世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

目先の経済

2007-07-18 09:56:52 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
昨日に書いた「無辜の民」とは「何の罪も無い民衆」という意味です。

何の罪もない民衆なんていません。お墓の中にもいません!
民衆は「業」が深いもの、と相場は決まっているのです。

質の悪い政治家を選ぶのは、質の悪い民衆です。

質の良し悪しにかかわらず民衆は「自分の目先の利益」を争って奪い合います。そういうものなのです。そうしてしぶとく生き延びて子孫を残してゆくのです。そういう、しょうがない癖を「業」というのです。

そういうしょうがない民衆の中に、未来を想像し、未来を憂える「規格外民衆」が突然変異のように出てきます。自然の摂理ですね。目先の我利に囚われない100年200年先のことを想像し考えられる人間は、初め「バカかキチガイ」かのように思われますが、そのうち「利」をもたらすことが判ると大事にされます。

もともとサル社会では、リーダー格のボス猿の資格は「餌・餌場の確保と外的からの安全保障」です。人間の社会もサル社会の延長のようなところがありますから、同じような群れの機能をもっているはずなのです。

人間社会はサル社会に比べて、より「未来志向」であるはずです。目先の命の安全は当然のことです。あえて言うことはありません。しかし、人間の文化の複雑、広さを考えるとき、より深く広く未来への関心を持たないと「人間存在」の意味を放棄することになるでしょう。

目先の利益追求も大いに結構です。しかしさらに未来の利益についてもっと貪欲にならないといけないのです。人間を標榜するならば!

質の悪い政治家は、政治の意味、役割を知らず立場の特権に狂い、本来商人の役目である「お金的利益の追求」に奔走します。
「お金の価値」は、「人件費」とどのつまりは「エネルギー」
<支配人ムカイ>

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