世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

政治がうごうご、うごいた

2009-08-31 03:58:00 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
政治が動いた
次は、地面が動く
その次にようやく
人間のこころが動く

政治化はビジョンを創造しない
政治家は挨拶が上手である

哲学者は挨拶が苦手である
政治家、商人に不向きである
ゆえに、哲学者は哲学者にならざるを得ない

身体の世界はすでに動いていた
ヨガのブームが定着しつつある
食の世界が動き始めている
マクロビオティックが認知されてきた
発音しずらい長ったらしい言い方でも
だんだん耳に馴染んできたようで
ホテルのメニューにもマクロビオティックが出てきた

さて、政治、哲学、宗教、科学、芸術、経済、商人の意味は如何に
明快な定義は世なおし倶楽部にあり
最近、広辞苑に不信感を覚える。岩波書店も知識の老朽化の蘇生の出来ない
インテリの墓場になりつつあるのか

政治家は民衆の声をきき、声が大きく復唱の上手な者である
宗教家は民衆の弱みに付け込み脅迫し、自分が救われる
科学者は目先の現実に忠実な了見の狭い理屈やである、
芸術は、刺激である。最近の芸術には
刺激が乏しい
経済とは、経世済民の略で、世界の循環原理を生活に応用するもの
商人とは、生産と消費の仲を取り持ち、口銭を稼ぐ者。
哲学とは、人間の大脳の抽象作業の産物。悶々と矛盾しつづける

如何に、見えない原理と見える多様な現実・現象とのバランスをとるか
ヨガは、実行哲学であった

政治が動いた
次は、地面が動く
その次は、哲学がうごく

dasoku:
ウサギの鳴き声は、うごうごである

気象協会・地震警報

おすすめ図書

2009-08-30 13:20:30 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
おおかみ王ロボです。

お茶目というか、わがままというか、
その恋女房が人間に生け捕られてしまう。
惚れた男の弱さか、ボスとしての責任感からか・・・

おおかみ王ロボは、みずからの命を惜しむことなく
人間のわなを知ってか知らずか、
おとりになって、助けを乞うてないている、恋女房の若いメスおおかみを助けに
わなに近づいて行く

それまで、賢く勇敢なおおかみロボは
人間の仕掛けを見抜き、わなに掛かることはなかったのに・・・

実話であるところがすごい!

恋と愛の違いを知る絶好の本であろう
いまどきの若者に是非読んで欲しい

ロボの気持ちにシンクロすると
なみだが滲みます

わなを仕掛けて害獣おおかみを仕留めた原作者で学者のシートンは、
おおかみの繊細な恋愛感情を知り、人間の残酷、自分の人格の軽さに
しばし悩むことになった

オオカミはこちら

参考:ウイキペディアより・・・
<日本語のオオカミの語源は大神(おおかみ)とするように日本では縄文時代から狼を神獣としており、『日本書紀』には狼のことを「かしこき神(貴神)にしてあらわざをこのむ」と記述されている。山の神として山岳信仰とも結びついており、御嶽神社や三峯神社の狛犬はオオカミである>

おすすめサイト愛すべき動物たち

Obake

2009-08-28 01:33:13 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
短い北の夏が終わろうとしています
終わりかけてから、残暑で25度になったりしていますが・・・
しかし確実に朝夕は涼しいというか、寒いくらいになってきています

そんな折に久しぶりの怪談話をみながら思うことがありました
①呪い・・・不満、ねたみ、脅迫、怨念など、生霊・死霊の区別なく有り得る。
②憑依・・・生霊・死霊の区別なく有り得る。霊現象は一種の波動現象と考えれば共鳴するので、現象として有り得るのである。また、宇宙はとりあえず「有限」と想定すれば、霊の数量には限りがある。多数の霊がこの狭い有限な宇宙に同居できるためには「複数重複して存在する必然性がある」ので、表に現れることの出来ない霊は見えない裏側に隠れて「憑依 共鳴張り付き」をせざるを得ないのである。
③お化けが怖くなくなる方法・・・自分がもっと怖いお化けになるか、お化けに哲学論議を吹っかける!お化けは敵わず恐怖を感じ退散する!と思いたい。また、波長を変える。
④好きなお化けを引き寄せる方法・・・そのお化けの波動・波長に合わせるべく訓練する
⑤夜の墓場・・・怖がる住職・坊さんがいる。逆になんとも無いかむしろ癒されてこころ休まると言う豪傑おばさんがいる。おばけさんではない。
⑥披露聡秘を否定するお化けにまだ出会っていない。お化けも大したことはない!

