アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

雨続きの岩湧へ久しぶりに登ったら秋の気配だった 2015年8月20日

2015-08-31 00:04:01 | 岩湧山の四季
夏風邪をこじらせてしばらく安静にしていて、山歩きを控えていた。

このところ毎日のように雨が続いている。雨の止んだ隙を突いて久しぶりに岩湧へ行った。
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山頂付近は雲が渦巻いていて、しきりに流れている。
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これは和泉山脈の三国山方面だ。盛んに雲が涌いてきて 幻想的な風景だ。
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振り返ると金剛山方面は雲で何も見えない。
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ダイヤモンドトレイルの滝畑方向も雲が涌いては流れ あまり良く見えない。
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足元の滝畑ダムや その向こうの大阪平野も全く見えない。
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大阪府最高峰の南葛城山も雲の中だ。
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しばらく来ない間に山頂付近で林道工事が始まっていた。
大阪府森林破壊組合が 税金を使い放題、やりたい放題で森林破壊活動中だ。どうにもならんなあ、あのアホどもは。
松井君や橋下君はこんなこと知らないだろうなあ。
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斜面を見るとオレンジ色の花が点々と咲いている。
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夏の終わりの花 小鬼百合だ。
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流れる雲の中で 水滴に花びらを濡らして 幻想的だ。
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いたるところの斜面や萱の茂みの中で咲いている。この花を見ると夏の終わりを感じる。
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この花には蝶が止まって花の蜜を吸っている。
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道の両側には秋の花、「萩」の花が咲いている。
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萩は秋の花だ。この花は「丸葉萩」。
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真夏の花「河原撫子」もまだ健在だ。
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葉場山火口(はばやまぼくち)もやっと花を付けた。これから秋にかけて綿毛を付けていく。
昔はその綿毛を集めて火口(ぼくち)としたそうだ。
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山頂付近には 大きな「鬼獅子独活」(おにししうど)が沢山咲き始めていた。
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金水引(きんみずひき)もあちこちで咲き出した。
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花苦菜かと思ったが良く見ると「山苦菜」(やまにがな)だ。
この花はニガナの仲間ではなく、キク科アキノノゲシ属の植物だ。山に成育し1メートル以上になるという。
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野紺菊の白バージョン。菊の季節になったのだ。
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屁糞蔓(へくそかずら)なんて下品な名前をつけられたかわいそうなやつ。かわいらしい花なのになあ。
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小雁皮(こがんぴ)も咲き出した。いよいよ秋の始まりだ。
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山を降りて久しぶりに岩湧寺へ行ってみた。境内では 秋海棠真っ盛りだ。
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お寺の境内や周りは秋海棠だらけだ。この花は夏の終わりの花だ。
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この花はベゴニヤのなかまだ。江戸時代には既に日本へ入ってきていたらしい。

「秋海棠 スイカの色に 咲きにけり」  松尾芭蕉
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梅雨明けしたけど雨続きの松江市嵩山(だけさん)に登る  2015年7月23日

2015-08-26 23:12:39 | 松江市の四季
松江市は 梅雨明けはしたようだけど、近づく台風の影響で毎日激しい雨が降る。

そんな毎日の 雨の止んだ隙間を突いて 嵩山に登った。
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歩き始めて約30分、鳥居が見えてきた。
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すぐに山頂の「嵩山布自伎美(ふじきみ)神社」に到着。
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足元で何か動く者がいた。蝉の幼虫が土から這い出して今夜の脱皮に向けて行進中だ。頑張れよ。
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野球のボールより一回り大きなキノコ。初めて見た。梅雨の落とし児か。
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展望広場には新しいベンチが増えていた。
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大根島とその先にゲゲゲの境港市が見える。
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米子市の街の向こうに大山が見えるはずだが、今日は雲が多く隠れている。
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松江市街地と その向こうには出雲北山が覗く。夏空とはいえない梅雨空のようだ。
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北側には松江北山の大平山あたりが見えている。今度久しぶりに自転車であの山の峠を越えてみよう。
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下山を始めたら新しい標識が取り付けてある。熊井の滝は夏の素麺流しで有名な滝だ。
今度歩いていってみたいがかなり距離があるので 前もって自転車を下山口においておくといいなあ。
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真夏から夏の終わりの花「山路のホトトギス」が一つだけポツンと咲いていた。
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登山口駐車場付近には 姥百合が沢山咲いている。姥百合の咲く季節になったなあ。まさに初夏だ。
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蕾もまだまだたくさんある。これからが姥百合の本番だ。

