アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

岩湧山の四季の風景 曼荼羅桜を見に曼荼羅尾根へ行くも桜は早かったけど、春の花に沢山あえました。 2017年4月13日 その1

2017-04-29 09:28:44 | 岩湧山の四季
自宅の周りの染井吉野は 散り始めています。湖の前歩いた岩湧曼荼羅尾根道の曼荼羅桜
の様子を見に 曼荼羅尾根を歩きました。
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曼荼羅桜 その1
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今回歩いたコースです。赤が往路、青が復路です。
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岩湧の森入口の石碑の左の林道を歩きます。
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すっかり暖かく、春らしくなった林道を歩きます。以前の2回は雪道でした。
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以前は気がつかなかった、巨石に羊歯がびっしりと。暖かくなったので羊歯も元気よくなったのでしょうか。
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このテープが沢山ぶら下がっているところから川を渡ります。
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曼荼羅尾根道を進みます。
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足元に白い花びらが沢山散っています。
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見上げるとコブシのような花です。下に落ちているのはタムシバの花びらですが。
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やはりコブシの花のようです。
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シルバーボーイさんたちが撮りつけた曼荼羅桜の標識まで来ました。
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堂々とした巨木の山桜ですが
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どんなに探しても蕾はまだまだ見えないくらい小さいのです。
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蕾は固く小さく 開花は来月半ばでしょう。
そのまま進むと 栃谷道に出ました。
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五つ辻到着です。前2回はここまで2時間半かかりましたが 枝打ちやテープ取り付けで時間が掛かり、
今日はほとんどまっすぐ歩けたので 1時間半でこれました。
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山頂直下まで来るとなんか雰囲気がおかしいなあ。
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山焼の立て札がなくなり、萱も刈り取られています。
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今年は山焼は無くなったようです。山焼による通行止め看板がなくなっています。
4月2日は山頂付近は積雪で 山焼中止、翌4月9日は朝から土砂降りの天で中止、
今年は山焼をやめたようです。
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沢山の軽トラが止まっています。そして沢山のエンジンカッターの音。
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山焼の変わりに萱を刈り取って 新芽の発育を促す作戦なのでしょう。
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滝畑集落の先に見えるはずの堺岸和田の街や大阪湾は見えません。春霞なのか、花粉なのか 支那から
飛んで来た迷惑物質なのか。
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三国山も霞んでいます。
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歩き出してから この山頂広場までちょうど2時間でした。さあ帰ろう。
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正面に見える金剛葛城の峰々も霞んでいます。
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山頂付近は ワラビゼンマイはまだ出ていませんが、タチツボスミレやこの黄色いキジムシロが
あちこちに咲いていました。
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曼荼羅桜 その2へ 続く
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古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて 57.和国大乱の舞台 伯耆の国 楽楽福(ささふく)神社界隈を歩く 2017年3月29日 その2

2017-04-26 22:19:50 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
和国大乱の舞台 伯耆の国 楽楽福(ささふく)神社界隈を歩く 2017年3月29日 その2
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楽楽福神社に引き続き 私は船通山へ向いました。
湖の付近の方に道を聞くと「ダメダメ、雪が深くて あんなところへはまだまだ行けないよ」
と猛反対されたのですが、一応行ってみます。
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楽楽福神社から国道183号線を南へ行くと 島根県奥出雲町横田へ行く道があります。
フトニ王の吉備王国軍は この道を奥出雲へ怒涛のように侵入したといわれます。
私はその県道15号線に入ります。
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ここで県道を分岐して林道へ向います。

このまま進むと奥出雲、横田、三成、木次などタタラ製鉄の中心部です。そこから更にもう少し行くと
出雲南部に出て 西出雲王家神門臣家、東出雲王家向家の心臓部です。

出雲軍が必死に反撃に出たのも分かります。このあたりで死闘が繰り広げられて双方に沢山の死者が
出たと伝えられます。
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ここが林道入口です。
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林道にはまだまだ雪が多く 進むのに難儀します。
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このあたりまでは スコップで除雪しながらなんとか進みましたが
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進むに連れて 雪は深く 倒木、倒竹が道を塞ぎお手上げになり 引き返しました。

素戔嗚(すさのおー徐福のこと)は天の国からこの山に下りてきたと出雲風土記に書かれました。
徐福が石見海岸の五十猛海岸に着いて、出雲王国内で大暴れした事は 出雲の民や王族は皆知っています。

とんでもない事が風土記に書かれたのは 徐福の部下の穂日の子孫の韓日佐達が、第二次出雲戦争で
出雲がイクメ軍に降伏した後 イクメ王に 出雲を降伏させたのは自分達が物部軍をひそかに導いたからで、
出雲国造にふさわしいのは自分達穂日の子孫だと強引に頼み込み、既に決まっていた 進駐軍司令官の 物部十千根から
出雲国造を変更させたからといわれています。

穂日の子孫達は 徐福のことを少しでも神に近づけたかったのでしょう。

風土記を見た出雲の人たちは
「ほなら、何かい、徐福達は船に乗って 五十猛海岸にではなく、この山に着いたのかい」
と笑い出して この山を船が着いた山ー船通山と名づけたそうです。

