思いやり血税ネコババ還流予算
人間は、社会の仕組み、自然界の仕組み、宇宙の仕組みが気に成る動物のようです。というか、その逆の言い方が的確なのかも知れません。自分の外側に世界の広がりを感じて気に成って、知りたくなるのが人間で、そんなことは自分に利益がなく詮索の価値もないと思っているのを「人面猿」というのです。民とは「人面猿」別名なのかと思えます。前出、民の字源は「人の目を槍で突いて目を潰している字」でした。それは、権力者の都合で、民衆の目を欺く、真実を知らせないということの象徴的現象ともとれますが、必ずしも権力者がめくらまししなくても、そもそも民衆は、といってもすべての民衆ではありませんが、真実を知る努力はしたくなく、目先の食い物にありつくことを最優先する生き物なのでした。妄信せず、疑わず、確かめることを怠けて怠り、台風その他の自然現象による災害を「人災」といわず、「天災」という。
今日、めったに降らない大雨が砂漠に降って、洪水災害が発生したニュースが流れていました。干上がった川べりに建てていた家が、「水に流された」とそのニュースは伝えています。人災なのか、天災なのか詮索する前に、被災した方達の安否を気遣うのが人の道ではありましょうが、その奥に潜む「人面猿」の切なさを忘れてしまって良いわけでもないのです。被災したそのときに、ややこしい哲学を語ってもKY(空気よめない)といわれるのがオチですが、通常、言わないでいると、KYも忘れ去られてしまいます。
このことに関連して、かなり以前のことで恐縮ですが、記憶力がよいものですから、しっかり覚えていることがあります。若い母親から、子供が風邪らしく、熱を出しているが、何かよい方法はないでしょうか?との電話がありました。電話口で、前の日か、一週間前くらいからの「食事はどんなでしたか?どんなものを食べましたか」と聞いたら、「余計なこと言わないで!即熱を下げて、楽になる方法を聞いているんですからあ!ガチャ!」と電話が切れました。電話が切れる前に、ばか親の頭が切れていたのでした。ということがありました。
さて、人間はお互いに、他人の欠点は良く分かるものです。気に成る相手については特別に意識を集中しますから尚更です。それで、他人に対しては批判中傷などがよく出ます。それでよいのだと思います。批判中傷された側は「良くぞご忠告して下さりました」と感謝し我が身の振りを正すチャンスとして活かせばよいのです。
知らされないで民なのか、知ろうとしないので民で人面猿なのか、どちらも根っこは一緒のようですが、いずれにしても、すべての仔細を完璧に知ることは出来ない相談です。それで、筋を知る「哲学」の価値が浮上するわけなのですが、それはまず置いといて。
たまたま、ヨガ繋がりで、一世風靡したヨガ・記憶術・イメージボディビルの達人「藤本憲幸氏」のこと気に掛かり、ネットで若干調べてみたのです。数十年前に300冊近い著書を出版した達人のはずなのですが、この数十年著作がありませんでした。弟子、門下生もたくさん居られるはずですが、巷のヨガ教室の指導員の肩書きにそれらしきものがほとんどないことに気付きました。その藤本氏のひさびさの著書を読む機会があり、相変わらずの内容で、面白くもあり、当たり前でありといった感じでした。もともと、直接お会いしたことがありませんから、とやかく人柄について品評できませんが、技術的な面、商才の面については一目置くところがありますが、人格的には疑問符が残る感じでいました。それが、このたびのチェックで、まあその印象はおおむね正しいということが確認されたということなのです。ヨガを標榜しながら、ヨガを歪曲して啓蒙してしまったひとりと認識しました。がしかし今後どういうヨガ活動をされるかによっては認識が変更されるかも知れません。自分もヨガに関わる者のひとりとしてどれだけ丸く正しくヨガを理解しているか、は疑問符だらけです。他人の姿は他山の石として、戒めの手本とするところです。
今、国会では、新総理の鳩山氏の「政治資金の脱税疑惑」で大騒ぎですが、人間の限界をどこまで許容するかの基準がないと、いつまでも、陣取り合戦、足の引っ張り合いの猿山のボス争いの域をでないことになります。たたけば誇りの出る猿同士がいがみ合って権力闘争して、それを取り巻いているのが、次期ボスの座を狙う猿であれば、しばらくの間、茶番劇が続くものと、達観せねばならないのでしょう。
人面猿から進化した人間なら、達観しながらも無責任でいてはいけません。大人の人間なら、宇宙を広く深く認識できる人間ならば、そのたしなみとして少なからず、政治の正常化に命を削るべきではないのかと思いを強くした「いい肉 1129」の日の披露聡秘ではありました。
で、見えてきたのは、日米安保を出しにして、日本国民の血税は思いやり予算などと、詭弁を労して、日本の官僚と一部政治家の懐に還流しているだろう~というシナリオです。当然日本側だけの策謀ではなくアメリカ側も共謀であろうことは予想に難くない。
