世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

正直

2010-05-31 19:58:23 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
 

披露聡秘哲学の冷徹な目で見ると、真っ正直な庶民は少ないと思われます。
人間同士で嘘をつかない、つきあわないという基準だけでは、哲学的判断はできない。もっと、広く自然世界に対して、人間は嘘をついていないかを考えると、結構、ほとんどの人間は、無意識に真実とは違う認識で生活して居ることに気づきます。
 
 自然世界をの真実を誤解、錯覚しているのも「嘘生活」とみなす披露聡秘哲学では、ほとんどの人間は嘘つきになります。だから、正直者がばかをみているのではないと判断するのです。
 
 いかに自分で正直者と思っていても、知らず知らずの内に悪げのない「純粋なうそ」をついているものです。そのことを理解して謙虚になれる人間なら、「真の正直もの」と呼べるでしょう。人間同士では特にうその付き合いが多いでしょうが、自然世界に対してもうそっぽいことして居るのが人間である、との自覚がなければ、人間の進歩はないでしょう。

 人間が、人間らしく生きる生き方が「正直な生き方」と定義しましょう。
で、人間が人間らしく生きるとは、実際どんな生き方なのでしょうか、そこが問題の本質でした。

 続きは、世なおし倶楽部ブログに載る予定ですので、見落としのなきように。

友人からのメール 転載

2010-05-31 19:55:42 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
友人からオモシロいメールが届きました。参考にして下さいーー/一理。
真弓定夫先生に病気の一番の原因はなんですか?
って聞いたら、
「電気」って言わはったわ。
オール電化住宅が急激で広がってる今、病気は増え続けるって。
電磁波はほんまに人間をむしばんでるみたいやで~。
これだけオール電化が広まってしまったら国は規制出来ないしね。
規制したら、オール電化に住んでる人がその家から出て行かなければってことが出く
るから。
なんてこったニッポン!
そして、牛乳の話がめっちゃ多かった。
『牛乳は百害あって一利なし!』ってハッキリとおっしゃってた。
癌になりたくなければ、牛乳を飲まないことって。
「でも、カルシウムがあるんですよね?」
「違う、カルシウムが無くなってしまうんだよ。牛乳を飲む迄は日本に骨粗鬆症なん
てなかったんだから」と。
やっぱり乳製品が体に負担をかけているようで
「ヨーグルトを飲んでいたら目が悪くなるのは当たり前の話だよ」って教えてくれ
た。
「病院の食事に牛乳を出すのは病気が治ってもらったら困る」からやねんて。
さらに「週間金曜日」という雑誌の企画で牛乳賛成派と反対派で真弓先生と論争やりま
しょうって、牛乳賛成派の大学教授とかにアポを取ったら一人もオッケーしなかった
んやって。
お医者さんも厚生省の人も保健所の人もみんな牛乳が体に悪いって知ってるんやっ
て。
でも、特に大きい病院では医者と牛乳関係者がずぶずぶで、とにかく接待づけになっ
ていて、牛乳はダメなんて全く言えないって。
それを65年もずっとやってきてるんやって。
実際の話で真弓先生が大きい病院で働いている時に近くの寿司屋に行って、お金を払
おうとしたらお店の人に「先生は自分で払うのですか?」って聞かれたんやって。
他の医者はみんな牛乳関係者が後で払ってくれるんやって。
それを65年、ずっとやっているから、医者は牛乳が体に悪いとは言えない。
先生はカタカナの物をひらがなに変えたらいいよって言うてはったわ。
パンをごはんに。
パスタをうどんやそばに。
サラダをおしんこに。
スープをみそしるに。
って。
女性はカタカナばっかり食べてるやろ~。
気をつけてよ~。
先生はねハッキリと
「癌は風邪よりも治しやすい」って。
原因が分かっているから治しやすいんやって。
小児科の先生やから、もしも子どもさんが体調が悪くなったら絶対に真弓先生にみて
もらうといいで~。
0422-21-3870
昨日、一番印象に残った言葉は
「治療は家でやるものですよ」だった。
むすびヨガ・内山

ヨガポーズは何のため?