時の最高権力者 右大臣の藤原不比等に表立って反抗する事はできませんからねえ。

ちなみに徐福の忠実な部下の 穂日の子孫が 今の出雲大社の宮司さんです。
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船通山から引き返して楽楽福神社まで戻ると 人者入口からは 昨日私が郡の急斜面で滑落しそうになり
もう少しで死ぬところだった 大山の郡の稜線が 昨日はホワイトアウト立ったのに今日ははっきり見えていました。
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ここでヒミコに付いてもう少し詳しく 述べさせていただきます。
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ヒミコつまり姫皇女(ヒメミコ)を一覧表にまとめました。
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※ちなみに2番目のヒミコは宇佐豊玉姫でこのお方はイ二エ王が日向西都原で亡くなられた後当時和国で尤も強大な王国
である物部宇佐連合王国の名実共に女王(皇后)で、魏の和国駐在武官テイシュンから直接和国印をもらい 
肩に直接錦帯を架けてもらいました。そのお姿は非常に威厳があったと書かれています。

魏の役人が直接会った唯一のお方(ヒメミコ)です。その他のヒメミコ方の話はすべて伝聞と書簡の話です。
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3番目のヒミコは大日霊女貴(おおひるめむち)と呼ばれたサホ姫(第10代大王彦坐の皇女)で
このお方は最初大和入りしたイクメ王と組み 三輪山で日霊女貴(太陽の女神ひるめむち)を崇拝し人気を得ますが、
遅れて大和入りした豊国軍に追われ 兄皇子のサホ彦と共に敗走されます。近江から尾張へ さらに
日下部の連と名を変えて甲斐の国に隠れ住んだといわれます。

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4番目が豊玉姫の娘豊姫(魏書では台与トヨと書かれ、記紀では豊来入姫とか豊鍬入り比売と書かれた)で、
イクメ王の侵入で大和が 戦乱状態に陥ったときに 当時伊都国に駐在していた魏の駐在武官 張政により
豊玉姫の後継者に指名されて 大和入りし 一時的に戦乱が納まりました。

豊来入姫は大和笠縫村檜原神社で月読みの神を奉じて 若日霊女貴とよばれました。しかし豊国軍の強大化と豊来入姫の
人気に 自分が追い出されるのを恐れたイクメ王が出雲系の加茂田田彦に 助けを求め、田田彦は三輪山や 
豊国軍に奪われた領地を回復すべく 出雲から援軍を得て 豊国軍を追い出すのに成功します。

豊国勢は大和を追われ、尾張方面へ闘争します。愛知県に数ある豊のつく地名はその名残です。
豊来入姫は 丹波、伊根と逃れて最終的に伊勢の出雲系の椿大神社(サルタ彦を祀る)
で保護されて 余生を送ったがイクメ大王が放った刺客に倒されて亡くなり遺体は大和へ運ばれて
ホケノ山古墳に葬られました。姫は最初宇佐から来られたので 「宇佐女の命」と呼ばれましたが
織ってを避けるため 「ウズメの命」と呼ばれるようになりました。現在 椿岸神社では
「ウズメノ命」として祀られて居ます。

※椿大神社(つばきおおかみやしろ)、椿岸神社訪問記は2015年10月7日です。
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5番目のヒミコはヒバス姫です。イクメ大王に終に倒された約300年続いた磯城王朝最後の大王、道主大王の
娘皇女がヒバス姫です。

イクメ王に丹波まで追い詰められて降伏した道主大王は彦タツヒコと名前を幼名に戻して 因幡国造として
因幡に住みます。

ヒバス姫は一時因幡にも住んだので 中国山地の比婆山にほうむられたとか 神話が多く作られましたが
彼女の御陵は奈良市山稜町にあります。

また 彼女は西暦265年に晋へ使者を送り献朝し ヒミコとして記録が残されています。
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6番目のヒミコがヒバス姫とイクメ大王との娘皇女 大和姫です。彼女は丹波の竹野郡で生まれ、宇良神社で
月読みの神とともに 太陽の女神の日霊女貴も奉じました。

そしてさらに志摩の国へ行き、そこで出雲系の井澤登美の命の保護を受け五十鈴川のほとりに内宮を建て
最初の伊勢斎宮として太陽の女神を祀ります。
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古代出雲王国トップページはこちらです。
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古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて 57.和国大乱の舞台 伯耆の国 楽楽福(ささふく)神社界隈を歩く 2017年3月29日 その1

2017-04-24 09:21:50 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
和国大乱の舞台 伯耆の国 楽楽福(ささふく)神社界隈を歩く その1
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今回は「和国大乱」と支那の歴史書に書かれた場所のひとつを巡ります。

九州物部軍の第一次東征に伴う大和の内乱、そしてこの第一次出雲戦争を 支那の歴史書「梁書」では 
「和国大乱」と記しています。  (後漢霊帝の時代 178~183)