お化け参考

dasoku:
お化けは怖い、怖いは地震、地震は揺れる、揺れるは心、こころは見えぬ、見えぬは不安、不安は暗い
人は大脳の発達のお陰で、「想像力」が逞しくなった。その想像力の暴走のために、余計な感情が膨らみすぎる。命に危険を及ぼすことに対しては、生き物はその刺激を強調して感じて、命を護る体制をとるように工夫している。機械的な強調だけなら問題は少ないが、「危険刺激」を「怖い」という感情に化けさせてしまう脳構造に重大な問題がある。単に中性な物理的刺激を、増幅して感情的な脚色をするセンスは各人の個性である。脳の感情増大妄想システムの継続的善用が哲学、芸術作用であろうか。宗教は不安感情の停止作用で、脳の善用にはなっていない。心の止滅とするヨガは宗教とよぶのが相応しく、ヨガを心の継続的善用法とすればそのヨガは哲学となる。


入り口と出口

2009-08-26 22:57:06 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
 一般ヨガ教室での指導の目標を健康維持として行っていますが、最近は特に基本的な事を中心に行うようにしています。
 難しいことや特殊なポーズなどは各自の能力別に「趣味」として行うよう指導します。
 また最近しみじみ感じることは、ヨガは心身食のバランスであるということです。そしてバランスを制御するのは「循環 代謝 呼吸 自然」であるということです。
 ヒトは、分からないから解ろうとするのですが、解らないものを探究するということの矛盾に気づきますかどうか。気づいて欲しいものです。
 一般的には、解らないけど先入観で多少解ったような状態でより明確に解ろうとしているのだと思いますが、問題はその先入観です。
 ヨガを求めるときの注意は(ヨガに限らずすべての場合がそうでしょうが)、注意するべきことは、既成の先入観にとらわれずに広く深く寛容に求め続けることでしょう。

沖導師の言葉「去るもの追わず、来るもの拒まず 妄信せず疑わず 積極心で」

その、本物を求め続ける「求道」の心得を端的にまとめたものが「般若心経」と考えられます。

 ヨガの修行では、書き記した「テキスト」は原則として使いません。
その理由は、簡便に言葉や、文字で説明すると、大事な真理を独自に体得する努力をおろそかにしかねない、と考えてのことです。
しかし、般若心経はエキスのエキスを解説しているものですので、読み解くことそのものが訓練になりますから、テキストとしても問題ないと思います。
 実際に心経を正確に読み下しのできている哲学者、宗教家が少ないように感じます。心経は「人類共通の超幸福の原理」が示されているのにも関わらず、多くの人が気づかないのが現実です。なぜか?いわゆる有識者、哲学者ほど理解できないでいるようです。

 ヨガの意味、定義、真義は「むすび 結い つなぐ」でした。それで充分なのですが、それは、基本的に「体得したひとにとっての充分」なのです。ヨガ、むすびのそのままの意味から、総合、統一、調和、バランス、循環とかいう関連語を想起でき、かつ他の言葉との関連性が「心とからだ」でバランスよく理解できるひとには、ヨガの簡潔な意味・定義「むすび」こそが、宇宙・生命の根源と共通の概念であることが理解できるものと思います。

沖導師のことば「神になりたければ、神のまねをせよ」「健康になりたければ、健康のまねをするんだ」
しかし、神とは?、健康とは?・・・知らなければまねは出来ない!矛盾。
現実的には、わからないから解るために、学び、真似び、体得、理解していくわけですが、解っていないことをまねすることはできないのが道理です。
ところが、実際は、出来ないこと、わからないことが、訓練、練習次第でだんだん解ってきたり、出来たりしていきます。なぜ?

よくわかっていなくても「真似」が出来ていることになります。
ということから、人間として生まれたと言うことは、「おおむね宇宙真理の基本に共鳴できる素質を持っている」ということが想像できます。日本人の子供でも、英語やフランス語をしゃべれるようになるのはなぜ?なによりも、赤ん坊がしゃべり方を丁寧に教えないのに難しい日本語をしゃべるのはなぜ?

人間の子供が、過去から現在まで、明らかに言葉を覚え、知識、技術を真似び理解、体得して来ている事実がある。なぜか?どうしてそういうことが出来ているのかを解けば、いろいろなことが芋づる式に解ってきます!

