横浜映画サークル

サークルメンバーの交流ブログです。

メンバーの鑑賞感想や映画情報など気軽に記述しています。

映画『凶悪』残虐性は「人間が持つ普遍的な暗部」と描く。だが最新科学は先天的障害であるとする(その7)

2014-04-11 19:03:29 | 映画凶悪・戦争のサイコパス残虐性シリーズ

(その6)の続き。最後の(その7)です。

4、私なら原作「凶悪」をどのような映画にするか。

特記のないp**は原作「凶悪」(宮本太一、2009年、講談社)のページ数を示す。

(1)「反社会性人格障害者 対 サイコパスの闘い」として描く。

原作の構図は反社会性人格障害者(告発者G)が、何が何でも、自分の身がどうなってもサイコパス(先生)を許さない。自爆覚悟の告発p232、p235。実際にGはサイコパスを告発することで自らの死刑判決が確実になる。Gの信頼している舎弟が言う「兄貴に、最高裁まで争って死刑にならないように戦ってほしかった。余罪事件のことは前から聞かされていたけど、公表するのは思いとどまるよう、ずっと反対してきたんです。出したら、確実に死刑になりますから。でも、今回“先生”への復讐のため、どうしても事件を表に出したいという兄貴の意向があまりに強くて、こうなった。あれ以上反対できませんでした。兄貴の望みだから、しょうがありませんp283」。

反社会性人格障害者でも許せないほどにサイコパスの邪悪性はひどいものなのである。この原作、すなわち実際の構図を基礎にする。

(2)観客に、5つの魅力を提供する。                                                       

映画を通し観客に下記5つの魅力を提供する。1)~4)は、ほぼ原作通りである。5)は原作に付け加える。

1)記者がわずかな手がかりで、悪事を暴いていく、推理展開の痛快さを楽しむ。刑事コロンボのように。

2)社会に潜む悪を暴き出し、許さない。記者のジャーナリストとしての情熱、人間的魅力を、全編を通して示す。「正義の味方」というのは存在する、それがジャーナリストそのものであることを示す、原作に従えばこうなる。原作者は「雑誌だからこそできた事件報道p377」と雑誌記者の誇りを見せている。

3)“先生”と告発者Gの心理戦の緊迫感を楽しむ。裏の裏をかくやり取り。原作にはこれがある。               

4)サイコパスが最後には社会性人格障害の怒りの前に屈服する。巨悪が逃げ切れない、後味のよいものにする。原作通りである。

5)記者がサイコパスの実態を調べる過程で、鑑賞者にサイコパスがどのようなものかを知らせる。原作では“先生”のサイコパス特性が示されているが、サイコパスが行う特殊な犯罪の知見が不十分。そこで、記者が警視庁犯罪情報分析係のプロファイラーや、犯罪心理学者などに面談し知識を増やしていき、“先生”の犯罪の本質を探り当てていく過程を付加する。記者が映画鑑賞者と一緒に、サイコパスとはどのような犯罪を行う人なのかの実態を知っていく映画とする。立件できない先生が係わった11件をプロファイルし、特に原作にある藤田幸夫の家の財産が巧妙に奪われる過程や障害者藤田を自殺に追いやる過程をサイコパスの残虐性として浮かび上がらせる。

原作は、以上の5つの内容を含んだ、映画史上に残る大傑作映画を作り出すことができる可能性のある素材である。原作は、ドラマティックで、自民党幹部の暗部など貴重な内容を含むノンフィクションである。

(3)「推理展開の痛快さ」の魅力となる原作のポイント

1)告発者Gに記者が利用されているのではないか?疑問をひとつひとつ解いていく。

①死ぬのが怖くて、死刑の先延ばしのために、でたらめを言っているのではないか?

②薬物などで精神がおかしくなって、幻想を言っているのではないか?

③裁判を有利にするために利用されているのではないか?

④“先生”がGを説得し、Gの気が変わることはないか?