わが国には歴史書が無いので、出雲王朝の記録に 支那の歴史書の記述が見事に合致しているのには
驚きます。支那の歴史書は 歴史学者が王朝交代の後、忠実に歴史を書くので権力に左右されず
非常に正確です。

一方日本書紀が歴史書ではなく、歴史小説といわれるゆえんは 持統女帝が不比等に命じて 自分達の都合のよい
小説を仕立てたので、事実ではないのです。自分達が 渡来人の征服王朝と言うのを絶対隠す必要があったのです。

そのため 1.自分達の祖先の徐福(素戔嗚)は支那からではなく 天の神の国から地上に降りてきた。
     2.自分達の祖先はそれ以後和国を治めてきて 政権交代の戦などなかった。
      (出雲の王はこの国を自発的に譲ってくれた)
     3.和国が支那の属国になったことなど無い。
     4.和国を女王が治めたことなどない。(ヒミコなどいなかった。)

というのですから そのデタラメぶりが分かります。

九州物部王家の80年以上離れた時代の 二つの大和への東征を一つにして「神武東征」の小話をつくり
初代大和の大王「天の村雲」の名前を消して「神武」として しかもその神武時代を 東征時代から
出雲王朝第一代主王「菅の八耳」(すがのやいみみ)の時代まで遡らせたものですから、神武から続く王朝が
非常に間延びしてしまい、つじつまを合わせるために140年くらい生きた大君が何人もいらっしゃる
というデタラメな事になりました。凄い小説になりました。

しかし磯城王朝2代目から9代目までは実在の大君の名前を列挙しているので、事実をすべて承知した上で
小説を書いたことが分かります。それもそのはず 記紀の実務責任者の太安万侶は 第3代大王玉手看の兄で
出雲王家の血を引く「神八井耳」で「太臣家」創始者で 太安万侶はその子孫です。

記紀を書き上げた後 太安万侶は幽閉されて、後に祖先の地出雲に移されて 松江市「意宇の森」で
老後を過ごし亡くなりました。今は阿太加夜神社になっています。

また太臣家はその後も続き 現在は多神社の社家として現存しておられます。
訪問記は2015.12.26の大和訪問記にあります。
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と言うことで今回の訪問は
出雲に攻め入った大和のフトニ大王の皇子吉備津彦兄弟と皇后の細姫(くわしひめ)達が住んだ
楽楽福神社(ささふくじんじゃー東楽楽福神社) 鳥取県日南町
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楽楽福神社はこの町に 東と西の二社ありますが 今回はこの東の楽楽福神社を訪ねました。
この神社は大和の大王、つまり和国の王のフトニ大王(贈り名は孝霊)を祀っている神社です。
何故 和国の大王が ここに祀られているのかは、少し説明が長くなります。
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第52回の物部神社(2016.11.20)の項で述べたように、九州物部軍の第一次東征は 最初紀ノ川河口で高倉下の子孫に破れ
転進した熊野でもゲリラ戦で 身動きが取れなくなっていました。そこで物部軍は大和へ密使を送り登美家に救援を求めました。

収拾の付かない内紛状態の大和を物部軍との協力で納めようと考えた、登美家の当主、加茂建津之身の導きで 
無事に険しい伯母峰峠を越えて大和の磐余の地に落ち着いた物部軍は 次第に強大になって行き、
当時の磯城王朝と戦争が激化していきました。

次第に強力になる物部軍を恐れて、第7代大和大王フトニ大王は皇子の大吉備津彦、若吉備津彦と細姫(くわしひめ)
を連れて西へ逃れて吉備に住み 吉備王国を造りました。この時点でフトニは大王ではなくなり、単なる地方の
一王となるのです。
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当時の大和磯城王朝系図です。
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一方大和に残った別の皇子クニクルは第8代大王となり、磯城家のクニアレ姫を后とするも物部家からも
后を迎え入れて、物部と融和の姿勢を見せました。クニクル大王とクニアレ姫の皇子が大彦とモモソ姫です。

大彦は徹底した物部嫌いで 物部に抵抗して戦を続けたが、終には物部に大和から追い出されて北へ逃れました。
記紀にナガスネ彦と書かれて賊扱いされたのが大彦であり れっきとした大和の王子様で出雲王家の血を引き
渡来人の子孫と 格式が違うのに 負けた為に蛮族扱いです。

一方物部の血を引く大日日(オオヒビ)が第10代大王となり(贈り名は開化)次第に物部との争いは納まりつつあった。
オオヒビの妹皇女モモソ姫は母(クニアレ姫)に似て信仰心深く、磯城家第9代当主の太田タネコの保護を受けて 
三輪山に「富の霊畤」(祭祀場所)を設けて 太陽の女神(日霊女貴ひるめむち)を祭り人々の人気を得た。

