世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

素直に正直に、命を大切に

2008-07-31 03:47:47 | 自然・環境・生活
             

地震予知の大気プラスイオン濃度

9月13日(土)ころの、関東東海~中国(CINA)地域に大地震の予兆が出ました。プラスイオンの異常増加現象が観測されたということです。イオンの増加と地震の発生との因果関係が有るらしく、30日~90日ぐらいの間に地震が起こるという。イオンの増加レベルが尋常ではないらしい。

気をつけるのに越したことはないが、矢鱈に移動、移住も出来ない。現実は厳しい。予知されても、逃げることが出来ないのである。しかし、災害の規模を多少でも小さく出来るかも知れない。

最低限の備えは「水と梅干」というひらめきがあります。

災害時は衛生状態が一気に悪化します。

梅干は何よりの護身になるのです。


国防システムと生体免疫システムの違い

2008-07-30 09:10:15 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
            



軍備を正当化するために、よく「生体免疫システム」が引き合いに出されることがあります。しかし、軍備と免疫とは、似て非なるもので、軍備の目的と免疫の目的には大きな隔たりがあります。生体の免疫システムの基本は「異物=敵」を「食べる」ことです。つまり「異物を自分の身体に同化してしまう」作用なのです。日本将棋のルールに似ています。将棋の勝負では、敵の駒を食って「自分の兵力」として復活させ戦力にしてしまいます。決して、敵戦力、兵士を抹消しません。敵の存在そのもの全てを否定するものではないのです。

現在の多くの民族特に白人種が想定する「軍事戦略」の考え方の「敵の皆殺し」と免疫システムは根本的に違います。

免疫システムは軍備、兵器というより、警察、自衛団というニュアンスにちかいものでしょう。敵の認識を的確に出来るように免疫担当細胞は、徹底的に認識力を訓練・教育されます。現在のアメリカを中心とした軍隊の場合は、無差別攻撃で、敵になっていない者まで殺傷しています。それは免疫システムでは「免疫不全」症ということになります。

地球全体の平和のための「国連軍」なら地球全体の免疫システムとして機能しなくてはなりませんが、実際は反対にアメリカの国益に偏重するような軍事行動が目立ちます。そのような現象は、症状としては「ガン」と見立てることができます。

ガンの特徴は「パワーフルで活動に限度、節度がなく、本体が消滅するまで勢力を拡大する」です。
まさに、自衛より攻撃優先のアメリカの軍隊はガン細胞と同じように見えます。

がん細胞は、エネルギーが枯渇すると縮小、消滅してしまいます。
アメリカ的侵略目的の軍備は、余剰エネルギーを贅沢に浪費できる制度の中でぬくぬくと大きくなっています。
免疫システムも摂取エネルギーが過剰になると、システムエラーを起こし異常が慢性化します。この点では軍備と免疫はよく似ているといえます。

いずれにしても、アメリカナイズされた軍事力は、生体全体の健康維持のための免疫とは根本が食い違って、一部の単なる権力のエゴのために殺戮を繰り返す異常な存在といえるでしょう。

世界支配の陰謀




過去と未来をむすぶ未来予測迷想

2008-07-29 22:40:32 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
ヨガの意味は「結い」でした。南インドで話されているタミル語が日本古語と共通点が多いことがわかってきています。現在も使っている「わび、さび」という表現と意味など同じように通用しているといいます。

以前からタミル語のことは知ってはいましたが、先日ふっと思ったのは、ヨガということばと結いが同じ意味であることと、南インド-タミル語と日本語との深い関連性とがなぜか同じことのようだ、ということです。

日本人のルーツに関しての研究がどこまで進んでいるかは良く知りませんが、
関連性についてならば、色々と知られています。正座もポリネシアの習慣と共通だそうです。日常生活の基本的な習慣や繊細な感情を表現する言葉などは、どこまで共通なのか調べたくなりました。南インドはポリネシアとつながっています。1万年のその昔、現在のインドネシア~沖縄あたり一体が改定に陥没したらしいと考えられるようになってきましたが、間違いないと思われます。

