横浜映画サークル

サークルメンバーの交流ブログです。

メンバーの鑑賞感想や映画情報など気軽に記述しています。

横浜市旭区ボランティア自主上映会「あさひ名画座」の次回作

2017-01-31 10:43:50 | メンバーの投稿

「あさひ名画座」の次回作は石坂洋次郎原作の青春ドラマ『若い人』(1962)に決定。

上映作品を選ぶのにずいぶん迷っていたそうです。

日時:2017、7月2日(日) 時間は近づいたら確認してください。

場所:二俣川駅ビル内、横浜市旭区民文化センター「サンハート」

前回上映1月29日の『グランドホテル』は事前にチケット完売で当日の席はない状態でしたので注意してね。以上

 

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メンバーが選ぶ2016年後半に観た映画で良かった、又は印象的な作品(その2/2)

2017-01-11 16:26:06 | メンバーが選ぶ良かった、又は印象的な映画

「メンバーが選ぶ2016年後半に観た映画で良かった、又は印象的な作品(その1/2)」の続きです。

Aさん

 今回は三本です。

怒り(2016日本、李相日監督)

名作『悪人』に次いで、吉田修一原作、李相日監督という注目作。ちなみに原作の小説は「悪人」の方が私は好きだったが、映画に関しては『怒り』の方が良いと思った。話が重層的で複雑な分、映像化は難しいだろうと思っていたが、実にうまくまとめている。又、原作ではわかりにくかった怒りの正体を映画ではわかりやすく描いている脚本の力、そして役者の力だろう。

整形をして逃げている殺人犯に似た人物が、千葉、東京、沖縄の三か所に現れる。その三人を松山ケンイチ、綾野剛、森山未來が演じる。果たして真犯人は誰か。いずれも怪しいし、ちょっと怖い。だがそれぞれのストーリーはとても切ない。三人にからむ俳優陣も渡辺謙、宮崎あおい、広瀬すずなど豪華で、この競演を見るだけでも楽しい。私は、綾野剛を愛し揺れる男性を演じた妻夫木聡に、演技者として突き抜けた魅力を感じた。

犯罪を下敷きにして同時進行する三つのストーリーで、愛すること、信じることを描きながら現代風俗や社会性も余すところなく追求するという、実に贅沢な内容。久々に重厚な、日本映画らしい日本映画を観た気がする。

(下の画像は三か所の人と警察の関係図。(その1/2)のNさんの画像「映画「怒り」人物相関図」も参考にしてください)

画像出典いずれも:(C)「怒り」制作委員会http://www.ikari-movie.com/diagram.html (閲覧2017/1/9)

 

空気人形』(2009日本 是枝裕和監督 DVD鑑賞)

冴えない男(板尾創路)がダッチワイフのような空気人形を買い、一人暮らしの部屋で恋人のように可愛がる。その人形は男が出勤した後、人間に姿を変えて一人で街を歩き回り自由を知り、男性が帰宅するころまた空気人形に戻る。そのうちにビデオ屋の男性(ARATA)と知り合い恋をして、壮絶なラストに向かうことになる。

心を持つことは苦しいことでした」をテーマにしたシュールな大人のファンタジー。ドキュメンタリーっぽい作品が多い是枝監督の異色作だ。原作は業田義家の「ゴーダ哲学堂 空気人形」。映画はさすがに是枝監督らしい静かなカメラの長廻しが多い。特に韓国の人気女優ペ・ドゥナ演じる空気人形が人間の姿に変身するシーンが美しく、何度も見入ってしまった。酸素吸入が必要な詩人の老人なども暗喩的に登場し、不思議な味わいのある作品だ。

(下の画像左は空気人形。画像右は動き出し、心を持ち始めた空気人形に扮するペ・ドゥナ)

 画像出典左右:空気人形 - Air Dollhttps://japaneseclass.jp/trends/about/ (閲覧2017/1/9)

 

聖の青春(2016日本 森義隆監督)

かつて村山聖(さとし)という棋士がいた。幼い頃からネフローゼという難病と闘い、病気のためにむくみ太った体とまん丸の顔に棋士らしい鋭い眼光がトレードマークだった。時には高熱を押して病院から試合に臨み、「西の村山、東の羽生」と言われるまでになったが、名人一歩手前で、29歳でこの世を去った