2010-05-26 11:09:43 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
ヨガポーズは何のためか、

人間は遊びの生物だ。一般の生物は生きることがそのまま生きること、存在目的であり、理由でもある。人間はエネルギーのしくみを知り活用することで、生活時間のうちの食糧確保のための時間を節約でき、あそびを可能にした。
エネルギーの質のグレードによって、遊びのスケール、余裕度が違う。エネルギーの質とは、光、電気・電子・原子、風、水、石炭・・・石油、天然ガス、薪、発酵、牛馬家畜、奴隷・・・マネーなど。
原始時代は、水の流れを利用したり、ものを燃やしたりしてエネルギーを利用してきた。現在は、電気、熱そのものを直接活用する時代になってきた。
エネルギーの原点は型と力だった。つまり、カタチ。姿勢、ポーズだ。姿は質、型。勢は量、力だ。力は変化のはたらき。型力つまりカタチ、エネルギーは最初は0のカタチでスタートし、生物的増殖作用で変化し、人間のイメージ作用で弾みがつき、さらに増殖し、人間が完成し宇宙の一幕がとじる。この仕組みが理解され、応用活用されれば、人間、人類は、さらに大きな深いあそびの世界を獲得できる、と思う。

遊びの原点は、まず、個人として生きているそのままが、うれし、たのしから始まる。健康であることと同義であろう。次に、身近な他人との触れ合いがうれし、たのしに感じること。もっとも身近な人は通常、母親である。それに続いて家族である。家族がなければ、命を保障してくれる人である。この段階では、自身での食糧確保は必要ないので、生活のほとんどが「あそび」である。
次に、親族、近隣友人とのふれあいで、一歩進んだ、複雑な生きている実感を感じ、食糧の取り合いなどが発生し、うれし、たのし以外の苦しみ、憎しみ、悩みなどが生まれる。しかし人間であれば、奴隷といえども最低限のあそび時間があるものである。
現代になって、人間・人類はエネルギー供給を、原点の「光」から直接供給できるようになってきた。つまり、人生のほとんどがあそびの時間になる時をむかえつつあるということだ。
赤ん坊のときも、ほとんどが遊び感覚で生きていた。乳を飲むことが、生きることであり、遊びであった。採集、狩猟時代の大人も、そのことが生きることそのものであるとして、負担に感じなければ、それは苦痛の労働ではなくあそびであった。
しかし、いつの時代からか、恐らく人類発生と同時であろうが、食糧確保、生活すること、生きることを苦痛に感じる「多くの人間」が存在した。どんな人間が生きる生活そのものを苦痛に感じたのであろう。過去形にして考えるまでもない。現在の自分の胸に手をあてて考えればすぐ答えが返ってくる。
不健康で、命のしくみをしらないと、生きていることの不安がうまれる。それらを中途半端に知ると余計な不安要素を拡大する。
ヨガポーズはなんのためにあるか・・・
答えはあるが、「ヨガ」、「ポーズ」の真の意味が解らないと答えは出ない。

ヨガとは、「むすび」である。ポーズは「姿勢」である。
なにをむすぶ姿勢なのか?

ヨガポーズは、世と我をむすぶ、「人間の生きる姿勢」である。体操はその一部である。
一時的に、部分的に身体がゆがんだりしたら、ちょっと体を操って回復させるのが体操である。人生全体がゆがんだら、体操だけでは回復は難しい。世と我のバランス調整が必要になる。

世とは、エネルギーの全てである。
我とは、獏としたエネルギーが、現実の「型」に化けた姿である。

世とは、「命を養う食べ物」といってもよい。
各人の「個性的な身体、性格」は「型」である。
各人の個性的な型の中にエネルギーのうちの「チ」が注入されると、型・カタは形・カタチになる。
カタチは姿勢ともいう。姿はカタ、勢はチである。

そもそも、エネルギーは「型と力」からなっている。電気、光も同じだ。粒子性と波動性が共存する矛盾する存在であった。世も我もエネルギーで出来ている。ただ、現れ方、表現の仕方が違っているだけである。互いに裏表の関係といってもいい。
だから、本来同じものであるから、共鳴するのは自然、当然のことである。

ヨガポーズは、世我のポーズである。
つまり、世と我のむすび、つまり、「姿勢を調整して、宇宙と自分とのエネルギーの流れを整える工夫」のことであった。おおいなるあそびの境地に至る方法のひとつがヨガポーズである。究極は「生活姿勢」である。

世我姿勢法の基本
①こころ構え・・・全存在肯定 自分肯定 矛盾活用
②身体・・・・・・ほぐす 伸ばす 引き締める 鍛える
③食・・・・・・・餌 定食(日常食) ご馳走 養生食 精進(断食)

初級:空腹時にポーズ等を行う。無理せず、ほぐしを主体に行う。
中級:小食を習慣にし、空腹時にポーズ等を行う。ほぐしと、引き締め、鍛錬を行う。
上級A:世のために命をかける。
上級B:特に指導なし!