その当時に古代文明が栄えていて、その文明の中心になっていた哲学が「結い」であり、結いという言葉が訛って「ゆがーヨガ」となったと想像できます。「結い」という概念は「宇宙とは森羅万象がすべてヒトツにむすばれている無限繰り返しの存在」ということを簡潔に言い表しています。
結いという言葉は簡潔なだけに、真理そのものといえましょう。その結いがヨガなのです。インドにあり日本語にも共通であり、古代文明にもつながる、文字通り「ヨガはすべてを統括する知行合一」の哲学といえましょう。

ヨガの概念は簡潔で、筋です。しかし、この現実の世は俗な枝葉が複雑に張り巡らされた世界です。筋と枝葉のバランスのとれたむすびの状態がこの世界であるならば、哲学の筋は簡潔に極め、生活の実態はおおいに多様性を謳歌するべしと思います。

人間が、生きる不安解消のために求めていた究極の哲学的解答は、むすびヨガCLUBの理念でも有る「ヨガ=むすび=循環=有限世界の無限繰り返し」ということです。

このぎりぎり抽象化された哲学のむすびの智慧が導き出す究極の現実は
何かといえば「重力制御と公平なエネルギー分配」ということでしょうか。

ヨガの行は個人の健康と命の救済ばかりでなく、世界の平和のために行われるものです。繰り返しになりますが、個と全体をむすぶ概念がヨガなのですから。

現在の西洋哲学は哲学になりえていません。世界を包含して認識できる能力に欠けています。なぜなら人=世界という認識が甘いからです。むしろ、人と世界を対立する関係とみているのです。根本的に逆発想です。

これからの世界をリードする哲学は、東洋でも西洋でもない「むすび」の哲学です。南海に沈んだ古代文明のもっていたむすび哲学の正しい解釈と実践ができるなら、沈没した文明は近い将来ふたたび復活すると予感します。

ヨガのトレーニングのバリエーションの一つに「過去と未来をむすぶ迷想」を加えてみては如何でしょう。

国際総合ヨガ協会 指導員養成研修会

2008-07-28 20:51:55 | 健康
札幌・北海道自然食普及会で研修会が開かれました。ヨガがブームが広まるなかで、「正しいヨガ」を広める必要性を痛感します。どの分野にもいえることでしょうが、どうしても正邪の道が出来てしまいます。

国際総合ヨガ協会のNPO化にともなって、ヨガの根本である「総合性」を理念にした普及活動がスタートしたわけですが、「指導者養成」「一般ヨガ講習 啓蒙」「沖ヨガの継承」としての活動の、一環として今回、「指導者養成」の研修が行われました。

研修のテーマは①解剖と体の動き②ヨガ哲学とアサナでした。

体の柔軟性を訓練するときにただ黙々と筋肉を鍛ええるだけではかえって硬くなってしまう。筋肉の特性を知り無理なく体、筋肉を調整すると、自然に体が柔軟になっていくのがわかります。あちこちから納得のため息が聞こえてきました。

また、ヨガ哲学についての解説をむすびヨガCLUBが担当しましたが、ヨガ哲学の奥深さと、その反面の「単純さ」「合理性」を知って欲しいと思い、ヨガ哲学のテキストとも云われる般若心経の解説と、哲学そのものの基本的解説を行いました。
アサナ=ヨガポーズがヨガと思っている参加者はいなかったと思いますが、むすびヨガCLUB的な哲学論によって、ヨガの哲学的な面にいささかの関心を深めていただけたようです。

一般の哲学研究にのらないヨガ哲学

2008-07-26 20:32:24 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
ヨガ=YuJi=Yui=結い=むすび=mUsUbI=uui=Yui=YuJi=YuGi=YuGa=ヨガ