この映画は大崎善生の優れたノンフィクション小説「聖の青春」を基にしている。大崎はもと将棋雑誌の編集長で、他にもプロ棋士になれなかった青年たちを描いた「将棋の子」も書いているがこれも絶品。これら二作の後は映画化もされた『アジアンタムブルー』などの恋愛小説を主に書いている。

映画『聖の青春』は原作の一部を映画化している。主に棋士になってから亡くなるまでだ。将棋に入れ込むまでになった子供時代をもっと描いてほしかったが、時間的な制約もあり仕方のないところだろう。そのかわり、羽生善治との勝負師同士の濃密な関係性と、息の詰まるような戦いを軸に描いている。村山を演じた松山ケンイチは役づくりのために20キロ近く増量したらしい。その役者魂も凄いが、東出昌大演じる羽生もなかなか味があった。壮絶に静謐に、命の限界まで闘った村山の生き様が胸を打つ。原作の大ファンとして、これを映画化してくれたことに感謝し高評価としたい。

(下の画像上段左は羽生善治(東出)と村山聖(松山)の対局場面。上段右は実際の村山聖、腎臓の難病のためむくんでいる。下段左は役作りで20キロ近く太った松山ケンイチ。下段右の左は実際の羽生善治その右は羽生役の東出昌大)

 

 

 画像出典上段左:CinemaCafe.net 松山ケンイチ×東出昌大『聖の青春』に羽生善治ら将棋界&エンタメ界から絶賛続々!http://www.cinemacafe.net/article/img/2016/11/03/44639/248661.html (閲覧2017/1/10)。画像出典上段右:天才棋士・村山聖の生き様を描いた『聖の青春』松山ケンイチ主演で映画化決定http://timewarp.jp/movie/2016/02/03/78178/ (閲覧2017/1/10)。画像出典下段左:話題の画像http://twicolle.com/P262203/ (閲覧2017/1/10)。画像出典下段右:http://timewarp.jp/movie/2016/06/17/82418/ (閲覧2017/1/10)

 

S.Tさん

ベストは『北のカナリアたち』(2012日本、坂本順治監督)です。

殺人事件を柱にした北海道の島の小学生6人と先生の20年に渡る人生の話。6人の1人鈴木信人(森山未来)が東京に就職して殺人を犯して逃げていた。刑事が島まで追ってくる。信人は吃音症(言葉が詰まるなどの発語障害)があったが、小学校時代は、声がきれいで、歌う時に吃音症が出ないので、先生は6人に合唱の時間を設けてみんなで歌う楽しい時間を作った。札幌での合唱大会で入賞するなど合唱は6人の支えになる。これが題名の『北のカナリアたち』。殺人事件の追求とともに先生を含めてそれぞれの過酷な人生が浮かび上がってくる。どんなに過酷でも20年前に合唱をしていた時のことを忘れることがない後味がいい作品でした。ウィキペディアでは「第36回日本アカデミー賞最多タイとなる12部門で優秀賞を受賞、うち3部門で最優秀賞」とのことです。

(下の画像左は舞台の小学校、向こうに見えるのは利尻島の利尻富士。画像右は礼文島の花々の中を歌いながら歩く6人と先生吉永小百合。吉永は海でおぼれている子供を助ける場面で得意の水泳を披露している)

画像出典左:礼文町北のカナリアパーク 2016http://www.town.rebun.hokkaido.jp/hotnews/detail/00000469.html (2017/1/7閲覧)。画像出典右:宗谷総合振興局地域政策課 キャプテンKOHOhttp://plaza.rakuten.co.jp/machi01hokkaido/diary/201211070005/ (2017/1/7閲覧)

 

次に『ロスト・バケーション』(2016米国、原題Shallows:「浅瀬」の意味)

スピルバーグの『ジョーズ』(1975)に近いスリルを楽しめるサメもの。『ジョーズ』より現実味があるように思います。ストーリ:サーフィン好きの医学生ナンシーは人がほとんどいない穴場の入り江を母から聞いて、たぶんそこだと思う人気のない入り江をようやく見つける。サメはいないと聞いていたので安心して泳ぐが岸からそれほど遠くない場所で、サメが現れる。慌てて近くの小さな岩場に上がって様子を見る。岩に上がる前にサメに嚙まれた傷から血が流れたせいか、サメが離れない。傷は医学生の知識を使って応急手当てをする。やっと岸を通った地元のサーファーを見つけて助けを求め、サーフボードで来るが、そのサーファーがサメにやられてしまう。満ち潮になり岩場がだんだん水没していくがサメが離れず岸へ戻れない。緊張したまま静かに時間が過ぎていく。さあどうなるか。

