世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

ヒトの寿命

2007-07-09 18:37:41 | 健康
昨日、教え子Eさんのヨガ活動31年と出版記念をかねた祝賀会があり、久々の宴会祝儀を味わってきました。教え子といっても、年上の教え子ですが。何歳上かは、明かせません。女性です。

普通、飲み食い宴会までの時間が長く長く感じるものですが、今回はなぜか時間の経つのが苦痛に感じませんでした。時間とか、空間とかにひと一倍感じやすい私です。その私がそう感じたのですから間違いありません。

ヨガの本旨は「心身豊かな人生創造」です。体操テクニックやポーズだけがヨガではないことをふまえて、「生活コンサルタント」を目指してヨガ活動をしていますが、このたびのEさんはそれを、実践し続け31年、見事に実現してしまいました。
広く深い人徳の証であると思います。ヨガの総合性「心身食」の各分野に自然体で取り組み、家庭的にも社会的にも安定した「実践生活者としての、真の生活コンサルタント」といえるでしょう。

巷にヨガがブームで、関係者としては、有難いことです。派手なブームと比べ生活ヨガは地味な活動ですが、根強く続いている実態に触れ心強く感じた一日でした。
そもそもヨガはブームに振り回されるものではありません。インドでヨガがブームになっているらしいですが、ブームで目立つ部分は「部分」であって「総合としてのヨガ」はブームでないところに光っているのです。

その、地味ヨガのお祝いの席で披露したことばは「ヒトの寿命は180歳」でした。30年ごとに節目があります。というさわりの紹介で話は留めました。
ご祝儀の際の挨拶や鼻毛は短いほうが良いということなので・・・

25年4期のインド哲学由来の「四住期」では100歳寿命です。五木寛之氏の著書が出ていますので、本屋さんで、立ち読みなどされるのもよろしいかと。参考になるでしょう。

我が、180歳寿命説については、改めて解説したいと思います。
<支配人ムカイ>

ほんもの、にせもの

2007-07-09 02:01:29 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
以前に、専門学校の男生徒に「本物のダイヤと偽物のダイヤとどちらがあったら良いか?」との質問をしたことがありました。心を寄せる女性にプレゼントをするなら、普通なら本物を欲しいと云うはず、との予測はまんまと外れ、「こころがこもっていれば、偽物でもいい」との答えが返ってきました。予測していなかった答えだっただけに、一瞬うぐっ、次の言葉が出ませんでした。予定していたのは「本物が欲しい」で、それに対して「本物をどのようにして見極めるか」という質問をするつもりだったのです。

図らずも、そうそうに哲学的結論が出てしまったのですが、要するに、善悪、真偽のような相対的なものの価値基準は「当事者の都合」ということなのです。

普遍的な真偽の絶対の結論は、「宇宙存在にとって矛盾しない都合のよいものが真」と云うことでしょう。宇宙存在のスケールまでに至らないレベルでの、都合、不都合では真偽の絶対的決定はナンセンスです。でもそのナンセンスのオンパレードで成り立っているのが現実の人間社会です。

プレゼントする側にせよ、受ける側にせよ「当事者が良い」とすれば「ほんもの」ということです。「もの」には責任はありません。本当の偽物なら本物です!?

ところで、そのこもっているはずの心にせよ、物にせよ本物かどうか、を見極めるにはどうしたらよいのか、その大問題の解決法は如何に、ということですが、
ひとつには、当事者の都合の良いもの(こと)が「良い、善、正しい」と云うことでした。いまひとつは「後味のよいもの(こと)」ということです。どなたが仰ったか度忘れしましたが、歴代の、真の人格者、成功者と云われている方たちの共通点は「去り際、引き際が潔い」でした。



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