哲学改め披露聡秘

ヨガは「生活実践哲学」です。一般的な学際的な哲学の研究と実践は、ほとんどがギリシャ哲学の歴史の研究といえると云う説があります。そのギリシャ哲学の研究の中には「ヨガ哲学」が出てきません。その理由は「ギリシャ哲学の哲学論」とヨガ~東洋哲学論の違いにあるようです。ヨガ~東洋哲学はギリシャ哲学論からみて哲学なのではないと考えられるので、必然的に一般の哲学研究の範疇にヨガ~東洋哲学が入っていないのでしょう。

東洋哲学は、たとえば老子の教えであったり、仏教釈迦の説法であったりでいわゆる「学者好みの哲学の体裁になっていない」ものが多いようで、そのために「学問的哲学研究」という範疇に東洋哲学が入っていないようです。

そもそも「哲学」行為、哲学の実践とはどのようなものかの定義をあいまいにしたまま哲学。哲学と騒いでも論理の空回りを続けるだけです。

ギリシャ哲学の源語的言い方は「ヒロソフィ」でした。意味は「愛する、知的営みを」 あるいは「楽しむ、知ることを」あるいは「あそび戯れる、論理的営みを」あるいは「飽きずに、宇宙神秘を論理的に探求し明らかにする」など。

哲学の本旨は、宇宙生命、存在の仕組みを、人間の全知全能をフルに使って、論理的に矛盾しないように、人間として解明することでしょう。全知全能をフルに使い探求し続けるためのエネルギーは「楽しむ」センすが不可欠ということです。

一般の哲学(ギリシャ哲学)の現代の状況は、これまでの先輩哲学者の研究成果の歴史的蓄積の上に成り立っています。しかし、哲学の定義あるいは、哲学研究の手法に矛盾があり、宇宙解明の結論が出せないでノイローゼ状態でうろうろしているように感じます。

学者西周がヒロソフィを希哲学と翻訳したのが「哲学」のもとです。ヒロに「希」を当て、ソフィに「哲学」を当てたのでしょう。後に希が脱落してしまいました。そして、座学、学問的なニュアンスの強い「哲学」だけがヒロソフィの訳語になってしまいました。「希」の香り消えてしまったのです。言葉と云うものは便利なものですが、書き言葉の文字になったり、話し言葉になったり、翻訳しているうちに、もともとの持っている最初につくられた言葉の微妙なニュアンスが消えてしまうという本質的な欠点、弱点をもっています。そのことを無視して、他人の、あるいは、過去の先達らが云わんとしたことを「哲学」として研究することは大いに問題があります。
ギリシャ哲学のギリシャ哲学的研究と実践には、宇宙の本質をギリシャ哲学的に究められない、と云う自己矛盾の重大な欠点をはらんでいます。その欠点に気づき、より本質的な「ヒロソフィ」の精神に立ち戻って哲学を実践するならば、宇宙の本質を発見できるでしょう。

哲学の本質とは「知的論理的行為の、飽くなき継続」と考える「披露聡秘」の見解は「知行合一のヨガ哲学こそ根源的哲学、ヒロソフィ」ということです。

一般の哲学研究の対象にヨガが含まれていないのは、ヒトツにはヨガが「哲学体系」として文書にまとめられていないからだろうと推論しますが、そのことで哲学研究の対象からはずすことの「非哲学的発想」が真の哲学的精神ではないと披露聡秘では考えます。

ギリシャ哲学はギリシャ哲学に違いありません。しかし、真の哲学行為が「ギリシャ哲学」だけであると決め付ける根拠は、哲学的に無いと思います


dasoku:
哲学を実践する際の不可欠・最低条件は「使用している言葉の定義」です。その言葉の定義こそが哲学行為なのです。言葉の定義が完成していない状態で、見切り発車=仮説で進めているのが現在までのギリシャ哲学なのでしょう。矛盾のからまわりから抜け出ていない哲学では、答えはでません。そのノイローゼ状態の哲学の上に構築されている現在の一般学問、産業らには明るい未来は期待できません。そう見立てるのが真の哲学的見解です。

世なおし倶楽部では、基本的な言葉の定義を見なおしたことで哲学が一歩前進できました。ノイローゼ脱出です。それで従来の哲学と区別するために先人の音律の直感的ひらめきを尊重した「披露聡秘」を真の哲学表現として使うようにしました。

哲学するときに使用するもっとも重要なのは、宇宙、生命、無限、絶対、バランス、エネルギー、宇宙の果てなどの言葉の定義・語意でしょう。言葉が最初に定義ができているようなら哲学は終わっています!やる必要がないではありませんか!
何か辺だと思いませんか?

