アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」 大和編 その1 奈良県櫻井市、大神神社、宗像神社、檜原神社

2015-02-28 13:07:20 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 
2015年1月29日

自宅のある大阪府河内長野市を午前9時に出て、奈良県桜井市に10時に到着。
今日は 一日がかりで「古代出雲王朝ゆかりの地」を訪ね歩くつもりだ。
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この日訪ねる予定の地とそのゆかりの人物

宗像神社、大神神社、狭井神社、檜原神社

宗像三姉妹、八千矛王(大国主)、八重波津身副王(事代主)、豊来入姫(豊鍬入姫)
           ()内の名前は記紀により、書き換えられた名前         
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宗像神社
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高速道路「南阪奈道路、大和高田バイパス」を降りて国道165号線を走っていて
ふと横を見ると 最初の目的地の「宗像神社」だった。

登美山鎮座と書いてある。登美山とは 今の鳥見山のことだ。
この地に移住してきた東出雲王家向家の皇子「奇日方(クシヒカタ)」が登美家
または富家(とびけ)と呼ばれた。

地名になった「登美」が 今も残っているのを見て びっくり。今日の最初の発見だ。
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神社の駐車場に車を止めて、早速鳥居を潜る。
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宗像神社の拝殿。
宗像家は出雲王家第6代主王「大名持ち」の「臣津野(おみつぬ)」の皇子「吾田片隅(あたかたす)」
が豊の国(大分県)へ移住して始まった。

※臣津野王は出雲では「国引き王」として有名で、古代出雲王国を宇佐の国(大分)から越の国
(新潟)まで広げた王として有名だ。
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だから当然主祭神 は「吾田片隅」と思いきや なんと主祭神 は吾田片隅の娘の宗像三姉妹なのだ。

そして中央の大きな社が、末娘の市杵島姫だという。

渡来人徐福が石見の五十猛海岸に上陸し、息子「五十猛」を設けたあと一旦秦国へ帰国し
さらに大量の海童や技術者を連れて 二度目に北九州「浮杯の地」(佐賀)に再上陸した後、
和名を饒速日(にぎはやひ)と名乗る。

宗像家の姫君「市杵島姫(いちきしまひめ)」と結婚し、その息子「穂穂出見(ほほでみ)」が九州物部家を起こす。

つまり徐福(素戔嗚)の奥方が宗像三姉妹の末娘、市杵島姫なのだ。

左は長女田心姫(たごりひめ)この方は出雲王家第7代大名持ち「天の冬衣」に嫁がれた方だ。

右は多岐津姫(たぎつひめ)この方は第8代大名持ち「八千矛」に嫁がれた方だ。
そして多岐津姫は味鋤高彦(あじすきたかひこ)をお生みになる。

秦国からの渡来人徐福(記紀では素戔嗚と書かれた)や部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)
や沢山の海童たちに幽閉されて殺害された八千矛王は記紀では「大国主命」と書かれた。

八千矛王は西出雲王家(神門臣家)の出身で、その皇子の味鋤高彦は大和葛城地方に移住して
鴨家と呼ばれた。

※古代出雲では神をカモと発音したので カモ家に鴨の字が当てられたという。

八千矛王とほぼ同時に 徐福、穂日らに幽閉殺害された副王の八重波津身(やえなみつみ)
は記紀では「事代主(ことしろぬし)」と書かれて、その皇子「奇日方(くしひかた)」は
一旦大和葛城地方に移住した後、更にこのあたりに移住して登美家と呼ばれた。

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この地域の地図を見てびっくりした。今日二つ目の大発見だ。

外山と書いて(とび)と発音するのだ。まさに登美家の地盤なのだ。

登美家は後に磯城家(しきけ)とも呼ばれた。

鳥見山も昔は登美山と言い、登美家が登美山山頂から三輪山を遥拝したという。

その遥拝場所は「登美の霊畤(とびのれいじ)」と呼ばれてパワースポットだったらしい。

それゆえこの神社は「登美山鎮座宗像神社」と書かれていたのである。

三輪山は古代出雲族が崇拝する 太陽の女神「大ヒルメムチ」を祭る神奈備山だ。
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次に大神神社へ
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大神神社前の大鳥居前駐車場に車を止めてここから歩いてあちこちへ行く。
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大神神社二の鳥居。ここからは長い参道を歩いていく。
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長い参道を歩いていく。静寂な雰囲気だ。
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拝殿の前の鳥居に着く。この鳥居は出雲王家の分家の諏訪家の諏訪大社御柱のような
二本の柱に注連縄を渡した鳥居で、古代出雲の鳥居様式といわれる。
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これが大神神社の祈りの言葉だそうだ。