※富の霊畤を訪ねた記録は 2015年12月25日の記事に載っています。

その祭祀には各地から大勢の豪族が訪れて 巻向には大きな街が出来、長かった内乱もようやく納まり
平和が訪れました。魏書に「その女王が立つと 和国の内乱は納まり 平和が訪れた」と書かれた 一番目の
ヒミコがモモソ姫です。
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ここでヒミコについて  支那人が卑字でヒミコと書いた女王は日本語で姫皇女(ひめみこ)で
何人も いらっしゃいます。支那人たちは周囲の人たちをすべて馬鹿にして 卑字で書いたり
動物の字を当てたりして 自分達だけが人間だと思っています。

和国やヒミコの卑字を未だにありがたがって使っている馬鹿な歴史学者たちがたくさん居る事は
驚くべきことです。そんなあほな奴には 日本人の誇りが無いのでしょう。

ヒミコに付いてもう少し詳しく このページの最後で述べさせていただきます。
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一方吉備王国のフトニ王は 中国山地を越えて 怒涛のように出雲王国に攻め込みました。
出雲の鉄が欲しかったと言われています。

一方出雲王朝は 磯城王家を親戚と考えていたが 突然の侵入に
大慌てだったという。次第に攻め込まれたが 反撃に移り、双方に大量の戦死者を出したという。

これが出雲王家に伝えられている「第一次出雲戦争」です。

出雲兵が立てこもった山を 吉備兵たちは「鬼林山」と呼んで今も名が残っています。
※楽楽福神社の裏山が 鬼林山です。
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出雲兵の必死の反撃で 戦況は次第に膠着状態になり 自然に休戦状態となりました。
大吉備津彦と若吉備津彦たちは 兵を引き上げて 今の日南町に住み、その屋敷跡は東と西の楽楽福神社となっています。

一方 大神山の北側今の孝霊山のふもとに住んだフトニ王は 土地の若い美女との生活に溺れて 
後から追って来た細姫を見向きもしなかったといわれて居ます。

失意の細姫は息子のところに引き上げてさびしく余生を過ごしました。その細姫の死後 フトニ王が
住んだ今の大山町宮内では 大飢饉が起こり 人々は「細姫の祟りだ」と恐れて 土地の後家さんたちを
棒で叩くと 飢饉が治まり、平和になったといわれます。

後家さんのことを「うわなり」といったので「うわなり打ち」という行事が定着してフトニ王の住居跡に
建てられた 高杉神社の 神事として 今も伝えられています。

フトニ大王の贈り名が「孝霊」とつけられたので その屋敷裏の山は孝霊山と呼ばれるようになりました。
高杉神社訪問記は第54 2016.11.22の記事です。
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と言うことで 説明が長くなりましたが、この東楽楽福神社は 吉備津彦兄弟と母親皇后の細姫の
住居跡に建てられたので、当然主祭神 は フトニ大王(孝霊)、細姫、大吉備津彦、若吉備津彦
の親子4人が 主祭神 です。
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日南町宮内の東西楽楽福神社と 出雲兵が立てこもりゲリラ戦を仕掛けた「鬼林山」の位置図です。
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和国大乱当時の各陣営配置図です。実際の激戦地は 奥出雲と伯耆の境界上のあちこちで戦闘が
行われましたが、膠着状態のあと 自然休戦になり、フトニ王(大和を追われたのでもう大王ではありません)
は愛人と 高杉神社に、皇子の吉備津彦兄弟と細姫は楽楽福神社に住み分かれました。
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県道に大きな看板が立っているので 入口はすぐ分かります。
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石段を登っていくと 鳥居があります。
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鳥居を潜って更に進むと突き当たり左に神門があります。
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これが神門です。
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神門に杉玉が飾られていました。今ではこの玉は造り酒屋の印ですが、もともとは 酒造の神様に
ささげて酒の豊穣を祈願したりするものです。

吉備津彦たちは 出雲王家後を引いていますが、徐福の血 つまり秦族の血も引いているので
酒造の神様とされたのでしょう。

ちなみに京都嵯峨野というより、太秦の松尾大社は 徐福とその后の宗像王家(出雲王家の宇佐分家)
の宗像三姉妹の末娘 市杵島姫の二人を祀っていますが 嵯峨野太秦を開拓した秦族たちは
酒造、養蚕を広めたようです。

それゆえ 松尾大社は お酒と養蚕の神様として有名です。
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神門を潜って更に歩いて進みます。
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正面に拝殿が見えてきました。その右は末社です。
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拝殿には 私が鳥居を潜ったときから 雅楽が流れていて 誰か居るのかと探しても無人なので
テープかCDから 音楽が流れているのです。
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賽銭箱にお金を投入れた途端 獅子舞が踊りだしたのにはびっくりしました。
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横に回ってみると拝殿の奥が 本殿です。
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本殿は一見出雲式のように見えます。
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千木は 出雲式の縦削ぎです。屋根つきの階(きざはし)で建物の妻側に出入りするのは出雲式です。
屋根の棟に「楽楽福神社の楽楽福」の金物が取り付けられています。