生きている世界にどっぷりつかっていて、生きていることが「判ったように感じている」ことの怪しさに気づかない人には、哲学はむりです。

「知」だけで「知の世界」を客観的に捉えることは論理的に出来ません。「行」だけで行の世界を客観的に捉えることも無理です。知行併せ持っていると、知で行を、行で知を捉えられます。

始めに知だけでも、行の世界を捉え、捉えた行を活用して、知の世界を捉えます。
初めが「行」であっても同様にすればよいのです。結果、知行が合一できれば、すべてを捉えられ本島のものが得られるのです。目出度し目出度し。

そもそも、「知行」は初めから別もののではなかったのです。別物のように見えるのは、「知行が互いに循環している関係にあり、大きさがある」ためと考えます。ひとつの「丸い回転するもの」の垂直関係になっているのが「知と行」なのではないか、と考えるのが披露聡秘の考え方です。ヨガの考え方云っても差し支えないと思いますが、理解できる方がどれだけいるでしょう。

ヨガのむすびの哲学によれば「すべてのもの」がむすばれ、「同じもの」になってしまいます。

二つの国に分けましょう

2008-07-24 03:51:00 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
戦争を肯定する国民と、戦争絶対反対の国民がそれぞれ別々の「二派の国々」を作れば、国同士の戦争を防げるでしょう。戦争を肯定する国同志は大いに戦争をすればよいのです。ただし他の国、地球の環境を汚さないという最低のルールは守って頂きます。戦争肯定の国は兵器を装備します。経済に負担がかかりやがて国は衰えるでしょう。戦争反対の国には兵器がありません。いわゆる「兵器による抑止力」はありませんので、攻められたら尾張名古屋です。

戦争を肯定しているアメリカでさえ表向きには「侵略のための武力行使としての戦争」は起こさないと公言しています。

侵略される危険を感じたら「先制攻撃は独断で執行する」とも公言しています。

戦争を引き起こして権力で他国を侵略し暴力的に支配したいのだという本音が見え見えです。コレを形だけでも防ぐ道は「非武装中立 侵略戦争 先制攻撃放棄宣言」です。しかし、小型の「自衛武器」の装備は行います。因みに、日本の自衛隊の装備は「過大 過剰です」もっと小型に個人レベルの武器にすべきです。
永世中立国宣言をしているスイスはそこそこの武装をしているようですが、空爆以外からの攻撃に対しては山々に囲まれているため、軽装備で済んでいるようです。
しかし、スイスの場合、スイスの山中に預けている金塊などの財宝のオーナーは「戦争肯定派」であるため自らの金塊を爆破する心配はないのです。一種のマジックです。

この世ではまだ「犯罪的殺戮」を完全に消滅することは出来ないようです。ということで妥協案として、「警察機構」の充実が考えられます。問題がないわけではありませんが、「軍備システム」よりも平和的制御がしやすいと思われます。多少の武装は妥協せねばなりません。

戦争犯罪の裁判はなぜか迅速に進められます。あっという間に「戦争犯罪」の主犯が特定個人にしぼられ、処分されます。一般の犯罪では冤罪被害防止のため慎重に裁判や調査がすすめられますが、戦争の責任決着の場合には真相がうやむやのまま結論が異常なほどに素早く出され処理されるます。何故でしょう。当然なことですが、権力者斜、侵略者側の利益のためです。

小さくも、大きくも犯罪の、真犯人は「それによって何らかのメリットを得る者」と考えるのが自然です。特に侵略戦争の主犯は「経済的利益を最も多く受ける者」が主犯です。歴史的事実がそれを証明して来たではありませんか。