大国主の命(記紀では大物主と書き換えられた、古代出雲第八代主王八千矛の命)の
荒御霊は近くの狭井神社に祭られている。
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境内の東側の入口にも 出雲式の鳥居がある。
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境内のご神木には 巳様(蛇神様)がお住みらしい。

蛇神とか竜蛇神信仰も 幸の神信仰とともに古代出雲族の信仰の一つだと伝わる。

松江市内の古い神社(阿太加夜神社など)には境内に竜蛇を藁で編んだ神様が祀ってある。

東出雲王家の分家鴨族の移住した京都北部の上賀茂神社境内の砂の三角錐も
トグロを撒いた巳様の姿だという。
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主祭神 のお二方は 古代出雲王家の主王(役職名は大名持ち)と副王(役職名は少彦)の
お二人だ。

秦国からの渡来人徐福(記紀では素戔嗚)や部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)
や沢山の海童たちに 出雲市北部「稲目洞窟」に幽閉されて殺害された八千矛王は
出雲王第八代主王(大名持ち)であり、記紀では「大国主命」と書かれた。

記紀ではそのほか主王の役職名の「大名持ち」も「大己貴(おおなむち)」とか
「大汝(おおなんじ)」とかさまざまに書き換えられた。

八千矛王とほぼ同時に 徐福、穂日らに 米子市粟島志都の岩屋に幽閉殺害された副王の
(役職名少彦)八重波津身(やえなみつみ)は記紀では「事代主」と書かれた。

また少彦(すくなひこ)も 記紀では 少彦名とか 一言主とか書き換えられた。

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つまり三輪山をご神体とした「大三輪神社」は古代出雲王家第八代の主王、八千矛と副王八重波津身
のお二人を御祭りしているのである。

そして後世に 「大神神社」とかかれるようになるのである。

ここの神社の本殿は古代出雲形式の「三つ鳥居」になっているそうだが 見ることは出来なかった。
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広い境内の祈祷殿の前を通り、隣の狭井神社へ行く。
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狭井神社の入口、「山之辺の道」に面した鳥居は普通の鳥居だ。
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しかし奥へ入ると 出雲式の御柱様式の鳥居があった。
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境内にある狭井神社の説明書である。
もちろん八千矛の命と八重波津身の命を御祭りしているのだが、ここでまたまた新発見。

踏鞴五十鈴姫(たたらいすずひめ)をも、お祀りしているのである。
踏鞴とはもちろん古代出雲で行われた製鉄方法である。

この姫君は八重波津身(事代主)の姫で、この地に移住した登美家の祖である奇日方の妹姫で、初代大和大王「天の村雲」
(徐福の孫、五十猛の息子)に嫁がれた皇后なのである。

その隣の「セヤ五十鈴姫」と言うお方は 踏鞴五十鈴姫の妹姫の「五十鈴依り姫」のことなのか、
もっと後世の登美家の姫なのか調べてみます。
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狭井神社の境内には またまた新発見の神社があった。
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池のほとりにあったのは、「市杵島姫神社」である。
このお方は徐福のお后で、先ほどの「登美山坐宗像神社」や、京都の松尾大社、祇園さんと呼ばれる八坂神社にも祀られていて、
安芸の宮島の主祭神 でもある。

説明に寄ると元来この社は この地にはなく 後の世に 勧請されたということだ。
物部の子孫がやったことだろう。

この神社には本殿が無く、三輪山がご神体とされる。三輪山へはこの境内から登拝するのだが、
今日は時間がなく次回にしよう。
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檜原神社
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山之辺の道を進むと 檜原神社がある。この神社も狭井神社と同じく 大神神社の摂社である。
鳥居も出雲式の鳥居だ。
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この神社も本殿がなく、三輪山がご神体だとか。
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ここに来て初めて三つ鳥居を拝ませてもらう。

三つ鳥居は 古代出雲族の信仰の幸の神(さいのかみ)三神、クナト大神、奥方の佐井姫の命、
それに皇子神のサルタ彦大神の三神である。

※サルタ彦のサルタとは南部インドのドラビダ族の言葉で「鼻の大きい」と言う意味だそうで
つまりヒンドゥーの象神ことガネーシャ神のことなのだそうだ。
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神社の説明文には天照大神を祀ると書いてある。
佐井姫の命は 記紀によりアマテラスと書き換えられて太陽の女神とされた。
「大ヒルメムチ」のことである。
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この地から見る三輪山の姿である。
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境内左側の末社を見てまたまた新発見。
豊鍬入り姫を祭ると書いてあるではないか。びっくり驚きだ。
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持統女帝が命じ、藤原不比等が編纂させた記紀の 編集方針の第一は 「万世一系」である。