2)“先生”とGの内縁の妻の緊迫したやり取り:先生の証拠隠滅の狡猾さ

映画にあるユンボによる遺体運び出しだけでない、証拠隠滅に成功しているものがある。

①Gが内縁の妻に「何か有った時には開けて」と渡した「ダンボール2」:警察のガサの前に処分するほうがいいと“先生”が内縁の妻に説得。内縁の妻は“先生”を信じ、警察にばれないよう友人に遊びに来させて、友人宅へ運び保管。その後先生へ渡るp194。“先生”は見事に「段ボール箱」を処分し、証拠隠滅をした。

②ダンボール以外、資料とか何か残してないか?何度もしつこく聞いていたp196。内縁の妻がわざと「いろいろ知っていることはある。」と言った時“先生”の顔色が変わったp197。いろいろ大変だろと20万円置いていった、内縁の妻は口止め料と思ったp198。実際は、Gは「女、子供を仕事に巻き込ない」ので何も知らない。“先生”は無駄なことをしているp212。

3)宮本太一記者の洞察力の深さ

①“先生”に悟られぬように周りから状況を確認していく。核心に近づき、また遠ざかりながら、状況証拠を積み重ね、徐々にターゲットに迫ろうとしている日々p168

②“先生”が必死に回収したダンボールの中身は何か?死に物狂いで探していたのはなぜか?p199。

全体にジャーナリストが真実を暴き出す現場の迫力がある。刑事コロンボのような記者の洞察力の深さ、粘り強さ、に裏打ちされたスリリングな「推理展開の痛快さ」の魅力的場面は原作に多数ある。

あとがき

私は、小学校の3年生のころ、近くの東京都杉並区の本願寺を遊び場にしていたが、その入り口付近で、見知らぬ小学校の5,6年か中学生と思われる男子に、口の中に指を突っ込まれ、ゲーゲーやっていた。通りすがりの人が、「どうしたの」と近づいて来たので、その少年は逃げていった。今思えば、その少年はサイコパスの特性があったのではないかと思う。この件はもう50年近くが立つが、忘れられない。検診で胃カメラを口から入れることが、私の場合他の人以上に恐怖があるように感じる。鼻から入れる新型が開発されてほっとしている。サイコパスの行為は、被害者にいつまでも消せない心の傷を残す。「サイコパスは至急解明されるべき障害である。」(J.ブレア『サイコパス、冷淡な脳』2009年p22)。「サイコパスにどう対処するか、緊急の社会が解決しなければならない課題である」。映画は、これに応えるものを作ってもらいたいものである。「みんな、サイコパスだ」という的はずれなものでなく。

以上で、シリーズ最後の(その7)終わりです。長い文を読んでいただき、ありがとうございました。テッシーでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『凶悪』残虐性は「人間が持つ普遍的な暗部」と描く。だが最新科学は先天的障害であるとする(その6)

2014-04-09 21:41:36 | 映画凶悪・戦争のサイコパス残虐性シリーズ

(その5)の続き。

3.実際(原作)と映画『凶悪』の違いまとめ

特記のないp**は原作「凶悪」(宮本太一、2009年、講談社)のページ数を示す。

(1) “先生” の実際と映画『凶悪』の違い

実際の“先生”はサイコパス特性が極めて強い。それを示すのは次の7項目。多くは映画には表現されていな。

1)病的な嘘つき“先生”と言われる理由:告発者Gの説明:嘘つきのプロ嘘つきの“先生”、詐欺師の“先生”p91。嘘の見積書や代金踏み倒しの計画倒産、資産家の土地を言葉巧みに騙し処分するp159、p208。K.A.キールやM.ストーンのサイコパス説明「嘘をつき、ごまかし、良心の呵責を感じたり悔いたりすることがない」「病的な嘘つき」の通りである(「(その1)1.1 サイコパスの全体像」参照)。

2)動物虐待を行う。「飼っている鳩やニワトリを蹴り上げたり、首を絞めて殺したりする」と告発者Gの証言p162。映画ではこの場面はない。

3)監禁して苦しんでいる様を見たい。サイコパスには異常な認知欲求がある。毎日酒を飲ませたカーテン屋は、ウー、ウーうなりながらトイレの便器に抱きつくように苦しんで、どす黒い血のようなものを吐いていた。そのカーテン屋を、“先生”は庭にある鳥小屋に、閉じ込めたp350。映画ではこの場面はない。

4)虐待・拷問を楽しむ

①酒を飲まし続けてすっかり弱ったカーテン屋(映画では電機屋)に、Gがスタンガンや電気コードの端をむき出しにして頭に当てて、痙攣したり、「ギャアッー」と言って飛び跳ねたりし、苦しむカーテン屋に先生も興奮して加わり愉悦の色を浮かべながらスタンガンを首元あたりにバチバチと80回はめり込ませて通電の虐待をしたp344、p350。この場面は映画にある。原作にある先生が浮かべた「愉悦の色」とはどのような表情だったのかは、次項(2)で述べる。 