(下の画像左は岩場のナンシーとサメ。画像右は助けに来たサーファーがサメに襲われる場面)

 

画像出典左:CinemaCafe-netブレイク・ライヴリー、ほぼスタントなし!全身アザ&流血で撮影「ロスト・バケーションhttp://www.cinemacafe.net/article/img/2016/07/21/42103/232955.html (2017/1/7閲覧)画像出典右:Requin-blanc http://requin-blanc.fr/blog/instinct-de-survie-bande-annonce-vf-attaque-de-requin-2016/ (2017/1/7閲覧)

 

次は種まく旅人、くにうみの里(2015日本)良い映画でなく:印象的映画として。

淡路島の地方再生を狙った現実離れした映画になっているので印象的でした。淡路島の海の海苔づくりの弟玉ねぎづくりの兄の確執を描き、最後はそれぞれの仕事に生きがいを見つけるというもの。これだけを見れば感動的な映画になるのですが現実の一次産業はこの二人のようにはいかない。収入が少なくて生活が成り立たない現実は深刻。先日コメの有機農家が技術士会の講演で換算すれば時給200円程度がやっとで、どんなに一生懸命働いても最低賃金約900円(全国平均823円、東京1000円以上:情報元NHK週刊ニュース深読み1/14日)の1/4以下。これがほとんどの農家の現実でこれでは後継者ができるわけがないと話していた。講演者は、トヨタなどの高度輸出産業が作った為替の土俵(円とドルなどの交換レート)」で1次産業が海外と戦わなければならないという不条理のために貧困が生じている。生産性を少し改善したところで焼け石に水状態。新商品の高所得者向け高額品を作ってうまくいく農家はわずかな割合。トヨタなどの高度輸出産業の儲けの一部を一次産業へ回すメカニズムを作る必要があると話していた。『種まく旅人、くにうみの里』の兄が作る玉ねぎも、私が係わった大手商社食品部門の人は、中国やタイやベトナムなどで作って日本に持ってくることで国内価格の1/3以下にできると話していた。商社が現地で指導するので品質も日本とほとんど変わらない。大手商社の話は10年ほど前ですが今も基本は変わらないと思います。物流冷凍技術発展で海外農産物の国内流入を可能にした。「為替の土俵」による国内産業破壊の現実を表現しないで働くすばらしさだけを表現すると働く人が現実離れした理想を持ち苦しむだけになるのではないかと思う。『種まく旅人、くにうみの里』にはその危うさがある。「為替の土俵に切り込んだ第1次産業の働く人を描く国際的なレベルの映画をどなたか制作挑戦していただけないかなと思いました。

(下の画像左は淡路島で玉ねぎの収穫作業をする主題を歌った「にこいち」の二人。映画にはこの場面はありません。画像右は農業用水などの溜池の水を排水し、底の泥を洗い流す「かいぼり」という作業をみんなで行う場面。「かいぼり」により海へ栄養が流れて海苔の発育が促進される重要な作業。映画ではこの「かいぼり」を兄弟が一緒にすることで絆が回復する重要な場面になる)

画像出典左:産経WEST「あわじで農業経験、楽曲に説得力」 淡路島舞台の映画主題歌を歌うデュオ「にこいち」http://www.sankei.com/west/news/150610/wst1506100055-n1.html (2017/1/7閲覧)画像出典右:Risvel種まく旅人 人生の恵みについての物語https://www.risvel.com/column/287 (2017/1/7閲覧)

 

F.Iさん

アルジャーノンに花束を』(1968米国、原題:"Charly"邦題『まごころを君に』)(リメイクで2000カナダ"Flowers for Algernon"、2006仏"Des Fleurs Pour Algernon"やテレビ版などが作られています)

