アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて その20黄泉の国(よみのくに)への入り口黄泉比良坂と揖夜神社 

2014-01-30 00:16:48 | 松江市の四季
古事記に「この世とあの世の境」と書かれた黄泉比良坂(よもつひらさか)は

島根県松江市東出雲町にある。

そして日本書紀にも記述がある「揖夜神社(いやじんじゃ)」は大和朝廷から

恐れられたという。なぜなら大和朝廷とその取り巻きの豪族たちほとんどの祖先の秦国人徐福

(記紀ではスサノオと書かれた)が殺した出雲王朝の大国主(主王)と言代主(副王)の

たたりを恐れたからだ。

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境内の神社由来書にも「朝廷が恐れた」と記してある。

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東出雲町観光マップによる揖夜神社と黄泉比良坂の位置図。

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道路からこの石段を登り神門を潜る。

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神門の注連縄もかなり大きく立派だ。

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境内正面の拝殿も立派だ。

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拝殿の奥に本殿が見える。

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大社造の本殿。木柵の内部には入れないからカメラを差し込んで撮影した。

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本殿 の屋根は桧皮葺で大変立派だ。

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境内の石灯篭は亀の上に乗っている。珍しい灯篭で初めて見た。

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境内の一角には縄を巻いた「おろち」のような姿のものが祀ってある。

おろち、蛇は古代出雲で信仰された神のひとつだ。

古い神社なので古代出雲の慣習が残っているのかも知れない。

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揖夜神社の由緒書き。イザナミ(佐毘売の命)、大名持ち(大国主)、それに
事代主と美穂津姫の夫婦が祀ってある。

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古代出雲王朝では主祭神は「クナト大神」とその奥方「佐毘売の命」だ。

しかし第17代主王「山崎帯王」のときに、朝鮮人ヒボコの子孫但馬の守と

物部の大群に破れて以来、「クナト大神」「佐毘売命」は「イザナギ」

「イザナミ」と名前を変えられてしまった。つまりここの主祭神 のイザナミは

「佐毘売命」で、「大己貴」は「大名持」を書き換えられた大国主で、少彦名は

書き換えられた「少彦(すくなひこ)ー出雲王朝の副王の役職名」である。

そして事代主は第8代副王の個人名であり、 紀元前3世紀末に渡来した

徐福の部下「穂日」と海童たちに米子市の粟島に幽閉殺害された。

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事代主が粟島の「志都の岩屋」に幽閉殺害されたことは、800年経った万葉集の

時代にはまだ人々の記憶にあったと見えて、万葉集にも「少彦(すくなひこー副王

の役職名で事代主のこと)がいらっしゃった志都の岩屋は幾世経たことだろう」

との歌がこの岩屋の前に立てられている。志都の岩屋は下記のページにあります。

http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/kodaiizumo/2013/03/post_b8ed.html

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また「美穂津姫の命」は事代主の奥方「沼川姫(ぬなかわひめ)」で越の国

から嫁入りして美保関の屋敷でお住まいだったから「美穂津姫」と呼ばれた。

事代主が亡くなられた後、息子の「タテミナカタ」を連れて越の国に帰られた。

「タテミナカタ」はその後諏訪地方に移住され諏訪の開発に大いに功績があり

「諏訪大社」の主祭神 として祭られている。

諏訪大社訪問記は下記のページにあります。

http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/sinshuyamatabi2011/2011/08/5_d694.html

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一方島根県中部の「三瓶山」は昔は「佐毘売山」と呼ばれていた。

国引き神話では島の島根半島を太い綱で引っ張ってきたと書いてあり、

その綱を繋ぎとめたのが 東の大山(昔は大神山と呼ばれ大国主を祀る)

と西の三瓶山(昔は佐毘売の命にちなみ佐毘売山と呼ばれた)である。

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方こちらは観光パンフレットの中の「黄泉比良坂」(よもつひらさか)の部分で、映画のロケにも

使われたと書いてある。

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この鳥居を潜ると「黄泉比良坂」だ。

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大きな説明看板がたててある。

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この石も何かのいわれがあるのだろう。

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これが「黄泉比良坂」である。歩いていても神秘的な感じはまるでしない。