※姥百合とは 下品なやつが下品な名前をつけたものだ。名前の由来は
「花が終わる頃(見ごろが終わる頃)に 葉が落ちてしまう。(歯がおちてしまう)」
と女性のことを例えてつけた名前だ。女性に対して失礼にも程がある。
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季節の風景トップページはこちらです。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kisetsu/index.html
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古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて 大塚古墳、東大寺山古墳、和邇坐赤坂神社、石上神社、大和神社 その5

2015-08-24 09:02:32 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
5.大和神社
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たまたま前を通りかかった大和神社(おおやまとじんじゃ)に立ち寄った。長い参道を歩く。
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鳥居を潜ると神社名が大きく書いてある。なんと戦艦大和ゆかりの神社と書いてある。
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主祭神を見て大仰天した。なんと八千矛とかいてある。おまけに歳神様の名前もある。
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拝殿に到着して早速八千矛王に参拝する。
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奥をよく見たが 残念ながら本殿が大社造なのかどうかわからなかった。

しかしここ大和の中心地で大国主を祀る神社は大神神社をはじめたくさんある。
しかし 出雲王家の第八代主王(大名持)を 本名で祀る神社があるとは思っても見なかった。

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「八千矛」とは出雲王朝第八代主王の本名である。

秦国からの渡来人徐福らに主王八千矛と 副王八重波津身の二人がほぼ同時に幽閉殺害された。

徐福の子孫の物部家の王たちは 徐福らに殺された二人のたたりを恐れて 全国に二人の霊を祀る神社を建てた。
記紀で書かれた二人の名前は 大国主と事代主だ。

主王の役職名は 大名持ちと言うので 大国主のほかに 「大汝」とか「大名ムチ」とか言う名前で祀られ、
副王は役職名を少彦というので、事代主と言う名前のほかに少彦名とか恵比寿という名前で 祀られた。

二人が幽閉殺害された 稲目洞窟と志都の岩屋を尋ねた記録は このブログの2013年3月13日の記事にあります。


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古代出雲王朝は 主王(大名持)と 副王(少彦)の二人体制の王たちで統治されていた。


紀元前3世紀の末に 秦国人徐福は 秦の始皇帝の命を受け 不老不死の薬を求めて 蓬莱島(和国)に
沢山の海童(少年や少女)と技術者を連れて 出雲王国の石見の五十猛海岸に上陸した。

その1年ほど前に 徐福は忠実な部下の穂日と穂日の息子夷鳥(ひなどり)を出雲王家に派遣して
上陸の許可を取っていた。そのときの献上品の銅鐸が 出雲王家に神宝として長く保管されていたという。

また穂日の子孫が今の出雲大社宮司の家系である。

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このオオヤマト神社のご祭神を八千矛の本名で祭るのは今まで全国の神社をいろいろ見てきたけど、
初めてだったので 衝撃を受けた。

この神社のもう一人のご祭神 御歳神は古代出雲で信仰された歳神様で 新しい歳を迎えるときに必ずお祀りをしたという。

八千矛王や八重波津身が徐福らに幽閉殺害されたあと、皇子の味鋤高彦やクシヒカタたちは秦国人たちとの共生を嫌い
大和葛城地方へ移住した。

高鴨神社、鴨津波神社、一言主神社などを建てて 父君の霊を祀ったが その中に御歳神社もあり今も御所市に現存する。

また八千矛王の御霊は分祀されて あの戦艦大和の艦長室に祭られた。戦艦大和の乗組員や仕官たちは出撃前にこの神社へお参りして出征
したという、戦艦大和ゆかりの神社でもある。