つまり自分たちは天上世界から降臨して 連綿と続く大王家だという作り話だ。

自分たちが渡来人の子孫だとか、出雲王朝やその後の王朝を次々と倒してきた
征服王朝だとは絶対に悟られてはいけないのである。

豊鍬入り姫とは 「豊来入姫」を記紀が書き換えたものであり、九州の物部家イニエ王(崇神)
と宇佐王国の「豊玉姫(トヨタマヒメ)」(魏書にヒミコと書かれた2番目の姫巫女で魏の役人から
「親魏和王の印鑑や襷、錦の旗」を直接受け取った唯一の姫巫女)の娘姫である。

物部家の第二次大和東征でイクメ大王(垂仁)とともに大和入りした姫であるが 記紀編纂者不比等は
彼女が豊王国から大和入りしたことを隠すため 豊来(とよき)ではなく、豊鍬(とよすき)と書き換えられたのである。

またトヨタマヒメ亡き後、魏の和国駐在武官「張政」よりヒミコの後継者として指名された
「トヨ」のことである。

もともと豊来入姫はこの檜原神社で「月読み(つくよみ)の神」を祭り「若ヒルメムチ」と呼ばれていた。

イクメ王の大和統一が進むに連れて、豊来入彦(兄)とともにイクメ王に邪魔にされ、
イクメ王の指示で出雲系「加茂田田彦」に追われ、丹波、伊根、さらに伊勢の椿大神社まで逃れたが
最後には イクメ王の放った刺客に殺されて、「ホケノ山古墳」に埋葬された悲劇の姫巫女である。

※イクメ大王(垂仁)の父はイニエ王(崇神)だが 母は豊玉姫トヨタマヒメではなく、薩摩の阿多津姫である。
阿多津姫は記紀では「此花咲くや姫」と書かれた。つまりイクメ大王と豊来入彦、豊来入姫は腹違いの兄妹である。

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この有名な姫巫女のお札を檜原神社で買い求めて 我が家の神棚にお祀りした。
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檜原神社の鳥居から西を見ると 持統女帝に殺された悲劇の「皇子大津の皇子」が葬られている
「二上山」が見える。この景色の夕日が 「大和夕日なんとか」で有名だと書いてあった。
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檜原神社の前に一軒の茶店があった。ちょうどお昼なので一休み。
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「檜原にゅう麺定食」を食べたがとてもおいしかった。おいしい具も彩りよく沢山入っていた。
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次は 大和歩きその2 ホケノ山古墳、箸墓古墳、「穴師に坐イタケ兵主神社」へ続く
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雪の船通山 2015年1月22日 その2

2015-02-26 17:15:40 | 島根県の山を歩く
その2 
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雪はズブズブで、先行者は 数日前に歩いた様だが、かなりめり込んでいる。
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渡渉部は石畳のようだ。むかし歩いたのでもう忘れている。
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足跡を探しながら進む。
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木の橋を渡る。
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足跡ではない。小さな落雪が斜面を転がった跡だ。こういうのがトレースを消すので困る。
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渡渉を繰り返し、雪にめり込みながら進む。新しい雪はアイゼンがある程度カンジキの役目を果たすのだが
雪がこう腐っていては、アイゼンは全く役に立たない。
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なぬ!この標識でショックを受けた。登山口まで 10分、ここから山頂へ60分と書いてある。
登山口からここまで 悪戦苦闘して1時間かかった。それが10分とは。あと何時間かかるのか分からない。

一昨日は 雪の大山を 1時間当たり高度300メートル稼いで 山頂まで3時間で行けたのに。
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それでも気を取り直して進む。やはりスノーシューを忘れたのは痛い。
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トレースを探して進む。
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大きな岩のような根っこのところで少し休憩する。
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小さな雪崩のような雪すべりで 先行者のカンジキトレースが消えている。
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周りを見渡しても、トレースは見当たらない。私が道間違いをしたのかもしれない。
しばらく考えたが、スノーシュー無しでは この先一人では無理と判断したので ここで引き返すことにした。
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引き返すのも楽ではない。
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これは往路で私が落ち込んだ穴だが、復路でも何回も雪にめり込んで そのたびにもがいて脱出する。
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山の尾根から ガスが降りてきた。
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どんどん降りてくる。
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私を追いかけてくるようだが、あせらずに落ち着いて一歩ずつ着実に降りる。
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登山口まで戻ってきた。やれやれだ。
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林道に止めた私の車が見えてきた。
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除雪していない林道をクルマで進み、私が立ち往生した場所だ。たかが20センチ~30センチ程度の雪だが
サラサラの新雪なら問題なく進むけど、雪が腐って重く、べとついているので タイヤを押し返す。
スタッドレスタイヤを履いた四輪駆動車の限界だ。四駆の過信は禁物だ。以後気をつけよう。
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歩いた記録だ。1時間半苦闘して 全体の道のりの半分もいけてない。
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1時間半かかって 高度は150メートルほど、距離は1キロ歩いている。
下りは 雪に埋まりながらも、30分ほどで降りることが出来た。
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次回はスノーシューで再チャレンジだ。
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雪の船通山 2015年1月22日 その1