第二次世界大戦の真の戦犯の場合でもおなじです。その戦によって経済的に最も潤った国とその支配者(陰で策謀している者も含め)こそが真の悪党ということです。更にその悪党に加担した日和見大衆も同罪です。

一部の悪党だけでは戦争はできません!多数の「無分別な大衆」の協力、賛同、共謀が不可欠なのです。


戦争の好きな悪党どもは、同じ悪党どもらで、同じエリア内で他に迷惑をかけないように争えばよいのです。侵略戦争はいけない、と考えてもいないウソをつきながら、好きな者同士で侵略、争い続けられるだけ争えばよいのです。現実に続けられるわけのないことは自明です。

脅迫に屈する「日和見大衆」が一部の悪党に先導、洗脳され踊らされ無意味な戦いを代行しているのが戦争というものです。

ですから、とりあえず、明確に「侵略戦争放棄国」と「侵略戦争肯定国」を明確に分けて、世界にアピールし、住み分けをするのです。

そのような情勢になってから、当初に予想できる悪い状況があります・・・
①局地的な民族紛争・・・やらせ的情報操作で引き起こされることが多い
②食糧買占め等の経済的トラブル引き起こし・・・これも謀略的に起こされる
③石油、原発などのトラブル発生によるエネルギーの経済的ないやがらせ
④人為的な奇病、感染症の流行
⑤医療関係の経済規模のむやみな拡大。等

               

dasoku:
二つの国とは、共産主義国と自由主義国ではありません。どちらも自由国が原則です。平和主義国の経済基盤は「有機農業が主体で工業が従」の経済構造です。エネルギーは「重力制御発電電気」となるでしょう。実現持続の鍵は「適正人口制御」です。

ご案内 支笏湖ヨガ合宿 2008/8月/9土/10日/11月

2008-07-23 02:53:59 | 自然・環境・生活
      


日時: 2008年 8月 9(土)10(日)11(月)
    8/9 14:00受付 ~ 8/11 15:00解散   

会場: 支笏湖 ユースホステル   

参加費:1日参加 ¥8000
    一泊二日 ¥13000
    二泊三日 ¥23000

問い合わせ:090-9088-0985 ウチヤマ
      011-222-1480  水野ヨガ学院

講習内容: 呼吸法 ヨガアサナ 柔軟法 整体法 太陽礼拝体操 断食・回復食
      強化法 解剖・脳とアサナ ヨガ哲学 人間探求 ほか


                

                

                

理想の世界実現の条件 試案の思案

2008-07-22 21:02:44 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
世界のウラ事情はここをクリック



世相のウラ話など、知らないほうが、心乱されずに、穏やかに居られるのに

つい覗いて見たくなって、真相の噂話など耳にしてイライラしてしまう。

権力者の周りには、やばい話があって当たり前でしょう。ものの判った振りをして嘯うそぶく庶民は、そういう立場をつくろって自分を守っているのかもしれない。どう批判したって、庶民が権力者に敵うことはないと初めから夢を放棄しているからか。

庶民は律儀に思う「戦争はこりごりだ」「戦争を起こしては正義に反する」「戦争は絶対反対だ」など色々温度差はあっても、戦争を心から喜んで望む庶民はいないはずです。

しかし、権力志向の者の哲学では「戦争」は原則オーケーなのです。当然ライバルを蹴飛ばすことが、自分成功の不可欠条件です。

戦争反対で武力行使否定の平和主義者と、戦争肯定派とが相対したとき、何が起きるか、平和主義者は戦争肯定派に消されることになります。

現実の世界は、精神と肉体の総合で成り立っています。精神だけの満足だけでは成り立たないのです。潔い正義の塊のようにみえる、「戦争行為、武力行為を一方的に許す無抵抗平和主義」は偏執的な非調和の生き方だと思います。