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古代出雲王朝のトップページはこちらです。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html

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古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて 大塚古墳、東大寺山古墳、和邇坐赤坂神社、石上神社、大和神社 その4

2015-08-22 08:48:11 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
4.石上神社(いそのかみじんじゃ)
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参道を歩いて行く。広く長い参道だ。
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鳥居をくぐってさらに歩いていく。
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珍しい種類の鶏がたくさん歩きながら 大きな声で鳴いている。

記紀の御伽噺では太陽の女神イザナミ(ヒバス姫がモデルといわれている)がスサノオの乱暴に困り
岩戸にかくれてしまい、世の中が真っ暗になったという。そこでなんとかしてイザナミを岩戸から
出てきてもらうべく、鶏を無理に鳴かせて朝がきたとイザナミに勘違いさせようとしたという。
そんな作り話をモデルにして 鶏を神の使いとして たくさん放しているらしい。
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楼門にやってきた。
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門の前に立つと拝殿が見える。
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楼門を潜り、回廊から境内を見たところ。正面に見えるのが拝殿である。
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この神社の神宝とされる七支刀は有名で、百済から献上されたという。説明文があり、剣に銘文が
象嵌してありそれを読み解くと 日本書紀の年代を訂正する必要がある云々と書いてある。
詳しい事はよく読めなかったが もともと嘘で固めた記紀だから訂正するもないだろうと思うけど。
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境内には出雲建雄神社というのがあり、その祭神を見てびっくりした。
主祭神は「天の村雲の剣の御霊」と書いてある。
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天の村雲の剣とは 大王家の三種の神器の一つで、徐福の長男で五十猛(のちの香語山)の皇子の
天の村雲が初代大和の大王に就任したときに 出雲王家からお祝いに贈られた出雲型の銅剣といわれる。

記紀ではスサノオがヤマタノオロチを退治したときに大蛇の尾から出てきた剣で「草薙の剣」と書き換えられた剣だ。
その剣は幾多の政権交代時に 天の村雲の実家の海部家から分家した尾張家により持ち出されて、今は尾張熱田神宮に安置されているという。

その剣の神霊が出雲建雄神社として 物部初代王朝の地に祭られているのだからびっくりだ。

徐福の長男 五十猛(後の香語山)の皇子天の村雲が初代大和大王となったが、徐福の次男穂穂出見の子孫の
物部家イクメ大王が 村雲の子孫磯城王朝を倒して物部王朝を打ち立てたのに、磯城家の家宝を祀っている
のだから なんかおかしい。まあ元を辿れば 兄弟の親父は徐福なのだから。

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主祭神はフツノ御霊など物部家の霊剣の御霊とされている。架空の大王の神武がどうのこうのとかいてあるので
おそらく記紀ができた後からくっつけた話だろう。

もともとこの神社はイクメ大王が大和入りして大王として政治を行った地なのだ。

また配祀神として「ウマシマジ」、「イニシキ」が書いてありとても驚いた。
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ウマシマジの尊とは架空の皇子である。

九州物部王家の彦渚建王(魏書にも名前が載っている)の長男物部の五瀬(いつせ)を大将に第一次東征が西暦80年頃
に開始される。

瀬戸内海を通り 紀ノ川河口に到着して上陸しようとすると 紀の国の大豪族で
高倉下の子孫たちが猛烈に反撃してきた。大将の五瀬は毒矢で戦死する。

五瀬の弟たち、稲飯と三毛入りたちは南紀へ迂回して新宮に上陸するがここでも高倉下の子孫たちに攻撃されて
熊野川の中洲から身動きできなかったという。そこで大和へ密使を送り登美家の当主に案内を頼む。

