(その4-27)の続き。
(I-6)皆吉家:角の直系サイコパスまんじゅう形成と皆吉正則(マサ)の暴力装置化
(a)概要:下図は皆吉家の変化を示す。皆吉長男一家は皆吉家全体が角に寄生されるきっかけとなる最初の家族。皆吉長男(当時59歳、以下長男)は角の夫の鄭と同じ中学の先輩であることから角と知り合った。角は川村博之、仲島、猪俣家4男などに寄生した時と同様に家族的な付き合いをして懐柔期に金を無理やり貸し、寄生したと考えられる。長男は学校の用務員の仕事を退職させられ退職金のうち約1100万円を取られ、サラ金から約300万円の借金をした。角により離婚させられると直ぐに角のマンションで同居し、真白後期に至り直系サイコパスまんじゅうに取り込まれたと考えられる。角に言われるまま長男は暴力団風の男と母ノリと次男が暮らす家に金を出せと乗り込み、言われるままに次男を角のマンションに連れ帰った。猪俣家などで角が親族を次々集めさせるのと同様である。次男は虐待に合い真白後期に至ったと考えられる。しばらくして長男と次男は疑似サイコパス前期に至り、息子の皆吉正則(マサ)とともに母ノリを角のマンションの監禁小屋で虐殺した。このノリの虐殺を長女(谷本初代)と次女及び孫の瑠衣とまり子が見ていた、あるいは加担した可能性があるがノリ殺害は事件化していず証言がない。
長男は親族などを頼りに繰り返し逃走したがその都度捕まる。03年4月の逃走が成功し、以来ずっと偽名で住み込みの仕事で隠れて生き延び、角が2011年に逮捕された後の2012年8月に捜査員に発見された。約9年4カ月逃げていたことになる。次男は07年に橋本次郎とともに東京へ逃走し、次郎は09年夏に捕まったが、次郎が次男のことを話さなかったために逃げ延び、2010年逃走先の東京でがんのために死亡した。橋本次郎を含め関係者の死亡や行方不明のため次男がどのような状況であったか詳細情報がほとんどないが、逃走前はサイコパスまんじゅうに組み込まれて虐待されるとともにサイコパス化して母ノリを虐待していたと考えられる。
画像出典:筆者が作成
(b)皆吉正則(マサ)の暴力装置化と呪縛解放:下の画像がマサである。角はこれまで暴力団関係者と思われる人を金で繋げて暴力装置とし、犠牲者の自宅など外部の監禁場所に出かけて傍系サイコパスまんじゅうを形成した。皆吉家からはマサを含めた皆吉家の人を自前の暴力装置として取り込むことで暴力団は使わくなり、自宅内部に監禁場所を作り直系サイコパスまんじゅうを形成した。角は傍系と直系の両方で虐待の逆転欲求満足の陶酔を味わう。重層サイコパスまんじゅうの形成である。サイコパスまんじゅうの重要な形態。構造全体は後の項「(I-7)谷本家」で分析している。マサは直系サイコパスまんじゅうの暴力装置として、疑似サイコパス前期の段階で皆吉ノリ、谷本隆、橋本久芳の3名、疑似サイコパス後期に至ってから橋本次郎、谷本初代、谷本まり子、安藤みつゑ、大江和子の5名、計8名の虐殺と死体遺棄に積極的に係わった。名前の下線の3名は事件化していない。
マサは逮捕後1年程度で呪縛解放し始め、「服役中にマインドコントロールに関する本を熱心に読み、『これ俺のことやん』と周囲に語った」(朝日12/11/9夕刊)。逮捕後約4年の2015年公判で「角田家は誰も信じられない異常な世界だった」「一連の事件で、私の果たした役割は大きいと思う」「取り返しのつかない、申し訳ないことをした。反省と謝罪と供養をさせていただくしかない」と涙を見せ、呪縛解放に至っている。1審判決は無期懲役、控訴中、2審2017/3/17判決予定。