②前項①のスタンガンや電気コードの虐待の後に“先生”はアルコール度96度(アルコール96%。通常の酒は15度・15%程度)の強烈なウオッカを、ビンの口をカーテン屋の口に突っ込み飲ませた。この場面は映画にあるが、おそらく、実際は映画で表現している以上に喉の奥のほうまで、胃に届くくらいにビンの口を深く突っ込んだと思う。カーテン屋は、1回目はむせていたが、2回目に喉に突っ込んだ時にはむせることもできないほど深く、力任せに思いっきり突っ込んだと思う。500ccのボトルの半分以上が一気に胃に流し込まれたp112、p345。喉の軟骨などは破壊されたかもしれない。サイコパスはそういう行為をする。

5)カーテン屋の頭を坊主にし、体中に油性マジックで落書きをしていたp350。サイコパスは自分の興奮状態を持続させるために、絵を対象や部屋の壁などに描くことがあるようである。後の項(3)参照。映画ではこの場面はない。

6)罪悪感が無い。カーテン屋殺害に係わった7人の証言者は“先生”の関与を明確にかつ詳細に証言しており、自分が係わった事を認めているが、“先生”1人だけが認めないp352。最初に(その1)で述べたテッド・バンディの例のように、罪の意識がなく物事を深刻に受け止めることができず最後まで、無罪を主張し続ける。裁判でも嘘に嘘を重ねるp347。

7)元同級生「中学時代から不良を気取っているけど、中途半端なやつで、自分より弱いやつだけをいじめていると言う感じの男でしたp158」

項目2)3)5)7)は映画では表現されていない。項目4)は映画に表現されている。項目1)6)は映画の表現が弱い。映画は残虐性にのみ集中し「病的嘘つき」「罪悪感のなさ」などのサイコパス特性に注目していない。

(2)“先生”がカーテン屋に拷問を加える時に浮かべた「愉悦の表情」の違い

下の写真は映画『凶悪』で、酒を飲まし続けてすっかり弱った電機屋(原作ではカーテン屋)に、スタンガンや電気コードの端をむき出しにして頭に当てて、痙攣したり、飛び跳ねたりし、苦しむ電気屋の姿を見て喜ぶ先生である。この場面は前項4)の場面である。サイコパスの特徴を示す場面であるが、このような喜び方をサイコパスはしないと思う。感情を表さず、のめり込むようにじっと見ていて、扁桃体がわずかに反応するのをじっくり味わう。つかつかと電機屋のところに行き、血走ったような目をして、静に「俺にもやらせてくれ」と言うはずだ。映画『凶悪』のように子供が楽しいので『やらせて、やらせて』と言うような表情とは全く違う。だいたいサイコパスはリリー・フランキーが演じるような豊かな表情をしない。能面のように、表情に変化が無い。『凶悪』はリアリズムを追求する映画ではないが、リアリズムを追及すればリリー・フランキーの表情は事実でない。サイコパスは人が苦しむことが楽しいのではない。人の苦しむという刺激で機能不全状態の自分の感情神経を反応させることで麻薬のような興奮を獲得する。健常者の「楽しい」とは別のもの。もっと奥底でじんわりと他には替え難い興奮を味わっている。目が据わっていなければならない。おそらく、もっと凄みのある、健常者には現われることのない、口元は笑っているが、目は睨んでいるような、気持ちの悪い表情のはずである。その下の写真アンドレイ・チカティロのような。

写真出典:ミズキズム、(C) 2013 「凶悪」製作委員会(3月3日閲覧)

http://mizukism.jugem.jp/?eid=24

下の写真は、旧ソ連時代のロストフの切り裂き魔と言われた52人の少年少女を殺害し、内臓などを生で食べた殺人鬼。アンドレイ・チカティロ(Andrey Romanovich Chikatilo)。写真は、口元は笑っているが、目は笑っていないように思える。サイコパスはこのような気持ち悪い笑い方をすると思う。「私は生まれてくるべきではなかった。死刑になって当然だ」とアンドレイ・チカティロは言ったという。

サイコパスがなぜ「人の内臓などを生で食べる」行為をするのかは本シリーズの(その2)「1.6 扁桃体を破壊した動物実験でも見られるサイコパスの特徴行動:K.B.症候群、2) 」などを参照。尚、アンドレイ・チカティロは慢性的な夜尿症である。M.ストーンは夜尿症(寝小便)は将来サイコパス犯罪者となる幼少時代の手がかりの3特徴放火動物虐待寝小便の1つであると述べている(M.ストーンp179)。夜尿症については本シリーズ(その4)項目「(2)扁桃体の構造と具体的機能とサイコパス」参照。

