのか?

これは、ロスチャイルドのゴールドマン・サックスに、「日本国民の税金で創立・運営されて来た、日本長期信用銀行を、無料で、くれてやる」ための、ゴールドマン・サックス自作自演の「乗っ取り劇」であった。

この、ゴールドマン・サックスが、2010年、オバマ大統領の最大の政治資金・出資団体である。

ここに、日本国家とアメリカの、奴隷関係、属国関係が、明確に出ている。

日本側で、この「乗っ取り」を主導したのが、小泉元首相である。

かつての、小泉首相の「大人気ブリ」=小泉フィーバーと、選挙における小泉の「大勝利」には、日本人・有権者の「白痴ブリ」が明確に出ている。日本人は、日本国家と日本人の資産を、「無料で、アメリカに、くれてやった」小泉に、拍手喝さいを行っていた。

この「買収劇」が起こった時、アメリカの新聞・雑誌は、一面トップで小泉首相の顔写真を大きく掲載し、報道した。小泉の写真の上には、巨大な活字で、「世界で一番、マヌケな男」と、印刷してあった。



哲学のすすめ

2010-06-28 00:41:05 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
教えてグーから転載

1、宗教発生時期  猿の未熟児として人類が発生誕生したときが宗教の芽生え。
2、宗教の種類は、本来ひとつ。宗教の意味は「宗=本質 の教え」。俗には、多神教と一神教。無神教。
3、構成要素、自分の存在認識、自分以外全ての存在認識、命現象の認識。(否定出来ない絶対感覚)
4、宗教の宇宙観:3に順ずると考えます。
5、宗教を動かすもの:絶対観を得られればそうでしょう。
6、宗教の目的:宗教の発生は、原初は、人間の外界と自分との対立意識によって自然発生したと考えます。すぐ後聡い者が、不安要素の部分を拡大させ、人身コントロールに使うようになり、俗に言う「宗教もどき」に発展してきたのでしょう。宗教の本質とはギャップがありますが、無関係ではないでしょう。
7、宗教の未来:近未来に宗教のまじめな定義が単純に理解される瞬間が来ます。今ここです。
8、宗教の次は哲学という気持ちもわからないことではアリマセンが、厳密に言葉を使い分けると、それぞれに機能があるように思いますので、役割分担で、存続するでしょう。

9、提案:宗教とは、限りなく万民が納得するための、宇宙、生命、人生の真理のうち、証明しなくてよい、統一的有難い教え。因みに、哲学は、仮説でも、体験でも、再現実験げもあらゆることを駆使して「論証」しようとやり続ける行為。価値観に偏りの無いものを本旨、目標とする(ヨガ=世我哲学が一番近い)。科学は、光・電磁現象の関わらない現象については照明できないので、真理探究には使えない致命的欠陥商品である(真っ暗な腸の中の現象を科学では証明できない)。生命現象の元は電磁気以前の原理が作用していると考えられるようになってきている。
古き良き時代の科学情報の乏しき時代には、直感、主観の宗教的認識しかできないので、そのような認識レベルの文化~宗教~哲学で甘んじなければなりません。宿命です。しかし、時は流れています。科学の進歩と哲学の洗練によって、人間の認識スケールは宇宙大になりつつあります。小宇宙の人間と大宇宙とがシンクロする瞬間が近いのです。科学が直感認識も合理と認めた瞬間に、宗教と科学はシンクロします。そこで思考停止すると、人類は進化アセンションして「完成猿」になり一巻の終りになりますが、哲学を捨てなければ、永遠の人間性を失わず、悩み多き、個性尊重の芸術人間を継続するでしょう。

全てを偏りなく論ずるのは哲学であり、世我哲学(披露聡秘)がトレンドである。
哲学は本来そうあらねば哲学でなくなる。

                  

教えてグー、宗教、哲学、科学、芸術・・・・転載

2010-06-27 21:50:22 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
(1)宗教:信じる+体系創り
(2)哲学:仮説+検証
(3)科学:仮説+科学的検証
(4)芸術:感動共感の訴追
(5)数学:仮説+論理学的数学的検証