マサの例は疑似サイコパス後期に至っても、自分がおかしいと気が付き、原因が分かれば呪縛解放(偏桃体機能回復)が進むことを示す貴重な例になる。呪縛解放については本シリーズ(その4-5)「(d)(ⅰ)サイコパス化過程の4段階の表の注*3健常者の呪縛解放時の3つのタイプ、『忘却』『苦悩』『正当化』」参照。
マサは弁護士の「腕力では負けない女性角になぜ取り込まれたのか?」に「角には逆らえない、底知れない恐ろしさがありました」と答えた。これについては本シリーズ(その4-9)「(F)(a)元警察官主也がなぜ小柄な松永に屈し、家族を殺し、自らが殺されることになったのか(b)主也の対応の誤りまとめとサイコパス対策」及び本シリーズ(4-27)「(e)男6人以上が居ながら、なぜ女性角に逆らえなかったのか」参照。
画像出典:NAVERまとめ尼崎事件犯人の李正則を「角田正則」と報道したNHKと朝日新聞の名前に関するポリシー…https://matome.naver.jp/odai/2135078848247223301/2135234507721017203(閲覧2016/12/18)
(c)皆吉正則(マサ)の呼称と人柄:皆吉正則(マサ)は両親が角に離婚させられて母の旧姓の李になるが、両親離婚前の当時は父方の皆吉姓である。マスコミでは両親離婚後の李正則や04年に角の叔父と養子縁組をさせられて角田(すみだ)姓になったので角田正則とするものが多い。NHKは角田正則と報道していた。「まとめサイト」では李正則としている。現在、戸籍上は、養子縁組を解消していなければ角田正則になる。まんじゅうサイコパス角は人間関係をぐちゃぐちゃにするので混乱するが、本シリーズでは角が人間関係をぐちゃぐちゃにして戸籍を変える以前の本来の名前を使う。また、文字数を極力減らすために略称を原則使うことにしている。皆吉正則は通称呼ばれていたマサとする。
マサは少年時代から野球に熱中し、中学、高校と野球に打ち込んだ。家は貧しく高校はアルバイトで生活費を稼ぎ寮生活を送った。高校では甲子園を目指し3年ではクリーンアップを任され、主将を務めた(読売12/10/25夕刊)。マサの野球の試合には谷本明・初代夫妻と娘のまり子、瑠衣が駆けつけ声援を送った。マサ、まり子、瑠衣は仲良しの3人(朝日12/10/23朝刊)。角はマサと谷本家の関係を利用して谷本家に寄生した。角は、マサと谷本家の仲良しの関係をマサにぐちゃぐちゃに破壊させた。当時を知る関係者は「マサは人懐っこく、素直な性格だった」、高校を卒業すると「どうしてこんなに変わってしまったのか、信じられない」と口をそろえた(神戸12/11/10朝刊)。マサは離婚後、妻や子供に会っていないが、危害が及ぶことを回避するために距離を置いたのではないかと筆者は推察する。仲島が沖縄の両親などに危害が及ぶのを避けるため角の言いなりに尼崎へ行ったのと類似。また、谷本隆が離婚を申し出て、距離を置き、自分は殺されたが、妻子を巻き込まずに守り切ったのと類似。
(ⅰ)臨床心理士の誤診:マサが角の言いなりになったことについて1審前に診断した臨床心理士は「成育環境によって他者に依存的な傾向がある」「主体性がなく、他者に依存的」と分析。「原因として義理の父からの暴力など幼少期の家庭環境」を挙げた(2016/12/2 21:52神戸新聞NEXT)。【川村家、猪俣家などで見た通りサイコパスまんじゅうに取り込まれればほとんどの健常者がサイコパス化する。幼少期の家庭環境とサイコパス化の相関性は大きくない。この臨床心理士がサイコパスに関する知識が不足しているための誤診と言える。犯罪心理学分野で特にまんじゅうサイコパスの研究が進んでいない。幼少期に受けた暴力の影響は次の項参照。
