横浜映画サークル

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『風立ちぬ』不覚にも涙を流してしまいました。なかなかな良いできでした(偉そうに失礼します)。

2013-08-14 18:44:28 | メンバーの投稿

宣伝が効果的で渋谷TOHOで観ましたが、一番前の端の席まで満員でした。終わって出たときの次の回も満席になっていました。観客は夏休みを狙ったはずと思うが子供は少なくほとんどが大人でした。

感じたことなどを6点まとめました。具体的内容はこれから観る人のためにできるだけ触れないようにします。

1、宮崎作品の一貫した女性像:凛とした、心がしっかりした女性。

宮崎作品は『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』『魔女の宅急便』などいずれも女性の凛とした姿が少女であれ大人の女性であれ浮かび上がってくる作品が多い。今回の『風立ちぬ』は中でも女性の凛とした姿が際立っていました。私を含め多くの観客が涙したのは、この女性の姿だと思います。主人公堀越二郎以上の存在が菜穂子や妹の加代などに有ったと思います。

2、副題の「生きねば=力を尽くして生きろ」:宮崎監督が自分自身に対する思い、と思う。

プログラムの中で「力を尽くして生きろ」は旧約聖書の伝道の書から引用し、そのあとに「持ち時間は10年だ」と付け加えたと宮崎監督は説明しています。そのあとで「自分の10年はどこにあっただろうと思いました」と述べています。堀越二郎は「力を尽くして生きた」宮崎監督自身の目標・理想として描いたのではないだろうか。

3、もしチャンスがあれば以下の2つを宮崎監督に聞いてみたい

1)試写会で涙を流していましたが、どの場面ですか?

監督は「何で泣いたんだか自分でも分からないんですよ」とプログラムの中で言っていましたが、場面はどこか聞いてみたい。私はたぶん、短くも「輝いて生きる」瞬間を作ろうとした菜穂子の場面と思う。

2)「力を尽くして生きていない人」はいると思いますか?みんな「力を尽くして生きている」のではないですか?

この質問で監督の考える「力を尽くす」の意味が分かるのではないかと思う。

4、作品に空を飛ぶのが多いわけ:監督の父がゼロ戦製造会社へ部品を供給する会社の社長だった。

多くの作品の中心に「空を飛ぶ」ことが含まれていますが、宮崎駿の父が中島飛行機株式会社(関東に工場を数箇所持つゼロ戦を三菱重工から図面を受けて製造した会社。今の富士重工業。零戦の2/3はここが製造した)に航空機部品を納めていた「宮崎航空興学」という会社の社長をしていたことで空に対する関心が監督は小さい頃からあったとのことです。

私事ですが。私の父も中島飛行機で仕事をしていて、満州鉄道の修理へ配転を命ぜられた。終戦間際に日本に戻ったが、中島飛行機は爆撃を受け壊滅状態で復職はできなかった。私の亡くなった母は「空襲で敵の飛行機が来た時、中島飛行機は飛行機を迎撃に飛ばすと思ったら、カモフラージュした飛行機用の防空壕へいっせいに隠し始めたのを見て、日本は負けると実感した」と話していた。また、「ヒューン」という音を嫌っていた。爆弾が空から降ってきたときの音に似ていて、逃げ回っていた時の恐ろしさを思い出すので嫌なのだそうだ。

『母は栃木県宇都宮市の中島飛行機製作所で働いていた。鶏が驚いて、工場近くの敷地を走り回ると、それをめがけて米軍戦闘機が急降下してきて機銃掃射(飛行機の機関銃で地上の標的を撃つ)をしてくるので、それも怖かったと話していた。米軍の戦闘機は動くものは何でも狙って撃ってくる、とも話していた。少なくても宇都宮市を爆撃するときはB29爆撃機と一緒に、戦闘機も来た。戦闘機だけのこともあった。母の記憶では爆撃は5回ぐらいあった。零戦などはその都度、飛行機用防空壕へ隠された。

ディスカバリーチャンネルの「歴史に残る空中戦」では、零戦は重量1トン程度、米軍機は操縦席の後ろ側に機銃から操縦者やエンジンを守るための厚い鉄板、燃料タンクは機銃に撃たれても燃料が漏れないようゴム版が敷き詰められており、エンジンも強力なため重量が約2トンと2倍の重さだった。零戦はそのような操縦者の保護はなく、軽量化を追求し、撃たれ弱い設計になっている。この特徴から、米軍機は零戦との空中戦で不利になれば急降下すれば、零戦は軽いので付いて来られずに、容易に逃げられることが分かり、空中戦で零戦の優位は失われた。また、零戦を攻撃するときは高い位置から急降下して攻撃すれば、零戦は比較的容易に撃ち落せると述べている。