写真出典:女子供52人を切り裂いた男が野放しにされた理由とは?アンドレイ・チカティロ(2014、3/2閲覧)

http://matome.naver.jp/odai/2135401076124619901

(3)“先生”がカーテン屋の頭を坊主にし、体中に油性マジックで落書きした場面の違い

下の写真は、映画『凶悪』で告発者Gがムショ仲間の佐々木をメンツが潰されたとして、橋の上から落として殺害する前に、背中に油性マジックで観音菩薩の絵を書く場面。実際の佐々木の死体には全身にイレズミがあるが映画で示したような、描かれた絵はないp38。この場面は前項(1)5)で述べた、原作の“先生”がカーテン屋を坊主にして体に描いたことを、映画ではGに行わせたのではないかと私は推測する。サイコパスはGが描くような観音菩薩の絵を描くだろうか、疑問がある。サイコパスが絵を描くのは、人に表現するためや象徴として描くのでなく、自分の興奮を持続するために描くので、自分の興奮状態を引き出すような絵のはずだ。その下の写真ジェイソン・バーナムが体に描いたような絵を描いたのではないだろうか?

 

写真出典:私がプログラムからコピーしたもの。

下の写真は、第一級殺人未遂容疑と2件の暴行殺人の件でアラスカの法廷に招聘されたジェイソン・バーナム(Jason Barnum)37歳である。記事では、法廷で左右に動き回り、マイクに顔を叩きつけていた。また余罪を調査中とのことである。ジェイソン・.バーナムがサイコパスかどうかはこの記事だけからは分からないが、サイコパスが描く絵はこのような、健常者が共感しがたい、気持ち悪いものであろうと思う。“先生”がカーテン屋の頭を坊主にし、体中に描いた絵がどのようなものか原作からは分からないが、このような傾向のものだったかもしれない。

 

写真出典:Straight out of The Terminator: Terrifying criminal with a tattooed EYEBALL arrested for 'shooting at police officer'(2014、3/4閲覧)

http://www.dailymail.co.uk/news/article-2203682/Jason-Barnum-arrested-Terrifying-criminal-tattooed-EYEBALL-arrested-shooting-police-officer.html

下の3枚の写真はリリー・フランキーが演じた実際の“先生”本名、三上静男である。中央は歩いているところを記者(原作者)が撮影したもの。右は若い頃である。身長は180cm程度p348。見ようと思えば、人の良い近所のおじさんとも見える。サイコパスは外見からは、分からない。

  

写真出典:左:楽天BLOG、凶悪、カテゴリ:ノンフィクション(2014、3/5閲覧)

http://plaza.rakuten.co.jp/dekisii/diary/201305100000/

中央:私が原作p317をコピー

右:すそ洗い:三上静男(2014、3/5閲覧)

http://urosthene.rssing.com/chan-2646029/all_p71.html

(4)告発者Gの実際と映画『凶悪』の違い

実際の告発者Gは次に見るように反社会性人格障害。映画『凶悪』で表現されたようなサイコパスではない。

告発者G、本名、後藤良次がどのような人物かを知るため経歴を見ておく(pp153-155他)。

14歳:窃盗、暴力行為、初等少年院1年

16歳:稲川会系幹部と付き合いができ暴力団の組に入る

17歳:窃盗、器物損壊、中等少年院

19歳:器物損壊、特別少年院

20歳:公務執行妨害と傷害で逮捕。久里浜特別少年院で職員とトラブル・乱暴で懲役1年4ヶ月水戸少年刑務所

22歳:窃盗・器物損壊・住居侵入で逮捕。懲役10ヶ月、水戸少年刑務所

22歳:組解散

23歳:恐喝で逮捕。起訴猶予

23歳:稲川会上州田中一家小田組(後の大前田一家)の組員になる。

28歳:組の支部を水戸に作り、組支部長

31歳:対立する住吉会系諏訪組組長射殺。出頭、逮捕。処分保留、不起訴

33歳:前橋に戻り、総長の直参になる。

35歳:「後良組」を構え、組長になる。

35歳:暴力行為、銃刀法、火薬類取締法、覚せい剤取締法違反、懲役4年福島刑務所

39歳:仮出所。郷里の宇都宮に戻って「後良組」あらため「後藤組」とするが再興できず

駐車違反、女性交通巡査員二人を脅し、違反キップを無理やり奪い取り、破って捨てたp176。公務執行妨害で逮捕状が出た。それで、宇都宮を離れ内縁の妻の実家や旧友で大前田一家の元組員がいる水戸へ流れた。