2015-02-24 22:28:17 | 島根県の山を歩く
久しぶりに島根県と鳥取県境の船通山へ行った。

この山に徐福(素戔嗚)が天から降りてきたという風に記紀に書かれた。

藤原不比等による、でたらめの作り話なのだが、紀元前2世紀末に徐福は 秦の始皇帝の命令で 沢山の海童(秦国人の青年たち)や
技術者たちを連れて 石見海岸の五十猛海岸に上陸した。

その後徐福は 部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)や海童たちを引き連れて 古代出雲王朝国内で
大暴れしたのを、出雲の人たちはよく記憶していた。(記紀では素戔嗚が天上世界で大暴れしたと書いた)

この山はもともと鳥髪山と呼ばれていたのだが、記紀に「徐福が天からこの山に降りてきた」とかかれたので
出雲の人は大層 驚いたという。

「そんなあほなこと」とみんな思ったらしいのだが、時の最高権力者右大臣藤原不比等に逆らうわけにも行かず
「それなら 船に乗った徐福は 五十猛海岸ではなく、この山にたどり着いたことにしよう」

と言うことで「徐福の乗った秦国からの船が着いた山」と言うことで「船通山」と言う皮肉な名前にしたのだという。

記紀は嘘の作り話のついでに 徐福すなわち素戔嗚が、この山中でヤマタノオロチを退治して「稲田姫」を救い、結婚したと書いている。

実際は 徐福は古代出雲王朝西出雲王家の高照姫と結婚して 生まれた息子に五十猛と名付けているのだが。

五十猛は後に丹波へ移住して 香語山と名を変える。
香語山の息子「天の村雲」は更に大和へ大量の海童を引き連れて移住して、初代大和大王になるのだ。

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横田町に入る。例年より雪は少ないようだ。
船通山は雲に隠れて見えない。
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林道はよく除雪されていてとても助かる。
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除雪が終わったあたりにクルマを止めて歩き出す。
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ここが林道終点の駐車所だが 除雪されてないので誰も来れない。
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ここから登山道が始まる。先行者の足跡は カンジキの人が一人だけ。
私はスノーシューを持ってきてなかったので、いけるかどうか心配になってきたが、
とりあえず12本爪のアイゼンを装着して いけるところまで行こう。
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歩き始めは植林帯の中だ。
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やがて自然の守の中に入っていく。
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斐伊川の源流沿いに歩く。
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雪は腐っていて、ズブズブだ。
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源流部の渡渉を繰り返す。
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太腿まで雪に埋まったり、時には腰まで埋まる。
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ストックもめり込んで、まるで役に立たない。
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先行者もだいぶ道に迷っていて、何回も引き返していた。もちろん私も引き返す。
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その2へ続く
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美山雪灯篭 2015年1月31日 その2

2015-02-20 21:33:14 | 冬景色
その2 雪灯篭の点灯と藁屋根ライトアップ、それに花火
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次第に回りが暗くなってきた。
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雪洞が点灯された。
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訪れた観光客が思い思いに作った灯篭にも点火された。
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大きな灯篭だ。
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田んぼの畦道に雪洞が続く。
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藁屋根のライトアップも始まった。
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雪道で自慢のフィギュアを展示ライトアップされている方もいらした。
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やがて花火が始まった。
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花火は6時30分から始まった。
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花火はこのイベントの最初と最後の日だけだ。
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村の前を流れる由良川の対岸から打ち上げられる。
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花火はあっという間に終わった。20発くらいか。
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花火が終わり、みんな一斉に引き上げるので道路は大渋滞だ。
しばらく雪灯篭と雪洞を見て回る。
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静かさを取り戻した村の集落の道を雪洞が照らす。
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藁屋根のライトアップと雪洞がきれいだ。
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村の入口にも藁束のタワーが作ってあった。
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降りしきる雪とライトアップされた藁屋根。
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クルマを止めさせられた隣村までのシャットルバスはいくら待っても来ない。
私の前に150人くらい並んで待っていて しかも絶え間なく雪は降り続く。

この調子だといくら待ってもバスは来そうも無く、何時帰れるが分からない。

せっかく雪山用のゴアテックスの上下と山靴をはいているので 降りしきる雪の中を歩き出した。

結局道路(京都府道38号線)を20分歩いたら 隣村に着いた。
その間シャトルバスは2台走り去って40人ほどを運んだだけだった。
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私は雪道を歩きなれているので 苦にはならなかったけど、沢山の家族連れが

