アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

梅雨から初夏への各地の風景 2014年6月

2014-06-29 23:24:15 | 初夏の風景
梅雨から初夏にかけての、各地の風景写真を集めた。

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梅雨の山道の花、小紫陽花(こあじさい)。山道のあちこちに ふわふわっとした花が広がり、離れて見ると白い綿の塊のように見える。

            6月8日 世界遺産大峯奥駆道 吉野奥千本

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京都府長岡京市 長岡天満宮八条ヶ池とその周りは季節の花が楽しめる。

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黄ショウブが一面に広がり 遠くから見ると池の一部が黄色くなっている。

                 6月9日

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松江市の嵩山山中の「山紫陽花」、ピンクやブルーが咲き乱れていた。

                       6月11日

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嵩山では、山道のそこらじゅうに 「ウツボグサ」も咲いていた。

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松江イングリッシュガーデンでは 西洋紫陽花が満開だった。

                      6月11日

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同じく松江イングリッシュガーデンの池には 睡蓮の花が満開だった。

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松江市の和久羅山(わくらさん)登山口付近の道路には 一面の白い花がびっしりと落ちていた。

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花が咲いている木は 大木で花は皆高い場所に咲いていて下からは見えない。道路に落ちた花を調べてみたら「支那油桐」という木の花らしい。

                    6月12日

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出雲北山鼻高山(はなたかせん)の麓、高浜町を通りかかったらトラクターが白い鳥に囲まれていた。

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トラクターがかき回した土の中から 何か虫が浮かび上がってくるのだろうか。鳥たちは大騒ぎで周りを飛んだり 田圃の中に嘴を突っ込んだり 興奮状態だ。なかにはトラクターの後部に乗っているやつもいる。

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飛びながら何かを食いつまんでいる。全員が興奮して「ミャーミャー」鳴き叫んでいるから、全員カモメではなく、ウミネコだ。

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大阪府河内長野市 岩湧山の森では初夏の花「紫傍食(むらさきかたばみ)」が咲き出した。

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同じく河内長野市延命寺の蓮池では睡蓮が満開になっていた。

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その蓮池にカメラ小僧が数人座り込んでいたので、すぐにカワセミマニアだとわかった。しばらくすると、カワセミが飛んできて、石の五重塔に止まった。

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しばらく池を見ていて突然飛び込んで すぐに飛び立った。カメラ小僧のシャッターが一斉に切られる音が 静かな境内に響き渡る。

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延命寺近くの田圃で見かけた大きな鳥は、植えられた稲の間を泳ぎまわり何かをつついて食べていた。稲の苗の間を巧みに泳ぎまわっていた。

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久しぶりに歩いた岩湧の森千石谷には黄色い花が満開だった。

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初夏の花 黄釣船だ。    6月19日岩湧山千石谷

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黄烏瓜の白い花も山道に沢山咲いていた。

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初夏の花といえば やはり笹百合、南葛城山山中でも、岩湧山、また近くの一徳坊山でも 見事に咲いていた。盗掘されなければいいのだが。

                  6月19日 南葛城山

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一徳坊山 山頂付近の笹百合   6月18日

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岩湧山の笹百合        6月18日

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古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて 王朝終焉の地 田和山神殿と久奈子神社

2014-06-27 11:31:37 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
古代出雲王朝終焉の地 田和山神殿と久奈子神社 2014年6月13日
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古代出雲王朝は東と西の二つの王家があった。西は「神門臣家」で東は「向家」でそれぞれ交互に 主王(役職名は大名持ち)と副王(役職名は少彦)を出していた。

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九州筑後平野に和国へ2度目の上陸をした秦国人徐福(記紀では素戔嗚)の子孫が打ち立てた「物部王家」は232年にイニエ王(記紀では崇神と表記)は第2次東征を決意し南下を始めた。

そして日向の地に「都万(つま)王国」を作り 宇佐の豊王国から豊玉姫を迎え「都万豊連合王国」を作った。皇子のイクメは瀬戸内海を東進し 吉備で吉備王国の激しい抵抗を受けていた。