40歳:知人の自営業者(47歳)を絞殺。首吊り自殺に見せかけたと2007年に自供。

   大前田一家の元組員の不動産ブローカーの紹介で堅気になるために“先生”と知り合うp79。

   羽振り急によくなる。内縁の妻に生活費と貯金分として80~100万円/月p180。

41歳:“先生”が殺害した死体の焼却処理を手伝う。(映画にあり)

41歳:“先生”の土地売却計画の土地所有者倉浪の生き埋め手伝う。(映画にあり)

42歳:①ムショ仲間の佐々木を、嘘に騙されたという理由で、紐やガムテープでスマキ状態にして生きたまま川に投げ捨て殺害p38。(映画にあり)

    ②4人が不義理をしたという理由で、5人で押しかけ、4人を縛り上げ、高濃度の覚せい剤を大量に注射1人死亡、3人はハサミでメッタ刺し。体や居間に灯油をまいて、火を放った。乗用車奪い逃走p39。

    ③“先生”の保険金殺人計画のカーテン屋殺害の手伝い。(映画にあり)

    ④逮捕。

44歳:死刑判決

46歳:“先生”のところにいた藤田幸夫が自殺。

47歳:新潮記者と面談開始:逮捕から5年が立っている。

尚、Gの生まれが1958年7月24日で、西暦年数から年齢を推察している。その年の誕生日7月24日の前か、後かで年齢が1つ違うので、上記年齢は±1歳の違いが生じる可能性があるので参考としていただきたい。

以上の経歴で分かることは、Gは14歳から少年院に入る粗暴な性格で、原作者宮本太一が言うように「善悪の判断や倫理規範に欠けた、筋金入りの犯罪者p156。」である。だがサイコパスの特性がほとんどないことがわかる。42歳頃に、G主導の残虐な殺人を行っているが、裏切ったものは許さないという理由がはっきりしている。また、当時覚せい剤中毒の状態であったことも凶暴性を増した要因と思う。記者(原作者)の面談時は逮捕から5年が立ち完全に覚せい剤の影響は消えているp91。

サイコパスではないということは「(その5)(2)1)藤田幸夫の存在と自殺の削除」の項で述べた障害者と思われる藤田への支援など以外に、以下の点からも分かる。以下は映画では表現されていない。

1)女、子供は殺さない:“先生”から資産のあるスナックママの殺害を依頼された時に、「女、子供は殺さない」として断ったp284、サイコパスであれば、女、子供など弱いものを狙う。後藤良次(G)は逮捕される直前に、何らかの障害があると思われる舎弟の藤田幸夫の生活の面倒を “先生に”頼んだ。「舎弟の生活の面倒は頭が行う」。極道の筋を通す、サイコパスには無い信条

2)人に感謝する気持ちがある:「高橋義博さんへお礼言ってくれ。余罪告発する心境に至った背景には同じ拘置所にいる高橋さんの説得や後押しもありました。新潮さんを紹介してくれたのも高橋さんですp235。」

3)自分を客観的に捉えることができる:「自分は無学ですが、ウソはいいませんp235。」「自分は絶対嘘をつかない人間だからp46」

4)内縁の妻やその母親の心配をする:内縁の妻とその母親の身元引受人指定を解除。面会も断る。取材が行くかもしれないので縁を切った。身元引受人はいなくなったが、「自分のどうしようもない人生に巻き込みたくなかったp234」。親身になって面会や差し入れに来る内縁の妻に「他の女から差し入れが有るからいい」と嘘を言って断っているp170。他の女でなく、信頼できる舎弟が差し入れをしていたp283。

5)良心の呵責を感じている:「何の罪もない人が、不動産や保険金のために自分たちの手で葬られているp235」。G主導で行った殺人は、裏切りなど理由が明確。“先生”の指示による殺人は『何の罪もない人』。

以上から言えることは、告発者Gは反社会性人格障害である。サイコパスではない。すなわち、脳の傍辺縁系のどこかに発達障害があると考えられるが、扁桃体には障害が無い。

下の写真はピエール瀧が演じた実際の告発者G、後藤良次である。暴力団の世界で生きてきた、反社会性人格障害者の迫力があるように思う。反社会性が強いが、極道の筋は通す。