その辺の里山の雑木林の中を歩いているようだ。何故なのかよく考えると

周りの古い木をすべて切り取ってしまい、普通の植林をしたり雑木が生えるに

任せているからだ。

「石畳が轢かれて、周りがうっそうとした大木だらけの森」にぜひとも、復活

して欲しいものだ。今のままでは観光資源としてはあまりにもチャチイ道だ。

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この部分の歴史事件は以下の本による。

斎木雲州著 大元出版 「古事記の編集室」、「出雲と蘇我王国」、「出雲と

大和のあけぼの」、「おとぎ話とモデル」、「万葉の天才歌人柿本人麻呂」

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「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」のトップページはこちら
http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/kodaiizumo/

「ウエブのトップページ」はこちら
http://www17.ocn.ne.jp/~hase-you/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界文化遺産熊野参詣道小辺路を歩く NO5五百瀬から三浦峠Part3

2014-01-27 22:29:09 | 世界文化遺産熊野参詣道中辺路を歩く
Part3 三浦峠から下山
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峠からは眼下に五百瀬集落とその向こうに伯母子岳が見える。

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集落の右奥の高い山がおそらく伯母子岳だろう。ここから見てもかなりの

距離があるのが分かる。前回は時間がかかったはずだ。

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下山を開始してすぐに目に入ったのは、小辺路の山道の周りが無残にも

丸裸にされた山肌だ。どうせどこかの馬鹿な林野庁の職員がどこかの

森林組合に山狩りをさせているのだろう。ひどいことをするもんだ。

文化遺産に対する認識がまるでないなあ。

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一方で黙々と世界遺産の道を清掃する人もいる。

峠まであと二日かかるだろう。ご苦労様です。

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巨木の森に帰ってきた。上から見下ろしてもすごい眺めだ。

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無人と思われる農家の庭先を通る。

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この家のかっての洗い場も今は崩れている。氷が分厚く張っていた。

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こちらの茶畑は刈り取られた形跡がある。

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茶畑の先の農家は洗濯物が干してあり、生活のにおいがしていた。

しかし車道のない生活ではいずれこの風景も消え行くだろう。

この美しい山郷風景も世界遺産に登録して欲しいなあ。

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舟渡橋に戻ってきた。晴れているがずっと粉雪がちらついていた。

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集落内のみちを歩くがこの道も小辺路だ。やがて駐車した小学校が見えてきた。

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帰着した校庭から見返すと、あの禿山のあたりが三浦峠だろう。

この場所につれてきてくださった民宿「政所」がすぐ右手にあるので、

無事下山したことを伝えてから車を走らせた。

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実際に歩いた記録。これで見ると「船渡橋」から「三浦峠」までの

半分近くが迂回路になっていた。

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今回は歩いた距離も高度も比較的少なく、登り2時間半、休憩1時間、

下り1時間半であった。

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世界文化遺産熊野参詣道小辺路を歩く NO5五百瀬から三浦峠Part2

2014-01-26 10:42:02 | 世界文化遺産熊野参詣道中辺路を歩く
Part2 「吉村家跡から三浦峠」
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やがて植林帯が消えて、森が現れる。

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道端に石碑が置いてあり、「二十五丁なんとか」と読める。

三浦峠まであと二十五丁(2.5キロ)くらいだ。

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斜面が大きく崩れていて、復旧工事が完了していた。

去年秋の台風で崩れたのだろうが、奈良県は対応が早いなあ。

崩れた山道を放置して知らん顔の河内長野市とえらい違いだ。

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復旧された階段からは眼下に「五百瀬集落」がよく見える。

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水場が現れたので、一休みして冷たい水でのどを潤す。とてもおいしい水だ。

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山道を歩いていくと「バリバリ」と大きな音がする。霜柱が沢山出ている。

気温は低くかなり寒い。風も強くなってきた。

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突然通行止めの標識が出てきた。この先で大規模に崩落したらしい。

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ここでも英文で表記がある。

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迂回路も整備されていてきれいな道だ。

もともと山仕事で使われていた道だろう。

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峠に着いたようだ。手元のGPSでも標高は1000mを超えている。

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ここで本来の古道と合流する。全体の3分の1程度が通行止めで迂回路だった。

去年の台風の被害はすごかったようだ。国道168号線は未だに十津川温泉で

通行止めが続いているし、北山村、十津川村、龍神村を横に繋ぐ国道や県道は

ほとんどが今でも通行止めのままだ。

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三浦峠の標識だ。しかし林道が2本横断している。かなり興ざめだ。

向こうに休憩所がみえる。

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今朝五百瀬集落の民宿で泊まり小辺路を歩き出した若者と一緒に、

ここで昼食をとる。かれは神奈川からやってきたそうだ。

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昼食後若者は十津川へ降りていった。

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ここが十津川への下山口だ。西中まで11キロあり3時間かかるだろう。