別動隊の曙立王(あけたつおうー大和の登美家の分家)と菟上王(うのかみおうー宇佐家)が日本海を東進して西出雲王家を急襲した。第17代大名持ちの「山崎帯王(やまさきたらし)」は当時智井宮宮殿(出雲市神門町)に居たが 慌てふためいて背後の山に逃げ込んだ。そこに新宮を建て 抵抗したがやがて降伏した。

その新宮で講和条約が結ばれ 物部軍が西出雲に駐留することとなった。新宮は後々まで(江戸時代まで)も「和評り(わはかり)の宮」と呼ばれたが、現在は「久奈子神社」となっている。

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久奈子神社の参道入口 出雲市古志町の山の上にある。

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さらに長い石段を登る。

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鳥居を潜ると更に石段が続く。

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こじんまりとした造りだが、ちゃんと大社造になっている。

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古代出雲王朝では「幸の神三神(さいのかみさんじんー久那斗クナト大神、幸姫命さい姫のみこと、およびその御子神サルタ彦)」が信仰されていた。

久奈子とはクナト大神の御子のサルタ彦のことだ。サルタとはインド南部ドラビダ人の言葉ドラビダ語で「鼻が大きい」と言う意味で、つまり象の神様「ガネーシャ」のことだ。

(※古代出雲族はインドにアーリア人が進攻してきた為に追いやられたドラビダ人の一部が紀元前5世紀頃モンゴル経由で渡来したという。これは神門臣家と向家の伝承だそうだ)

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神社からは 出雲平野の向こう 出雲北山の最高峰「鼻高山(はなたかせん)ー鼻が高い、つまりガネーシャであるサルタ彦を祀っている神奈備山」が正面に望まれる。

もともとこの場所は神門臣家がサルタ彦を遥拝する祭礼の場所だったという。

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田和山神殿跡  松江市田和山町

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一方 都万豊連合王国の別動隊が日本海を進み 東出雲を急襲した。西暦80年頃に渡来した朝鮮人(辰韓の王子)ヒボコの子孫 田道間守(たじまもり)が東出雲王家(第17代少彦 野見彦)の宮殿の田和山神殿(松江市田和山町)を襲い破壊した。田道間守は直ちに日本海を東進続け 既に大和入りしていた都万豊連合王国 イクメと合流する。

その後武諸隅(たけもろずみ)率いる物部軍が伯耆の国日野郡から大量に侵入し東出雲王家も降伏する。野見彦は宮殿を物部軍に明け渡し、向家は八雲に移る。

物部軍は宮殿の建物に駐留し それが今の「神魂(カモス)神社」であり、向家の住まいが今の「熊野大社」である。

と言うことで第17代大名持ち(主王)「山崎タラシ王」、少彦(副王)「野見彦」で古代出雲王朝は終わりとなる。

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田和山遺跡南側入口。この階段が頂上まで続く。

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この遺跡は三重の堀がめぐらされている。それだけ重要な施設だったのだろう。

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上から周りの堀を見下ろす。駐車場のクルマが小さく見えるということは、高さがかなり高いということだ。

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堀の東側の部分の先には 「松江市民病院」が見えている。この病院はもともとこの遺跡に建つ予定だったが、松浦松江市長の英断で 遺跡を保存し、病院建設地を東へ移動することが決まった。

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堀の説明看板が数箇所立っている。

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山頂には柱列 の跡が発見されたが、「建物の形状については諸説あるらしいので、とりあえず柱だけを復元した」と書いてあった。

この写真は南側より北(宍道湖方面)を見た写真。

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山頂部の説明看板。

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山頂から東を見ると 正面に茶臼山が見える。茶臼山は東王家(向家)が神奈備山(幸の神三神のおわす 聖なる山)として この地から遥拝していたという。

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※追記 瀬戸内海を通り河内に上陸した 都万豊連合国のイクメ王(この時点ではイニエ王が亡くなりイクメが王となっていた)は、既にヤマトで王国を築いていた第1次東征軍の子孫たちが激しく抵抗して 堅く守る大和盆地に入れず、生駒山地で足止めを食っていた。生駒と言う名前はイクメが長くとどまった土地から来ているという。