   

写真出典:左:楽天BLOG、凶悪、カテゴリ:ノンフィクション(2014、3/5閲覧)

http://plaza.rakuten.co.jp/dekisii/diary/201305100000/

右のモノクロ2枚:私が原作p357をコピーした。

(5)Gの“先生”を告発した理由の違い

1)主要点の比較

下記表の通りである。実際の告発者Gは先生の持つサイコパス特性(病的な嘘つき、罪のない人を自己利益のために邪魔者として殺害する)にじわじわと湧き出るように「許せない」。映画『凶悪』は先生の「嘘にはめられて人を殺した」ので許さない、という単純なもの。実際のほうが、遥かに深みがある

実際の告発理由

映画『凶悪』の告発理由

1)病的な嘘つき仲間の自分(G)にまで徹底的に嘘をつく。許せない。

保険金殺人の報酬、約束2500万円p349。受け取ったら宇都宮事件の自首しようと考えていたp184。約束を反故にされた。

②「先生の殺人、黙っていてくれ、3000万円、9月までに金は準備する。p96。」約束を反故にされた。

③面会時の約束、良い弁護士を付けるp60。嘘だった。

④「藤田幸夫の生活の面倒を見てやってください」と頼んだ。先生は「引き受けた」と約束した。逆に自殺に追い込んだ。約束を反故にした。

1)Gは先生の「舎弟の五十嵐が逃げようとしている」という嘘にはめられて五十嵐をG自らが銃殺してしまった。許せない(この話は、実際はない)

2)“先生”がのうのうと暮らしているのが許せない。

2)何の罪もない人を虐待殺害しこと。贖罪の念

2)告発に至る過程の比較

実際は“先生”に約束を守らせるために、面会で督促し、面会にこなくなった時は手紙を出している。その対応で、Gがダマされたことが明確になる。この過程は実際のGが告発へ至る重要なステップである。この過程に係わる一切が映画にはない

面会で先生は「もうちょっと待ってくれ、約束は守るから」と引き伸ばし、2回来て後、来なくなった。

最初、手紙で「金銭など支援を求めた」が返事なし。藤田幸夫の自殺を舎弟から聞いてから、配達証明郵便を4回出している。1回目は自宅宛「どうなってるんだ。なぜ藤田の面倒を見ず、自殺に追い込んだ。話が違うじゃないか。約束を守れ」と怒って出した。返事なし。2回目は無視できないようにするため、先生の奥さん宛「嘘ばかりついて、俺をダマしたら、許さないぞ。このまま俺を裏切るなら、あんたと一緒にやった事件をすべてバラすぞ。マスコミや警察に話してもいい。本気だ。死刑なんて怖くないんだ。あんたが手を染めた犯罪を明かされたくなかったら、約束を守れ。」返事なし。その後の2通は受け取り拒否でそのまま帰ってきたp62。手紙ではラチがあかないので、舎弟を直接自宅へ行かせた。病気入院中として追い返されたp63。

“先生”の態度に対するGの理解:Gが上告して裁判で争う姿勢を示しているので、先生は「Gは他の殺人事件を打ち明けるような無茶な真似はしない」と読んだp66。だから、「Gの事を無視しても大丈夫」と考えた。

「やつの一番の失敗は、約束を守らず、舎弟のように可愛がっていた藤田を自殺に追い込んだことです。これだけは本当に許せない。自分は怒り心頭に発している。今からやつが驚く顔が楽しみp67」。自爆覚悟の告発p232。

(6)M.ストーン邪悪度等級での実際と映画『凶悪』の違い

M.ストーンの邪悪度等級、悪の等級尺度では“先生”と告発者Gのレベルがどうなるかを考えてみる。M.ストーン「何が彼を殺人者にしたか」(イースト・プレス、2011年)のp37の悪の等級尺度表とM.ストーンが実際に分類した事件から私が推定すると、下記表の通りである。

「邪魔者」とは保険の掛かった人や詐欺で奪い取る資産の持ち主が該当する。サイコパスは「邪魔者」を殺害して、自己の利益を得る。自己中心的特徴が極めて強い(「(その1)1.1 サイコパスの全体像」参照)。映画『凶悪』は“先生”も告発者Gもサイコパスのレベル(カテゴリ)11に相当している。実際では“先生”だけがサイコパスのレベル11で、告発者Gは少し邪悪レベルが低いレベル8程度になる。