登美家当主 加茂建津野身は 戦乱に明け暮れている大和の平定統一を物部軍と共に行おうと決心する。

そこで加茂建津乃身が出向いて物部軍を先導して今の国道169号線沿いに大和入りし 登美家の領地の
磐余(いわれ)の地に落ち着き 稲飯たちは磐余彦と呼ばれる。

物部軍は登美家の当主に感謝して「ヤタガラス」と崇拝して末代まで感謝したという。
(※当時の支那の神仙思想に基づくヤタガラスの起源に着いては別の機会に説明したいと思います)

つまり 記紀の編集者たちは五瀬亡き後の大将が 稲飯か三毛入りかわからないので「ウマシマジ」という架空の皇子を
考え出したらしい。
(※武内宿禰の異母弟にウマシウチの宿禰と言う人物がいて 記紀の編集者はそれからウマシマジの名前を考え付いたという)

ちなみに私が熊野古道中辺路の熊野灘道を歩いていた時 新宮市の「浜王子神社」に立ち寄るとそこの主祭神は
「稲飯と三毛入」でこのお二人がこの地に上陸されたと書いてあり、びっくり仰天した記憶がある。

記紀のでっち上げの作り話の「神武東征」に毒されていない 歴史の事実が残っていて 
しかも神社の由緒書きに堂々と書いてあり大いに感銘を受けた。

記紀ではその150年後の九州物部王家第二次東征(イクメ王ー贈り名は垂仁)
と第一次東征をあわせて「神武東征」と 無茶な作り話を書いた。

そして神武の即位を古代出雲王家初代主王の八井耳の時代(紀元前六世紀)まで引っ張ってさかのぼらせたものだから
各大王の年代がむちゃくちゃになったのだ。150年くらい生きた大王が何人もいらっしゃることになった。

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また「イニシキ」とはイクメ大王の長男でこの方はイクメ大王の王位を後継せず、
次男の「オシロワケ」が大王を継いで「景行」と贈り名をつけられた。

長男のイニシキは河内の国でタタラを行い鉄剣を百振り造り 石上神社に奉納したといわれているお方だ。

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5.大和神社へ続く
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古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて 大塚古墳、東大寺山古墳、和邇坐赤坂神社、石上神社、大和神社 その3

2015-08-20 18:07:41 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
3.和邇坐赤坂彦神社(わににいますあかさかひこじんじゃ)
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東大寺山古墳のあちこちに「和邇に坐ます赤坂彦神社」への案内標識が出ていた。
どうも気になって 案内のとおりに 炎天下の道を歩いたら和邇の集落に入ってしまった。
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この集落の奥に神社があると書いてある。しかし集落の中は迷路だった。
一軒の家のチャイムを押して教えていただいた。
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その神社は集落のはずれにあり、かなり大きな神社だった。
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拝殿も立派だ。
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拝殿から遠くに本殿が見えるが近づけない。
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神社の由緒が気など どこ名もないので 主祭神 を探していたら、とんでもないお方の名前が書いてあったので
びっくり仰天した。なんと「アタカタス」と書いてあるではないか。出雲王家の方なのだ。
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この神社の隣の敷地には子供広場があり、「富の森」と書いてありまたまたびっくり仰天だ。
登美家の名前は桜井市や天理市のあちこちに残されていて、登美家が色彩を行った「登美の祭場の山」は
もともと登美山と呼ばれていたが 現在は鳥見山(とみやま)とよばれていて 登美家の名残の残るそのひとつだ。
桜井市の宗像神社など「登美に坐ます宗像神社」と石碑に大きく書いてある。(宗像家ももちろん出雲王家の分家)
その他「とび」と言う地名が桜井市のあちこちに残る。

その富の森もその名残かもしれない。
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主祭神の天の児屋根とは春日大社の主祭神で鎌足や不比等などの藤原家の祭神とされる。
鎌足などどこの輩かわからないので どうせ後の世に作り上げたものだろう。