(1)について、同感でした。さらに、一人の直感でよい。実証不要。証明してもよし。一人の人間の体験は事実ではあるが、他人に普遍的に応用できる真実であるとは限らない。よって、証明不要。絶対真実の保証もない。それでいい。
(2)哲学は、論理的に究極の「真理」にたどり着くまでの謙虚な作業。脳と身体の両方でやるのが本物の哲学。論理的体験的検証。ヨガ(世我、世と我のむすび)は実践本物哲学のひとつ。なぜなら、心と身体、世と我の調和を目指して、求め続けるものだから。俗なヨガではちょっと違いますが。俗な哲学も脳だけの、偏屈なものが多い。検証は総合的に。
(3)科学は、同感。検証がカギでしょう。俗な宗教は検証せず、ごり押し。妄信。科学は実証主義。しかし欠点、限界はそのことが墓穴になり、実証にこだわる科学知識では、永遠存在の宇宙を説明できない宿命を負っている。客観証明でなければ、ならないという性質上、究極の宇宙生命解明、証明は無理。
そのため、宗教が代替になることになる。科学も宗教も「原理、単一性に収束させたがるくせを持つ」哲学は、断定せず仮説の提案がその本領か。宇宙の真理は、哲学的仮説の中にこそある。
(4)芸術は、個性の主張。単一性とは対極にある。よって、宗教芸術はありえない矛盾。よくあるのは宗教美術、造形で、芸術ではない。芸術に美醜の評価はあたらない。へたうまもない。あるのは個性とそれを表現する技術。
(5)数学は、徹底的な完璧を求める妄想の世界と、近似値実用の現実の世界と妥協する算数と混在する。
もっとも、究極の数学は哲学になるだろう。虚数の大家の哲学者牧島象二氏は虚数によってあの世の存在を証明している。量子論は数学の矛盾を解決した。量子論はヨガ哲学と同じである。

いずれの分野も、究極を治めれば、人類礼賛において同じになる。

ご回答に触発されて、思い付きを書きました。

ご返答いただければ幸いです。

追伸:哲学を大切にしましょう。

哲学的問答のすすめ・・・人類のアセンションのために

2010-06-27 18:21:43 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
「教えてグー」への投稿のコピーです。


mmkyさん、愚問に対して真摯にご回答いただき感謝です。こういう類の疑問は、狂気と背中合わせなので、質問も回答も微妙なものがあります。懲りずにお付き合いいただければ有難く思いますが、慢性的難病にならない程度にお付き合い下さい。で、疑問のニュアンスを変えてみました。こちらの提案に対してのご意見ということでご回答いただければ幸いです。「無双原理というのがありますが、それによると、時は凝縮の極で陽性。空は拡散の極の概念で陰性。以下は自説ですが、宇宙は時空の総合無限繰り返し循環存在。存在とは、時存空在の略。時間とは、凝縮方向のベクトル。空間とは拡散方向のベクトル。時空はつまり、膨張収縮の象徴。時間空間は膨張収縮の現実的物理的観察可現象で、その現象は人間だけの幻想でも特権でもなく、自然に普遍の現実。無とは単純にないことの、たわいないことば。哲学的には、空からっぽのことである。無いものをないとは、非論理的でいえません!つまり、無限とは、限りというものが、本来あるのだけれど、たまたま見えない、触れないなどの事情があって、無のように観察される状態。つまり無限とは、循環の繰り返しのような現象の回数に限りのないこと」ということで。


また、この世は、四次元~以上の次元世界と考えられていますが、ひとつの仮説ですから、誰がどう考えようと云おうと自由です。で、考えました。

四次元を構成している要素の「一次元」の仕組みは、
「時空の循環」つまり、時と空、つまり、凝縮膨張の繰り返しの概念とする。
その概念が、四つ、お互いに垂直関係に作用しあっているのが、われわれの認識できている、四次元世界と考える。