田和山神殿を破壊して、駆けつけた田道間守の援軍を得て、第2次東征軍は優勢となり、ついに大和入りを果たす。田道間守は大きな勢力を持つようになり、葛城地方に腰を落ち着けて、イクメ王の指図を受けなくなったという。そのあたりの地名は 田道間守(たじまもり)のタジマが訛って 当麻(たいま)と呼ばれるようになったとか。現在の当麻寺のあたりである。

(朝鮮人ヒボコの子孫である田道間守がなぜ出雲王家を恨んでいて 神殿を破壊したのかは、また別の機会に述べたいと思う)

困ったイクメ王は、旧東出雲王家の野見彦に田道間守を撃つように依頼する。神殿を破壊されて 田道間守をうらんでいた野見彦は 直ちに出雲各地で兵を集め葛城へ進軍し 田道間守を打ち破り、敗走させる。

名実共にヤマトの王になり、喜んだイクメ王は 野見彦に領地と 物部王家の重臣の称号「宿禰」(すくね)を与えこの時から 野見の宿禰 と名乗るようになったとか。

また記紀ではこのときの戦争を「当麻蹶速(たいまのけはや)と野見の宿禰 の相撲の話」に作り替えて 相撲発祥の地が 当麻だという話をこしらえたという。

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古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて 出雲王家の谷の四隅突出墳丘墓とその埋葬品 

2014-06-25 23:40:59 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
出雲王家の谷 西谷古墳群の四隅突出墳丘墓とその埋葬品 2014年6月20日
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西谷遺跡群はパンフレットや看板には「にしだに」と振り仮名がふってあるが、土地の古老は「もともとこの地は 出雲王家が幸の神(さいのかみ)のおわす、鼻高山(はなたかせんー出雲北山の最高峰の山)を遥拝した土地なので「斎谷」 もしくは「幸谷」と書き「さいだに」と読むのが正しい」とおっしゃっている。

ともあれここには沢山の四隅突出墳丘墓があり、代々の出雲の王が埋葬された場所なのだ。その副葬品がとてもすばらしく、まさに「出雲の王」と呼ぶのにふさわしいということだ。

発掘された埋葬品が展示してある 「出雲弥生の森博物館」に出かけた。

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これが出雲の王だ。馬具や太刀、王冠、装飾品はすべて発掘された埋葬品だ。

※発掘された埋葬品を復元模型にしたもの。

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発掘された王冠は金色に輝いていて、ガラスやメノウのブレスレット、ネックレスがまばゆい光を放つ。

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王の太刀はもちろん 出雲王国の砂鉄で作った鉄剣であり、金箔が施されている。すばらしい剣だ。

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馬の鞍にも金箔が貼り付けられて 豪華だ。

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沢山の馬具や馬具装飾品も金色で、凄く豪勢だ。さすが王の馬。

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ブルーの輪は お妃の棺に入れられていたガラス管を繋げたブレスレットだ。

この時代にガラス細工など どうして手に入れたのだろう。支那大陸で作られたらしいという解説があるのだが。

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博物館の中には四隅突出墳丘墓の模型も展示してある。

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墳丘墓の頂上では、王の葬儀が行われている。右のお二方は新しい王で亡くなられた王との、引継ぎ式をかねた葬儀らしい。

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新しい王の後ろから見た葬儀のようす。棺が運ばれている。

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墳丘墓の上に、御柱を立てるようす。殯の宮なのか はたまた神殿なのか。

こういう巨大柱の立柱文化を信州諏訪に伝えて「御柱祭り」となったのは、出雲王国第8代副王の事代主が徐福(スサノオ)やその部下、穂日に幽閉殺害された後 母親の「沼川姫」とともに 出雲を離れ沼川姫の実家のある越の国から諏訪へ移住した事代主の息子「タテミナカタ」の尊である。

ちなみに穂日の子孫の家系が物部王朝成立後、「出雲国造(くにのみやつこ)」にしてもらい、その子孫家系が出雲大社の今の宮司である。

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博物館のまわりには 30いくつの墳丘墓があり、そのなかのいくつかの「四隅突出墳丘墓」が復元されて公園になっている。この写真は3号墓の上から隣の2号墓を見たところである。

