突然の地震で、考察が中断しました。
活断層も「境目」のひとつ。
「物」の表面はみな境目です。
人間の生活スタイルは「空気呼吸」ですから、周りは空気に覆われていて、空気と触れている部分が境目になります。水中生活の環境では「水との接触面」が境目になります。
つまり、境目は他の存在との接点、接面と云うことになります。
普通は「空間的境目」をイメージします。目に入るすべてのものに「境目」を見ることが出来ます。当然だろう、と憮然としている人のなんと多いことか・・・
ところで、時間の境目というのを考察する意味がありますか、どうか?
子供のときからの、疑問「大晦日と元日」との境目はどのくらいの幅かなあ。
眠い目をこすり、我慢して大人の真似をして起きている大晦日は、あっという間にお年玉の正月になってしまう。ご恩~ご恩という音とともに、行く年に感謝しながら、来る年を迎えるのですが、待ちに待った正月と大晦日の隙間が気になったものでした。
大晦日と元日との隙間ばかりでなく、毎日毎日の「夜と朝」の隙間・境目に「幅」があるのか、あるとすればどれくらいの寸法なのか、どなたかご存知の方教えて下さい、ということです。夜朝の隙間に限りません。瞬間瞬間の隙間はどのようになっているのか。
「隙間・境目が0だったら、物ごとは、時間も空間も認識できません」すべてが「ひとつにまとまってしまうから」です。
自分と他人、他物とが識別できるのは「境目」があるからと思います。で、その境目はどのような状態なのかな、という素朴な疑問病に取り付かれて、数十年がたちましたが、なんとなく徒然に思いついたことがあります。
<支配人ムカイ>
活断層も「境目」のひとつ。
「物」の表面はみな境目です。
人間の生活スタイルは「空気呼吸」ですから、周りは空気に覆われていて、空気と触れている部分が境目になります。水中生活の環境では「水との接触面」が境目になります。
つまり、境目は他の存在との接点、接面と云うことになります。
普通は「空間的境目」をイメージします。目に入るすべてのものに「境目」を見ることが出来ます。当然だろう、と憮然としている人のなんと多いことか・・・
ところで、時間の境目というのを考察する意味がありますか、どうか?
子供のときからの、疑問「大晦日と元日」との境目はどのくらいの幅かなあ。
眠い目をこすり、我慢して大人の真似をして起きている大晦日は、あっという間にお年玉の正月になってしまう。ご恩~ご恩という音とともに、行く年に感謝しながら、来る年を迎えるのですが、待ちに待った正月と大晦日の隙間が気になったものでした。
大晦日と元日との隙間ばかりでなく、毎日毎日の「夜と朝」の隙間・境目に「幅」があるのか、あるとすればどれくらいの寸法なのか、どなたかご存知の方教えて下さい、ということです。夜朝の隙間に限りません。瞬間瞬間の隙間はどのようになっているのか。
「隙間・境目が0だったら、物ごとは、時間も空間も認識できません」すべてが「ひとつにまとまってしまうから」です。
自分と他人、他物とが識別できるのは「境目」があるからと思います。で、その境目はどのような状態なのかな、という素朴な疑問病に取り付かれて、数十年がたちましたが、なんとなく徒然に思いついたことがあります。
<支配人ムカイ>