真っ暗な雪道をとぼとぼと 無言で不機嫌そうに歩いて 駐車場へ帰っていった。

小さな子供がかわいそうだ。
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来場者が多すぎて、駐車場とシャトルバスの台数が少なすぎたみたいだ。

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このブログを見た方から藁タワーの説明を頂きました。


茅葺屋根の葺き替え〔茅葺の材料〕 

私たちの地区(北村)では、茅葺のことをくず屋葺とも言い、茅、麦わら、麻の軸木(おがら)を組み合わせて屋根を葺いていました。一番重要な材料である茅にはオガヤとメガヤがあり、オガヤは集落の周辺に、メガヤは山の高いところに自生しています。メガヤの方が茎が細く、穂が短いため緊密に葺けるので、材料として適しています。最近では茅場が少なくなり、その確保に苦心しています。

茅は11月から雪が降るまでの間に刈り取り、径30cmほどに束ね、それを10束余りまとめ、円錐形に立てておきます。

これをカヤタテと言って、翌年の3~4月まで屋外で乾燥させます。

茅の分量は、締(シメ)と束(タバ)があります。締というのは4mの縄で結んだ茅の分量をいいます。束はそれぞれが適当に束ねたもので、一束の大きさはまちまちです。このた
め正確な分量を伝えるときは、締で表現するのが普通です。ちなみに1締は15~30束ぐらいに相当し、屋根全体を葺くためにはおおむね250~300締の茅が必要となります。
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美山雪灯篭 2015年1月31日 その1

2015-02-19 17:58:15 | 雪景色
京都府北部の美山町は 藁屋根の郷で有名な山村だ。
そこで雪灯篭というイベントがあるというので出かけた。
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その1 藁屋根の雪景色
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駐車場が満車で 隣村へ行かされる。しかも道路に止めさされて駐車料金500円取られた。
その代わりシャトルバスで運んでくれたが あたりまえや。

村に着くとなにやら、沢山の人がいる。
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村のほうへ歩いて近づく。
藁屋根にも雪が積もっている。
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村の入口には「美山雪灯篭」の看板が架かっているが、灯篭の字が灯廊になっている。???
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沢山の家族連れが雪で灯篭を作っている。
大声でわめき散らすマナーの悪い 東洋人が多い。大型観光バスが沢山止まっていた。
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地元の方も家の前に雪灯篭を作っていらした。試験点灯させていただいた。
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こちらの雪洞は日暮れから点灯されるそうだ。
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夕暮れまでしばらく村の中を見て回る。
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雪は降ったり止んだりしている。
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遠くに見える藁屋根は、みやげ物販売所だ。
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村内に入り、藁屋根の家を見せてもらう。
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この家は屋根がとても急勾配だ。積雪が滑り落ちやすくしてあるのだろう。
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小さな小屋か物置にも藁屋根が架けてある。
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沢山の観光客が出入りしている 喫茶店だ。
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こちらの藁屋根は民宿だ。
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広い雪原は畑か田んぼか。
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藁束を積み上げた塔のようなものは何だろう。
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藁屋根の重なりがとてもきれいだ。
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また雪が降り出した。今度はかなり激しい降りだ。
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村内を歩いているうちに村はずれの八幡神社へ来た。
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この舞殿で今日は奉納舞踊があるそうだ。
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きれいどころの踊り子さんも準備中だ。
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その2へ続く
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松江周辺の冬景色 2015年1月21日、22日

2015-02-16 23:18:40 | 松江市の四季
松江市の四季の風景 冬景色
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冬の松江市内を散歩した後、奥出雲へ山歩きに出かけた。
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家の近くの大橋川は 今日は穏やかだ。
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水鳥たちも暖かい日差しを浴びて、のんびり日向ぼっこ。寝ているのか近づいても逃げない。
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宍道湖へ行ってみた。今日は浪がなく静かだ。嫁が島も浪を被らずのんびりだ。
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波は無いけど、景色は霞んでいる。出雲北山もほとんど見えない。
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堀川遊覧船のコタツ舟が通りかかった。船頭さんの歌声が響き渡る。
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奥出雲町亀嵩地区の冬景色
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あの豪雪地帯の亀嵩地区にはほとんど雪がない。ことしは島根鳥取の山陰地方は
雪が非常に少ない。
亀嵩温泉玉峰山荘の奥の玉峰山は雲の中だ。
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いつもだと雪に埋まっている亀嵩駅もご覧の通りだ。
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例年だと線路とホームの区別がつかないくらい雪にうまっているのに、
駅蕎麦店主の駅長さんも 雪かきの仕事から開放されているようだ。
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映画「砂の器」にも出てきた「湯野神社」へ行ってみた。
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二の鳥居へ来ても雪は全く無い。
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冬の亀嵩神社へ来て、落ち葉の参道を歩くとは思わなかった。
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拝殿には昔の名前の「亀嵩神社」がかかっていた。
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この神社は相当古いそうだ。
古代出雲王朝の主王、大名持ちと副王、少彦を祭っている。
それと渡来人の徐福(素戔嗚)に殺された 事代主(恵比寿さん)と奥方の美穂津姫(沼川姫)
を祀っているが、なぜか殺した方の饒速日(にぎはやひー徐福の和名)も祀ってある。
恐らく後世に徐福の手下の穂日(ほひー後の出雲国造や出雲大社宮司の祖先)の子孫たちが
この神社の主祭神 に 徐福(和名を火明かり、または饒速日、記紀では素戔嗚と書かれた)を
付け加えさせたと思える。