ストーリー:知的障害の青年チャーリイはいつも子供たちと公園で遊んでいたがある日女教師アリスのすすめで知能を高める脳手術を受け成功する。知能指数の高い学者となり自分の病状を研究するうちに、手術は知能だけで社会性は損なわれることや、知能はピークに達した後急速に失われるという限界を知り、悲嘆にくれる。知能の低下が始まった彼はアリスの熱心なプロポーズにもかかわらず自ら知的障害の世界、収容施設に戻る

ダニエル・キイスのSF小説を映画化したラルフネルソンの代表作。この映画で、アカデミー主演男優賞を受賞したクリフ・ロバートソンが素晴らしいのは言うまでもないが、その内容、映画の構成もこれ以上ないくらい完成度が高い。私の個人的な趣味もあるが、精神的世界の深さをじっくりと味あわせてくれる映画

(下の画像はチャーリイより先に知能を高める脳手術をした天才と言われたマウス“アルジャーノン”中央とチャーリイ(クリフ・ロバートソン)。天才マウス“アルジャーノン”は知能のピークを越えると行動が鈍くなり眠り込む。リメイク版ではチャーリイは亡くなった“アルジャーノン”を大学の裏庭に埋葬し、知人の大学教授の手紙の追伸に『どうかついでがあったら、裏庭のアルジャーノンのお墓に花束を供えてやってください』と。)

画像出典:まごころを君に(1968)/アルジャーノンに花束をhttp://blogs.yahoo.co.jp/lechatnoir1896/13181234.html (閲覧2017/1/15)

 

H.Eさん

あん』(2015日本 河瀬直美監督)

  樹木希林を主演に元ハンセン病患者の老女が尊厳を失わずに生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマ

  おいしい粒あんを作る謎多き女性(樹木希林)とどら焼き店の店主(永瀬正敏)や店を訪れる中学生(内田伽羅)の人間関係を描く。

ずっと見たかった映画。ラストシーンが心に残りました。2016年後半ちゃんと見たのはこの1本だけですが、決まりです。

(下の画像左はどら焼きの皮にあんを挟み込む千太郎(永瀬正敏)。このあんをそれまで購入品を使っていたが、徳江(樹木希林)がもっとおいしいのができると自家製を提案する。画像右はどら焼きをよく食べにくる中学生3人組と徳江。右端にワカナ(内田伽羅)がいる。「メンバーが選ぶ2015年前半に観た映画で良かった、又は印象的な作品(その2)」でS.Tさんも取り上げているので、よろしければそちらもご覧ください)

 

画像出典左:たくさんの涙を超えて、生きていく意味を問いかける。映画『あん』http://www.haconiwa-mag.com/magazine/2015/05/an_201505/ (閲覧2017/1/18)画像出典右:映画「あん」(2015)樹木希林の名演光る。 http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/63789639.html (閲覧2017/1/18)

 

Mさん

僕だけがいない街:連続アニメ版』(2016日本、フジテレビ12話で完結)

過去の子供の頃、冬のシーン非常にいい雰囲気。仲間になる子供たちのさりげなく、目立たなく描いていました。タイムスリップものとしては「君の名は」がありますがこの作品は日常的なサスペンスがうまく描かれていました。深夜の放映でしたが面白く拝見させて頂きました。

(下の画像左は29歳の主人公悟。悟は何か都合の悪いことが起きるとその事件の前の時間に自動的にタイムスリップされてしまう。事件が起きないように自分を犠牲にして解決しないと現代に戻れない。連続誘拐殺人事件と悟の母が殺される事件が起きる。画像右は18年前の子供時代にタイムスリップされた仲間たちと中央にいる悟。事件が起きないように悟は奮闘するが事件は複雑)

 

画像出典左:びーきゅうらいふ!http://b9life.hatenablog.com/entry/2016/01/08/042300 (閲覧2017/1/19)。画像出典右:MAG速http://magsoku.blomaga.jp/articles/57164.html  (閲覧2017/1/19)

 

僕だけがいない街:実写映画版』(2016日本)

子供の頃の子役達の演技が上手。特に名子役の鈴木さんが暗く抑えた雰囲気が絶品。誰も信じられなくなった主人公を支える有村さんの演技がストリー的にも頼りなっていました。主人公の藤原さんこのような役柄が多く、そつなくこなしていましたが他の人にして欲しかった。

(下の画像左は現在の悟(藤原竜也)と愛梨(有村架純)。画像右は少年時代の悟(中川翼)と加代(鈴木梨央)。終盤はアニメと異なる展開です)