 

実際の人物の邪悪度

映画『凶悪』の人物の邪悪度

“先生”

大区分:サイコパス特性が認められ、明らかに殺意のある殺人。

小区分:レベル 11「邪魔者」を殺害する完全なサイコパス

同左レベル 11

告発者G

大区分:サイコパス特性はわずかまたは皆無、犯行はより冷酷。

小区分:レベル8:鬱積する怒りを爆発させたものによる殺人、ときに大量殺人になる。

同上レベル 11

この事件に係わる人々は、実際は“先生”を中心のアンとした、サイコパスまんじゅう構造ができていたと考えられる(「サイコパスまんじゅう」については(その4)「1.20健常者のサイコパス化の危険」参照)。この検討は割愛する。

以下(その7)へ続く。テッシーでした。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『凶悪』残虐性は「人間が持つ普遍的な暗部」と描く。だが最新科学は先天的障害であるとする(その5)

2014-04-06 19:08:25 | 映画凶悪・戦争のサイコパス残虐性シリーズ

(その4)の続き。

2.映画『凶悪』は、誰もがサイコパス特性を持っているとするために、原作に手を加えたり削除したり、構成を変えたりしている。

特記のないp**は原作「凶悪」(宮本太一、2009年、講談社)のページ数を示す。

(1)原作に付け加えた内容

1)記者の家庭の痴呆症になった母親

このような母親は実在しない。下記二人をサイコパス特性とするために加えられた構成。

  ①記者の妻:痴呆の母親を殴る:いじめ、虐待を好むサイコパスとして描き出す。

  ②記者:母の痴呆に困る妻に、相談に乗らず冷淡に対応する:冷淡で、共感しないサイコパスとして描き出す。映画の記者は能面のような表情で、笑うことが無い。このような記者(原作者)の姿は原作の中には微塵もない。

2)記者の逮捕:先生の取材に1人で行き住居侵入、公務執行妨害現行犯。

このような事実はない。事実は、先生の自宅へ取材に行く時に、新潮社の経営幹部の了解を取り、4人で行き、警察へも事前に連絡をした万全の態勢で臨んでいるp222。現行犯で逮捕されるようなドジな取材体制ではない

映画『凶悪』で記者の逮捕を付け加えたのは、下の3枚の写真の場面とするためであろう。拘置所あるいは留置所の厚いガラス越しに面談する部屋である。左が告発者G、中央が記者、右が“先生”。いずれも同じサイコパスとして並べるためである。

 

特に記者自身もこの位置に置くところに映画「凶悪」の意図するところがよく出ている。「みんな、サイコパスだ」という意図である。

記者の面談に来たのは、記者の妻である。この面談場面で妻は「こんな狂った事件を追いかけて楽しかったでしょ。私も楽しかったわ、怖い物見たさで、こんな怖いものがあるんだって。私、母を殴っている。」と言う。記者の妻のサイコパス特性をはっきりさせる場面である(下の写真)。

面談室3枚の写真の右端は最後の場面のリリー・フランキー扮する“先生”である。この場面が、映画『凶悪』の最後になる。“先生”は厚いガラス板を軽く人差し指で叩きながら、あたかも見ている観客を指差しているようにして「1つ教えてやる、私を殺したいと一番強く願っているのは、被害者でも須藤(告発者G)でもない。」という言葉で切れ、終わる。観客へ『お前だ。お前も、俺を殺すことを楽しむ、俺と同じサイコパスだよ。』と続くかのようである。映画「凶悪」全体を通してのテーマがここに集結している。『みんな、人を苦しめること、残虐なことが好きなんだ』『みんなサイコパスなんだ』というテーマである。

多くの人にとって映画『凶悪』が気持ちの悪い、後味の悪い映画となるのは、一貫したこのテーマにある。だが、このテーマでその通りだと思う人がいることも事実である。それは、「(その2)1.11(1)サイコパスの割合」で述べた250人に1人のサイコパス、多くても、反社会性人格障害の50人に1人程度であろう。また、「サイコパスまんじゅう」が形成されている場合は、「サイコパスまんじゅう」の皮としてサイコパスの残虐性を自己内へ写し取ってしまった健常者も、このテーマの通りだと思うであろう。他の圧倒的多数の人には、このテーマは当てはまらない。