ちなみに徐福の血を引く吉備津彦たちの子孫は 「福」の字が好きです。この伯耆の国にも あちこちに
福万来、福長、福岡原、福万 などの地名がたくさんあります。
徐福の血を引くが自慢だったのでしょう。
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境内の一角に石が展示してありました。近寄ってみると説明看板があります。
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読んでいくうちに笑ってしまいました。出雲兵のことを鬼と呼び その鬼が投げつけた石だそうです。
和国で最初に誕生した王国の守備兵を「鬼」と呼ぶなら 渡来人で出雲王国内で大暴れした野蛮な
海童達の子孫は 何様なのでしょう。

二本最古の王国の守備兵、出雲兵を鬼と呼ぶお前らこそ 品の無い 知性と教養の欠如した渡来人の子孫の野蛮人なのだよ。
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その2 船通山、ヒミコの詳細に続く
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猛吹雪とホワイトアウトの大山で足元が見えず転倒しあわや氷の斜面を滑落するところでした 2017年3月28日 その4

2017-04-21 10:19:05 | 四季の大山を歩く
残雪と猛吹雪の大山 その4
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6合目から下山を開始しましたが、このあたりは樹林帯を越えているので、強烈な吹雪とガスで
ホワイトアウト寸前です。元谷方面の斜面のエッジが微かに見えるので 落ちないように一歩ずつ
慎重に下山します。
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先ほど降りていった 私を助けてくれて、スマホを落とした若い方の足跡も消える寸前です。
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しばらく下ると ようやく枝が雪の上に現れて 私の付けたテープが見え始めました。
やれやれなんとか下山できそうです。
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無事に灌木帯まで降りてきました。
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元谷の斜面エッジも見えるようになりました。吹雪は相変わらずですが 下へ降りてきたので
ガスは 上より薄くなったようです。
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樹林帯まで降りてきました。一安心です。
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元谷行者コースへの分岐です。もう少し天気がよければここから元谷へ降りて 大神山神社へ
お参りして下山する予定でしたが、こんな天気では遭難しに行くようなものです。
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元谷への路はトレースが全くありません。これでは歩けません。
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無事に5合目まで降りてきました。山ノ神さんに日ざまづいてお礼を申し上げます。
九死に一生を得ました、アリガトウございます。
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それからは順調に降りたつもりでしたが、雪質が変化して アイゼンに雪団子が出来始めました。
雪が少し緩んだようです。斜面に足を踏み出して踏ん張った途端 団子で滑りストックの上に
しりもちをつき ポールが曲がってしまいました。残念ながらもう使えません。
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それからは順調に降りてこれました。
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一合目まで降りました。ガスはほとんど無くなりました。雪は少し降っています。
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阿弥陀堂が見えてきました。
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道端のお地蔵様にもお礼を申し上げて、
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阿弥陀如来さまに 厚くお礼を申し上げました。アリガトウございました。
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山を降りているとこんな時間からスノボーを持って登っていく人にすれ違いました。
どこまで行くのでしょう。
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夏山登山道の途中から近道に入り 斜面を急降下すると駐車場が見えてきました。
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やれやれ 無事に生還できました。リュックを下ろしてしばらく座り込んでしまいました。
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元谷から見上げると 山は分厚い雲に覆われていました。上は依然として吹雪いているのでしょうね。
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着替えをしていると、大きな声でワイワイ言いながらスキーヤー達が元谷を降りてきました。
あの途中で立ち往生していたグループです。ずいぶん時間がかかりましたねえ。
どこかで吹雪が止むのを待っていたのでしょう。
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南光河原駐車場の隣には山用品の店もあります。折れたポールの代わりを探しに入りました。
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歩いた記録です。
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高度と距離の記録です。六合目まで降りてきて、私を助けた方のスマホを探しに再び登ったときは
リュックとそれに取り付けたGPSをおいて登ったので 高度距離記録を修正しました。
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しかし 転倒した後 凍りついた元谷の急斜面へ滑落しなくて本当に良かったと思います。
運が良かったとしか言いようがありませんが 山ノ神さんに大感謝です。

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猛吹雪とホワイトアウトの大山で足元が見えず転倒しあわや氷の斜面を滑落するところでした 2017年3月28日 その3

2017-04-19 22:27:19 | 四季の大山を歩く
残雪と猛吹雪の大山 その3
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6合目避難小屋は雪に埋っているので 小屋へ入るには穴の底へ降りていきます。
避難小屋へ入り リュックからゴーグルとフェイスマスクを出します。
入口に立っているおじさんは 吹雪が止むのを待っているそうです。
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小屋から出ると吹雪が 全身を襲います。
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小屋を後にしてもう少し登ってみようと思います。
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左前方に登山道目印のポールがあるように見えたので 近づくと誰かが突き刺したまま忘れ去られたストックでした。
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キョロキョロ探し回っても目印ポールはなかなか見つかりません。
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ありました。前方に青いポール発見。
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少し登ると誰かに追いつきました。
トレースが分からず 必死に探しているとのことでした。
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二人でトレースを探しますが 何も見えません。ホワイトアウト寸前です。
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ここで事件が起きました。私が不用意に踏み出した一歩が とんでもない事になりました。
雪庇のエッジが見えてなくて 約1.5mの段差に前のめりに転落したのです。
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運良く ストックでストップが掛かり その先の郡の急斜面への転落は免れました。