そこから十津川温泉まで国道425号線を2時間歩くのだ。

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彼の行動は 一日目が新幹線と電車を乗り継ぎ、高野山を昼過ぎにスタート。

その日は大股まで歩いて大股で泊まり、次の日が五百瀬で泊まった。

今夜は十津川温泉で泊まる予定だそうだ。

彼と山の話をいろいろとしながら食事をしたが、ここは壁が無いので

吹きさらしでとても寒い。気温は氷点下5度程度かそれ以下だろう。



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Part3へ続く
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世界文化遺産熊野参詣道小辺路を歩く NO5五百瀬から三浦峠Part1

2014-01-24 22:54:08 | 世界文化遺産熊野参詣道中辺路を歩く
 Part1 十津川村五百瀬(いもせ)から「吉村家跡」まで
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前回は奈良県十津川村杉清から伯母子峠へ歩いたが、その杉清集落から

約1キロほど東側の五百瀬集落から南側の「三浦峠」へ歩いた。

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今回歩いたのは、五百瀬小学校の校庭に駐車させていただき、歩き初めて

三浦峠まで往復した。

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前回の登山口のこの地点である。通りかかりの地元の方に駐車スペースを

聞くとここから約1キロほど東に 案内してくださった。

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五百瀬(いもせ)小学校の 校庭に駐車させていただいた。

子供の姿が見えないが、、、。

9時半過ぎにスタート、気温1℃。かなり寒い。

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集落の中ほどに大きな看板があり、登山口はすぐにわかった。

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神納川にかかるこの橋「舟渡橋」(ふなとばし)をわたる。

この橋の看板に「村道五百瀬三浦線」と書いてあり、この山道がなぜ

村道なのか後で分かった。

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橋を渡ったところにもたくさん小辺路の標識があり、「三浦峠まで3時間、

がんばって」と五百瀬小学校の児童が書いた看板もあった。

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山道は何故かきれいに掃かれていた。

これも何故、誰が掃き掃除をしたのか後でわかった。

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この道は山道であり、熊野への参詣道小辺路であるが、村人たちの

生活の道でもあるのだ。車道のない山村の風景がこんなにも、美しいとは

はじめて分かった。

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やがて石畳の道も現れた。さすがに千年を超える信仰の道でもあるのだ。

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かなり山の上のほうまで民家があり、その軒先を掠めるように 道は続く。

この道が「村道」なのがやっと理解できた。村民の生活の道でもあるのだ。

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かなり登ったところに人がいる。なんか働いているような感じだ。

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この方が山道の落ち葉を掃いて掃除していたのだ。聞くと「村に頼まれたから

ボランティアでやっている」とのことだった。お礼を言って通してもらう。

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やがて行く手に巨木が現れた。「巨木の森」だ。

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こんなすごい貫禄の木もある。

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この説明文によると「吉村家」の防風林の跡らしい。

私が生まれた60数年前までこの地で「旅籠」を営んでいたという。

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今は吉村家の屋敷は無いが、「吉村なんとかさんご夫妻」のお墓が

残されていた。

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この旅籠には沢山の熊野への参詣者が泊まり、熊野へと旅立ち、

また熊野からの帰りにも立ち寄ったことだろう。

時の流れを感じて しばし立ち止まり、墓標に手を合わせて先に進む。

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Part2へ続く
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自転車で河内長野市山中の成田山不動院へ 2014年1月16日

2014-01-23 23:41:47 | 自転車ツアー

冬の晴れた日にいつものように自転車で出かけたら、山の中に はじめて見る

お不動さんがあった。

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今回チャリで走ったコースで赤のラインが往路でブルーが復路である。

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かなりきつい上り坂をひたすら漕ぐと「関西サイクルスポーツセンター」に

到着した。今日は定休日で誰もいない。

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そのお不動さんは今まで気が付かなかったが、サイクルセンターの向かい側にあった。

ここが入り口だ。

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入り口を入るとずらりとお地蔵さんが並んでいる。

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その真ん中にはひときわ大きなお地蔵さんが赤ん坊を抱いている。

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その向こうにもお地蔵さんが続く。

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反対側には菩薩像、如来像が並ぶ。

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千手観音は安産の願いもかなえるという。ネズミ年の守護本尊だから、

ネズミ年の人はどんどん寄進してね、と書いてあった。

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虚空蔵とは知恵と財産の無尽の宝庫を表し、この菩薩は「役職、昇進、名声」を得させてくれる菩薩だそうだ。丑年、寅年の守護本尊だから、その年の人はどんどん寄進してね。