世界が永遠に存在する仕組みと理由

2010-05-24 02:58:48 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
世界が永遠に存在する仕組みと理由

これが、哲学のテーマである。

40年前に、「世界は、永遠に存在し続ける」という直感を得た。

とりあえず、安心したのを覚えている。

生死を越える理の世界が存在していると思えた。

宗教的な直感と、哲学的直感の違いはない。

科学はこの直感を具体的に証明する。

証明できなくても、世界は存在する。

人間が考えるから、世界が存在するという哲学的認識があるが、

そう思えばそれでよし、しかし人間の定義があいまいなら、
その哲学的認識はナンセンスだ

宗教的に、絶対存在として世界の存在を、漠然と感じるのも

良いではないか。そのほうが、真に哲学的である!


人間とはなにか、の答えと
世界とはなにかの答えは、裏表である。


ヨガは、人間と世界の同時解明である。

だから、世と我であり、世と我のむすびを実践体得するのが
ヨガである。

無限繰り返しの有限現実世界の、むすびのからくりを
今日も考える。

心と身体の両方をあわせて同時に命を感じるのは当然のことである。
両方で感じる練習がヨガである。つまり生活であるが、
そのことに気付かずに、ヨガを実践しているひとが増えている。

人間は、ただ淡々と疑問なく生きている動物ではない。








次元考察の参考イラスト

2010-05-13 17:59:46 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
                      
 北の西の,加茂川ならぬ発寒側に遅い春がやって来た

                      
  江ぞ城下ではなく?手稲門前に咲く、蝦夷やまザクラ、だろうと思う



世界の夜明けは、桜前線とともにやって来るか・・・

これからは、えぞだと思うのだが・・・・・

新しい時代を開く、常道

2010-05-12 11:36:27 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
新しい世界を覗くには「垂直」思考、視向が不可欠である。

時空はそれぞれ垂直関係にあるとする。

物の「存在のからくり」を考察するのが哲学とすれば

物は、最初から少なくとも「四次元」以上の存在であり(四次元でも間に合うか)、
一次元の次が二次元という順番思考は勝手にできるだけで、
最初に一次元ありき、という思考に固まってしまうと、
新しい次元は開けてこない。

四次元の各次元は同時に存在し、お互いがお互いの存在を担保しあっている関係にあり、
固定的にあるのではなく、各次元が循環している

四次元のうち、三次元は「客観的観測」が可能であるが、あとの一次元は「主観」にのみ反応するようで、客観的証明は不能であるが、聡かに存在する。

「次元」理解のヒント
①四次元の存在を、三次元のレベルでは客観的観測が出来ないが、想像は出来る。
 つまり、上位の次元は「覗けない」のであり、下位は覗けるし、支配できる。

上位の物を、下位のものは「攘夷」出来ないのである。
世界観の広いものに、了見の狭いものが適うわけがないのであるが、
例外がある。何事にも例外はあるもので、今年は冷害になるかも知れない。
無駄言はさておき、巨大な権力は「微細なテロに弱い」
最強の横綱が、理事長の奥方のペットのチワワに弱いのと同様である。!?

世界観が広いと、足元が寒くなるという宿命的な欠点、弱点が出てくる
たとえば、世界制覇するような英雄の「家庭」は崩壊しやすい。
蛇足ながら、英雄でなくても、家庭は簡単に崩壊する。

量子論により、「ヨガ(世我)哲学」が科学的に証明されつつある。
「全ては、総合的に、突然存在しており、三次元的物質が四次元の寛容のなかで循環している」

ALL AT ONCE である由縁でもある。

dasoku:
存在の一単位は「四次元」であり、
四次元の塊が三つ、垂直に関係して、各固まりの四次元目を共通一次試験ではなく・・・
「共通一次元」として共有し、
自由に動ける状態を永遠に保つ仕組みになっている。で、