普通殺されたほうは 祀られるが 殺した方も同時に 祀ることはない。
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詳しくは「ブログ古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」に載せています。
http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947-kodaiizumo
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本殿は小さいながらも さすがに大社造だ。
妻入りでキザハシにも屋根が架けてある。
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奥出雲町横田地区の冬景色
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横田地区は亀嵩より更に標高が高く、中国山脈の中だ。
雪の田んぼの向こうには、船通山が雲に隠れている。
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道路わきの田んぼも雪の中だ。
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この集落の横を通り、船通山へ向う。
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下山してから雪で冷えた体を温めたくて 船通山登山口ちかくの 斐乃上温泉「ビラ船通山」へ行く。
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ロビーには素戔嗚が退治したというオロチが飾ってある。
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雪に落ち込んで冷えた体を 温泉にたっぷりと浸かり癒す。
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横田町は舞茸が特産品らしい。舞茸蕎麦を食べた。
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温泉からの帰りに 横田町の「卜蔵庭園」へ寄ってみた。
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この庭園は江戸時代に卜蔵家の庭として作庭されたという。京から有名な庭師が招かれたらしい。
卜蔵家は奥出雲の踏鞴(製鉄)王の一人だという。

この奥出雲地方は 昔から良質の砂鉄を産し、日本で一番古くから野踏鞴で製鉄が行われた地域だ。
紀元前2世紀末には 事代主の娘さんに「踏鞴五十鈴姫(たたらいすずひめ)」
(初代大和大王天の村雲(徐福の孫)に嫁いだ姫で天の御陰の母親)
と言う名前が付けられたほどだ。
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今度玉峰山荘かビラ船通山へゆっくり泊りに来ようと思いながら松江に帰った。
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古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて松江市山代二子塚古墳と安来市荒島の王陵の丘 2015年1月21日

2015-02-14 11:32:32 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
6世紀のヒロニワ大王の時代に 出雲王家の向山代彦が亡くなった。
そのときの葬儀に 勅旨として「日置志毘」が参列したという。