たまたま一緒にトレースを探していた 若い方に私のリュックを 引き上げてもらい
その方のピッケルを貸してもらい、私のピッケルと2本で体を引き上げて アイゼンの前歯を
斜面に蹴りこんで うえに上がれました。不幸中の幸いで 雪質が硬く ピッケルや
アイゼンの刃が よく突き刺さり 体をサポートしてくれました。
雪質が柔らかかったら 完全に深い急斜面へ滑落しています。
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非常に危険な状態なので その方と相談して 直ちに下山する事にしました。
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ホワイトアウト寸前で前を行く その若い方の姿も見失いそうです。
慎重に一歩ずつ 進みます。
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本日二度目の6合目避難小屋です。
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狭い小屋の中で 立ったままおにぎりを1個食べました。
すると突然 私を助けた若い方が 「しまった、スマホをさっきのところに落とした」と仰り
小屋を出て行かれました。
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私も助けてもらった手前、後を追いかけました。
実はその方がスマホをなくした可能性のある場所は 私が転倒した場所ではなくて
下山を開始して間もなく 急斜面で滑って転倒した時らしいとのことです。
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二人で探しましたが ほとんど真っ白で何も見えません。その方のもう一台のスマホで
落としたスマホを呼び出すと 鳴っているらしいのですが、猛烈な吹雪で何も聞こえず、
吹雪で何も見えません。危険を感じたので 下山する事にしました。
下山してからスマホの紛失手続きをするということです。
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本日3回目の避難小屋です。
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小屋の外で 吹雪が止むのを待っていたおじさんは 諦めて下山しました。
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小屋の中から出てきた 私と同年輩らしきジーちゃんが突然スキーをはき始めました。
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元谷は 本日はあまりにも危険なので 南側の斜面を滑って樹林帯へ抜けるそうです。
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ジーちゃんはあっという間に 白い闇へ消えていきました。ご安全に。
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私を助けた若い人にはお先に下山してもらうように言いました。スマホの紛失手続きをしてもらうためです。
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残雪と猛吹雪の大山 その4へ続く
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猛吹雪とホワイトアウトの大山で足元が見えず転倒しあわや氷の斜面を滑落するところでした 2017年3月28日 その2

2017-04-17 17:54:26 | 四季の大山を歩く
残雪と猛吹雪の大山 その2
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この辺から急登が始まる。
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またスキーグループに追いついた。
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別のグループもこの吹雪に立ち往生しているようです。
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こんどは7合目から降りてこられた地元の方です。
6合目から上は吹雪が猛烈で歩けたものではないとのことです。
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標高が1200mを越えました。
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あちこちにクレバスのようなアナが目立つようになりました。
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吹雪はますます強くなります。
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深い穴に落ち込まないように注意して歩いていきます。
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踏跡のすぐ横の穴は 底が見えません。
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これも深そうです。怖い怖い。
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五合目に到着です。三合目、四合目の標識は雪に埋って見えませんでした。
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「山ノ神さん」にこれからの無事を祈願します。
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クレバスを避けながら 注意深く歩いていきます。
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吹雪は依然として 荒れ狂っています。
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樹林帯を抜けました。風を遮るものが無くなりました。
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急登と吹雪きは続きます。
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左から 北風が樹氷をたたきつけてきます。痛いので顔を背けて歩きます。
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まずいなあ、足跡がどんどん消えていきます。
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とりあえず 目印のテープを結びますが、枝がほとんど雪に埋っていて少ししかありません。
枝を見つける度にテープを結びながら 進みます。
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消えかかるトレースに 次第に不安になります。樹林帯を抜けたのでもうすぐ6合目なんですが。
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6合目の避難小屋到着です。雪に埋っていませんでした。良かった。
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避難小屋の先の 元谷は吹雪で何も見えません。
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残雪と猛吹雪の大山 その3へ続く。
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猛吹雪とホワイトアウトの大山で足元が見えず転倒しあわや氷の斜面を滑落するところでした 2017年3月28日 その1

2017-04-14 22:33:39 | 四季の大山を歩く
四季の大山を歩く

鳥取県の西部島根県よりの山、大山(だいせん)を四季折々に歩いた記録です。
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猛吹雪とホワイトアウトの大山で足元が見えず転倒しあわや氷の斜面を滑落するところでした 2017年3月28日 その1