むすびヨガのテーマは、
①人間の潜在能力は「おおむね自然の摂理を理解できる力」を持っていると考えるので、それを引き出す
②しかし、完璧ではないので、その不十分な点は謙虚に、寛容に、お互いが補い合う努力をし続ける
③そのために、心身食のバランス生活の実践をめざし実行する
④原理と対立し、かつ相補的な個性を磨き続ける

出口は、次の道への入り口です。
ヨガは循環原理であるということでした。
無限の概念は、循環繰り返しの回数無制限ということ。
この原理を入り口として、出口からは多種多様なものが出てくる。


一押しの防災グッズは

2009-08-23 23:35:35 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
いろいろな防災グッズの提案があり、どれもなるほどと思われます。しかし、いざというときに、アレもこれも用意しておく余裕はないのが実際でしょう。ならば、何に重点を置くかが問題になります。社会不安の中での基本はやはり衣食住で判断すべきでしょう。短期的な勝負では、「衣」の問題ですから、保温と防水のために、羊毛厚手セーターが基本です。水気をはじき、通気良く乾きも早い。保温性も高い。それにプラスゴミ袋。ごみ袋は、防水、の他用途多彩。最低限の住の役目も果たす。世なおし倶楽部の隠しだまは「梅干」です。練り梅ならスペースの節約になります。梅肉エキスならさらにかさ張りません。災害時の問題の第一は「食中毒」でしょう。薬は腸を痛める副作用が心配です。梅干なら、その心配なく、身体を守ってくれます。食物の腐敗等による下痢、感染症等の予防が期待できます。梅干なら、コメの飯さえあれば何とか、食いつなぐのに「美味しく」我慢できます。

自然回帰をほのぼのと・里山の天使たち・・やまね工房はこちら

三度目の正直 四度目のずっこけ

2009-08-23 08:26:40 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
「あずきバー」は井村屋のNo.1商品だったことも知らず、三度つづきましたが、三度目の時、店のアイスストッカーの中にあった山盛りの井村屋あずきバーが、四度目に行った時には、ひとつもありませんでした。正直、ずっこけました。

(考察・検証)ということは、世界はめまぐるしく動いているということです。気まぐれ天気で、寒かった札幌の夏が最近また暑くなって来ました。そんなこともあってか、アイスの需要がのびたのかも知れません。いずれにしても、たかが井村屋のあずきバーではありますが、大衆心理、世界の経済の動きを教えてくれているようです。
とにかく、がっつり在庫ったあずきバーが、あっという間に品切れになっているのです。
で、妥協して購入したのがなんと「北海道小豆使用の九州名物アイスまんじゅう」

世なおし活動の一環の、市場調査、社会探査とは言え、冷たい砂糖菓子の連食は老体に堪えます。せめて砂糖が果糖ならと思います。
因みに佐藤がだめなら加藤、加藤がだめなら尾藤、尾藤がだめなら、武藤です。これ以上つづけると、工藤~いと云われそう。そういえば、牛屎珈琲だか、冗示屋コーヒーのコマーシャルに似たようなのがありましたかねえ。

dasoku:
口直しに、冬至に良く食べる小豆かぼちゃを作って頂きましたが、その筋によればかぼちゃは夏野菜(果菜)でした。

熟年離婚の考察 改訂版

2009-08-22 00:33:53 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
ここ数年の社会現象として、目立ってきたのが熟年離婚ですが、その理由と、対策についてのラジオ番組を聴いていて、自分なりの意見をまとめようと思いました。生きているということのヒトツの証として、「外界の刺激に反応すること」が大事であると思いますので、とりあえず思いつくことで反応しようと思います。
話がちょっとそれますが、検死の判定のヒトツに、瞳孔の反応チェックがありますが、反応が無くても、脳は生きていて、死の判定後たまたま生還したひとの体験談で、医者が「ご臨終ですね」と言っている声を聞いていて、その記憶がある、という実話があります。ざわっとする話です。
そういうわけで 離婚話につよく反応しなくても、生きていることには変わりないのです。他人の離婚話など無反応でもいいことかもしれませんが、世なおしのためには、放って置けませんので、ちょっと反応してみたわけです。

さて、本題です。最近になって熟年離婚が増えた理由は、①女性の経済的自立が比較的できる社会環境になった。というのが直接的、現実的理由でしょう ついで、②子供を育て上げた後まで、老いたオスメスが一緒にいる意味が希薄になった、という生物学的理由があるでしょう。また③夫婦、男女の個人的相性の問題もあるでしょう。とくに、熟年離婚の場合、長い間の「観察期間」の結果ということもあって、離婚するということは、よほど「互いに救いようがないのだなあ」と納得してしまいます。老後の生活保障があれば、女性の方からの離婚希望が増えるだろうと想像します。なぜなら、女性のほうが、生物的に「根源的であり、自立している」と考えられるからです。

ヨガはむすびの哲学ですが、男女のきづなを強めるお役に立つかどうか、疑問なところがあります。ヨガの意味はむすびではありますが、バランス、とか総合とか調和とか、囚われない、執着しない、束縛されないというような意味もあります。結局は、ものごと裏表で、各人の都合のよいように解釈して、自己責任で判断するのが、もっとも幸せなことなのかも知れません。

優等生的に考えると、相思相愛、お互いが尊敬し合い、お互いが欠点を寛容できるゆとりがあれば、一生一緒にいてくれやと云わなくても、離れることは無いだろうと思えます。ゆとりには経済と精神の二つがありますが、片方が強ければもう一方はカバーされるようです。また、インド哲学に4住期という考え方があって、晩年50歳からは、家族の縛りから開放されてよく、75歳からは、遊行期といって、魂の赴くままに生きてよしとの、ありがたい哲学であります。

世なおし倶楽部では、人間の人生6住期を主張しています。30歳×6期=180歳!