彼はそのまま出雲王家領内にとどまり、ヒロニワ大王(欽明)の指示で
古墳の造営をしたという。

ヒロニワ大王の父君はオホド大王(継体)で オホドは元来出雲王家の人で「オホドの君」と呼ばれていたが
越の国の蘇我の刀自に婿養子に行った。

その後三国国造として越の国を発展させ、当時の若狭、近江から越後にかけての
出雲王家の血筋を引く「蘇我、道連合王国」の盟主的存在となる。

そして 大和の平群王朝が途絶えたときに大和の豪族たちに請われて 大和大王となった方である。

蘇我氏の祖先は初代大和大王「天の村雲」の弟「高倉下」であり、その母親は出雲王家の「大屋姫」だ。

高倉下の子孫の「武内宿禰」がイクメ大王に反旗を翻して破れ 逃げたときに出雲王家はかくまったという。
武内宿禰の終焉の地が松江市の「武内神社」となっている。

そんないきさつで オホド大王やヒロニワ大王は 出雲王家に感謝の気持ちを持ち続けたという。

日置志毘の子孫も出雲に住み続け、向井家やその分家、また西出雲王家「神門臣家」の王陵を
次々と作りつづけたという。

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山代二子塚古墳の入口である。
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全体像である。
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反対側の南側から見た全体像でも 小高い丘にしか見えない。
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これが古墳完成時の復元創造図らしい。
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古墳の調査をする前の航空写真らしい。周りに民家が 古墳に喰らい付くように 建っている。
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古墳の東側は古墳断面が見えるように建物で覆われている。
戦時中に 陸軍が古墳の一部を削り取ったという。しかし石室は無事で未調査らしい。
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古墳の南側に「資料館がある。午後4時半まで営業しているが 私は4時半過ぎに訪れた。
親切な館長さんが わざわざ閉めた扉と断層見学質の扉を開けて見せてくださった。
有り難うございます。
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資料館の中の石室のレプリカ。
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この石室は近くの向山古墳の石室のレプリカだそうだ。
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山代二子塚古墳の近くに「風土記の丘」がある。この周りの古墳が案内されている。
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風土記の丘の屋上展望台から見える古墳「岡田山古墳」も向家の分家の古墳だとか。
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王陵の丘
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まず造山古墳へ行ってみた。ここの古墳群は1号墳から4号墳までが 散策公園になっている。
この写真は1号墳の全体像だ。ゆっくりと見て回る。
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1号墳の頂からは眼下に「王の海」(中海)が広がる。
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次に塩津神社へ行く。この神社は塩津古墳群の足元にあり、下は古墳の一部だったと思われる。
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何時の時代なのか、古墳の一部が削られて石室が露出している。
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石室の中は覗けるようになっている。石の加工技術が高く、石の接する面は密着している。凄い高度の技術だ。
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1号墳に登ってみた。側面には葺き石がしてある。
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海側の2面だけ葺き石がしてあったそうだ。
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葬儀の儀式に用いられた土器はそのまま墳丘墓の上に置かれていたそうだ。
この古墳の真下を山陰道がトンネルで貫いている。まだ未発掘だそうだ。
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1号墳から4号墳を見たところ。4号墳は小型の円墳だ。
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この荒島地区の古墳群も時期的に、日置志毘の子孫が東出雲王家の分家のために築いたものと思われる。

出雲に住み着いた日置志毘は 出雲王家から姫を嫁にもらい 「臣おみ」の性を名乗ることを許されたとか。

日置の臣志毘の子孫たちは 西出雲王家の墳墓をも 王家の谷西谷に次々と築いたという。

蘇我王朝の直接の祖先は 高倉下の母君、西出雲王家の大屋姫なのだから。
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雪景色 雪の大山寺、大神山神社界隈  2015年1月20日

2015-02-12 22:52:59 | 雪景色
大山に登った後、大山中腹の大山寺と大神山神社へ参拝した。
今年の大山は例年に比べて雪が少ない。
この時期例年は雪が多すぎてとても山頂までは行けないが、今日は山頂まで往復できた。
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大山町大山の街中を轟音を響かせて走る車(?)。
運転している方にお聞きすると、雪が溶けたら普通のタイヤのクルマに戻すとか。
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街中の灯篭に出来たツララ。
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山用品の店のツララも凄い。
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交通標識も 除雪した雪に埋もれている。
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大山寺と大神山神社へ向う参道を歩く。
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大山寺の山門だ。
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山門前の石灯籠の積もった雪。足元はピラミッド状になっていたはずだ。
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山門の奥に石段が見えるが、雪でスロープになっている。
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手水も雪で埋まっていて、近づけない。
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不動堂も雪の中だ。
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寺務所も雪に埋まりそうだ。
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本堂へお参りした。
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境内のお地蔵さんも雪に埋まりそうだ。
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参拝にこられた地元の方に聞くと、例年はこの錫杖も雪に埋まっているとのこと。
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少し離れた場所の阿弥陀堂は藤原京時代に建てられたそうだが、大洪水で流されたので
残った古木を使用して再建されたものだそうだ。
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続いて大神山神社へ向う。
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参道は石畳の道だが、雪に完全に埋まっている。
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献灯も雪に埋まりそうだ。
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石段は急勾配のスロープになっている。
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本殿直下まで登ってきた。アイゼンを付けたままで歩いているので安心だ。
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本殿前の立て札には「ここでスノーボードをするな」と書いてある。
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このおくには、枝垂桜の古木があるのだが、今は冬眠中なのだろう。
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アイゼンを付けているので、本殿の外から参拝した。
ここの神社の主祭神 は、秦国からの渡来人、徐福(素戔嗚)とその部下穂日、大勢の海童らに幽閉殺害
された 古代出雲王家第八代主王(大名持ち)の八千矛王(記紀では大国主)だ。
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真冬の大山を歩く その3 そして下山 2015年1月20日

2015-02-10 22:04:39 | 四季の大山を歩く
その3 そして下山 
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入口付近で 何人かが何かしている。入口の除雪をして 避難小屋へ入る道を付けているのかもしれない。
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ガスと吹雪はますます強くなるので先を急ぐ。
小屋を上から見るとほとんど雪に埋まっているが普段の年は小屋全体が雪にすっぽりと埋まっている。
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まず弥山山頂に到着。誰かが掘り起こした標識に「大山山頂」と書いてあるが「大山」と言う名前の山は無い。
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続いて「剣が峰」へ向う。雪の無い季節は 尾根道があまりにもナイフエッジで
危険な為立ち入り禁止だが、雪の季節は 尾根が広がり比較的安全に歩ける。
しかし標高1700mの尾根道はさえぎる物が何も無く、ほとんどホワイトアウト状態だ。