(ⅱ)幼少期の暴力の影響とドーパミン分解酵素=モノアミン酸化酵素A(MAOA)の関係:MAOA活性の人は、興奮してドーパミンが脳で放出されてもすぐに分解されて興奮が収まるが、低活性の人はいつまでもドーパミンが残り興奮の痕跡が残る。「MAOA活性が正常の人は、たとえ虐待を受けて育ったとしてもその後暴力犯罪を起し易いということはない」(M.ストーン)。MAOA低活性の人は幼少期に暴力の虐待を受けると自ら暴力的になる人がいる。M.ストーンの調査情報では「MAOA低活性で幼少期に暴力を受けた人は12.5%であったが、暴力犯罪の約50%を占めた」(情報元:M.ストーン『何が彼を殺人者にしたのか、ある精神鑑定医の凶悪犯罪調書から』pp275-278)。本シリーズ(その3)「1.15(6)サイコパスの遺伝要素と環境要素(例:幼児・少年期の虐待の影響)」も参照。【マサが狂暴になったのはMAOA低活性のためではなく、まんじゅうサイコパス角によりサイコパス化されたためと考えるのが妥当】
(d)虐殺された皆吉ノリの人柄と警察の対応
(ⅰ)皆吉ノリの人柄:下の画像は皆吉ノリ。知人女性の話「たたずまいが上品で、凛としていた」(読売12/12/1朝刊)。近所の人の話「男2人女2人の子供に恵まれ、子供たちをよく公園で遊ばせていた。絵に描いたような幸せな家庭。成長後も孫(まり子、瑠衣)を銭湯に連れていた」(毎日12/10/19夕刊)。「育てた花を近所に分けたり、琴や踊りを習ったりする活発で明るい人」。「長女初代が嫁いだ高松の家には花の苗を送り、孫(まり子、瑠衣)にピンクのランドセルを送った(朝日12/12/2朝刊)。「毎夏、高松から長女初代と一緒に孫のまり子と瑠衣が帰省するのを楽しみにし、よく自宅前で遊ぶ姿が見られた。97年(72歳)頃に長寿祝いとして長女初代の嫁ぎ先の谷本一家と故郷の奄美諸島へ旅行していた」(読売12/12/1朝刊)。ノリの妹の話「いつもにこにこして、真っ白なかっぽう着姿で料理をふるまってくれた」(神戸12/12/24朝刊)。【サイコパスに寄生されれば上品で凛とした皆吉ノリが「子供たちや孫に虐殺される」という、健常者には全く想像もできないことが起きる】
画像出典:尼崎連続変死事件 まとめサイトSeesaa-wiki 皆吉ノリhttp://seesaawiki.jp/amagasaki_jiken/d/%B3%A7%B5%C8%A5%CE%A5%EA (閲覧2017/1/5)
(ⅱ)皆吉ノリ虐殺の状況:まり子や橋本次郎が虐殺されたと同じ監禁小屋で、ガリガリに痩せ、肋骨が3本折れ1本は肺に刺さって虐殺された。角は直接手を出さずに長男、次男、マサ(孫)に虐殺させた。長女初代と次女、孫の瑠衣とまり子も虐待現場にいた可能性が高く、虐殺を見ていたか加担した可能性があるが事件化されていず証言はない。子供や孫に虐待を見せる、あるいは虐殺させるところにまんじゅうサイコパス角の逆転愛情欲求の心を破壊する特徴がよく出ている。死体を遺棄(高松谷本家の農機具小屋床に埋め)させた。マサは埋める前に身元がわからないよう歯を全部抜き、顔面をめちゃくちゃにするよう角から指示されていたができず。司法解剖の結果「暴行を受けたような打撲痕があり、直接の死因は肺に肋骨が刺さり呼吸ができなくなったための可能性が大きい」(神戸12/12/24朝刊)。ノリの虐殺は高松の谷本家2回の監禁の間に尼崎に戻ってきた約1.5ヵ月の間に行われた。谷本家の関係は次項「(I-7)谷本家」参照。
用語:虐殺と衰弱死:多くのマスコミが皆吉ノリの死などをガリガリに痩せていることから「衰弱死」としているが、実態と合わないので本シリーズでは「虐殺」としている。「虐殺:むごたらしい方法で殺すことgoo国語辞書」。「衰弱死:からだなどが衰え弱り死に至ること。衰弱死は必ずといっていいほど病気と併合して起こるWeblio辞書」。