無条件に相手に犯罪を犯させるのは、犯罪幇助罪でしょう。格好いい正義と勇気の行動とは思えません。よって無抵抗主義は賛同しません。

ところで、戦争はしません、抵抗もしませんといっているわけではありません。戦争は国同士の争いです。国益の衝突する国同士が、話し合いで解決せず、いわゆる「兵器」で争うことが戦争です。そういう戦争は絶対的に否定すべきです。ほとんどの近代戦争は「一部の権力者の生活安泰、商売経済のための縄張り争い」と思います。そういう戦争はおおいに否定反対すべきです。
戦争肯定のもの同士、あるいは一方でも戦争肯定なら大規模な殺戮が生じます。
戦争規模に拡大する以前の、日常生活のレベルでの理不尽についてその都度「話し合いと実力行使」で対処していれば戦争にはならないと考えます。

自分に対して降りかかる確実に理不尽と感じる暴力に対して、我慢できないとき、個人のレベルで命をかけて、対応するのです。一人ひとりが、そのように水際で命がけで問題を解決する覚悟がもてるなら「詐欺的戦争」は起こり得ないでしょう。
目先の確認しやすい敵に目を背け、真の敵かどうか確認のできない仮想的と命のやり取りをするナンセンスに気づかないで、扇動されるお人よしな庶民こそみずからを滅ぼす真の敵であることに気づくべきですが、現実は、そのことに気づいていながら気づかぬ振りをする庶民が多い。

戦争~集団的犯罪~は、一握りの悪党と、それに脅迫・扇動されて律儀に動く日和見庶民との共謀によって現実のものになります。一部の悪党だけでは、集団的暴力~戦争などは起こり得ないじゃないですか。
こんな簡単な仕組みも理解できない人類社会であれば、のべつ戦争が起きるのも当然です。なんともバカバカしい話です。まじめに真剣に平和を語るのが空しくもなります。

なおも、愚痴ばなしがグチグチとつづきます・・・

日本の国民は、アメリカの怪しい政治経済、軍事政策に尻尾を振って追随する政治家を選挙で選んでいます。それは、遠まわしにせよ、アメリカと同じ穴のむじなということです。

地球の現状では、残念ながら「戦争」はなくならないと考えます。物欲、権力欲を際限なく追い求める人間のなくならない限り戦争はなくならないでしょう。
生きるに必要最低限の縄張りを確保するために命をかけて戦うのを戦争とはいえません。戦争は欲の突っ張りあいの、暴力によるバカバカしい解決法です。解決法というより破壊行為というのがふさわしい。

多くの庶民は大した欲が無いので、権力者に脅迫や扇動を仕掛けられない限り、わりの合わないい争いなど、好んではしないものです。よくも悪くも、庶民は「日和見」が信条なのでした。

力の強いほうになびくのが庶民であり、それが庶民の人生しあわせの哲学なのでしょう。下手に時の権力に逆らったり、経済システムに反抗したりするより多少の理不尽には目をつぶっても、現状の目先の幸せを保守するほうが、おおむね幸せである、との絶妙なバランスをとっているのが庶民と、知れば変にカリカリ悩むのもバカバカしくなります。

・・・諸悪の根源は「すべてを許すいい加減な神様」にあるようです。

理想の世界実現の条件 試案

矛盾は、唯一絶対を主張する二つのものが「顔を合わせてしまった!」ことで生じます。ならば、顔を合わせないようにすればいいでしょうということになります。
戦争肯定派と反対派とが、別々の世界に住み分けるのが絶対平和実現の唯一の解決策、条件だと考えますが如何でしょう。
丸い閉じた地球空間では、別々の世界と云うわけに行きません。特に、近代では、環境問題ではっきりしてきました。大気汚染は世界中がお互いに影響し合っていて、世界の住み分けは事実上不可能です。