阿田賀田須は出雲王家大和分家の登美家第八代当主でその分家が和邇家の始まりと言われる。
つまりこの和邇の地の豪族和邇家の始まりが阿田賀田須なのである。

一方徐福(秦国からの渡来人で記紀ではスサノオと書かれた)の二度目の和国上陸後 后に迎えたのが
宇佐王家の宗像三姉妹の末娘市杵島姫である。

市杵島姫が生まれたホホデミ(穂穂出見)が九州物部家を起こし 物部王家は二度の東征の結果大和大王となるのである。
この姫の父君もまた 吾田片隅(あたかたす)とおっしゃり、この方は出雲王朝第六代主王の臣津野(おみつぬ)
の皇子で 九州宇佐に移住して 宗像家の始祖となられたのだ。

また最後のホムタワケ大王は宇佐八幡に祭られていて、この方はソツ彦とオキナガ姫のあいだに生まれたとされているが
実際はホムタワケ皇子は七歳で早世されたため オキナガ姫が親交のあった上毛野国国造家の竹葉瀬の君が
七歳なので急遽秘密裏に呼び寄せて 養子として育てホムタ大王として即位させられた。

オキナガ姫に跡継ぎがいなくなれば せっかく三韓征伐で毎年入ってくる莫大な税金が朝鮮から
入ってこなくなるからである。

竹葉瀬の君は豊玉姫の長男 豊来入彦(記紀では豊鍬入り彦とかウガヤ葺きあえずと書かれた)の子孫で 
つまりは宇佐豊玉姫の子孫である。

豊玉姫は宇佐豊連合軍の東征で イニエ王亡き後君臨した皇后で 魏書に書かれた二番目のヒミコである。
豊玉姫は宇佐王家の姫なので死後宇佐八幡に祭られていたが、ホムタワケ大王の素性を知って一番喜んだのが
宇佐八幡と宇佐王家だという。

そこであわててオキナガ姫とホムタワケを祀る本殿を増築し、豊玉姫は二の御殿に移されたという。
※現在は二の御殿は 宗像三姉妹が祀られている。

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という事でもう一度 主祭神の表示を見てみると 春日大社の天の児屋根、宇佐八幡のホムタワケ
(八幡大神といわれている)と市杵島姫、そしてこの神社のアタカタスは和邇家の
始祖の阿田賀田須と思えるのである。

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4.石上神社(いそのかみじんじゃ)へ続く
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古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて 大塚古墳、東大寺山古墳、和邇坐赤坂神社、石上神社、大和神社 その2

2015-08-18 09:40:41 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
2.東大寺山古墳
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かつては古墳の周りに堀がめぐらされていたと思えるが、今は部分的に数箇所の池が
残るだけだ。
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古墳全体が公園になっている。
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遺跡の説明看板がある。この地に勢力のあった「和邇族」の首長の墓だと書いてある。

この墓はイクメ大王の皇后ヒバス姫が父君「彦道主大王」のために晩年作り直したものだ。
記紀がでっち上げた和邇族なるものは存在しない。出雲王家大和分家の富美(トビ)家第八代当主アタカタスの分家が
和邇に住み和邇家を名乗ったのだ。
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古墳全体はは竹藪に覆われていて、手入れされていない。

約300年続いた磯城王朝最後の大王「彦道主大王」は  万世一系をでっち上げた藤原
不比等らにより、さりげなく 大王から降ろされて和邇族なる豪族の王に格下げされた。

王朝交代がバレて 自分たちが渡来人の子孫の征服王朝だということを隠すため
政権交代なぞ 無かったことにして 隠さなければならなかったのである。

宮内庁も この古墳を管理したいけどできないのだろう。
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東屋があり 天理市内や巻向が見下ろせる。
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イクメ大王が乗り越えてきた生駒山地もすぐそこの 右端にみえる。
磯城王朝の反撃で長い間生駒山地にとどまっていたイクメ大王にちなんで「イクメ(生駒)山地」と名づけられた山並みだ。
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イクメ王との戦いに敗れた道主大王は 娘のヒバス姫をイクメ王に差し出し、因幡の国造となられて
部下の武内宿祢とともに因幡の国へ着任された。