慎重に方向を間違えないように引き返す。
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しばらく引き返すと 山頂避難小屋が微かに見えてきた。やれやれだ。
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小屋の入口付近の景色も凄いことになっていた。小屋の中でのんびりお昼ごはんを食べている状態ではなくなってきた。

ちょうど登ってこられた地元の常連さんの女性に 相談すると
「このまま吹雪が強まると足跡が消えてしまうかもしれないのですぐに降りましょう」
と 私と同じことを考えておられたので、直ちに下山することにした。

小屋の中では 何人かがカップラーメンをすすりながら談笑していたが、たぶん大山の怖さを知らない人たちで、
駐車場に沢山止めてあった多府県のナンバーの車の人たちだろう。
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その女性とルートを確かめ合いながら 慎重に下山する。ポールが微かに確認できる。
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8合目と6合目の間の急斜面は 凍り付いて非常に危険なので、その女性も私もストックをたたんでピッケルを取り出して
斜面にホールドしながら ゆっくりと降りる。
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なんとか6合目避難小屋まで無事に降りてこれた。一安心だ。
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避難小屋の中に入ってその女性とお昼ご飯を食べた。
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私はチーズカレーおにぎりを食べようとしたが、どうも凍っているようだ。

出発時点でちょうど0度だったので今はマイナス10度を下回っているのかもしれない。

口の中に入れて噛むとシャリシャリ音がする。何の味も無いがしばらく噛んでいると味がしてくる。
結局ポットの暖かいスポーツ飲料で おにぎり2個を流し込んだ。

下山した後、大山寺と大神山神社の写真を撮りに行きたかったので、その女性と小屋で別れてお先に下山する。
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食事の後再び 歩き出してしばらくすると、樹氷が現れだした。
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5合目付近では吹雪は止んでいた。
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樹林帯に戻ってきた。
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この頃になるとガスも少しずつ晴れてきた。
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先に下りていた二人連れに追いついた。
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元谷もガスや吹雪が止んで 宝珠山が谷向こうに見えてきた。
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かなり下山して森に戻ってきた。
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阿弥陀堂まで降りてきた。もう一息だ。
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のぼりとは別ルートで 直接南光河原に降りてきた。
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この後訪ねた「大山寺」、「大神山神社」の写真は
別ブログ「雪景色ー雪の大山寺、大神山に参拝」に載せています。
http://blog.goo.ne.jp/yochan1947-yukigeshiki
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南光河原は雪は止んでいるが、見上げると弥山方面は まだ吹雪いているようだ。
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実際に歩いた記録。
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歩いた距離と高度の記録。標高差は1000m弱だった。
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真冬の大山を歩く その2 山頂避難小屋へ 2015年1月20日

2015-02-08 12:18:09 | 四季の大山を歩く
その2 弥山山頂へ
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あちこちで雪穴が口をあけている。しかし見えない雪穴が怖い。
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誰かが落ち込んだ雪穴だ。かなり深い。あまり近くに寄らないようにしよう。
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やがて先行者の一人に追いついた。道を譲っていただいた。
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5合目に到着した。やれやれだ。
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山ノ神さんを誰かが途中まで掘り起こした跡があるが、神さんは埋もれたままだ。
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ここでしばらく休憩する。
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風と雪が凄い。
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ちょうど降りてこられた地元の方に、上の様子を聞く。
風は8合目くらいまでで、山頂付近は風も弱く山頂まで行ってこられたそうだ。
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このあたりから樹林帯を抜けた。
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ガスと吹雪が強いが なんとか踏み跡は見える。
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何とか6合目の避難小屋まで登ってこれた。
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振り向くと 途中で追い越した人も上ってこられた。
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ガスと吹雪が強いので、のんびり休憩している場合ではない。そのまま登り続けることにした。
この青いポールが ルートの目印で 非常に助かる。
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なんか書いてあるが読めない。
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ひたすら ポールを探して登り続ける。
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見覚えのあるポールだ。これは8合目から上のウッドデッキの転落防止用の手すりのロープを取り付けるポールだ。
今はロープは撤去されているが、このポールの右側は大山キャラ木の深い原生林で落ちたら大変危険だ。
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なんか凄い標識が現れた。「海老の尻尾」状態だ。
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足跡とポールだけが頼りだがあまりよく見えない。
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鱗のような氷だが、キャラ木の葉っぱの氷なのか。
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なんの標識なのかぜんぜん読めない。
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もうほとんど見通しが利かないが、なんか人の声がかすかに聞こえてきたのでそのまま進む。
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なにかぼんやりと見える。避難小屋だ。
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小屋の付近で何人かが動いているのが見えた。
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その3へ続く
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