三次元・三次元・三次元・一次元=十次元

という不思議、勝手な方程式が出現する。

                   

     そもそも、存在単位は四次元以上であった。その四次元は、三次元×一次元である。三次元は可動、循環しているから機能しているのが現実である。ゆえに「場」があることになる。三次元が「可動」なるためには「四次元以上」であればよい。

                    
  「空 から あき」の場があるから、可動。無限の一単位1/∞の「空 あき」一単位があれば「全てが移動し循環し入れ替われる」                  

dasoku:
移動する「先端」では「斜め」とか「半分」とか「ずるずるつながって」とかの現象は「不可」になっている。必ず「垂直移動」であり、「一個まるごとづつ」の全体移動になっている!(量子論)・・・世なおし哲学「披露聡秘」でも同じ。

                   
        物質が移動するとき、物質は「塊=量子」で移動するので、中途半端な「状態」になれないので、ご覧のように○×のケースがある。

龍馬の裏話

2010-05-08 12:44:22 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
本日5/8 九時~ フジテレビ系 で放送あり。
 大政奉還が成立して、一ヵ月後に
龍馬は消された。

一般に「大政奉還」は、試験にでるから覚える、くらいのレベルの理解でしょう。
現実は、欲得、利権争奪、権力闘争のどろどろ奉還だ。

今なら、沖縄基地奉還だろうか。
日本国民が協力して、団結すれば、アングロサクソンには騙されないですむのにねえ。
利権がらみで、裏切る日本人面悪党がいるようで、情けない。
個人的に情けないと思っても、大勢には関係ないようで、なお情けない

ウラを知っている龍馬は、邪魔な存在ということに・・・


5/3 5/5    小樽 時間切り取り 支笏湖・羊蹄

2010-05-06 19:36:33 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
                   
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                 はくちょうの湖、別名「支笏湖」

                    
                    
                 ツリーハウス 亜木人
                    

                    
             喜茂別 ツリーハウス・手造りソーセージの・・・

人間と他生物との違い

2010-05-05 03:30:54 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
人間と猿の違い、動物との違いについていまだにこれぞという答えがないようです。

そこで、世なおし倶楽部的に一つの答えを用意しました。

「人間は、世界を身と心と大脳で観じる」
「猿、動物は、世界を身と心で感じる」

完成していない人間は、余計な世界観を持たない超安定の幸せ者でしょうか。

宇宙世界は、広くもあり狭くもある。
宇宙世界は、有限な時間空間の世界の顛末ある歴史が無限に繰り返される現象である。
宇宙世界は、だから有限でもあり、無限でもある。

明暗、内外の入れ替わり、循環によって、無限が成り立つ。

外界の探求と、自分探求、自分磨きの両方の作業をバランスよく行う
言い換えれば、「食料確保と、芸才磨きと、世界観」のバランスを整える生活を意識的に行う。

つまり世と我のむすび、世我である。

世界を狭く感じるようになったら、人は動く・・・

2010-05-03 11:22:54 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
世界が狭くなった。

現在の常識的な哲学での世界観では間に合わなくなってきた。
西洋人は早くから、世界を狭く感じて、領土侵略、拡大を実行してきた。
日本は江戸の末期に、クロフネの襲来で国がはじけた。

地球人全体では、
宇宙ロケットが大気圏外に飛び出し、
森林が休息に減少消滅しつつあり、
大気汚染も進んできた。
難病奇病も増えた。

男性の女性化、女性の男性化が顕わになってきた。
デジタルの仕組みが解明され、科学的量子論と宗教的哲学の結論が一致し始めている、など

諸般の事情は、急速に、世間が、世界が狭くなってきていることを示唆している

人面猿が真の人間に進化するチャンスがきている。

進化の第一歩が、「無限の真の意味の理解」である。

当ブログで、繰り返し披露している・・・

人間の進化、アセンションとは、世界観を広げること

2010-05-03 00:08:59 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
龍馬の時代に限らず、世間とか、了見とかの狭い広いが、
個人としても悩みをつくり、集団としての紛争のもとになる。