人間は、社会の仕組み、自然界の仕組み、宇宙の仕組みが気に成る動物のようです。というか、その逆の言い方が的確なのかも知れません。自分の外側に世界の広がりを感じて気に成って、知りたくなるのが人間で、そんなことは自分に利益がなく詮索の価値もないと思っているのを「人面猿」というのです。民とは「人面猿」別名なのかと思えます。前出、民の字源は「人の目を槍で突いて目を潰している字」でした。それは、権力者の都合で、民衆の目を欺く、真実を知らせないということの象徴的現象ともとれますが、必ずしも権力者がめくらまししなくても、そもそも民衆は、といってもすべての民衆ではありませんが、真実を知る努力はしたくなく、目先の食い物にありつくことを最優先する生き物なのでした。妄信せず、疑わず、確かめることを怠けて怠り、台風その他の自然現象による災害を「人災」といわず、「天災」という。
今日、めったに降らない大雨が砂漠に降って、洪水災害が発生したニュースが流れていました。干上がった川べりに建てていた家が、「水に流された」とそのニュースは伝えています。人災なのか、天災なのか詮索する前に、被災した方達の安否を気遣うのが人の道ではありましょうが、その奥に潜む「人面猿」の切なさを忘れてしまって良いわけでもないのです。被災したそのときに、ややこしい哲学を語ってもKY(空気よめない)といわれるのがオチですが、通常、言わないでいると、KYも忘れ去られてしまいます。
このことに関連して、かなり以前のことで恐縮ですが、記憶力がよいものですから、しっかり覚えていることがあります。若い母親から、子供が風邪らしく、熱を出しているが、何かよい方法はないでしょうか?との電話がありました。電話口で、前の日か、一週間前くらいからの「食事はどんなでしたか?どんなものを食べましたか」と聞いたら、「余計なこと言わないで!即熱を下げて、楽になる方法を聞いているんですからあ!ガチャ!」と電話が切れました。電話が切れる前に、ばか親の頭が切れていたのでした。ということがありました。
さて、人間はお互いに、他人の欠点は良く分かるものです。気に成る相手については特別に意識を集中しますから尚更です。それで、他人に対しては批判中傷などがよく出ます。それでよいのだと思います。批判中傷された側は「良くぞご忠告して下さりました」と感謝し我が身の振りを正すチャンスとして活かせばよいのです。
知らされないで民なのか、知ろうとしないので民で人面猿なのか、どちらも根っこは一緒のようですが、いずれにしても、すべての仔細を完璧に知ることは出来ない相談です。それで、筋を知る「哲学」の価値が浮上するわけなのですが、それはまず置いといて。
たまたま、ヨガ繋がりで、一世風靡したヨガ・記憶術・イメージボディビルの達人「藤本憲幸氏」のこと気に掛かり、ネットで若干調べてみたのです。数十年前に300冊近い著書を出版した達人のはずなのですが、この数十年著作がありませんでした。弟子、門下生もたくさん居られるはずですが、巷のヨガ教室の指導員の肩書きにそれらしきものがほとんどないことに気付きました。その藤本氏のひさびさの著書を読む機会があり、相変わらずの内容で、面白くもあり、当たり前でありといった感じでした。もともと、直接お会いしたことがありませんから、とやかく人柄について品評できませんが、技術的な面、商才の面については一目置くところがありますが、人格的には疑問符が残る感じでいました。それが、このたびのチェックで、まあその印象はおおむね正しいということが確認されたということなのです。ヨガを標榜しながら、ヨガを歪曲して啓蒙してしまったひとりと認識しました。がしかし今後どういうヨガ活動をされるかによっては認識が変更されるかも知れません。自分もヨガに関わる者のひとりとしてどれだけ丸く正しくヨガを理解しているか、は疑問符だらけです。他人の姿は他山の石として、戒めの手本とするところです。
今、国会では、新総理の鳩山氏の「政治資金の脱税疑惑」で大騒ぎですが、人間の限界をどこまで許容するかの基準がないと、いつまでも、陣取り合戦、足の引っ張り合いの猿山のボス争いの域をでないことになります。たたけば誇りの出る猿同士がいがみ合って権力闘争して、それを取り巻いているのが、次期ボスの座を狙う猿であれば、しばらくの間、茶番劇が続くものと、達観せねばならないのでしょう。
人面猿から進化した人間なら、達観しながらも無責任でいてはいけません。大人の人間なら、宇宙を広く深く認識できる人間ならば、そのたしなみとして少なからず、政治の正常化に命を削るべきではないのかと思いを強くした「いい肉 1129」の日の披露聡秘ではありました。
で、見えてきたのは、日米安保を出しにして、日本国民の血税は思いやり予算などと、詭弁を労して、日本の官僚と一部政治家の懐に還流しているだろう~というシナリオです。当然日本側だけの策謀ではなくアメリカ側も共謀であろうことは予想に難くない。