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文殊菩薩は学問の仏様で、ウサギ年の守護本尊だそうだ。

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阿弥陀如来は光明と寿命を備え、永遠の存在だそうだ。

戌年、イノシシ年の守護本尊だそうだ。

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大日如来は密教では最高、至上の絶対的存在で申年、未年の守護だそうだ。

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一番奥に不動堂がある。

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堂の中にはお不動様がいらっしゃる。

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不動堂の隣には「ボケ防止観音様」なるお方がいらっしゃった。

「ボケませんように」とお賽銭をお供えしてお祈りした来た。

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寺の入り口から東を見ると 岩湧山が正面に見える。

逆に岩湧山からもここが見えるのだろう、今度探してみよう。

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菩薩像につけられた一つ一つの説明文を読んでいると、なかなか面白かったが

「更なるご加護を賜りますよう寄進を承ります。」という文章や、「役職や昇進を

かなえてくださいます」という文章には仏教とは無縁の「商売」しか感じられ

なかった。仏陀は「全ての物は無であり、空であり、実態の無いものである」 

「物に固着する心こそ煩悩の原因である」とおっしゃっていたと聞いたけどなあ。


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1月19日岩湧山山頂から見たお不動さん。

肉眼ではサイクルセンターの塔しか見えないので、望遠で撮影し後でパソコンで確認した。

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世界遺産熊野参詣道小辺路を歩く NO4十津川村から伯母子峠へ 2014年1月12日 Part3

2014-01-21 18:12:26 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
Part3 下山
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引き返すのも怖い急斜面だ。ゆっくり一歩ずつ、斜面を崩さないように進む。

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旅籠跡まで無事に降りてきた。ほっとしてここで昼食にする。時刻は午後1時半だ。

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帰路に気づいたのだが、この山もほとんどが植林地帯だ。

歩いていても山の雰囲気はほとんどなく、世界文化遺産の雰囲気もあまり

しない。なぜこんな信仰の山までも丸坊主にして杉檜などの害木を植えるのだろう。

信仰の参詣道周囲だけでも木を残せなかったのだろうか。戦後の林野行政は

まったく失敗だらけだ。国民の財産を国民のお金を使って壊している。

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帰り道は早かった。日が傾くころ神納川が見えてきた。水害で谷が土砂で

埋まっていて、水も濁っている。昔この川に釣りに来ていたころは 

きれいな河原と水だった。

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登山口に帰着。時刻は午後4時ちょうど。

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実際に歩いた記録。このコースは山向こう側の大股からのコースよりも

ロングでアップダウンが多く、はるかにタフなコースだった。

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高巻きした部分の詳細記録。あの難所が越えられていたらあと20分くらいで

伯母子峠の小屋へ到着していただろう。

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歩いた高度記録と距離の記録。15キロあるのでやはりロングコースだった。

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世界遺産熊野参詣道小辺路を歩く NO4十津川村から伯母子峠へ 2014年1月12日 Part2

2014-01-19 23:39:59 | 世界文化遺産熊野参詣道中辺路を歩く
Part2  旅籠跡から氷の急斜面へ 引き返しを決断
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正面にうっすらと雪をまとった山並みが見えてきた。

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雪道を進む。

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凍りついた斜面が現れた。この手前に「巻き道もあります」と案内標識があった。

見たら巻き道の上がり口も凍り付いていたので アイゼンを装着して

この道を進む。

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雪は次第に深くなり、足跡はまったく無い。

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この氷の急斜面がどうしても越えられない。ピッケルを持ってくるのを忘れた。

というより、ピッケルまで要らないだろうとなめていた。10本爪のアイゼンを

蹴り込むが 氷が硬くて歯が立たない。右下は深い谷で滑るととても危険だ。

去年2月稲村ヶ岳の氷のトラバースで滑落した記憶がよみがえる。

あきらめて引き返した。

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いったん引き返してあの氷の谷を高巻きするルートを探すことにした。

引き返すのも急斜面なので慎重だ。

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高巻きして上の斜面を進んだが、あの谷のところでどうしても越えられない。

大きな木の立っている場所から向こうは 急激に落ち込んだ凍った谷で、

左上部へまだまだ谷は続いている。

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右の大木から急激に落ち込んだ谷を越えるため、 見上げるとかなり登れば