 

画像出典左:Cinema A La Carte http://www.cinemawith-alc.com/2016/03/10-15.html (閲覧2017/1/19)。画像出典左:ciatrシアターhttp://ciatr.jp/topics/93073 (閲覧2017/1/19)

以上です。

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メンバーが選ぶ2016年後半に観た映画で良かった、又は印象的な作品(その1/2)

2017-01-11 15:02:00 | メンバーが選ぶ良かった、又は印象的な映画

メンバーからメールで頂いた2016年後半に観た映画で良かった、又は印象的な作品は次の通りです。作品西暦は日本公開年度です。メンバーが2016年後半に観たもので公開年度や劇場で観たかに拘っていません。TVやレンタルDVDなどを含めて選んでいます。『シン・ゴジラ』『君の名は。』『怒り』はそれぞれ2名が取り上げています。

Uさん

1)『ハドソン川の奇跡』(2016米国) 

2009年1月15日、乗客乗員合計155人を乗せたエアバスA320がエンジントラブルのためニューヨークのハドソン川に不時着水したが全員無事に生還したというニュースをまだ覚えている人は多いと思いますが、これはその実話に元づいて作成された映画です。クリントイーストウッド監督、トム・ハンクス主演というので期待して観た映画ですが、期待にたがわないしっかりとした映画でした。

ベテラン操縦士であるチェズレイ・サリー・サレンバーガー機長(トム・ハンクス)が操縦するジェット機は離陸後、エンジンに鳥が飛ぶ込むバードストライクにより両方のエンジンが停止してしまいます。その時の高度850mから墜落まで残された時間は4分弱しかなく、この間に次の判断をくださなければならなくなりました。この時に指示された選択は2つでした。1つ目はUターンしてニューヨークのラガーディア空港に戻ること、2つ目は近くのテターボロ空港へ向かうことでした。しかし機長はいずれの選択も不可能だとしてさらに3つ目のハドソン川への不時着水を決意したのです。しかしながら、着水のショックにより機体がばらばらになる可能性があり、無事着水したとしてもこの時のハドソン川の水温は2℃、果たして乗客が無事救助されるかも未知数でした。実際には着水はうまくいき、水没までの1時間以内に全員が救助されたのでした。

実話ではその後、機長の判断が認められるのですが、映画ではさらに国家運輸安全委員会の審問場面へと続きます。委員会の検証データではエンジン1基はまだ動いていたことが明らかになり、ベテラン操縦士のコンピューターシュミレーションで空港への着陸が可能であったとの報告がなされます。これにより機長は乗客の命を危険にさらしたのではとの疑念が生じたのでした。しかしながら、事故の状況を実際に知っている機長、副操縦士らの反論によって、空港へ向かっていたなら途中で墜落し、乗員だけでなくニューヨーク市民にも甚大な被害が及んでいたことが明らかになります。

 映像には最近のアクション映画のような過剰な演出はないのですが、ジェット機の緊急着水場面のリアルさには映像技術の進歩を感じました。しかしなんといっても、この映画の見所は、トラブル発生から緊急着水、救助までの乗客の反応、機長の判断などです。特に短時間での判断が必要とされる時に、リーダーの的確な判断がいかに重要であるかを証明した映画です。(日本人は過去の戦争でリーダー不足のために多くの失敗を犯してきましたし、最近では有名企業ですら馬鹿なリーダーが従業員を不幸にしているようです。)緊急委員会の審問において機長が追い込まれていく中で、副操縦士や他の乗務員の変わらない信頼関係、家族の暖かな支えなど人間ドラマとしても面白く鑑賞できました。

(下の画像左は着水し停止するところのCG。画像中央はCNNで報道の実際の救出中。画像右は全員救出後に沈みゆく実際の機体)

画像出典左:ナショナルジオグラフィックのCGhttp://www.natgeotv.com/tr/ucak-kazasi-raporu/hakkinda (閲覧2017/1/8) 画像出典中:「ハドソン川の奇跡」 C・イーストウッド監督で映画化http://www.cnn.co.jp/showbiz/35065372.html (閲覧2017/1/8)画像出典右:My Cycling Diary …海こえ山こえペダルを踏んで… http://pedalweb.exblog.jp/9427504/ (閲覧2017/1/8)

 

