ある本に書いてあった
「人間は、間違いを批判された時に、認められないものである
だから、人の批判をするな
他人を変えられる、と思うな」
それで思い出した
前に「祭りの太鼓の稽古」の時に
いつもはオードブルを買ってくるんだけど
(安くあげようと)焼き鳥にした人が居た
それはいいんだけど、そこらに居た若い子(20~23歳)に
「これを盛り付けてくれ」
と言って「10センチくらいの紙の皿」を出した
若い子は「もも肉ばっかり」「皮ばっかり」「肝ばっかり」盛り付けた
(1つの皿に20本づつ)
俺がそれを見て
「同じ物ばかりより、違う物を混ぜた方がいいんやないか?」
と言ったら
「僕らは一生懸命やったんですよ」と言われた
仕方ないから、そのまま出したら
「皮と肝」が大量に残って、捨てた
ああいう時には、注意しない方がよかったのかな?
後で考えてみたら「焼き鳥を用意した」人が
「大きい皿」も用意するべきだったな
「人間は、間違いを批判された時に、認められないものである
だから、人の批判をするな
他人を変えられる、と思うな」
それで思い出した
前に「祭りの太鼓の稽古」の時に
いつもはオードブルを買ってくるんだけど
(安くあげようと)焼き鳥にした人が居た
それはいいんだけど、そこらに居た若い子(20~23歳)に
「これを盛り付けてくれ」
と言って「10センチくらいの紙の皿」を出した
若い子は「もも肉ばっかり」「皮ばっかり」「肝ばっかり」盛り付けた
(1つの皿に20本づつ)
俺がそれを見て
「同じ物ばかりより、違う物を混ぜた方がいいんやないか?」
と言ったら
「僕らは一生懸命やったんですよ」と言われた
仕方ないから、そのまま出したら
「皮と肝」が大量に残って、捨てた
ああいう時には、注意しない方がよかったのかな?
後で考えてみたら「焼き鳥を用意した」人が
「大きい皿」も用意するべきだったな