善悪は相対的な概念であるから、
絶対に善とか悪とかは云えないものだ。
だから、絶対存在の「神」が善だとか悪だとかはないのだ。
しかし、一般的に、神を善なるものと思い込みたがる傾向がある。
この辺りの微妙だが大事なニュアンスをしっかり掴まないと
哲学は理解出来ない。
もう一度確認するが、
神は善でも悪でもあり、善でも悪でもない存在である。
ところで、存在、宇宙の根源、仕組みは「代謝、巡環」である。
それが神でもあった。
つまり、物事が巡環する事に善悪は無いということに成るのだ。
と言う事は、物が移動すること自体には、善悪はないということである。
しかしそこに人為的な行為が絡んで「色々な都合」が有ると、
善悪の状況が発生する。
善悪の判別は、
人間の都合によってその重さが代わる。
インチキTPPならぬ「TPO 時、所、目的」の条件に
合うとき「善」というのである。
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