2)『シン・ゴジラ』(2016日本)

 ゴジラは1954年に第1作が公開されてから、国内で28作、アメリカで2作が作られています。これまでのゴジラシリーズとは違い、シン・ゴジラは初めてフルCGで制作されています。全身はまるで流れ出た溶岩のような黒と赤の岩石の塊のようであり、あるいはメルトダウンした原発の燃料ペレットを想像させるものでもありました。

 物語では、放射能を帯びた芋虫のような巨大生物が多摩川から遡上し蒲田に上陸するが歩き回っただけで東京湾へ姿を消してしまいます。その後2倍以上に巨大化したゴジラは鎌倉から横浜、川崎を経て武蔵小杉まで歩行していきます。これに対して自衛隊や米軍の攻撃が行われますがゴジラの反撃により全滅させられてしまいます。日本では非常事態宣言がなされないため、総理大臣が主催する閣僚会議で対策がいちいち決められていく場面がありますが、集団責任体制の現在日本の時間のかかる意思決定状況を表していました。

 その後、ゴジラが無性生殖によりねずみ算式に増殖する可能性があることが分かったことで、日本でゴジラを食い止めるために東京に核爆弾を落とすという安保理の決定を政府が受け入れてしまいます。このところは、アジアの防波堤としての現在の日本と米国の安全保障関係を示唆しているようで考えさせられるものでした。

 日本の科学者が提案した「ヤシオリ作戦」(ゴジラの口から血液凝固剤を投入して活動を停止させる)によって、東京に核爆弾が落ちることはなくなりましたが、その後はゴジラを停止させたままで見守り続けることになります。

 この映画には福島での原発事故を連想させるところを多く感じました。ゴジラはどこに現れてもおかしくないのだから、東京に現れた時にはゴジラを封じ込めるために東京全体を石館化させる可能性もあるのです。

(下の画像は「流れ出た溶岩のような黒と赤の岩石の塊のようであり、あるいはメルトダウンした原発の燃料ペレットを想像させる」ゴジラの全身)

画像出典:Gigazine「シン・ゴジラ」予告編公開、陸海空の自衛隊がゴジラと全力で激突http://gigazine.net/news/20160414-shin-godzilla-trailer/ (閲覧2017/1/8)

 

3)『君の名は』(2016日本)

 物語では、東京四谷の男子高校生滝と岐阜県飛騨の女子高校生三葉の体が、ある朝からたびたび入れ替わるようになり、それぞれの生活を体験していきます。二人は最初、戸惑いながらもだんだんとお互いが打ち解けていきます。しかしその入れ替わりが途絶えてしまった後に、三葉の村が3年前の隕石落下で全滅していたことを知った滝は、3年前の三葉の体に入れ替わって、村人を絶滅から救おうと奮闘するのでした。

 まず驚かされたのは、アニメとは思えないような非常に綺麗な村の風景でした。また、最初は大林宣彦監督映画(転校生、時をかける少女)の二番煎じだと思ったストーリーは、オリジナルなものも多く好感を持って見ることができました

(下の画像は女子高生が住む糸守町。諏訪湖がモデルと言われている)

画像出典:『君の名は。』の舞台、聖地巡礼スポット<長野編>(C)2016「君の名は。」製作委員会https://tabichannel.com/article/102/kiminona#toc-118 (閲覧2017/1/8)

 

 

Nさん

 1番目はシン ゴジラ(2016日本)です。

 この映画はゴジラの圧倒的破壊力が、東日本大震災の地震、津波、それに続く原発事故を連想させます。ゴジラの存在感よりも、有識者、官僚、永田町、官邸の会議室での様子に加え日米安保も絡んで日本政府のあたふたさがリアリティーを感じました。日本における自然災害や人為的災害にどう向き合っていくのか、考えさせられる作品でした。

 (下の画像は「あたふたする首相官邸地下オペレーションルーム」として登場した東京広域防災公園のオペレーションルーム。見学可、場所は話題の筑紫市場の移転予定?豊洲の隣の有明

画像及び情報出典:Gigazine「シン・ゴジラ」予告編公開、陸海空の自衛隊がゴジラと全力で激突http://gigazine.net/news/20160414-shin-godzilla-trailer/ 。ラマージュ@ZIPANGU #シン・ゴジラ聖地巡礼 #C90 https://twitter.com/Lohengramm_nm7 (閲覧2017/1/9)