(ⅲ)警察は事件化せず腰が引けた対応:皆吉ノリの死は傷害罪などの公訴時効7年または10年を適用されたと思われ書類送検されたが公訴時効として事件化されず裁判での解明がない。書類送検された容疑者は皆吉長男、次女、孫が含まれており、子供たちにノリが殺されたことを警察も掴んでいたと考えられる。「まとめサイト」では「傷害致死容疑で書類送検されていたが時効成立で不起訴」となっている。筆者は、「傷害致死罪」の公訴時効20年を適用すれば事件化できたはずで、時効の判断に疑問が残る。ウィキペディア「公訴時効」参照。サイコパス犯罪に対する警察当局の腰が引けた対応はこの件だけではない。当局担当者は、子供たちがサイコパス化し母親を虐殺することが理解できず、腰が引けるのではないかと推察する。警察の問題点は後の項でまとめている。『母を殺す子供たちもサイコパスの犠牲者である』ということを理解できないとこの事件は解明できない。【中国大陸や東南アジアで他民族を殺す旧日本兵が軍や政治の中枢に入り込んだサイコパスの犠牲者であることと共通している】
(e)皆吉家年表:皆吉家の変化を下記年表で見る。、色の欄は猪俣家と橋本家の消滅末期を示し、角の興味が新たなターゲットとして皆吉家へ移る様子が分かるために記述したもの。また、02/3~8月に優の中学卒業に関し角が中学にいちゃもんをつけ8月には校長辞職に追い込んだ件は皆吉家と間接的に影響があり角の行動様式を知る貴重な情報なので、色で記している。中学へいちゃもんを付ける時期は角が皆吉家へ寄生し、金品奪取と人間関係をめちゃくちゃにしてサイコサイクルの満足期を越え、残虐性が影を潜めた停滞期を経て、次のターゲット物色期に入った時期に始まった。校長は辞職に追い込まれたが寄生対象に取り込まれることはなかった。この時期にマサが寄生され、角の興味は校長からマサへ移っていく。校長の辞職届は教育庁が受理せず、実際は辞職に至らなかった。マサは少年期の谷本家との関係が重要なので、下記表で生い立ちを含めている。内容詳細は表の注で説明している。
西暦など |
内容 |
1974 |
マサ生まれる。 |
小・中時代 |
マサは小学生時代から夏休みは谷本家で過ごした。まり子や瑠衣と親しくし、仲良しの3人*1 |
マサ高1 |
野球名門高校の寮で暮らす。マサの野球の試合に谷本夫妻と娘のまり子、瑠衣が駆けつけ声援*2 |
マサ高2転校 |
91/5月愛知県の高校へ転校。アルバイトで生活費を稼ぐ寮生活。野球に打ち込む*3 |
93マサ高校卒業 |
マサは兵庫に戻り鉄鋼工場や防水工・瓦職人の仕事をしていた*4 |
00/2月頃 |
集団窃盗で角逮捕。執行猶予刑。【猪俣家が消滅し角の興味が次のターゲット皆吉家と橋本兄弟へ】 |
00/5月頃 |
皆吉長男(マサの父)が角と会う。次第に家族ぐるみの付き合いへ角の皆吉家寄生が始まる*5 |
00夏 |
97年に熊本へ逃げた久芳と次郎が角に捕まる。角は久芳名義でマンション購入【直系監禁場所に】 |
00夏頃? |
皆吉長男夫妻がマサ名義の借金。暴力団風取立人がマサの勤め先に、マサやむなく会社を辞める*6 |
00末頃? |
マサは暴力団に所属。背中に竜の入れ墨を入れる。暴力団の事務所番や運転手を務めた*7 |
01 始め頃? |
マサは中学時代の先輩女性と結婚。これをきっかけに暴力団から足を洗う。子供2人、幸せな時期*8 |
01終り頃? |
橋本次郎逃走。橋本久芳逃走失敗。【橋本家は久芳だけになり角の興味が皆吉家へ集中】 |
01/11月頃 |
皆吉長男退職金1100万円取られ、サラ金で借金300万円。この時期に離婚し、角マンション同居*9 |
02始め頃? |
皆吉ノリ宅に金を取立てに長男らが来た。長男は角の言いなりに暴れ、次男が角のマンションへ*10 |
02/3~8月 |