越えれそうだが、そこから降りて しかも また帰路に上り返して降りてくるのは

大変なので、あきらめて引き返すことにした。時刻は12時45分、歩き出して

ちょうど4時間経った。

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Part3へ続く

世界遺産熊野参詣道小辺路を歩く NO4十津川村から伯母子峠へ 2014年1月12日Part1

2014-01-18 22:17:20 | 世界文化遺産熊野参詣道中辺路を歩く
NO4 杉清から伯母子峠 2014年1月12日



今回の小辺路は 前回歩いた伯母子峠を野迫川村大股と反対側の十津川から登った。

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Part1 登山口から旅籠跡まで
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杉清から伯母子峠への登山道その1

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登山道その2

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杉清集落(五百瀬いもせ とも言う)の伯母子岳登山口。

またこの集落には次の三浦峠への登山口もある。つまり集落の中を

小辺路が通っている。

向こうに見えるのが広場で駐車場。通りかかったおじさんに駐車場を聞くと

親切にここまでつれてきていただいた。「なるべく民家の見える奥に止めて

ください。たまに車上荒らしがいますから」とおっしゃったので 奥に止めた。

時刻は8時45分、気温はちょうど0度。とても寒い。

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登りはじめてすぐに分岐があるがちゃんと標識があり、すぐに道標地蔵がある。

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約30分歩くと「待ち平ら(松平ら)がある。古い石垣があり、状宅跡だ。

昔誰かさんが誰かさんをここで待っていたと説明文があった。

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石畳が現れた。小辺路を歩いてはじめて熊野鼓動らしき雰囲気になる。

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石畳は約1キロ近く続いた。

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間違いやすい分岐にはちゃんと英文で標識がある。さすが世界遺産だ。

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なにやら祠が見えてきた。

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水ヶ元茶屋跡だ。ここに茶店が合ったらしい。弘法大師の坐像が鎮座している。

このあたりから雪が現れた。

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雪は次第に増える。気温が低いので、さらさらの粉雪だ。

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やがて山並みが見えてきた。山はうっすらと白い。

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尾根に出ると、風が強い。サラサラの雪で数日前の足跡がすべて消されて、

道が分からない。目印のテープが頼りだ。

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テープを探しつつ、慎重に進む。

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私も帰路に迷わないように テープをつけながら 慎重に進む。

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右側に高い山が見えてきた。あれが伯母子岳か。

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広い尾根筋にきた。雪の季節は踏み跡が分からないので、トラロープが張って

なかったら 完全にお手上げだ。ロープにそって進む。とてもありがたい。

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ここは旅籠の跡だそうだ。江戸時代には既にあったという。

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旅籠の説明文。この周りの広い平らな土地は畑の跡らしい。

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Part2へ続く

ダイヤモンドトレイルを歩く その2槇尾山から施福寺経由滝畑へ 2014年1月7日

2014-01-17 22:25:18 | 冬の山歩き
その2 槇尾山から施福寺を経て滝畑へ
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先ほどまでよく晴れていたが、今は曇っている。大阪湾や淡路島は

ぜんぜん見えない。関空のゲートタワーがかすかに見えるだけだ。



ここのベンチでお昼だ。

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昼食後に蔵岩へ行く。誰が取り付けたのかチベットの「タルチョ」が風にはためいていた。その後ろの山が先ほどまで休憩していた槇尾山だ。

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蔵岩はロックくライミングの練習場だ。沢山のハーケンが打ち込んである。

山頂に見えている人は猿子城でお話した方で、私と反対方向に一周している

人で 私を待っていて下さる。

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蔵岩の眼下には施福寺が見下ろせる。

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見下ろす山のあちこちに沢山の赤い花が咲いている。何の花だろうか。

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蔵岩から急斜面を恐る恐る下ると施福寺境内のここに出てくる。

ここから蔵岩へ入らせないように、入り口には枯れ枝を積み上げてある。

いつもここらあたりをうろうろしている施福寺の雑用係りの寺男のせいだろう。

そういえば目つきも悪く胡散臭い男だ。気分の悪い寺だ。

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施福寺境内。この寺はかの空海もここで出家したという古刹だが、

先ほどの寺男の仕業のせいで気分悪くお参りするのはやめた。

傲慢な寺だ。この屋根の葺き替えの時に寄進するのではなかった。

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岩湧山山頂からこの寺の屋根がよく見える。逆にここから岩湧もよく見える。

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ダイトレを歩いて滝畑へ引き返す。はじめて気が付いたのだが、この寺も女人禁制だったのだ。「女人きんせい」の石柱が立っていた。

