最近、日経新聞がネタを提供してくれるのでありがたいことです。
2015年12月日の朝刊1面の「春秋」に次のような記事が出ていました。
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「がっかりスポット」というのがある。 誰もが名は知っているが、行ってみたら意外に地味だったという名所や旧跡のことだ。 水木しげるさんの漫画の人物なら「フハッ」と吐息(といき)しかねない。 JR京都駅から徒歩約20分の「羅生門(羅城門)跡」も相当ながっかり度だ。
住宅に囲まれた小公園のすべり台の横に石碑がぽつんと立つだけ。 幅40メートル、高さ20メートル、二重の楼閣を誇ったという壮麗な表玄関は跡形もない。980年に暴風雨で倒れ、そのまま放置されたようだ。 藤原道長は1023年に別の場所に寺を建立(こんりゅう)する際、羅生門の礎石を運ばせている。すでに、土台がむき出しだったのだろう。
(以下、芥川龍之介の「羅生門」の話が続くので省略)
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羅生門については、やはり似たような話が出ていたので、私が2013年03月12日のブログに既に書いています。
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テレビだったか、新聞だったか、羅生門のあった付近の小公園を訪れた観光客が、石碑だけが建っているのを見て、がっかりしていたそうです。芥川龍之介の小説を読んだか、黒沢明の映画「羅生門」を見て来たのでしょう。
でも羅生門が現存するはずが無いでしょう。羅生門があった場所は、普通の観光客なら行かない場所です。その場所を知っているのなら、観光ガイドブックを見たか、インターネットで検索したかでしょう。そうであれば、石碑しか無いことがわかるはずです。それとも、どこかのお城のように、コンクリートで再現されていると思ったのでしょうか。それもチープだと思いますけど。
羅生門に関しては、京都市のサイト
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi05.html
が詳しく、羅生門は火事ではなく、暴風で平安時代(なんと西暦980年)に倒壊し、以後再建されることは無かったそうです。
(一部削除し、若干書き加えています)
(以下省略)
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ということで、羅生門は約千年前に倒壊したままになっています。平安京のメインストリートの朱雀大路も跡形もありません。この朱雀大路の南端が羅生門ですから。京都には「朱雀」という名前が地名や学校名として残っていまが、普通の市街地です。
羅生門跡はいわゆる観光地では無く、私も訪れたことは無いし、これから訪れる気もありません。したがって、ここを訪れたい人が羅生門跡を探そうとすると、詳しい観光ガイドブックを見るか、インターネットで検索するしかないですが、そのいずれも石碑しか無いことを書いていたり、写真を載せていたりしているはずです。ということで、石碑以外に何を期待して来るのでしょうか?
もしかして、羅生門が現存していると思って来るのかな? まさか!それは日本史を知らなすぎる。西暦980年に倒壊していなくても、その後の都の荒廃や度重なる戦乱で、倒壊もしくは炎上しているはずです。
あるいは
①コンクリートで再現された羅生門がある
奈良の平城京の羅生門は石碑だけですが、朱雀門(朱雀大路の北端)は復元されているので、こういうのを期待したのかな?
②礎石だけが残っている(上記京都市のサイトには、既に平安時代に礎石も他に流用していることが書かれているので、これはありえない話ですが)
と思っているのでしょうか?
ということで、先の日経新聞は羅生門跡を芥川龍之介の小説「羅生門」の記事の枕に使っているのですが、話の流れとして適切では無いですね。この記事を読むと、書いた人は実際に現地に行っていないと思う。 上記京都市のサイトを参考にしている節もある。行ってがっかりと言うネタをインターネットから探してきたのでしょうが、文章がチープですね。
日経新聞はイギリスの「フィナンシャル・タイムズ」を買収しましたが、新聞の一面にこんな記事を書いていて「フィナンシャル・タイムズ」の記者に太刀打ちできるのでしょうか?
2015.12.14