つまり、四次元目だけが「時間」なのではない!ということ、新提案です。
時間とは、凝縮方向の長さ、ベクトルです。人間が感じる「いわゆる時間感覚」とは分けて
単純に論理的な意味としてイメージする必要があります。空間は「膨張拡散する方向の長さ、ベクトル」です。

言い換えると、縮む方向の刺激を人間は「時間の流れ、変化」と感じ、拡大膨張、拡散する方向の刺激は「空間的広がり、存在、現実の風景、物質」と感じる。このように、時空を定義すれば、もっとも論理的、原初的定義となるでしょう。学識のある学者や一般の人の言葉の定義は、ほとんど「先入観ウイルス感染」していて、論理が破壊されています。それでは、哲学思考を進めることは無理です。

これ以上、説明不可能というレベルまでの単純な言葉、概念によって、思考に使う言葉を定義しないと、哲学はできません。

一般の「哲学論争」は哲学論争ではなく、単なる「言葉の掛け合い」にすぎないと思えます。真の哲学論争は「言葉の原初的定義」についてに限定されるべきです。その定義のあとの論争は、哲学論争ではありません。普通の論争といえばいいのです。普通の論争では、哲学的進歩は望めません。人類アセンションなど夢の夢です。

繰り返しますが、哲学的問答とは、
「原始的言葉の定義についての問答」です。言葉の原点をさっと無視して通り過ぎてはなりません。

特に、哲学を志す輩は要注意なのです。


量子論的考察:
そもそも、宇宙存在を1~2~3~4の順番に考えるところに落とし穴があります。
量子論的にいえば、はじめから、四次元(またはそれ以上か)があり、その一要素としてあえていえば一次元があるといえるのです。つまり、三次元世界が膨張収縮していれば、四次元宇宙なのです。つまり、この世界全てが、膨張収縮しているので、部分的に観察すると、部分的な現象として観察結果が出てくるのです。それはそれで、ごく当然のことです。

そこで、出てくる重大仮設のひとつは
「時間は未来から過去に向かっているべクトル」ということです。
「空間は過去から未来に向かっているべクトル」ということになります。
だから、過去は確定的で単一的なのであり、
未来は。不確定的で、多様なのです。

非の打ち所のない哲学的論理的宇宙論なのですが、ご理解できますでしょうか。


読者諸氏の、忌憚ないご意見を頂きたい。(文責:ムカイ)


                     

                     

間違い探し

2010-06-26 09:41:07 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
ヒフミ曼荼羅のCーH-Oのつながり方に不備がありました。
六ヶ所です。
C6H12O6の数は標準的な数で、問題はないようですが。

因みに、C6H12O6は、ブドウ糖の単純化した分子式です。

炭素C,水素H、酸素Oで、ブドウ糖が作られています。

早い話が、炭と水で、砂糖やでんぷんが出来ているということです。

新しき世界

2010-06-22 10:30:50 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
大豆の芽

じきに小豆の芽も出て来ます

大事の前の小事ではなく。


オルガランド農法(有氣農法)とは:
最初に、大量の生有氣物と、約20万分の一のミネラルを溶かして水を畑に散布する。
それだけです。
その後は、収量目標に拠って、生肥料・水の量を加減しますが、減らして行けます。


越冬ホウレン草の「木」

葉をちぎって頂きます。数年頂け草です。

野草とともに生きる、五寸人参さん。

野菜の役割

2010-06-21 21:05:14 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
野菜の役割は

①季節に合った体調に整える
②濁った血液を浄化、濃くなった血液を薄める
③腸内細菌を増やす
④食欲、味覚中枢の欲求を満たす
⑤農家より、八百屋、流通業者の懐を肥やす
(一応本物として。)

肥料成分が同化されずに残留している野菜の場合は
糖尿病、腎臓疾患などが増え、医療関係の景気浮揚効果。

一日に青汁コップ一杯で生きている女性がいます。
日本人です。

黒船龍馬伝と白船ムカイ伝

2010-06-20 17:53:33 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
十日ばかり、世なおし行脚に出ていたので、久々のブログになった。
時速50Kmで、現代の白船は日本海を滑るように移動している。