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施福寺から急坂を下り、「追分」を通過する。このあたりに沢山残っている石垣は昔この寺に沢山あった「塔頭」の跡らしい。信長の「根来攻め」のときにこの寺も信長に抵抗し、焼かれたらしい。

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追分から再び急坂を登ると今度は番屋峠に到着。ここから再び急坂を下り、三度急坂を上るとボテ峠だ。

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ダイトレは去年の台風であちこちが崩壊した。

崩壊箇所に簡易仮復旧した階段はほほえましい。

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こちらの崩壊箇所は簡易の橋まで架かっていた。

通行注意の張り紙が和泉市公園課によりあちこちにはってあったので 和泉市の職員さんが
やった仮復旧と思われる。親切な職員さんたちだ。

それに比べ 岩湧山のあちこちの崩壊箇所はいまだに放置したままで 河内長野市の職員が
したことといえば、「通行禁止」の張り紙を張ったことくらいだ。

私はとりあえず通れるように スコップと鍬を持ち 仮復旧したが、河内長野市の
職員はいつも市役所や四季彩館の暖かい部屋で座ったままだ。
市民に対する奉仕の精神が和泉市と大きく違うなあ。

さすが河内長野市は人口減少率が大阪府でダントツトップだけあるなあ。
住民サービスもダントツで悪いのだろう。いまだに巨額の税金を投入して山の中に
高速道路のような「農道」を建設している。河内長野市の職員は「住民に対するサービス」
という概念がまったくないのだ。

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滝畑集落に戻ってきた。時間は午後4時半だ。朝10時半にスタートして

お昼ご飯に1時間の休憩をとったから、5時間の山歩きだった。

いつ歩いてもアップダウンの多いなかなか面白いコースだ。

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ダイヤモンドトレイルを歩く その1滝畑から猿子城経由槇尾山へ 2014年1月7日

2014-01-16 22:19:00 | 冬の山歩き
ダイヤモンドトレイルの西の終点「槇尾山」付近へは長いこと行ってなかった。

大阪府堺市の歯科医師の奥さんが殺害されて、その遺体遺留品捜査と

見られる沢山の警察官に「蔵岩」の上でお会いして、その方たちといろいろ

お話したが、あれ以来なんとなく、槇尾山方面へは足が遠のいていた。

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その1滝畑から猿子城を経て槇尾山へ
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ピンクのラインが往路でブルーが復路である。

スタートとゴールは滝畑集落の空き地に止めたバイク。

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歩き始めは快晴だった。この道路もダイトレだ。

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道路わきにはダイトレ看板が設置してある。

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この民家の隙間を行く。もちろんこの道もダイトレだ。

左にダイトレの案内看板が掛けてある。

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集落の間と畑の間を抜けていくとやっと山道に入れる。

右手に滝畑ダムを見下ろしながら進む。

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急坂を登り始めてしばらくすると ダムの向こうに岩湧山の禿頭が見えてくる。

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最初の峠の「ボテ峠」でダイトレと左分岐して猿子城山(さるこじょうやま)

への山道を登る。

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しばらく急坂を登ると山頂に到着。途中の道はかなり急坂だ。

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山頂には沢山の手作り標識が設置してある。

山頂からの見晴らしはほとんど無いからそのまま直進する。

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この山には分岐が多く道に迷いやすい。沢山の標識をつけたが、

誰かが必ず撤去してしまう。この界隈には程度の低いやつが多い。

今までに10回以上つけたがすべて外された。この日も新しく付けて回る。

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沢山の人にすれ違いながら猿子城を降りて進むと「十五丁石地蔵」到着。

猿子城で今まで人に出会うことはほとんど無かったのに、今日は20人くらいの

方とすれ違ってお話した。皆さんは「槇尾山公園口駐車場」から登ってきた

そうだが、駐車場も満車で今までこんなことは無かったとおっしゃっていた。

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「桧原分岐」などの分岐点をいくつか過ぎると ビューポイントに出る。

岩湧山が正面に見える。

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ビューポイントからすぐに「槇尾山分岐」がある。昔からここに取り付けてあった

大きな「槇尾山、蔵岩」という標識が撤去されている。

どんなやつが取り外すのだろう。一度顔を見てみたいものだ。

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槇尾山山頂到着。標高601メートルと書いてある。猿子城が710メートルだから

100メートル低いのだが周りの景色はよく見えるので、ここで昼食にする。

この槇尾山は別名「捨身ヶ岳」ともいい、地元の人は「シャシン」と呼ぶ。

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その2へ続く
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