その時点でイクメ王はやっと 大王となられたのである。そして道主前大王は その地因幡で生涯を終わられた。


ヒバス姫皇后は晩年 父の終焉の地の因幡の国に住まわれた後、この和邇の地に父君の陵墓を 
大王にふさわしく作り直されたという。

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その3 和邇に坐赤坂彦神社へ続く
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古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて 大塚古墳、東大寺山古墳、和邇坐赤坂神社、石上神社、大和神社 その1

2015-08-16 10:59:15 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
今回訪ねたのは
1.大阪府羽曳野市 河内大塚古墳 日向ソツ彦(オキナガ姫と共に三韓征伐を成功させた王)の墓

2.奈良県天理市東大寺山古墳 イクメ大王の皇后ヒバス姫が造りなおした父上のミチヌシ大王の墓稜

3.天理市和邇坐(わににいます)赤坂彦神社 出雲王家分家の大和登美家から分家して和邇家始祖となった阿田賀田須を祭る

4.天理市石上神社 イクメ大王が困難の末に大和入りして 政治を行ったところ

5.天理市大和神社 大国主を祭り 戦艦大和に分祀された神社  以上である。
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1.河内大塚古墳
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宮内庁の石碑が立っている。
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後から付け加えたと思われる通路があった。
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要するに誰の墓か分からないと書いてある。明治時代に数十軒の民家をどかしたらしい。
宮内庁が「陵墓参考地」としたと言うことは つまり皇族の墓らしいといっているのだ。
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大きな古墳の周りの堀は未だ健在である。堀の周りは車で一周できる。
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このお墓は日向ソツ彦(武内ソツ彦)大王の墓である。

オキナガタラシ姫(息長帯姫)は 1世紀後半に朝鮮半島辰韓から渡来した辰韓の王子ヒボコの子孫である。

ヒボコは最初出雲王朝の直轄地に上陸しようとしたが、出雲の法律を守る事を拒否したため 出雲王に
上陸を拒否され、丹波円山川上流の湿地帯に上陸し 苦労して開拓したという。

オキナガ姫はイクメ大王の孫 ワカタラシ大王の后になり、後の贈り名は神功皇后といわれる。
そのとき辰韓が滅び新羅となった。
オキナガ姫皇后は新羅に対し辰韓の財産の分与を要求したらしいが拒否された。

夫君のワカタラシ大王に朝鮮出兵を持ちかけるが拒否される。そのあとワカタラシ大王は戦死される。

そこでオキナガ姫は豊前中津彦に相談されるが これも拒否されて かつ中津彦は戦死する。

記紀は物部王朝が三代で終わった事を隠すため中津彦を大王に格上げして「仲哀」としているが中津彦は
大王ではなく、オキナガ姫皇后の単なる部下であり、大王ではない。

また物部王朝を長く存在したように見せるため、九州から一度も出ずに病死したイクメ大王の父君イニエ王を
大和の大王に格上げして「任那来入彦イニエ大王」とでっち上げて 任那からイニエ王がやってきた事にしている。
しかし 任那ができたのは ソツ彦大王とオキナガ姫の三韓征伐が成功したずっと後の話なのだ。

次にオキナガ姫皇后は日向ソツ彦に相談されてソツ彦は 朝鮮出兵を快諾される。

ソツ彦大王は初代大和大王「天の村雲大王」の異母弟高倉下(たかくらじ)の子孫の武内宿祢のひ孫で
武内ソツ彦といい 日向の王となられていた。高倉下の母姫は出雲王家の大屋姫だからソツ彦大王も
当然出雲王家の血を引くお方だ。