優の中学卒業に角がいちゃもん。校長を追求、8月に校長辞職で決着。 |
02/4月頃 |
皆吉長男が角にマサの暴力団時代を話す。角がマサと会わせるよう要求し、マサの自宅に来る*11 |
02/5月頃? |
マサはサイコ3手法で屈服、角と同居へ*12 |
02/5月頃? |
マサはスタンガンなどの虐待を受ける*13。マサ離婚。角と会って約2カ月で真白後期。 |
03/2月頃 |
皆吉ノリ宅に角とマサらが来てノリを連れ去る*14。ノリは角のマンションに監禁小。マサ疑似前期 |
03/2月頃 |
神戸灘区の衣服販売親族へ養女に行っていた皆吉次女が角のマンションへ呼び出される*15 |
03/2月頃 |
香川県高松の谷本家へ嫁いでいた皆吉長女(谷本初代)が角のマンションへ呼び出される*16 |
― |
皆吉家5人がサイコパス化して谷本家に乗込むことになる。次の項「1-7谷本家」の年表へ続く。 |
注*1:情報元:朝日12/10/23朝刊:情報元の誤報を訂正:「皆吉家で過ごした」→「谷本家で過ごした」。谷本初代が離婚させられて旧姓の皆吉初代になったことから、「皆吉家」と「谷本家」の名前にマスコミの混乱がある。娘瑠衣が母初代に関わることを父谷本明の谷本家と言わずに皆吉家と話していることも混乱のもとになっている。本シリーズでは角により強制離婚などで戸籍をぐちゃぐちゃにされる前を原則使う。皆吉家は尼崎、谷本明など谷本家は高松である。マサは少年時代の夏休みに高松の谷本家で過ごした。高松には皆吉家はない。
*2:情報元:朝日12/10/23朝刊:甲子園を目指す球児マサを谷本家に招いてご飯をふるまい泊めることもあった。2年に進級する前に補導され愛知県へ転校。情報元誤報を訂正:皆吉夫妻→谷本明・初代夫妻。
*3:3年ではクリーンアップを任され、主将を務めた。3年夏に「監督を甲子園へ連れて行くぞ」とチームを盛り上げた(読売12/10/25夕刊)。高校時代の教師は「努力は人一倍で、素行に問題はなかった。今回のことは信じられない」と話す(毎日12/10/22夕刊)。「人懐っこく、素直な性格だった」「どうしてこんなに変わってしまったのか、信じられない」と当時を知る関係者は口をそろえ、卒業後の変貌ぶりに驚きを隠さない(神戸12/11/10朝刊読売12/10/25夕刊。sannkei.com/west/news/151106)
*4:情報元:神戸12/11/10朝刊。
*5:前後関係から筆者が00/5月頃と推定。以下参照。
(e-1)皆吉長男証言の角と会った時期の混乱:年金を角に取られたことの公判での皆吉長男の証言は、時期の前後関係に矛盾が大きく、本シリーズでは下記表右蘭の通りに推定した。皆吉長男は弁護人の「年金申請書類に氏名などを自分で記載した状況は?」に「記載したことも覚えていない」と答えた。真白後期後の呪縛解放忘却の状態。別件であるが枝が公判で尋問されたときに「申し訳ありません。思い出そうとしても、どうやっても思い出せないんです」と答えたが、皆吉長男も同様の状態と筆者は考える。「約11年前頃だったかもしれない」程度のあいまいな証言だったと推測している。公判では時期そのものには特別な重要性がなかったために適当に処理された。サイコパス研究ではサイコサイクルやまんじゅうサイクルの分析など、時期は重要になる。皆吉長男の証言は、朝日2013/1/17朝刊(神戸地域紙面)、神戸2013/1/17朝刊による。
|
皆吉長男証言(2013/1/16公判) |
本シリーズでの推定 |
角と初めて会った時期 |
約11年前(02/1月頃になる) |
約12年半前の00/5月頃 |
退職し退職金を取られた時期 |
翌年の11月頃(03/11月になる) |
翌年の01/11月頃 |