 

2番目は君の名は。』(2016日本)です。

 背景の絵の描写が凄く精密です。特に光と明かりの表現が素晴らしいと思いました。また冒頭に流れるBGM「前前前世」のテンポと映像の動きが同調していてステキでした(ミュージカルではないのに・・・)。ストーリーの時間の構成と組み立ても秀逸でした。もう一度観たい絵画展のようでした。

 (下の画像は彗星が雲の中を落下する場面。中央の少し右に傾いた白い線が彗星の落下軌跡。「光と明かりの表現が素晴らしい」「絵画展」のような場面の一つ)

画像出典:Gigazine 新海誠監督最新作「君の名は。」特報映像登場、映画公開は2016年8月にhttp://gigazine.net/news/20151210-kiminona/(閲覧2017/1/9)

 

3番目は怒り(2016日本)です。

ストーリーは殺人事件の犯人が整形して逃走中、東京、千葉、沖縄でそれぞれ容疑者と疑わしい人物と出会った人々の三つの物語です。 整形した犯人が判った場面は唐突と感じましたが、三つの場所が交じり合うことなく、ミステリアスな雰囲気でラストを迎えます。東京と千葉のSTORY内容は日常の悩みや苦しみ、大切な人を信じ切れない切なさが伝わってくる作品でした。

(下の画像は人物相関図です。(その2/2)のAさんの怒り画像「三か所の人と警察の関係図」も参考にしてください)

画像出典:CINRA.NETニュース。松ケン、綾野剛、森山未來が疑惑の男に、映画『怒り』多彩キャスト発表http://www.cinra.net/news/gallery/72286/1/ (閲覧2017/1/9)

 

Kさん

Heart of a Dog ハート・オブ・ドッグ~犬が教えてくれた人生の練習~』(2016米国)

内容:マルチメディアアーティストのローリー・アンダーソンが亡き愛犬との日々を通して身近な人の死、「9.11」以降のアメリカを 描く。

モノクロの叙情的な映像、愛犬のピアノを弾く?ユーモラスな様子などが監督自身により淡々と語られる。また、音楽ではチェロの音色が朗読とともにこちらに語りかけているようで心に残る

(下の画像左は愛犬ロラベルを抱える監督ローリー。ロラベルが老い、病み、盲目になり、最期を看取る。ロラベルの死と身近な人の死が交錯。ドキュメンタリー(記録映画)作品 画像右はロラベルがピアノを弾く?場面)

 

画像出典左右:映画『ハート・オブ・ドッグ』https://twitter.com/heartofadogjp (閲覧2017/1/11

 

 

A.M.さん

 一度も映画館に行かず、DVDで旧作ばかり見ていました。少し地味ですが、個人的に印象的だった3本です。

 ①『東京夜曲』(1997 日本 市川準監督)

 【あらすじ】:東京の、ある平凡な商店街。近所の人々の溜まり場になっている囲碁喫茶の女店主たみは、浜中が戻ってきたことを知る。失踪していた浜中は、久子というたみの友人と結婚し所帯を持っているが、かつてはたみの恋人であった。浜中の帰還により、遠い昔の三角関係がくすぶりはじめる

 【感想】:平凡な川べりの商店街。風に揺れるビニールの花飾り、道端で遊ぶ子どもたち、黄昏時の橋を渡る電車。その、光る窓が映る川面。そういう風景が繰り返し挿入され、「ありきたりの日常」が強調される。

 どこにでもある、平凡な町の、平凡な人々の生活の中で、電気屋がゲーム屋に変わり、レコード店の少女が失恋し、おじいちゃんが入院したりしながら、少しずつ全てが変わっていく。毎日緩慢に繰り返される「ありきたりの日常」が、実はその日その時限りの瞬間の積み重ねであったことを、その小さな変化でしみじみ感じる

 浜中を長塚京三、たみを桃井かおり、久子を倍賞美津子が演じている。この3人の大人な感じがとてもいい

 特に桃井かおりが終盤で見せた浜中を見送る顔のやわらかい色っぽさはすてきだった。何かが成就することではなく、手放す、というハッピーエンドもあるんだなあ、と思った。

 (下の画像左は喫茶大沢の店主大沢たみ(桃井)が帰ってきた浜中康一(長塚)に「ねえ、こうちゃん、お茶漬け食べていかない」と声をかけ話す場面。画像右は浜中の妻久子(倍賞)と久子に好意を寄せる朝倉(上川隆也))