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2号墓の四隅突出した「足」の部分の写真である。

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2号墓は中が展示室になっていて、説明パネルが置いてある。

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これらの墳丘墓が盛んに作られた頃の出雲の村の地図も展示してある。

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これらの墳丘墓からは 出雲王朝時代の聖なる山で、サルタ彦が鎮座される「鼻高山(はなたかせん)」がよく見える。逆に言うと、鼻高山に見守られるように 墳丘墓が配置されたらしい。

サルタ彦は記紀では猿田彦と書かれているが、サルタとは南インドのドラビダ種族の言葉で「鼻が長い、または大きい」と言う意味で つまりヒンドゥーの神の一人「象神のガネーシャ」のことである。それゆえサルタ彦がおわす聖なる山を「鼻高山」というのである。

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2千年の時の流れの間には、さまざまな出来事があり、鎌倉時代に 9号墳丘墓の上に神社を建ててしまったような罰当たりもいらっしゃる。中で眠っていらっしゃる出雲の王様もびっくりだ。

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この王家の谷の「四隅突出墳丘墓」は紀元後2世紀中ごろから作られ始めて、3世紀中ごろに作られなくなったという。

この時代は ヤマトでは「天の村雲」に始まる海部王朝が5代カエシネ(孝昭)、6代国押人(孝安ー自ら後漢に出向き 後漢の属国となる代わり、和国の王と認めてもらった)、7代フトニ(孝霊)の時代で 九州物部王国が第一次東征を開始し、熊野に上陸後 ヤタガラス(出雲王家の分家でヤマトの登美家の加茂建津之身)の先導で大和入りし、フトニ大王が吉備へ逃げ出したころである。

また四隅突出墳丘墓が作られなくなった3世紀中ごろは ちょうど九州物部王国と宇佐の豊王国連合軍が 第2次東征を開始して、別動隊が日本海を北上し東西出雲王家の宮殿をそれぞれ破壊して、 17代続いた出雲王朝を終焉させた時期である。

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島根県民の森で指谷山、指谷奥を歩く 2014年6月12日 その2

2014-06-23 09:49:58 | 島根県の山を歩く
その2 指谷山から指谷奥山経由下山そしてお蕎麦屋さんへ
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進む方向に高い山が見える。あれが次のピークの指谷奥か。

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と思いきや そのピークについたらまた坂を下り、また登る。

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ということで 1時間くらいにピークをいくつも超えていく。

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ようやく杉が谷分岐を通過する。分岐標識はわかり難い。そのまま直進する。

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道の両側あたりいちめんに白い花の群生が見事だ。

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指谷奥に到着。このポイントが今回の縦走の最高地点 標高1048mだ。

ピークらしき場所はなくて、ただの通過点のようだ。

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急坂を下っては

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また登るということをしばらく繰り返す。

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そして この深い谷の底への急降下が始まる。ところどころにロープが設置してあるがとても急で滑りやすく、緊張しながら急降下を続ける。

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左手に不明な分岐道がある。「明眼寺谷ルート」かと思ったが、標識もなく道は笹薮が深く 不明な分岐だ。そのまま通過する。

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今度は一転して、強烈な上り道が延々と続く。今日一番の上り道だ。小休止しながら登り続ける。次第に雲が流れてきて 天気が悪くなりそうだ。

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かなり登ったころピークに到着。手元のGPSでは標高が1000mを超えている。すごいのぼりだった。しかも山道ではなくて、ただの急斜面なので道はなく踏み跡だけがたよりだった。

ここは「大万木山」への縦走路への分岐点だ。大万木山へは行ったことはあるが、いつかここから行ってみよう。とりあえず左の「琴引き山」方面へ進む。

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しばらく尾根道を歩くと 突然林道に出た。びっくりだ。

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振り返ると歩いてきた山は雲に隠れている。

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計画した縦走路は林道を横切ってそのまま続いている。

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この休憩所で休憩しているうちに、次第に雨が激しくなり 雲もどんどん流れてきた。このまま縦走を続けても 雲に巻かれて道が不明になるかも知れず、ここまでかなり体も濡れて来た。

