世界のウラ事情はここをクリック
世相のウラ話など、知らないほうが、心乱されずに、穏やかに居られるのに
つい覗いて見たくなって、真相の噂話など耳にしてイライラしてしまう。
権力者の周りには、やばい話があって当たり前でしょう。ものの判った振りをして嘯うそぶく庶民は、そういう立場をつくろって自分を守っているのかもしれない。どう批判したって、庶民が権力者に敵うことはないと初めから夢を放棄しているからか。
庶民は律儀に思う「戦争はこりごりだ」「戦争を起こしては正義に反する」「戦争は絶対反対だ」など色々温度差はあっても、戦争を心から喜んで望む庶民はいないはずです。
しかし、権力志向の者の哲学では「戦争」は原則オーケーなのです。当然ライバルを蹴飛ばすことが、自分成功の不可欠条件です。
戦争反対で武力行使否定の平和主義者と、戦争肯定派とが相対したとき、何が起きるか、平和主義者は戦争肯定派に消されることになります。
現実の世界は、精神と肉体の総合で成り立っています。精神だけの満足だけでは成り立たないのです。潔い正義の塊のようにみえる、「戦争行為、武力行為を一方的に許す無抵抗平和主義」は偏執的な非調和の生き方だと思います。
無条件に相手に犯罪を犯させるのは、犯罪幇助罪でしょう。格好いい正義と勇気の行動とは思えません。よって無抵抗主義は賛同しません。
ところで、戦争はしません、抵抗もしませんといっているわけではありません。戦争は国同士の争いです。国益の衝突する国同士が、話し合いで解決せず、いわゆる「兵器」で争うことが戦争です。そういう戦争は絶対的に否定すべきです。ほとんどの近代戦争は「一部の権力者の生活安泰、商売経済のための縄張り争い」と思います。そういう戦争はおおいに否定反対すべきです。
戦争肯定のもの同士、あるいは一方でも戦争肯定なら大規模な殺戮が生じます。
戦争規模に拡大する以前の、日常生活のレベルでの理不尽についてその都度「話し合いと実力行使」で対処していれば戦争にはならないと考えます。
自分に対して降りかかる確実に理不尽と感じる暴力に対して、我慢できないとき、個人のレベルで命をかけて、対応するのです。一人ひとりが、そのように水際で命がけで問題を解決する覚悟がもてるなら「詐欺的戦争」は起こり得ないでしょう。
目先の確認しやすい敵に目を背け、真の敵かどうか確認のできない仮想的と命のやり取りをするナンセンスに気づかないで、扇動されるお人よしな庶民こそみずからを滅ぼす真の敵であることに気づくべきですが、現実は、そのことに気づいていながら気づかぬ振りをする庶民が多い。
戦争~集団的犯罪~は、一握りの悪党と、それに脅迫・扇動されて律儀に動く日和見庶民との共謀によって現実のものになります。一部の悪党だけでは、集団的暴力~戦争などは起こり得ないじゃないですか。
こんな簡単な仕組みも理解できない人類社会であれば、のべつ戦争が起きるのも当然です。なんともバカバカしい話です。まじめに真剣に平和を語るのが空しくもなります。
なおも、愚痴ばなしがグチグチとつづきます・・・
日本の国民は、アメリカの怪しい政治経済、軍事政策に尻尾を振って追随する政治家を選挙で選んでいます。それは、遠まわしにせよ、アメリカと同じ穴のむじなということです。
地球の現状では、残念ながら「戦争」はなくならないと考えます。物欲、権力欲を際限なく追い求める人間のなくならない限り戦争はなくならないでしょう。
生きるに必要最低限の縄張りを確保するために命をかけて戦うのを戦争とはいえません。戦争は欲の突っ張りあいの、暴力によるバカバカしい解決法です。解決法というより破壊行為というのがふさわしい。
多くの庶民は大した欲が無いので、権力者に脅迫や扇動を仕掛けられない限り、わりの合わないい争いなど、好んではしないものです。よくも悪くも、庶民は「日和見」が信条なのでした。
力の強いほうになびくのが庶民であり、それが庶民の人生しあわせの哲学なのでしょう。下手に時の権力に逆らったり、経済システムに反抗したりするより多少の理不尽には目をつぶっても、現状の目先の幸せを保守するほうが、おおむね幸せである、との絶妙なバランスをとっているのが庶民と、知れば変にカリカリ悩むのもバカバカしくなります。
・・・諸悪の根源は「すべてを許すいい加減な神様」にあるようです。
理想の世界実現の条件 試案
矛盾は、唯一絶対を主張する二つのものが「顔を合わせてしまった!」ことで生じます。ならば、顔を合わせないようにすればいいでしょうということになります。
戦争肯定派と反対派とが、別々の世界に住み分けるのが絶対平和実現の唯一の解決策、条件だと考えますが如何でしょう。
丸い閉じた地球空間では、別々の世界と云うわけに行きません。特に、近代では、環境問題ではっきりしてきました。大気汚染は世界中がお互いに影響し合っていて、世界の住み分けは事実上不可能です。
CO2での温暖化を抑える口実にももっと破壊的な原子力発電の拡大を喧伝している福福しい偽善者が尊敬されている現状では、八方塞りの状態といってよいでしょう。
大気は汚染され、河川も、海も汚れ、森も林もすべてが人間の「人工的廃棄物」で汚染され、回復循環の自然力が失われた暁に何事が起きるのやら。
目先の経済発展の片棒を担ぐのをやめ、自然循環のリズムに沿ったライフスタイルを取り戻すために、やるべきことのいくつかを提案してみましょう。
①穀菜食を基本に
②有機農業を産業・教育・医療の軸にし
③産業規模を適正規模に見なおし、低レベル安定型にし
④兵器製造を止め
⑤犯罪・災害救助隊を充実させ
⑥むすび哲学の普及?
⑦超小型重力発電器の早期実用化と使用法制御道徳の徹底教育。
⑧奴隷的就業の廃止・就業選択の自由尊重。
そばなど食べて一服!
dasoku :
抱狂庵 おすすめ 「牛蒡かきあげそば」 ねぎ&大根おろし&しょうが添え。
⑦は原発より破壊力が強い。強いなどの表現では間に合わないくらいの次元を超えるほどのもので、宇宙空間をほとんど瞬時に移動できるパワーを提供できる。抑え気味に使えば、日常の時間を穏やかにすごすことができる。⑦は究極の妥協の産物です。②に資金=エネルギー=人材を投入することが、もっとも宇宙の理にかなって、経済的であり、環境保全になり、平和社会実現の唯一の道である。