 

画像出典左及び右:Staff Blog INTERNET FRONTLINE映画「東京夜曲」http://internet-frontline.com/blog (閲覧2017/1/10

 

 ②『靴に恋して』(2002スペイン。原題:“Piedras”)

 【あらすじ】:境遇の異なる5人の女。彼女達はそれぞれが深い悩みを抱えて葛藤している。物語が進むにつれ、彼女達の人生が交錯していく。

 【感想】:邦題が誤解を生むが、靴の映画ではない。原題のPiedrasとはスペイン語で「石」という意味で、監督がある講演会で聞いた話が元になっている。ガラスの容器に大きな石を入れる。一見、もういっぱいで他に何も入らないように見えるが、まだ隙間に小石が入る。砂も入る。さらに水も入れられる。もし、先に水や砂を入れてしまったら、最初の大きな石は、もう入れられない容器は自分の時間で、大きな石は、自分にとって重要なこと、だ。先にどうでもいいことで時間を満たしてしまうと、もう大事なことは入る余地が無い。この「石」だ。

 この映画の5人の女達は皆、水や砂で満たされた容器の中に、石を入れようともがいている

 「オールアバウトマイマザー」で魅力的なオカマを演じたアントニオ・サン・ファンが、知的障害を持つ娘を育てるシングルマザーで、キャバレーのマダムのアデラ。その娘、アニータは報われない初恋で傷つく。靴のデザイナーになりたいという夢を諦め、今は働く靴屋で商品の靴を盗む女、レイレ。愛のない見栄ばかりの生活に精神を病む有閑マダムのイサベル。3人の子持ちやもめと結婚した直後に、その男に死なれ、血の繋がらない子どもたちと暮らす、タクシードライバーのマリカルメン

 それぞれの苦悩がリアルで、共感して見ていると苦しくなる。それぞれが足掻きながら辿り着いた結末は、簡単に幸せとは言えないかもしれないが、ともかく「石」は見つけた、と思わせ救われる。ただ、ラストはほんの少し説明過剰に感じた。

 (下の画像はDVDのカバー。この5人の女性達、それぞれが足掻(あが)きながら結末へ辿り着く)

画像出典:DVDラベル 靴に恋して http://blogs.yahoo.co.jp/nmswd624/23919349.html (閲覧2017/1/10)

③『コーヒーをめぐる冒険』(2014独。原題:“Oh Boy”)

【あらすじ】:ある青年の、どうしてもコーヒーにありつけない、ツイテいない1日のお話。

【感想】主人公の男ニコはどうしようもない奴だ。2年前から大学を中退し、親から振り込まれる学費でぷらぷらだらだらニート生活。小さな嘘を臆面も無くつき、隣人からもらったミートボールを便所に流し、遊びの女と別れる時もハッキリ言わずに黙ったままで分かってもらおうとする卑怯さ。見れば見るほど、こいつどうしようもねえな、と思う。

父親に大学中退がバレて問い詰められる。「2年間も何をしていたんだ」「考えていた」「俺には考える時間なんか無かった。日中は働き、夜に勉強した。お前を養うためだ!」2年間も「考えていた」このロクデナシに、見ているうちに私は感情移入してきた。このニコの思考過剰で、行動に臆病な感じは、とても現代的だ。映像は白黒で、今のベルリンの街をどこか退廃的に映し出している。ニコはその後2人の老人と出会う。その会話から、「ぼく(ら)はどこへ向かうのだろう」という問いが浮かんでくる。

前の世代の「考える前に体験せざるをえなかった」人生と、ニコのように2年間も考えてしまう」人生を対比して、どこか閉塞感のある「今」の、どうしようもなさ、みたいなものが、ニコのどうしようもなさとイコールでつながる。ツイテない1日が終わり、朝日に照らされるニコは少し違う顔をしていた。

(下の画像は主人公ニコ)

画像出典:eam cinema magazine http://www.elantepenultimomohicano.com/2013/04/lola-awards-2013-oh-boy-mejor-cinta.html (閲覧2017/1/10

ブログの文字数制限で以下(2/2)へ続く。

 

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