ソツ彦王は華麗で豊富な人脈を生かして紀伊家、尾張家、丹波海部家など全国から水軍を組織して
三韓征伐の総大将となり、朝鮮半島に向われた。

海上を埋め尽くした夥しい軍船を見た新羅王は戦わずして降伏したという。その後百済も降伏させたという。
三韓征伐に大成功を収めた結果、和国には朝鮮から莫大な税が入ってくるようになった。
そしてソツ彦王は大和に凱旋し 大王となられた。


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ソツ彦の弟武内臣若子の娘岩野姫はオオサザキ大王(仁徳)の皇后となり、イザホワケ大王をお生みになった。
それで当分ソツ彦王家が続く。

そのソツ彦大王の陵墓が恵我之荘の河内大塚山古墳なのだ。
作ったのはもちろん出雲系の土師集団だという。

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その2(天理市東大寺山古墳)へ続く
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岩湧に夏がやってきた 2015年7月14日

2015-08-14 10:49:43 | 岩湧山の四季
梅雨が明けたという発表もないまま、朝自宅周りの掃き掃除をしていると、もう完全な夏の臭いと空気だった。
すぐに支度をして 岩湧山へ出かけた。今日は滝畑から上ることにしよう。
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滝畑からのダイトレ(ダイヤモンドトレイル)はほとんど樹林帯の中を歩き見通しが利かない。
山頂直下に来て 初めて空を見上げると 完全に夏空だ。ここまで来る途中汗が滝のように流れた。
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日陰の全く無い山道を登ると 斜面になんと夏の花「桔梗」が咲き乱れている。
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ひときわ大きな桔梗の花の向こうに 大阪府最高峰 標高922mの南葛城山が見えている。
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山頂の空も夏空だ。ここで知り合いの方に出会う。一通り写真を撮った後で一緒に食事をする。
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私がスタートした滝畑集落の向こうには大阪湾と六甲の山並みが見えている。今日はよく晴れ渡っている。
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鋭く尖った高見山とそれに続く台高山脈縦走路の山並みが見えている。
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右端の行者還り岳から続く大普賢岳、山上ヶ岳、などの世界遺産大峯奥駈道が はっきり見える。
直線距離で30キロほどだ。
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世界遺産大峯奥駈道のサミット「弥山、八剣山、明星ヶ岳」が正面に見える。八剣山は標高1925メートル、
近畿最高峰だ。
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京都清滝の愛宕山も今日は珍しく見えている。猫の耳のようなツインピークスだ。
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関空の向こうに淡路島がはっきり見える。
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明石海峡大橋の主塔もはっきり見える。直線で30キロほどだ。
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食事の後知り合いの林さんと東峰まで歩きそこで別れて再び 桔梗の花たちを見ながら滝畑へ引き返す。
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あちこちに蕾が沢山風に揺れているので桔梗の花は これからさらに咲いていくのだろう。
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うだる暑さのダイトレを歩いて降る。むっとする草息れだ。まさに夏の空気だ。
関西の梅雨明けの発表はまだなのに 既に山は夏だ。
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「カキザコ」を過ぎると千石谷と分かれて石川源流の谷へ入る。
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滝畑の河原では 駐車料金1台千円と人間一人当たり100円の清掃費を払い沢山の人がバーベキューを
していた。今日は普通の日なのに 世の中大丈夫なのだろうか。心配になる。

それにしても 滝畑の人は なんでそんなに高額な料金をふんだくるのだろうか。
わざわざ 自然を求めて遊びに来た人たちから。
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山道でみかけた夏の花
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河原撫子がもう咲いていた。
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小さな花は蝿毒草。この根を抽出して蝿取り紙を作ったらしい。
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この小さな花は姫藪欄。欄の仲間ではなく百合の仲間らしい。
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この夏の花、野薊が終わると秋の花、野原薊に変わっていく。
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梅雨の花を見にあちこち歩き、過激な笹百合保護活動家に出会う 2015年6月19日29日 その3 金剛山