行く手は五里霧中か、日本丸はどこに向かって走っているのだろう・・・

日本列島を車で南下縦断し、
白船で、霧の日本海を北上した。

南は霧に包まれている
北は、晴れている

世なおしは、人なおしから進めるのが正しい

人なおしは、イノチの哲学を理解体得するところから始まる

それを実践できるのは「正しい農業」である。

さて、そろそろ、電脳社会から田農社会主導の時代が始まる。

北海道に、新しい時代を開く、イノチの哲学が完結した。

「世と我のむすび」

秋山さんと毛利さん

2010-06-09 17:28:52 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
    蕪らの芽 


ともに、大気圏外、無重力世界に出た日本人男性ですが、
日本人で一番に出たのは、宇宙飛行士の毛利さんではなく、
ジャーナリストの秋山さんでした。

ご存じない方も多いかと思いますので、あえて云っている訳ですが、
秋山さんは宇宙飛行士ではないので、宇宙飛行士としての日本人第一号は毛利さんと言うことになります。ナンバーワンを気にする人にとっては大事な事です。

ところで、大気圏外、無重力星間世界を宇宙と、一般的にいいますが、
ていねいに考えると、決して星世界が宇宙のすべてではないことに気づきます。

いわゆる宇宙星空間に第一に飛び出して、宇宙のすべてが解るならまだしも、星間世界に拘って宇宙を考えているなら、真の宇宙飛行士とは呼びたくないですね。

ジャーナリストの秋山さんは、大気圏外世界から地球に戻って後、福島の田舎で土と戯れていると聞いています。多少の収入を得ているようですが、生々しい宇宙は「土」にあるとの考えで、農的生活を楽しんでいらっしゃるようです。


それぞれの宇宙観があってよいのですが、広く深い宇宙観であってほしいと思います。

世なおし倶楽部の宇宙観は、披露聡秘ですが、
霊 火風水土草虫魚鳥獣人 の循環を宇宙と観ています。

時と空とは、垂直関係で、つながっていて、時空時空時空・・・というふうに循環していると考えます。電磁波=光の電気~磁気の関係に似ています。

雑誌ニュートンに時空がテーマに取り上げられていますが、新説、真説が見えて来ません。

日本人第一号の宇宙飛行者は・・・

宇宙人哲学者秋山豊寛氏は、椎茸栽培で生業を立てている・・・

dasoku:
「宇宙」つまり時空は、星の世界と、土の世界と生物の営みの総体をいう。とにかく、全てである。中途半端は怪我の元。徹底して、考え行動で確かめると真実がわかる。般若心経を理解できれば、宇宙も理解できるだろう。
 科学知識、機械技術を結集する宇宙開発に関わる人材には、必然的に専門的高学歴が条件になってくる。ある限られたエリート集団を形成する。セクト、階級を形成する。確かに、浪花節やお笑いの世界では、実際に安全確実に大気圏外に行って戻ってこれる保障を感じられない。かといって、税金の使い方に偏向があってはならない。宇宙開発はロケット開発ではない。ある特定集団に偏って税金を還流させる口実に、ロケット技術開発は都合よく庶民を騙せるのであろうか。一般的に「機械技術系」はねっとりした縦横の組織固めが不可欠条件のようで、組織をかく乱する自由人、芸術家などを嫌う傾向がある。庶民も。真実を知るとヒステリーを起こすので、エリート集団は、庶民に決して真実を明かさない。
 現在、人類はゲノム計画を完成し、人類の遺伝子の100%を解読してしまった。しかし、一般にオープンになっていない。なぜだろう。

そのうちに、庶民のしがない一発明家が、無限エネルギーの原理を解明してしまうだろうが、これも、一般に開放したら大惨事になるので、オープンに出来ない。世の中って難しいです。

むすびヨガCLUB ~ むすび世我  の紹介

2010-06-08 10:09:41 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
世と我のむすび 2010

