ライフボート~ (より転載)
桶谷式育児法で・・・
今日は、むすびヨガ基礎講座の第4講「人間の基本食」がテーマでした。
その折りに、「卒乳、断乳」についての質問がありました。
自分は男で、直接の体験はありませんが、子育ての経験はありますので、過去の事を振り返って考えてみました。
しかし、特別な事は記憶にありません。
断乳、卒乳に苦労したという記憶がないのです。かみさんが、そつなくやり遂げてしまっていたのでしょう。そこで、考察です。
いくつかの断乳サイトを覗きましたが、これぞ断乳の心得というものが少ないのにまず驚きというか、唖然でした。その中でも桶谷式は信頼出来る内容であると感じましたので上部に紹介しました。ご参照下さい
ところで、世なおし倶楽部披露聡秘的考察は、
乳児が卒乳するのは自然に任せるのが原則でしょうが、人間の赤ん坊は野生の動物と違って、脳の発達や、皮膚感覚の発達などが特殊であろうと考えられますので、その点を考慮する必要を感じます。
特に口の粘膜の触覚は乳幼児の場合大変重要です。生き物として生きるための鋭い感覚と、人間の場合はプラス「愛情 情緒」の感覚の両方が必要のようです。
母乳はある一定期間の後、歯が生えてくるのにつれて成分が薄くなって来ます。
消化器の消化システムが「堅い固形の食べ物」に適応するように発達してきます。その頃からが卒乳の時期になるのでしょう。また、二足歩行で自立できるころが、卒乳のじきのように思います。そのような状況を考慮しつつ断乳をすすめるならば、無理は無いと思われますが、「私が睡眠不足のストレスから、夜の断乳を1歳になった時に決行しました。」というように、親の都合が優先したり、年齢的な事を優先したりするのは、何らかの無理が生じるように思われます。
「おっぱいを吸う」感触は「愛情をたっぷり感じ」「絶対的な安心感と生きる満足感」を本能的に与えているものと思います。ですから、それを断つというからには、それ相応の代替刺激が無ければ、「乳児の敏感な生きる感覚」に何らかの「欲求不満のダメージ」を強く残すことになるであろうと想像します。
おっぱい吸いの効能に匹敵するか、それ以上の「触覚刺激」を代替的に与えられれば、断乳は簡単に済み、後の精神的トラウマなども残さないで済むと思われます。
我が家での卒乳体験としては、無理に断乳した記憶がありませんが、それは、とにかく「三歳までは、子供と出来る限りスキンシップをする」主義でいたからであろうと思われます。抱き癖もありません。そのはずです。矢鱈に抱っこしてましたから!子供が要求する前に親の方からしつこく抱きついて行くのです。三歳になる厚生労働省には、子供の方が逃げて息ました。
乳の成分が薄くなれば、物質的な栄成分は当然少なくなりますが、おっぱいを吸うと言う接触感覚による生体エネルギーの交流は乳児にとっては、見えない命のエネルギー補給になると思いますので、乳の成分の濃い、薄いだけの条件で断乳を決めるのは、愚かな事であろうと感じます。
野生の動物の場合は「肉体的物質的条件」が優先して当然でしょうが、、人間の場合、脳、精神の成長、発達との兼ね合いを無視すべきではないと思うのです。