5時間も歩いていると ゴアテックスの上下を着ていても 襟首やズボンとスパッツの隙間から 水滴が入ってきてある程度濡れてくる。それにほとんど周りが見えず 雲の中を歩いているだけになる。
ということで縦走はここで打ち切って 林道を下山することにした。

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降りしきる雨の中を黙々と歩く。くだりの道路を歩くのはとても楽で早い。

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縦走路で分岐点が不明だった明眼寺ルートの林道がここで合流してくる。

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周りの深い山々に雲がどんどん流れるのを見ながら「なんでこんな深い山の中に こんな林道を作るのだろうか」という疑問がわいてきた。しかも「島根県民憩いの森」を破壊しながら。

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しかもあちこちに新しい林道の分岐支線が次々にできつつある。あたりいったいは「島根県有林」と書いてある。島根県民は本当にこんな林道をのぞんでいるのだろうか。

それとも県の職員が勝手に森林破壊しているのだろうか。

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そんな腹立たしいことを考えながら歩いているとあっという間に 4.5kmの林道を降りてしまい、森のホテルに着いた。

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ホテル裏に「大神山神社」と「金屋子神社」があったので無事下山をお礼に行くことにした。

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大神山は大山(だいせん)の事で 神のおわす山 神名備山である。また金屋子神社はこのあたりで昔から盛んだった 製鉄技法「野蹈鞴(のだたら)」の神様である。

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県民の森で見た花たち

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大阪ではまだ咲いていなかった笹百合もこの森のあちこちで雨にぬれて咲いていた。

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先日世界遺産大峯奥駆道で沢山裂いていた「小紫陽花」も県民の森でいたるところに咲いていた。

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銀竜草(ぎんりょうそう)も落ち葉の間でひっそりと咲いていた。キノコではなく、れっきとした草花である。

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杉ヶ谷分岐あたりに白い花が群生していた。

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深山嫁菜(みやまよめな)と言う花だ。

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この花は「白嫁菜」、「野春菊」、「都忘れ」という別名を持つそうである。園芸種の「都忘れ」はこの花を栽培して色が着いたものらしい。

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ホテルの駐車場に帰着したのは午後一時過ぎ。6時間の縦走であった。お昼がまだなので 着替えてすぐに 飯南町の有名なお蕎麦屋さんに直行。休日には店の前に長い行列ができるというので店の前にはたくさんのベンチやいすが並べてある。

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私は 有名な「割り子そば」を注文した。これで1350円。食べ切れなかった。ちなみにこの店は松江や広島のデパートにも出店しているという。※松江市では一畑デパート6階にあるので何回か食べに行ったことがある。

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新緑の南葛城山を歩く 2014年6月19日

2014-06-21 23:32:19 | 岩湧の森を歩く

久しぶりに大阪府最高峰の南葛城山(922m)へ行き、新緑の森を歩いた。

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ピンクのラインが往路で、緑のラインが復路の予定であった。

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滝畑ダムに架かる「新サムライ大橋」を渡ってスタートする。

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遠くに南葛城山系の尾根が見えている。南葛城山はアプローチがとても長い。

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3

新緑の千石谷林道を歩く。正面の鉄塔の奥が「のぞき平」で、下山ルートに通る予定だ。今はそのままやり過ごして千石谷のこちら側を歩く。

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4

ここが覗き平への入口だ。数年前に取り付けた「第14番経塚鏡の宿」への案内標識が 外されている。心無い滝畑村民には、過去何回も経塚案内標識を外されてきた。文化遺産の経塚なんて 滝畑村民にはどうでもいいのだろう。

以前南葛城山でお弁当を食べていたら、後から上ってきた人とお話していたら、私が取り付けた標識を頼りに登って来られたことがわかり、「あの標識があって助かり、ちゃんと経塚までたどり着けました」とお礼を言われたこともある。また心無い滝畑村民に外されるだろうが、経塚の保存の為にも再び取り付けなければ。

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5

滝畑村民にいやな気分にさせられた後、気を取り直して さわやかな渓流沿いの道を歩く。

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大滝を見に 寄り道する。昨日の雨のせいで 今日は堂々たる滝だ。