「サイコパスまんじゅう」については本シリーズの(その4)「1.20健常者のサイコパス化の危険」参照。

尚、原作者宮本太一氏がプログラムの中で、上記の妻の面談場面で記者に向かって「楽しかったでしょ。」と言うシーンでドキッとした、と述べている。これは、『宮本氏がサイコパス特性を言い当てられた』と誤解を招く。宮本氏がドキッとしたのは全く別の理由である。プログラムで述べている通り「裏が取れて、また一歩前進した」「ひとつひとつの進展に喜びを感じている自分、達成感に酔っている自分」を言い当てられた、ということである。白石監督がこのことを見抜いて「楽しかったでしょ」と言う言葉を妻に言わせたのではないので、宮本氏の誤解である。映画では上記に説明したように「サイコパスとして残虐な行為を見て、楽しかったでしょ」という意味である。「達成感の楽しかった」と「サイコパスとして楽しかった」では全く違う。

写真の出典

面談部屋の3枚の写真Seesaa MOVIE BLOG (C)2013 「凶悪」製作委員会(2014、3/6閲覧)

http://movie-info.seesaa.net/archives/201301-1.html

妻の面接場面:Seesaa:綾野剛の何でも情報、(C) 2013 「凶悪」製作委員会(2014、3/6閲覧)

http://ayanogo.seesaa.net/article/387252049.html

3)会社に黙って記者が単独行動

映画では、編集長が記者に「不動産ブローカーがヤクザと結託して人殺しをしても記事にならない。」「会社に来ないでなにやっていたの。」と言う。前項で述べた、記者が先生の取材に1人で行き住居侵入、公務執行妨害現行犯で捕まるという布石のため、1人で行動させる必要があったのであろう。

原作では、記者が社内の必要な手続きを経て、一歩一歩真実へ近づいていく。記者が会社に無断で勝手な行動をしているような場面は一切ない

4)告発者Gをサイコパスと作り上げるために付加および削除した場面

①“先生”がネクタイで絞殺した死体を処分する手伝いをする時に、焼却炉に入らないので告発者Gが手足を鉈で切断する場面が付加された。この場面は実際には存在しない。原作は焼却炉に遺体がそのまま入る。切断する必要が無いp102。映画『凶悪』では告発者Gが人を切り刻んでもなんとも思わないサイコパスに仕立て上げる

②原作ではカーテン屋(映画では電機屋)を虐待・殺害した後、告発者Gは気分が悪くなり、先生の命令で小野塚と鎌田が証拠隠滅や死亡推定時間を遅らせることを行っている間、玄関でお香をたいていたp114。告発者Gの気分が悪くなった実際の場面は映画では削除されている。残虐行為で気分が悪なってはサイコパスとして仕立て上げるには相応しくないので、削除したのであろう。

(2)原作から削除した重要な内容

1)藤田幸夫の存在と自殺の削除

Gが告発した理由で何度も述べられていた、『藤田幸夫の存在と自殺』が映画『凶悪』で削除されている。

藤田は何らかの知的障害を持っていたのではないかと原作から私は推測する。

「Gは『藤田は生活能力に乏しい』ので “先生”に『きちんと面倒を見てやってください』と何度も言った」が“先生”に自殺に追い込まれたp206。「藤田の件だけは絶対に許せないp62、p67、p205」。これが告発に踏み切る重要な理由になっている。藤田は“先生”のことを知りすぎて殺されたとGは見ている。

私は原作を読んでいて、はじめ、告発者Gが障害者の藤田幸夫を支援していたところを見せて記者の同情を買う、したたかな戦略と感じた。また、告発者Gが、“先生”が約束の金をGに渡すまでの監視役に藤田を使ったとも考えたが、全体を読むと、そうではなく、Gの本心であることが分かる。“先生”の監視役にはGに面会や差し入れに来る信頼できる別の舎弟がいるpp281-286。藤田の必要性はない。告発者Gが知的障害者に同情し、生活を支えていては、Gを残虐非道のサイコパスとして描き出すことができないので映画『凶悪』では削除したのであろう。

実際の告発者Gは次の(その6)で述べるがサイコパスでなく、反社会性人格障害である。映画『凶悪』はサイコパスと反社会性人格障害とを混同している。

2)“先生”のサイコパス特性の削除

原作では、“先生”の動物虐待や監禁などのサイコパス特性を示す事実(その6参照)を述べているが、映画『凶悪』では削除されている。他の登場人物を同じ土俵に乗せるのに、1人だけ目立つので削除したのであろう。

以下(その6)へ続く。テッシーでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする