世なおし倶楽部

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シリア化学兵器問題とイラク大量殺りく兵器問題の根っこは

2013-08-28 22:45:13 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済

シリアの紛争を拡大することで、アメリかは、本土での戦火、戦闘なしで

アウェイでの戦争ごっこができる。直接的なアメリカ国民の被害はない。

「戦争」の主犯とか責任とか・・・普通の犯罪の場合に

犯人を特定するのには、それ相当の時間をかけて行うのに、

なぜ、アメリかがらみの国際紛争の場合、即刻、犯人が断定されるのか

はなはだ疑問です。いや疑問ではありません!

なぜ犯人、あるいは真相が、即、断定されるのか、

理由は明白です。

断定するアメリカおよびその黒幕が「実行主犯」だからです。

そして、アメリかが、結論を急ぐ理由は、

まじかに迫った「経済破綻10月」対策です。

戦争を引き起こして、とにかく「武器弾薬」でかせぐ必要があるのでしょう。

その他、経済不安をあおることによる、経済波及効果があるのでしょう。

 

こと戦争となれば、正しい現状認識のために、

関連する情報の裏読み、深読みは必須のことです。

にもかかわらず、結論を急ぐのは、急ぐ理由があるのです。

急がないと紛争が拡大し被害が大きくなるというのは、

詭弁です。

アメリカがらみの紛争を考える場合の心構えは、

1.アメリカ経済状況はどうか

2.犯人、真相の断定が早く手際よいが、それって、おかしくないか?

3.日本に対し、アメリカへの資金援助は日本のための名目の「恐喝」が始まる。

4.恐喝をお友達作戦として受け入れ貢ぐ「裏切り日本政治家」がもっともらしく

解説する。

5.マスコミ共犯で情報操作し、一部の資産家の「漁夫の利」を狙っている。

6.アメリカと裏社会自らが紛争の裏の真犯人。マッチポンプのしくみ。

以上の6点などを考慮して、状況判断されるといいでしょう。

深読みできるセンスをリテラシーというらしい。

理照らし。

自然の哲理に照らして、大人の状況判断をしてください。

 

 


アメリカの経済破綻危機10月中旬再来

2013-08-27 23:12:23 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済

 

転載:

シリアの首都ダマスカス近郊で化学兵器により、多数の犠牲者が出たとされる疑惑について、アメリカのケリー国務長官は26日、アサド政権が化学兵器を使用したと断定し、「ふさわしい対応」を検討していると強調しました。ケリー長官はさらに、アサド政権が国連の調査団の立ち入りを5日間にわたって拒否した上に、現場に砲撃を続けて証拠を破壊したと非難しました。その上で、化学兵器の使用は「非常に深刻な問題」で、オバマ大統領が「ふさわしい対応」を検討していると強調しました。また、化学兵器の使用に関するさらなる証拠について同盟国と分析を進めていて、数日のうちに公表するとの見通しを示しました。

世なおし倶楽部の所見(達観・鋭い洞察)

「アサド政権が化学兵器を使用したと断定」

なぜ、そんなに早く断定できるのでしょうか?

それは、アメリカ自身が「実行犯」本人で、事実をよく知っているからでしょう!

つまり、

シリアの内政不安定に便乗して、漁夫の利を得ようとする

「裏闇社会の金ゴン」が、アメリカの軍事産業の利益アップを狙って、

仕掛けている、お決まりの「戦争商売」の手口でしょう。

ごたごたを引き起こし、日本との安保条約を質に、懲りずに

協力金を分捕りに、日本に圧力をかけてきます。

国民にとっては圧力ですが、アメリカ傀儡うらぎり日本政府、関係政治家にとっては、

おこぼれ頂きのチャンスでもあります。アメリカデフォルトの実体です。

 


絶対とはどういうことか

2013-08-21 20:38:59 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済

絶対とは、対が絶えていると書いてある。

娑婆世界では、物は同時に、別の場所に複数併存している。

物を粒子とすると、

存在していることを観測している行為は、波動と言える。

物はMONOに通じ、一つの意味を持つ。だから

同じ場所に、同じ時刻に同じ物は、二つ存在ができない。

自然、物理法則の禁則である。論理的にわかりやすい。

しかし、波動は同じ場所、同じ時刻に複数重畳して存在できる。

こちらは、なぜだか理由はよくわからないので、説明ができない。

哲学しておきます。

複数あるものは、相対的な関係になる。

その状態では絶対の価値がなくなる。

絶対とは「唯一」でなければならないが、それなら1なる物

・MONOはそれ自体だけなら絶対の存在ということになる。

が、MONO は森羅万象として、たくさんひしめき合って存在している。

これこそ相対の現象である。MONO一つだけなら、絶対なのに、

現実は、それが相対の元凶になってしまっている。

さて、人間存在も、肉体としては物質で物の仲間だ。

自分だけなら、唯一絶対の神になれるが、

自分と似たような人間が60億いる。

相対現象のお手本のようなものだ。

だから、人間は、「絶対」を認識できないで、相対の世界で

色々と、悶々と軋轢をかんじながら生きている人が多い。

その人たちの中から、悶々としていてばかりも何だから、

絶対の安定はないもんだろうかと考える人が現れる。

それで、唯一絶対の神をむしかえし、その神に同化することで

個人で相対的で不安定な心持を、絶対安定な心持にしようとする。

 

問題は、「唯一」の概念がはたして絶対なのか?ということだ。

唯一という物理的存在は、論理的に不可能である。

唯一絶対という言い方自体がおかしいのであった。

ここを、するりと無造作に、世なおし倶楽部に断わりもなく

すり抜けてしまう、迂闊というか、不遜というか、傲慢というか、

その無意識的思いが、人間の一般的無明の原因なのである。

 

このことに合点がいくひとは   幸いなり、だ。

 

さて、前置きはこれくらいにして、

絶対とは何か?

一つだけある!

しかしその一つというのは、単一のことではない。

「ひとまとまり」「循環(巡環)」「総合」といったニュアンスである。

それは別名「〇〇」ともいう。

わかりやすくいうと「〇〇〇〇ともいい、絶対〇〇〇〇〇〇!」である。

 

〇まる・・・部分を自己責任で哲学してみよう。

 

 

 

 


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