2015-08-11 18:43:23 | 笹百合の咲く風景
笹百合その3 金剛山
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6月29日 標高1024メートルの金剛山系大日岳。ちなみに金剛山という名前の山は無い。
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笹百合が 笹薮の中に隠れていた。
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金剛山転法輪寺境内には 清澄擬宝珠が満開だ。
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この笹百合は住職が植えたものだろうか。
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境内には珍しい「岩弁慶」が咲いていた。
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太尾道からそれてダイトレの「カヤンボ」へ降りる 金剛林道を歩いて降りた。
あちこちに銀竜草が咲いている。
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歩いている林道の正面に 先日歩いた大和葛城山 が見える。
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よく見ると山頂の葛城山 荘が見えている。(これは望遠での撮影です)
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山の中では熊野水木が沢山咲いて その付近全体が白く明るく輝いていた。
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ダイトレのカヤンボ付近には黄釣り舟が そこらじゅうに咲いて満開だった。
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林道に咲いていた姫女苑(ひめじょおん)。
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ダイトレを降りていると水越峠付近で 今日は大阪湾とその向こうに六甲の山並みが見えていた。
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ダイトレ水越峠付近に大群生していた ホタルブクロ。
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梅雨の花を見にあちこち歩き、過激な笹百合保護活動家に出会う 2015年6月19日29日 その2 大和葛城山

2015-08-09 10:01:29 | 笹百合の咲く風景
笹百合 その2 大和葛城山
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6月23日はダイトレを歩いて大和葛城山 へ。
笹百合の向こうに見えるのは 金剛山系大日岳。標高1094m。
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この山も笹百合が多く 毎年来るのが楽しみだ。
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今日は山頂には誰もいない。珍しいことだ。いつも沢山の人がお弁当をたべているのに。
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あちこちの笹百合を楽しみながら歩く。
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山頂付近ではウツボグサも沢山咲いていた。
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赤升麻も咲いている。この植物は花は白くても 根が赤いから赤升麻というのだそうだ。
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笹百合を楽しみながら歩いていたら、夫婦で笹百合の花びらをちぎりながら歩いている人に出会った。
聞いてみると、

「昔はこの山一面に笹百合が咲いてとても綺麗でしたけど、最近は笹百合を根こそぎ
持ち帰り、山野草の店へ持ち込む人が多く、このままでは絶滅です。

私たちは、花の受粉をしたあと花びらをちぎって歩いています。
笹百合の盗掘をする人は 笹百合の花を目印に笹薮の中へ入るので、こうすると
笹百合の場所が分からなくなるので 笹百合を守る唯一の方法です。」とおっしゃった。

私はたまたま この人が登ってくる前に笹百合の花を胆嚢できたけど、後から登って来た人は
せっかく登ってきても 笹百合の花は全く見えなくなる。

数年前名ダイトレの峰々に笹百合の球根を植えて歩いている方のお手伝いをして ご一緒に植えて回ったことがあります。

※ちなみに球根を植えて歩いていた方に「この球根を家の庭に植えて増やしてから また峰々に植えてください、
と球根も 頂きましたが 花が咲いたのは最初の年だけで しかもとても小さな花でした。次の年からは芽も出ず
いつの間にか 庭から笹百合は消えてしまいました。やはり笹百合は山の中の笹藪に生きるのが当たり前なのでしょう。

笹百合を守るためとはいえ、山の中で笹百合の花びらをちぎって歩いている人は 初めて見ました。

自分たちはよいと思ってやっていても後から来る人は 笹百合を全く見ることが出来なくなる。
ちょっとやりすぎではなかろうか と思いました。

自分たちはよいと思ってやっていても後から来る人は 笹百合を見ることが出来なくなる。
ちょっとやりすぎではなかろうか。

もっとも笹百合を盗掘したりちぎって持ち帰るやつらが一番悪者ではあるが。
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笹百合の花びらをちぎりまくり、満足してお昼ご飯を食べるご夫婦。
「良いことをして気持がいいねえ」とでも会話をしているのだろうか。
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その3へ続く
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