各地で桜が咲き始めてもうすぐ4月と言う日に大山へ行きました。
天気予報は 曇りのち晴れなので まずまずの天気と思いました。
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残雪と猛吹雪の大山 その1
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午前7時に松江市を出たときは 土砂降りの天でしたが、南光河原は吹雪です。
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駐車場に 8時過ぎ到着。昨日から駐車料金は 不要になりました。スキーシーズンが終わったのです。
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身支度をしていると スキーヤーの団体がガヤガヤと登っていきました。
周りにどっさりと残雪があるので 今日はフル装備です。
アイゼン、ピッケル、ゴーグル、フェイスマスクetc>
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午前9時スタートです。裏道で夏山登山道へショートカットします。
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駐車場脇の急斜面を急登します。沢山の足跡があるので みんなこのバイパスを知ってるようです。
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すぐに夏山登山道が見えてきました。
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夏山登山道に入ります。
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標識が埋もれています。
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この標識も読めません。今年は雪が多そうです。大峯奥駈道も凄い雪でした。
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雪道の表面は硬く凍りついているので 歩きやすいのですが、油断すると時々足がメリ込みます。
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でも春は近いようです。木の幹の周りは雪が解け始めています。
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阿弥陀堂が見えますが帰りに無事下山のお礼にお参りする予定です。
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一合目を通過しました。標高は約900mです。
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2合目も通過です。硬い雪が多く順調に高度を上げます。
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標高1000mを越えました。
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右のブナ林も
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左の元谷もとても静かです。しかしこれは「嵐の前の静けさ」でした。すぐに分かりました。
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上から一人降りてこられました。
聞くとこの方は地元の方で 6合目から引き返したこられたそうです。上は猛吹雪で危険だそうです。
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スキーヤーのトレースのようです。あの団体はスキーを履いて登っているようです。
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今まで止んでいた雪が突然激しく降り出しました。
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風も激しくなりました。
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凄い吹雪になりました。
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スキーヤーに追いつきました。猛吹雪に立ち止まっているようです。
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残雪と猛吹雪の大山 その2に続く
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世界遺産大峯奥駈道の釈迦ヶ岳へ行くもトレースが無く苦戦して山頂直下で引き返す 2017年3月23日 その4

2017-04-12 23:26:39 | 世界遺産大峰奥駈道

残雪の釈迦ヶ岳 その4
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なんか私の足跡がおかしいなあ。
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私の足跡を辿って鹿があるいたようです。それも複数頭が。
こんな広いところで なんで同じ足跡をたどるのかなあ。
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木屋谷分岐まで戻りました。
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木屋谷下山道を覗くと 鹿がこちらを見ていました。あいつらだなあ、あの足跡は。
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尾根を外さないように歩きます。
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左の谷へ入り込むと大変だ。例の宗教団体の道場のある谷だ。
迷い込んだら二度と出てこられないといううわさだ。
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やがて森の中に入った。
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春は近い。木々の胴回りは春の兆しだ。
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90度に曲がるポイントだ。この看板はありがたい。
奥駈にも1箇所こんなまがりがあり、迷いやすい。台高縦走路はもっと危険で
特に池木屋山手前は沢山の曲がりに何も標識が無くいつも迷う。
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急降下が始まる。登山口は近い。
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マイカーが見えた。
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あの崖下がトイレだ。
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やれやれ一安心。登山口まで戻れた。
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林道をしばらく歩いて降りる。
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今朝方 私のクルマがが押し戻された場所だ。
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無事生還しました。午後4時です。10時にスタートしたので6時間の歩行でした。
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今日もよく頑張ってくれました。
ナンバーとモンベルの靴下、シリオの登山靴、モンベルのゴアのズボンとスパッツ、
インチキミズノやバッタモンのトレクスタにはまねの出来ないまねだ。
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急いで 通行禁止区域入口まで戻る。がけ崩れしていませんように。
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ペイローダーで除雪してくれていてありがたいことです。
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こんながけ崩れも数箇所除石してありました。アリガトウございます、十津川村の皆様。
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通行禁止区間では 来るときには無かった 30センチほどの落石が1箇所で4個ほどあり 
ましたが、それを避けて車を運転できました。しかし1箇所で長さ10メートルほどの枝が
林道を塞いでいましたが 車を降りて簡単に手で退ける事が出来ました。
無事に旭ダムまで帰ることが出来ました。

十津川村役場の方々、スミマセンでした。
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実際に歩いた記録です。スタート時の気温は1度、帰着時は2度でした。
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高度と距離の記録です。約6時間で 雪原を10キロ歩いています。休憩は10分ほどでした。
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奥駈道の内この付近の地図です。
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過去の参考写真
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このあたりは斜面崩落の覆い地質で あちこちで崖崩落を見ました。
この冬季通行禁止区間の不動小屋谷林道や旭林道でも 頻繁に見ました。

この写真は2004年9月5日の国道168号線十津川村宇井の崩落です。
現在も復旧改良工事が進められています。
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このがけ崩れはこの林道で 2005年9月9日に撮影したものです。
こんなのがクルマの上から降ってきたら 即死ですね。
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延々と続く 不動小屋谷林道です。2015年8月15日。走り抜けるのに40分位かかります。
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お顔が真っ白に凍りついた 釈迦ヶ岳山頂の釈迦如来様です。2008年11月21日。
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「世界遺産大峯奥駈道を歩く」トップページはこちらです。
http://yochanh.sakura.ne.jp/okugake/index.html
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世界遺産大峯奥駈道の釈迦ヶ岳へ行くもトレースが無く苦戦して山頂直下で引き返す 2017年3月23日 その3