このような零戦など日本軍機の空中戦の優位性を失ったことも爆撃の時に迎撃に行かず、隠した理由の一つかもしれない。また零戦などは空気が薄い高度の空中戦は過給機(エンジンに多量の空気を送り込む装置)が付いていないのでエンジンが十分に回らない。B29は過給機付エンジンなので1万mの高度でも問題ない。この差も迎撃に行けなかった理由かもしれない。』(2015/4/5追記)

5、戦闘機が美しいと思うことと、戦争に駆り立てること、を別に見る必要がある技術の芸術性の問題。

この項は少し難しいのでパスしてもいいです。

宮崎監督は「戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い。宮崎駿は矛盾の人」とスタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫がプログラムの中で解説していた。設計者としての私の経験で言うと、いい設計はバランスがよく芸術的である。横浜ベイブリッジや東京タワーやスカイツリーは芸術作品といえる。ゼロ戦もそういうものだ。

私は中学1年の夏休みの工作作品で全長40㎝ぐらいの戦艦大和を作った。船体は木を削り、消しゴムを切っていろいろな構造物を造り船体に乗せた。対空銃や大砲はマッチ棒を切って使った。大変な自信作だった。宮崎駿がゼロ戦を美しいという感覚は、中学1年のときに戦艦大和を美しいと感じたのと同じに思える。私は、太平洋戦争は海外侵略で非道なことをしただけでなく、国内でも多くの国民にこれ以上はないという非道を行ったと確信をする反戦の立場であるが、軍事技術の機能とその芸術的美しさは別に考える必要があると思う。橋や建築物ばかりでなく家具や台所用品などを見ても芸術的美しさを持っていると思うものはたくさんある。

2013/7/27日の日経新聞の文化欄で「宮崎駿監督の新作『風立ちぬ』反戦の心、戦闘機に乗せて」との表題で評論していたが、この作品は反戦とか軍国主義賛美だとかで論ずるようなものではない。飛行機の美しさに見せられた人の人生として捕らえることが可能と思う。たぶん宮崎監督もそう見てほしいのではないかと思う。

以上は多数派の見解。少数派の見解は別。ゼロ戦は殺人兵器で多くの人を死に追いやった呪われた技術。思い出すだけでもぞっとする人がいる現実を直視せよ!という人です。殺人兵器としての技術と、台所用品の技術などを、どんなに美しいからといって一緒にしてはいけない、という見解です。私はこの少数派の見解を重要視したいと思います。私が中学時代に戦艦大和の模型に没頭したのは、殺人兵器で無謀で悲惨な特攻に多くの若い人がマインドコントロールの下に死んでいった戦艦大和の事実を知らなかったからです。知っていれば作らなかった。事実を知ることがとても大事ですし、事実を見抜く努力がないと知ることができないと思う。今の風潮は、「戦時中の非道な事実は無いことにする。無いことにし続ければ時間と供に実際に無いことになる。」というナチス・ヒットラーの「ウソを100回言えばホントになる。」のような方法がまかり通っているので心配です。

6、電通、博報堂の世論形成力「風立ちぬ」の興行成功の背景

私が『風立ちぬ』でびっくりしたのは、観客の多さです。7月20日に封切り、事前の宣伝も万全で、封切りの初めから満員状態となった。上映最後の字幕(エンドロール)に電通、博報堂の名前があり、満員の仕掛け人が分かった気がした。

業界動向広告業界http://gyokai-search.com/3-ads.htm (2013,8/13閲覧)によると2社の売上とシェアは、

電通       18,930億円≒1.9兆円/年   シェア51.5%≒52%≒5割             

博報堂    9,783億円≒1.0兆円/年     シェア26.6%≒27%≒3割

2社で8割を占めている。テレビの宣伝のほとんどはこの2社が請負って製作している。競合企業は、たとえばトヨタとホンダの宣伝企画は電通内の別々の担当グループが請ける。事務所も別のところにしている。電通が乗り出せば、作品がたいしたことなくてもある程度満員にできる。「風立ちぬ」は作品が良いので鬼に金棒状態。

余談だが東京都のオリンピックの誘致は電通が本格的に動いて54%の支持率が半年で70%にまで上がった。多くのオリンピック選手やマスメディアを使いこなす電通の力がいかに強いか分かる事実といえる。

今後もよい映画かどうか、宣伝に乗せられないで見抜く力が見る側に必要と思う。       

以上テッシーでした。

 

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