(ⅰ)証言の約11年前(02/1月頃)に角に会ったとすると生ずる矛盾:この時期には皆吉長男は母ノリ宅へ金を取り立てに乗り込み、暴れている。疑似サイコパス前期の状態。角と会って既に相当の期間がたっていなければならない。00年夏には皆吉長男夫妻それぞれが息子のマサ名義の借金をするが、その前に角に寄生されたとすると整合する。本シリーズでは00年5月には角と会っていたとした。
(ⅱ)退職し退職金を取られた時期を証言の11月頃(03/11月) とすると生ずる矛盾:03/2月には皆吉長男らは谷本家に乗り込んで金銭を要求し暴れており、皆吉長男の財産が既にとられた後と考えられる。もし1年ずらして02/11月に退職金を取られたとしても、02年始めにはノリ宅へ金の取り立てに乗り込んでおり、まだ矛盾する。そこで2年ずらし01/11月とすると皆吉長男の財産がすべて取られた後に他者の財産へ狙いが移るので、矛盾がないので、本シリーズで採用した。
(ⅲ)初めて会った時の様子:真白化以前のことは覚えている:皆吉長男証言「飲食店で中学の後輩、鄭と一緒にいた角から家に招かれた」(神戸2013/1/17朝刊)。この誘いで家に行ったのが、皆吉家が寄生されるすべての始まり。皆吉長男は会った時期はあいまいでも、会った瞬間の記憶は残っている。記憶があいまいになるのはそのあとすぐの偏桃体機能に変調を生じてからである。角は集団窃盗事件で逮捕されるとともに猪俣家が消滅する満足期を経て、残虐性が影をひそめる停滞期を3カ月程度経過した後の、5月頃に皆吉長男と会ったと本シリーズでは推定した。
(ⅳ)皆吉長男が角と会った時期のマスコミ混乱:以下のように皆吉長男の証言のままとしたため前後関係の矛盾を含む。本シリーズでは採用していない。
読売2012/10/15夕刊,産経2012/12/1夕刊:01(平成13)年頃角と知り合った。
読売2012/10/15夕刊,神戸2012/10/16朝刊:02年皆吉長男が退職
(ⅴ)皆吉長男の逃走時期と期間と逃走理由のマスコミ誤報:神戸2012/10/16朝刊と産経2012/12/1夕刊が同じ誤報。皆吉長男が「2007年に逃走した」としているが、これは皆吉次男が橋本次郎と逃走したことの誤報。皆吉長男は03/4月初旬に既に逃走している。また皆吉長男が発見されたときに、逃走時期が誤っているために「5年間」逃走していたと誤報をしている。実際は「9年4カ月間」になる。逃走理由も神戸新聞は「集団生活に嫌気がさして」としている。実態は「嫌気」と言う生易しい理由でない、命がけの深刻な逃走である。
(ⅵ)皆吉長男の角との同居時期のマスコミ誤報:神戸2012/10/16朝刊の瑠衣は「皆吉長男と時期(2002)を同じくして角のマンションで同居を始めた」は時期も「同時期」も誤報。皆吉長男が角と同居し始めたのは01/11月頃で、瑠衣と角はまだ会ってもいない。瑠衣が角と同居し始めたのは03/4月で1年以上ずれている。
*6:情報元:sannkei.com/west/news/151106:【皆吉長男夫妻は川村家夫妻の初期と同様に角と家族ぐるみの付き合いで懐柔と豹変を繰り返され、サイコ3手法の虐待を受け、角と会ってから数か月後の00年夏までには真白後期になった。そのため皆吉長男夫妻は角の金要求に逆らえず言われるまま夫婦それぞれが息子のマサ名義の借金をした】マサを小中学生当時から知る男性(39)は、そのころからマサの様子が変わった「礼儀正しく素直だったが、悪そうな仲間と街をうろつくようになった」と話した(読売12/10/25夕刊)。当時の角との関係の情報はなく角と無関係に長男夫妻がマサ名義の借金をしたとも考えられなくはないが、前後関係や長男の行動から考えにくい。
*7以後(その4-29)へ続く。