時代を超えて、
現代に生きる永遠の「健康法・人生哲学 ヨガ」の
基本技法・実用的ノウハウを、
心・からだ・食のバランスを通じて学習します。
どなたにも無理なく、分かり易く実習できるように
カリキュラムが組まれています。

人間は、生物の進化の頂点に至り、
精緻躰(体・身体)と、不思議な大脳を授かりました。
野生の動物には一歩負ける身体能力ですが、
そのハンディを「脳力」によって補い、
空陸水中を自在に動き、
とうとう大気圏外にまで飛び出せるまでの
潜在力を顕在化することが出来ました。

これからの人間の一番の課題は、大気圏外を「宇宙」と考える「錯覚、脳の暴走」の制御、つまり、真の「宇宙・生命の理解」です。そのために必要な条件が
  「心と身体と食のバランス」です。

むすびヨガCLUBは、
心・身体・食の総合的ヨガトレーニングによって
本来の人間の能力を発見、啓発し、
真の健康生活の実現のために、
人類共通の哲学としての
ベイシックなヨガの普及活動をしてまいりました。
2010年
ヨガの原点「世と我のむすび」にもどり
平和で健康な新しい時代の実現にむけて
志をあらたに、活動をすすめてまいります。

dasoku :
星の世界イコール宇宙ではありません。間違った認識です。思い込みの恐ろしさに気付く必要があります。ゲシュタルトです。雑誌ニュートンに「時空」が解説されています。しかし、時とは、空とはの最初の定義がおろそかなまま、論がすすめられています。そもそも最初に言葉が定義できているなら、学問はいらないし、哲学的行為も不要です。なぜ、やたらに人間は学習するのでしょうか。野生自然の生き物は淡々と生きています。神我一如を悟りの頂点とする考えがありますが、それは「野生自然」になりきることでしょうか。ヨガの目的はそこにあるように云われているようですが、ほんとうのところはどうなんでしょう。
人間が自然と一体になる境地の神我一如を極めたら「猿」になるのです。人間は猿になるために修行するのでしょうか。錯覚、不認識の結末はとんでもないことになるのです。

難しい本を読むときに、常に思うことは、使われている言葉の意味がわからなくて、理解できず読み進めないことです。

しかし、本に限らず、日常で何気なく使っている簡単なことばでも、本当の意味がわかって使っていないことに気付いて、30数年が経ち、ますます「哲学 披露聡秘」の必要を感じるのです。

常識、日常、通常の感覚の再考、思い直し

2010-06-08 00:43:32 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
    黄金のカップ


通常、何気なく気にも留めない、
視る、見える、聴く、聞こえる、匂う、嗅ぐなどの感覚を、
思い直して、今の感覚が100%真実を完璧に捉えて感じているのか
を精査してみる。

すると、結構いい加減なところで、妥協していて、完璧とはいいがたいことに気がつく。

通常感じている感覚による結果としての、見え方や、聞こえ方は、大雑把に言って半分は正しいといっていいでしょうが、別の見え方、聞こえ方がある、というのも否定できないし、それどころか、別の感覚を同等に価値を認めることが、自然世界、宇宙を丸く理解認識する、基本条件というべきでしょう。

ものごとは、基準のとりかたで如何様にも認識できる、という良きサンプルを紹介しましょう。「ゲシュタルト=見え」といわれているものです。

このことを応用して、さらに深みに入り込み、
「空間認識」の常識的感覚を乗り越える暴挙にチャレンジしましょう。

拍子 リズム

2010-06-06 20:40:59 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
哲学とは、披露聡秘

ヒロソヒであった。

宇宙生命、人生の秘密を暴露する知的作業を
愛おしく楽しむことであった。

木魚のポクポク・・・・というリズムは
何拍子か・・・

考える楽しみを奪ってスミマセンが
答えを披露してしまいますので、知りたくない人は
ブログを即、閉じてください!

もう、間に合いませんか・・・

                 

                 

                 

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