世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

究極の食事07/07/26(27改定)

2007-07-26 16:52:37 | 自然・環境・生活
食事の話なら、食べものカテゴリーと思いきや、「自然いのち環境」に分類するところが披露聡秘哲学の真骨頂。と粋がるこのごろ。

7/17のブログで紹介した「ヒフミ~」の話は実は、究極の「食事」でもありました。ヒフミ~の話は「宇宙曼荼羅」です。以前、宇宙とは何かを問いかけるとき、「宇宙」と云う言葉をすでに「先入観」をもって意識していることが大問題であること、のようなことを指摘したことがありました。すべての言葉をいちいち再確認しながら使うことは、現実の生活実態に合いません。しかし哲学思考をするときには、大いに拘って欲しいのです。

「食事」とは、生存に必要な栄養分をとるために、毎日の習慣として物を食べること。また、その食事(広辞苑)

まさに、そのとうりでしょう。

で、生存に必要な栄養分は「物を口から食べること」だけで足りるのでしょうか。
生存とは?
ただ生きて植物人間的生存もあれば、夜も寝ないでがむしゃらに生きる生存形態もあります。生存以前に「存在」があります。宇宙を構成している物質は「存在」です。物質も存在するために「エネルギー、素粒子か電子か」を食べているようです!

生物だけがエネルギーを摂取しているのではありません。物質すべてが「エネルギー」でしたから、物質は物質を「共食い」しながら、互いに循環して存在、生存しているのです。

生物は、生きて、呼吸し食事をし、体を動かすために「エネルギー」が必要になります。

栄養とは、身体を作る「素材」であり、「力」であり、「システム」でもあります。

「食べもの」とは、生物が日常摂取して身体の栄養を保持するもの。(広辞苑)
に間違いありませんが、あらゆる物が「エネルギー」という「食べもの」を摂取しているわけなのです。

ところで、摂取するだけで、排泄しなかったらどうなりますか?

究極の食事とは「摂取」と「排泄」のセットなのでした。実はもう一声欲しいのです。それは「食べないこと」です。

朝食を抜いたほうがよいのか、食べたほうが良いのか、諸説ありますが、披露聡秘の見解は、「個性別・年齢別・経済力別・体調」によって臨機応変が正解なのです。

若い時代は、腸の粘膜で粗大な食物・物質・エネルギーを摂取する仕組みが優勢です。年をとると、腸粘膜細胞が変身し、腸、皮膚・全身細胞膜で外界大気・地面・環境エネルギーを「総合的に効率よく代謝する」と解釈するのが披露聡秘。
胎児、幼児は特に母親の愛エネルギーに偏ったエネルギー摂取をしている。

食事という言い方をすると生き物の食事ということに限定的になってしまいます。
哲学的思考をするとき、限定は限定で大事ですが、広く深く言葉を理解するために、慎重に制約をはずしましょう。

結局のところ食事の本質は「宇宙生命エネルギーの循環行為」と考えます。

宇宙そのものが循環と考えるのが素直な人間の思いです。とすると、食事は循環であり宇宙そのものと言うことになります。

7/17のブログにヒフミ~の紹介をしてあります。
「ヒフミヨイムナヤコト」は「123456789・10」のことでもあります。
古神道の祝詞のなかにあるそうです。(詳しい方からのコメントを期待しています)
このヒフミ~は、火風水土草虫魚鳥獣人という生物進化のおよその順番をも表しているようです。詳しくは「六甲斐秀真著 披露聡秘」参照。

また、ヒフミヨイムナヤコトはヘブライ語で「女神を暗闇から誘い出すときにかけることばは何か」という意味のある文章だそうです。つまり「宇宙生命エネルギー制御の仕組みは?」という問題であり、方程式なのです。

答えは方程式の中にすでにあります。解凍ならぬ解答すればよいだけです。
つまり、生物進化の中に宇宙エネルギーの超活用法がかくされているということです。生命進化は「食物連鎖」ともいえます。

植物の米の命、エネルギーが人間に成り代わる食事はコンパクト版「生物進化」でもあります。それはまた「宇宙エネルギー」の制御のひとつでもあるわけです。

食事=循環=背物進化=宇宙エネルギーの制御・・・

「披露聡秘・哲学」では、「ヒフミヨイムナヤコト」の不足を補っています。これだけでは循環が完結しないのです。

完結編ヒフミヨイムナヤコトは、

霊 光 日・火風水土草虫魚鳥獣人 「0 123456789・10」

「ヒト」とは「火人」で火を操る「二足歩行のサル」のことでした。ちなみに、火遊びに興じているうちは危ない「火人」です。

霊、火、日、光・・・のすべての「ヒ」を使いこなす「人」こそが、真の宇宙真理に目覚める「ひと」といたします。

「食事」の哲学的、披露聡秘的考察によって、色々なことが暴露されてきます。
破天荒な披露聡秘的哲学ならではの醍醐味です。常識的、学閥的哲学ではなし得ないでしょう。本来の論理的思考は破天荒なもののはずです。

芸術、宗教、科学その他諸々のセクトを超えて思考錯誤?試行錯誤するところに本物への道が開けるものと思います。

究極の食事とは「ことばを食べて、出す」ことでしょうか。

消化不良を起こさないように、難解な文章は何回でも繰り返し読み返して消化しましょう。

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