横浜映画サークル

サークルメンバーの交流ブログです。

メンバーの鑑賞感想や映画情報など気軽に記述しています。

1980年代の横浜映画サークル運営資料および他サークルなどのアーカイブ(記録保存)

2020-12-26 17:11:24 | 横浜映画サークル会報アーカイブ

1、1980年代の横浜映画サークル運営資料

下記は当時総会で配布された資料の一部の1983年~1984年の会計報告です。当時の様子が分かるのでアーカイブ(記録保存)としてこのブログに掲載しておきます。右側の支出中央の謝礼金7万円は黒澤明監督の助監督で釣りを扱った小説『秘伝』で直木賞をとった高橋治氏に『絢爛たる影絵 小津安二郎』(岩波書店)の内容で講演していただいた謝礼です。当時人気があり講演料は20万円程度以上との事前情報がありましたが、いくらでもいいと快く対応していただき、次回喜劇俳優バスターキートンについてであれば無料でも話したい、とのことでしたが、実現できませんでした。本ブログ表題『訃報:映サで講演をお願いした直木賞作家高橋治さんが亡くなりました。』も参照。

下記は1987年~1989年の会計報告

2、1980年代に横浜で活動していた他の自主上映サークルなど

(1)港北・緑映画友の会

下は1984年『友の会だより』第20号と第21号の表紙です。横浜市港北区緑区を活動域にして港北公会堂などで『暴力の街』(山本薩夫監督)、『生きる』(黒沢明監督)、『自転車泥棒』(デ・シーカ監督)、『二十四の瞳』(木下恵介監督)、『日本泥棒物語』(山本薩夫監督)、『怒りの葡萄』(ジョン・フォード監督)、チャップリンの『偽牧師』『キッド』、『記録映画:子供たちの昭和史第1部大東亜戦争』『記録映画:子供たちの昭和史第2部15年戦争と教師たち』などの自主上映や夏休み親子映画会『はだしのゲン』を行っていました。

(2)横浜シネライブラリー設立準備会

作品保存庫、50席程度の上映室、映像関係図書室、事務室などを備えたシネライブラリー(映像図書館といったイメージ)の建設を目指して活動していました。作品は寄贈を原則にし、ニューヨークの映画美術館や個人所有の寄贈の申し出が既に多数ありました。

本ブログの表題『F.Iの映画鑑賞ノートから:その6:7作品』でのAAA『 風櫃(フンクイ)の少年』やユダヤ人少年がナチスから逃げ回る内容の『夜のダイヤモンド』を日本に輸入して自主上映をしていた。また、ヨコスカ・シネクラブ共催で『一切れのパン』(チェコ)、『エレジー』(ハンガリー)、『白い少女』(フランス)などを県立横須賀労働センターで、鎌倉シネマドンナ共催で『忘れられた人々』(ルイス・ブニュエル監督)を鎌倉中央公民館で、自主上映をしていました。

下は横浜シネライブラリー財団設立準備会会報N08(1984年4月10日)に掲載された目標としたシネラーブラリ―の完成後の姿です。

その後については、筆者が横浜を長期に離れて情報が途絶えているのでどうなったか不明ですが、横浜市西区にあるシネマノヴェチェント『復刻シネマライブラリー』は28室の上映室を持ち大手映画館には掛からない各国の名作を有料で貸し出しており、横浜シネライブラリー設立準備会が目指していた形態に近いので、当時の人が係わっているのかもしれないと思っています。

(3)横浜ドキュメントフィルム

記録映画(ドキュメンタリー)の自主製作や大手映画館に掛らない名作を自主上映していました。

下の左は横浜ドキュメントフィルム制作の記録映画『寿ドヤ街 生きる』(渡辺孝明監督)1981年自主上映のパンフレットです。下中央はその続編の1984年に自主上映のパンフレットです。下の右は『鉛の時代』(独。マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)自主上映の時のものです。その後2019年に『寿ドヤ街 生きる』は横浜キネマ倶楽部が、かながわ労働プラザで最初の作品と続編を自主上映し、渡辺孝明監督を招いて講演を行っています。

(4)麦座

横浜市鶴見区生麦(京浜急行生麦駅)付近を活動域にして自主上映をしていました。自主上映のパンフレットがあったのですが、見当たりません。お持ちの方がおりましたら、掲載したいので連絡ください。

(5)横浜映画観賞会

1984年に発足し月1回自主上映を目指していました。1回目は『田園に死す』(寺山修司監督)を関内アカデミー劇場(現在閉館)で行っています。下は会則の表紙と1ページ目。第1章の目的に「営利を目的とせず、横浜で見る機会が少ない優れた映画作品及び映画史上重要な作品を上映し、横浜の文化発展に寄与する事」と記されています。会則は6章からなっています。

(6)首都圏映画サークル交流会

自主上映の情報交換など、首都圏映画サークルで互いに協力し合おうというアイデアで交流会が考えられました。下は1984年の首都圏映画サークル交流会規約草案の最初の第7条までの部分です。第18条まであります。

(7)ヨコハマ映画祭

1979年からスタートして、毎年2月頃に映画祭を開催し、現在では有名になりメジャーになっています。詳細はヨコハマ映画祭のHP下記をご覧ください。

http://yokohama-eigasai.o.oo7.jp/ 

以上S.Tでした。

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映画サークル自主上映ポスター・解説チラシ・チケットのアーカイブ(記録保存)

2020-04-10 14:04:12 | 横浜映画サークル会報アーカイブ

自主上映は16回行われましたが、現在手元にある9回1980年から第16回1987年までのポスターなどの資料を記録保存のために本ブログに掲載して残すようにいたします。いずれも会員の手による力作です。現物は劣化を防ぐために筒や黒い袋に入れて保管しています。