CO2での温暖化を抑える口実にももっと破壊的な原子力発電の拡大を喧伝している福福しい偽善者が尊敬されている現状では、八方塞りの状態といってよいでしょう。

大気は汚染され、河川も、海も汚れ、森も林もすべてが人間の「人工的廃棄物」で汚染され、回復循環の自然力が失われた暁に何事が起きるのやら。

目先の経済発展の片棒を担ぐのをやめ、自然循環のリズムに沿ったライフスタイルを取り戻すために、やるべきことのいくつかを提案してみましょう。

①穀菜食を基本に
②有機農業を産業・教育・医療の軸にし
③産業規模を適正規模に見なおし、低レベル安定型にし
④兵器製造を止め
⑤犯罪・災害救助隊を充実させ
⑥むすび哲学の普及?
⑦超小型重力発電器の早期実用化と使用法制御道徳の徹底教育。
⑧奴隷的就業の廃止・就業選択の自由尊重。

そばなど食べて一服!

dasoku :
抱狂庵 おすすめ 「牛蒡かきあげそば」 ねぎ&大根おろし&しょうが添え。
⑦は原発より破壊力が強い。強いなどの表現では間に合わないくらいの次元を超えるほどのもので、宇宙空間をほとんど瞬時に移動できるパワーを提供できる。抑え気味に使えば、日常の時間を穏やかにすごすことができる。⑦は究極の妥協の産物です。②に資金=エネルギー=人材を投入することが、もっとも宇宙の理にかなって、経済的であり、環境保全になり、平和社会実現の唯一の道である。

時間の哲学的定義

2008-07-22 18:21:08 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
時間の哲学的定義(空間の哲学的定義も同時に)

時間を時と間に分けます。
時は理想の凝縮力。大きさは無い。
凝縮に向かう方向の「間」を時間とする。
三次元ある。(垂直方向に三方向ある)

空間を空と間に分けます。
空は理想の拡大力。大きさは無い。
拡大に向かう方向の「間」を空間とする。
三次元ある。(垂直方向に三方向ある)

時と空、時間と空間は互いに逆方向の関係にある。

時間と空間の一組が「一次元」であり、振動している。
各、磁気・電気・?とする。合計で三次元。
この三次元を「この世」とする。

この三次元に「虚数i」を掛けたものを「あの世」とする。

この世とあの世が循環、振動する方向を四次元とする。

各次元はそれぞれ単独では存在できない。

三次元として、あの世とこの世の現象を
無限に振動し続ける現象を「宇宙存在」とする。

このときの、一番小さい振動の
凝縮の瞬間の「間」を時間の単位とする。名称は「時振動」とする。
拡大の瞬間の「間」を空間の単位とする。名称は「空振動」とする。

瞬間の時間とは「宇宙存在の膨張収縮の一サイクル」とする。
瞬間とは宇宙で、現実的にもっとも短い時間である。

宇宙でもっとも速いスピードの定義は
宇宙の一サイクルに際し、空振動を時振動で割ったもの。略して「K/J」とでもしましょうか。


タミル語

2008-07-22 09:13:33 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
タミル語の権威大野晋氏がなくなられたとうニュースを聞いて、改めて、ヤマト言葉の詮索に気が引かれてしまいました。

科学的研究をする場合、調査、資料調べ、実検など客観的な作業が基本であり、それが科学というものでしょうが、集めたデータをどう読むか、どう解析するかによって、所見が決まります。その読み取り判断するセンスは「生まれつき」のセンスで決まっているようです。集めた情報、データが素晴らしいものでも、読み取りのセンスのグレードとの相性が逢わないと、価値有る結論がでません。

タミル語と日本語の共通点が多いということは、ほぼ間違いない事実のようです。
次の判断は、ルーツについてということになりますが、こうなると、分析、解析の鋭い直観力が要求されます。

現在約500語ほどの共通語があると云われています。

個人的に気になる言葉は

結い・・・ヨガ のルーツです。

タミルは南インド地方です。ヨガはインドの表現で、意味は結いでした。

タミルでは結い、ヨガがどんな価値のものとして使われているのかによって
その文化の状態がわかるような気がします。日本の文化との関連がわかればいいですが。

本分とは直接の関係は薄いですが、世なおしの参考です
フリーメーソン関連

youtube

今風活動写真