蛇足:熟年になるまでもなくに、好きあって三年くらい経つと、恋人夫婦男女の結びつきのホルモン効果は消滅するそうです。赤ん坊を育てる最低期間の必要性からそうなっているらしいのです。三年過ぎて子育て以外で男女共同生活を続けるには、よほどの腐れ縁か、思いやりか、抽象的、文化的、遊び的、享楽的要素が必要に思います。つまり、人間的にお互いに成熟していないと、一生添い遂げるなんてことはどだい無理な話なのでしょう。
享楽的とはちょっと言いすぎたでしょうかね。今日楽的の方がよかったかも。

因みに、享楽とは「酒池肉林」の楽しみとか。



パーラーガテー

2009-08-21 12:28:02 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
パーラー・ガテー:梵語<完璧・行けば>

三度目の正直
お盆の残像で、般若心経にこだわり、心経のエキス呪文の解説
ガテー ガテー パーラーガテ- パラサンガテー
 訳:行け 行け 究極へ行け 完璧に究極へ行け

究極へ行けとは?
究極とは、場所なのか、心境、境地なのか・・・
境地・・・気分? 
場所とか境地とか、よくよく考えると、
結局、宇宙存在についてのの哲学に行きつく・・・
究極の窮めつけは、なんと云っても
宇宙の果ては?はてなだろう
宇宙・時空の「果て」とは「境界」とは・・・???

そもそも宇宙・時空の正確な意味がわからないので、
哲学して考えるわけですが
定義のしっかりしない言葉を使って考える哲学では、
真の哲学的解答は得られ難い

しかし、あずきアイスなどなめていると、
言葉の持つ限界を超える超感覚が刺激され
思考の限界を超えてしまう

境界 サカイ 仕事キッチリ

人類の祖先が、大脳新皮質を獲得して
「思考」をするようになってしまったとき
なにを考えたのか
その昔に戻ることはできないが
各自の人生を見直すと簡単にタイムスリップして
そのときの境地を味わうことができる

猿からヒトへ切り替わる「サカイ目」は思春期であろう
自分と他人の違いを知るのは、幼児期
自分と自然世界の違いを知るのが思春期

ところで、違いに気づいて「命の不思議 存在の不思議」についての
疑問がつのる。疑問がつのって悶々とする瞬間を味わう。
瞬間で終わって、疑問を疑問と感じなくなる者と
疑問に感じる瞬間が、時々繰り返す者との違いがでてくる・・・

井村屋のあずきアイス一本で満足する者
井村屋の小豆アイスが気になりもう一本と云う者
井村屋のアズキアイスにはまり、三本目を食べてしまう者

心経の教えは、さらに四本目にチャレンジすれば
究極のあずきあいすの真髄に到達するといっているのです

一般的凡人の感覚では、同じことを繰り返していると
鮮度感覚がにぶり、トキメキ、喜びが消えていきます

心経の、ガテーの四度繰り返しの、四度目は
「一度目」つまり初心に戻れということなのでした

究極の境目を窮めると、その後は、
振り出しに戻るというのが、
人類先人たちの到達した智慧の集積の結論なのです

釈迦は色々なたとえ話をつかって説法し
「鮮度回復循環法」の極意「ヨガ」を伝えたのである

dasoku:
四本目の小豆あいすをなめたべたら、
一本目の味わいを再現できるだろうか・・・
dasoku2:
パーラー:客室 店 もてなしの特別な空間 究極
パフェ:パーフェクトの略 究極のデザート
デザート:デセール 追加! (ダメ押し四度目の正直!)

あずきアイス 小豆アイス

2009-08-20 09:03:41 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
小豆でなくて、あずき

アイススティックなら、あずき表示が、軽くて
小豆は重いのだろう

札幌圏セイコーマートのアイスボックスの中を覗いたら
あずきアイスの在庫が増えていた
誰がそんなに買うのかなあと思った

自分を当てにしてもらうと、申し訳ないことになりそうなので
とも思いましたが・・・

あずきアイスは永遠のアイテムなのかも知れません
余計な心配は不要なのでしょう

dasoku:
案の定、最後の一口がスティックから外れて落ちてしまった

里山NHK
クレオパトラ姉妹骨肉のあらそい再放送8/25~26深夜総合0:10
なぜか、みずきアリサは何者?

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今風活動写真