2017-04-11 09:47:29 | 世界遺産大峰奥駈道
残雪の釈迦ヶ岳 その3
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息が切れて急登の一人ラッセルに疲れました。時刻はもう2時前です。
雪が無ければ 2時間で山頂なのに もう3時間半以上歩いています。
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ここから山頂へ往復して1時間、その後下山に2時間来強、登山口に5時頃です。
明るいうちに、踏跡がはっきり見えるうちに下山しないと 迷って南の谷へ入ると
あの二度と出られないという うわさの宗教団体のある危険な谷です。
ここへ来る途中のあちこちに未だに行方不明の女性の創作ビラが 張ってありました。

それと 明るいうちに通行禁止の林道を出ないと 普段でも落石や落枝が多い 危険な林道です。

引き返す決心をしました。

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直ちに引き返します。
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歩きながら GPSを見るとちょうど あの左の斜面の向こうあたりが 行者の隠し水の水場です。
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あの標識のところまで戻ってきました。疲れたし、空腹なのでここで小休止です。
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御握り1個食べて 少し元気になりました。さあ出発です。午後2時過ぎです。
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樹林帯に入り 樹氷がバラバラと降り、私の足跡が 非常に見づらくなっています。
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尾根の真ん中を歩くようにします。
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当たり前ですが、下りもアップダウンの連続です。
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時々行く手に鹿がいて こちらをじっと見ています。
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雪庇に近づかないように歩きます。
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ふと見ると大日岳のすぐ下に小屋のようなものが見えます。
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望遠で覗くと 二つ見えます。右が「深仙小屋」で左が「深仙灌頂堂(じんせんかんちょうどう)」
です。灌頂堂とは 密教の最高位を授ける儀式を執り行う建物です。
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降り注ぐ樹氷で消えそうな微かな私のトレースを辿ります。やはり雪山は何が起こるかわからんなあ。
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そのうちに私が取り付けたテープが現れました。
実は往路につけたテープは 持ち合わせの80本を使い果たして なくなってしまいました。
目印をつけることなく 歩いてしまいましたが やはり余分にテープは持参すべきでした。
GPSの軌跡表示は ある程度の幅があるので 大まかな方向は安心できても
具体的な路は やはりテープが安心できます。特に雪道は 登山道を
一歩外れても深くめり込む事が多いのです。
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岡の上に小さく標識が見えます。
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古田の森に戻ってきました。やれやれようやく半分の距離を戻りました。
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奥駈のサミット、八剣山の見納めです。
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アップダウンを繰り返しながら 次第に下っていきます。
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こんなところを歩いた記憶がないけど、ちゃんと足跡がついてるから私が歩いたんだろうなあ。
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大日岳も遠ざかりました。
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遠くに何か見えるので望遠で覗くと 登山口のトイレが見えます。
でもここから1時間くらいかかります。
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長い下りが続きます。
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少し休んで 振り返ると
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釈迦の見納めです。
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更にどんどん下っていきます。
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残雪の釈迦ヶ岳 その4に続く
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世界遺産大峯奥駈道の釈迦ヶ岳へ行くもトレースが無く苦戦して山頂直下で引き返す 2017年3月23日 その2

2017-04-09 22:45:28 | 世界遺産大峰奥駈道
残雪の釈迦ヶ岳 その2
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路は不明だが 真ん中を歩くようにします。
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標識があると 路だと分かるのでありがたい。
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アップダウンが多い路ですが、夏だとあまり気にせず歩いていたなあ。
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越えては降り、また越えます。
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右には近寄らないようにします。危険な雪庇が続いています。
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右手には十津川の山々が見えています。
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前方に高い山が見えてきました。
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次第にあの高い山に近づいてきます。
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山頂になにやら立っているのが見えるので 望遠で覗いてみたら やはり釈迦如来様がいらっしゃいます。
つまりあの山が目的の釈迦ヶ岳です。
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古田の森に着きました。
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左手に一際高くて白い山が見えてきました。
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奥駈道のサミット、八剣山とそれに続く明星ヶ岳です。
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尾根道の真ん中を歩いていきます。
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右手には相変わらず 危険な雪庇が続いています。
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釈迦に大分近づいてきました。
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明星ヶ岳から釈迦ヶ岳に続く 奥駈の峰々の仏生が岳や孔雀岳も見えてきました。
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右手に大日岳が見えてきました。
この大日岳は奥駈道の大日で 稲村ヶ岳の隣の大日とは別の山です。
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なにか小さな標識が見えます。
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近づくと 千畳平です。
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しばらく歩くと 案内標識がありました。路の近くを歩いている証拠です。
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急登が始まり路は不明になりましたが、とにかく直登します。
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すぐ近くに天理大学の標識を発見。このあたりは熊笹のジグザグ道だったような気がします。
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GPSを見ると右手の下のほうに水場のマークがあります。
縦走者のテント場の「行者の隠し水」です。もう過ぎたようです。
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急登は続きますが、雪が柔らかくなり 足がめり込むので とても疲れます。
一人ラッセルの急登なので 息が切れます。
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残雪の釈迦ヶ岳 その3へ続く
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