江戸の民の多くは、日本国が世界だった。
一部の町民、武家、公家は、外国を知って、世間の広いことを知っていた。

人間の進化とは、世間の広さを認識することだった!
最近、心身全身全霊によって、宇宙の深さ広さを認知、理解、体得することが人間の完成であろうと思うようになった。

その、人間完成のためという欲望を原動力にして一部の智恵者は、エネルギーの贅沢な消費と、それに伴っての人員の動員、人力の集積と、技術、頭脳の集約統合によって、世界の支配を実現しようとしてきたのが、歴史であった。
またその中途半端な知恵者(人面猿)は世界を広く深く理解体得することが「悟り」であるとし、その実現の一つの形としてなのかどうかは別として、物と人のエネルギーを占有凝縮することに専心する欲望に突き動かされて、「マネー」の仕組みを操って、見た目の「世界征服」を成し遂げようとしている。
 猿にしろすべての存在物、生物は「固有の世界認識」のなかで存在を感じ、享受して存在している。よくぼけた一部の人間に限らず、人間なら、誰しも「世界の広さ、深さ、時間の不思議」が気になるものである。しかし当然、想像力、妄想力の程度によって、その欲する世界は違うし、感じる世界の様子も違っている。

勝海舟は、地球儀で、日本の狭さ小ささと、世界の広さ大きさを若い志士たちに説いて開国の必要性を語ったらしい。当時としては地球儀レベルが世界であった。しかし、今、量子論によって、時空の連続性が解明されようとしている時代である。量子論によらずとも、ヨガ哲学によって、宇宙は「時空、陰陽の無限循環」であることが直感されている。現代はそれが、現実として科学で証明される時代なのが驚異なのである。
 星、物の世界だけが宇宙なのではないことは言うまでもないことである。量子論はそれを科学的に論証した。心と物の連携が宇宙であることがほぼ間違いないということである。
宇宙を時空というのも同じことであった。

江戸から明治にかけて、日本人は、世間の、世界の認識を改めさせられた。物質的に、空間的にちょっと広がったのである。

現在、「世と我のむすび哲学、披露聡秘」によって、「宇宙は、有限時空の無限繰り返し」という宇宙認識に至った。
江戸時代の民衆の多くが広い世界を知っての、行け行けどんどんは、切ないながら、仕方のない現象であった、と思う。
それから150年。哲学は、単なる時空の広がりに驚くばかりでは満足しない。もろもろの科学技術の進歩のお陰で、世界認識、宇宙論が急速に結論づいたのである。東洋思想の全体論と西洋思想の科学論の融合が、極東日本で完成したのである。それが、繰り返すが「有限時空の現象世界の無限繰り返し」が世界の全体像であるということである。
当然、あの世この世の概念をも含む。

江戸末期に日本人は、クロフネ=黒船によって世界観を広げられた。しかし今、地球人全体が、「クロコメ=玄米」の襲来によって宇宙観を拡張を迫られているのだ。つまり、「玄米の正しい頂き方=マクロビオティックとヨガのコラボ実践」によって、人類は、精神的、肉体的な一大進化の局面に遭遇している、ということなのだ。

「マネー」は人の欲望を動かすエネルギーでもあり、物質的エネルギーも動かすエネルギーでもある。
玄米は、人の命、心身、運命を動かし、環境をも動かす。マネー以上の実質的「上質なエネルギー」である。

マネーによる経済は、金融幻想経済であるが、有氣玄米・穀物の運用による経済は実質経済である。

世なおしの文明認識は
①物質的宇宙空間の限界は有限であり、歴史的時間感覚も有限であるから、必然的に、物質的文明拡大発展はある時点で収束、折り返し、原始的生活に戻る。
②人間が人間を奴隷化することを止め、人間同士の間での優劣の差別をしなくなる世界が実現する。そのためには、
人体に対しては優良食料の自給実現と、正しい食べ方の修得、産業的には電気エネルギーの低コスト化の実現と安全制御法の確立である。
③意識の仕組みと、根源物質の仕組みが「相似」であることが量子論によって証明されつつあり、意識と物質とが相互干渉することが予測されるが、体験的には意識が物質の物理変化に影響を与えることが理解できる。未来文明ではこの点の合理的発展が必要であり、そのようになる。

以上の三点の実現によって、人類は、生活時間の余裕が生まれ、能力、体力、健康度が向上し、学習欲および、訓練の結果の達成感の満足を得られ、充足した幸福感を得られる。また、未知世界への探求心、冒険心を満足させられることになる。

                


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