自主上映の全体像はこのブログの左欄にある「カテゴリー」の「会員募集」をクリックして表題『自主上映の記録 こんなことをやっていました。昔の人はパワーが有りましたね!』を参照してください。

ポスターは、主にA2サイズで作られ、三菱重工の図面や資料を印刷する菱重印刷と言う会社が桜木町駅近くに有り、そこで印刷されました。この会社は現在桜木町の三菱重工横浜ビル内にあり、ダイヤモンドオフィスサービスと名前を変えています。印刷工場直でしたので印刷代が一般の店に比較してずいぶん安かったと記憶しています。100部程度印刷され、会員の手で横浜市公共掲示板や会員宅などの近くで可能な場所やプレイガイドの壁などに張られています。公共掲示板は横浜市の担当部署でポスター全部に承認と掲示期限の印をもらい、自分たちで張り、期限が来たら自分たちで剥がしています。公共掲示板は横浜市内に70カ所程度ありました。

解説チラシはA4サイズで、映画の解説が記されており、ポスターと同じ菱重印刷で印刷されています。300部程度印刷されました。

チケットはA4サイズの4分の1の原紙を作り、それを3部コピーしてA4サイズに原紙と共に張って原版を作りこれを印刷しています。コピーしたA4サイズを4つに切断するのは印刷会社に依頼すると値が高くなるので自分たちで切っています。チケットは当日券だけでなく前売り券としてプレイガイド(高島屋、ルミネ、相鉄、ニチイ、上大岡ムービーショップ、桜木町駅読売、など)に置くものと、雑誌や新聞の文化担当や他の自主上映団体などへ「御招待」の印を押して招待券として使われました。500枚程度作られています。プレイガイドに自分たちで置いていただくよう交渉し、10枚から20枚程度置いてもらい、売れた分の7%~10%程度(プレイガイドで異なる)の手数料を払い、差額の売上と残ったチケットを自主上映後に回収しています。

御案内状は雑誌(ピア、シティロード、キネ旬、浜っ子、広報横浜など)や新聞(神奈川新聞、朝日、読売、毎日、産経など)の文化担当や他の自主上映団体などへの案内状です。

以下自主上映資料です。もしこれ以外にお持ちの方が居りましたら、できるだけ劣化しないように保管しておきますので連絡いただければと思います。

尚、ポスターはデジタルカメラで撮影し、それをパソコンに取り入れ、そこから本ブログへ移しています。他はコピー機のスキャンによりパソコンに取り込んで本ブログへ移しています。

第9

ポスターはありません。

下画像は解説チラシ

第10

ポスター:右下の赤矢印の丸印は横浜市公共掲示板掲示許可と掲示期限の印

解説チラシ:この回は2種類が作られています。

第11

ポスター:この回は2種類のポスターが作られています。

下の画像左は文字などを張り付けた原版。右は印刷した後

下画像左はA2サイズの方眼紙に製図用のT定規で文字の枠が書かれた原紙です。右は文字に色を入れた原版

解説チラシ

第12

ポスター

解説チラシ

御案内状

第13

ポスター

解説チラシ

チケット:下画像左の一番上の表題文字は鉛筆で書かれています。一番上を原紙としてコピーを取り、上から2番目以下はテープで張り付けて作ったチケットの原板です。テープの跡が分かりますが印刷時にはこの跡は出ていません。右はチケットの裏で東山千栄子と原節子の印象的な場面が付いています。印刷会社に切断まで頼むと高くなるので、自分たちで、切ってチケットを作っています。

自主上映と講演のお知らせ

第14

ポスター:この回はポスターが2種類が作られています。

下の画像左はA2サイズですが、右はA1サイズの倍の大きさで作られています。

解説チラシ

チケット

御案内状

第16

ポスター

解説チラシ

チケット

下の画像左は表、右は裏。

御案内状

以上。

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映画サークル会報アーカイブ(記録保存)

2019-11-09 17:57:58 | 横浜映画サークル会報アーカイブ

会報は1976年10月の1号から1990年3月まで118号が発行されました。

このブログに会報の表紙を掲載して記録として残します。

「横浜映画サークル」は、以前は「横浜よい映画を見る会」の名称でした。名前の変更についてはこのブログの表題『自主上映の記録 こんなことをやっていました。昔の人はパワーが有りましたね!』を参照してください。

会報内容は10ページ以上のものが多く、会員の手作りによるもので、初期は湿式コピー機で、1ページずつ自分たちでコピーして作られていました。当時の連絡は電話とハガキで行われ、最後に鑑賞会の連絡のハガキの例を載せておきます。

下記は歴代編集長です。表紙は編集長の好みの映画や鑑賞会の映画などをテーマに編集長が自由に作っています。

 

歴代編集長

会報号

期間

初代編集長

K.Aさん

1号から15号

1976年10月から1978年1月

2代目

S.Kさん

16号から38号

1978年2月から1979年7月

3代目

I.Hさん?

39,40号

1979年7月から1980年2月

4代目

Y.Mさん

41号から79号

1980年3月から1984年9月

5代目

M.Kさん

80号から106号

1984年8月から1987年9月

6代目

K.Oさん

107号から114号

1987年11月から1989年1月

7代目

M.Kさん

115号から118号

1989年8月から1990年3月

尚、以下の22の会報が手元にはありませんもしお持ちの方が居りましたら、劣化しないように黒い袋に入れて保管しておきますので連絡いただければと思います。

手元にない会報:№4,5,8,9,14,18,20,28,45,56、57,60,62,84,91,93,94,100,108,109,110,117

以下手元にある会報の表紙

     

      

                             以上。

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