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7

第14番経塚巡礼道は ここで林道から河原に下りる。ここに取り付けた経塚案内標識は無事だった。

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8

予想より水かさが少ない。昨夜の雨で増水を覚悟したきたのでやれやれだ。ここで渡渉して経塚巡礼道に入る。

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新緑の急坂を登る。この坂はきつい。

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10

約20分の急登で 尾根道に出る。しかし尾根道もまた急坂だ。

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11

時々木々の間から 新緑の山並みが見えるが、今日は大阪湾の海は見えない。遠くはかなり霞んでいる。

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129

一面の熊笹地帯に来るとようやく山頂の木立が見えてくる。

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13

凄い笹薮だ。毎年経塚への道は、地元の有志が笹刈りをされていて、歩きやすいのに 今年はまだのようだ。

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14

ようやく経塚のお堂が見えてきた。

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葛城経塚二十八宿の第14番経塚鏡の宿にお参りしていく。

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和歌山県の看板が立っているが、ここはまだ大阪府だ。もう少し南側の山頂も大阪府で、府境は山頂の少し南側から東へ走っている。

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南葛城山山頂到着。10時半に歩き出して12時半だ。いつものようにこの場所は貸し切り状態だ。ゆっくりとお弁当を食べてコーヒーをいれて飲む。あまり気持が良くてついうとうとする。

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18

昼食後 別の道で「のぞき平」へ向かう。この道は珍しく 笹刈りしてあり、ちゃんと歩ける道だ。しかし去年までは凄い笹薮で、あまり歩く気がしなかった道だった。

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新緑の尾根道をいく。新緑がとてもきれいだ。

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時々右手に岩湧山の山頂が見える。山頂の山焼きのあとの萱の新芽が清清しい緑色だ。

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21

復路のこの尾根道も アップダウンがきつい。しかし自然林が多く歩いていても清清しい。

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226

のぞき平に到着 。右へ行けば関電道で鉄塔を経由して千石谷へ降りれる。今日のルートは、「中の茶屋橋」へ降りるルートなので、左へ進む。

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途中の鉄塔付近まで降りると新しい標識がぶら下がっていた。以前にはなかった標識だ。おそらく岩湧の森の達人「シルバー少年」さんがぶら下げたものだろう。「鉄塔71番」はすぐそこに見えているので、そこから直接山を下ると、「中の茶屋橋」よりもうひとつ 滝畑集落に近い「出会い橋」に直接降りる道だろう。

予定を変更して こちらを降りてみよう。

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24

鉄塔横のこの道だな。

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道らしいものはなく、踏み跡を辿りひたすら降りる。

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シルバー少年が付けた赤とシルバーの2色のテープ以外にも、赤いビニールテープと赤い毛糸の目印がぶら下がっているのが分かった。

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テープを頼りにただひたすらに斜面を滑らないように降りる。

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ただただ 急斜面をドンどこドンどこ降りる。時々テープや紐がぶら下がっていて安心する。

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30

突然小屋に出た。びっくりだ。何の小屋だろう。

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31

今は全く使われていないようだ。屋根が3分の1くらい落ちている。

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32

小屋から歩道がついていて、ここに降りてきた。今は使われていない「林間遊歩道」だ。 千石谷方面へ歩いていけば、私が取り付けて滝畑村民に外された「経塚案内標識」のポイント「林間遊歩道分岐点」へ出る。ここは出合い橋へ進む。

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右手から千石谷の渓流が流れ込んできた。

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錆付いた鉄の吊橋を渡れば府道「堺葛城線」だ。

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吊橋の袂にもシルバー少年の付けた標識があった。降りてくるのもかなりしんどかったけど、あの道を上るのはかなりしんどそうだ。でも登る方が楽かもしれない。今度登ってみよう。

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出合い橋に出た。あとはアスファルト道路 府道堺葛城線をしばらく歩く。

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375

滝畑に帰ってきた。この府道は去年の台風で崩れてまだ復旧が終わっていないのか、工事をしていないのか、通行止めになっていた。

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この日見た花

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40

黄色い花の群生は「黄釣船」だ。

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面白い形をした「黄釣船」(きつりふね)の花。

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黄烏瓜の白い花があちこちで目立った。

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笹百合も咲いていたが、去年より数が少なかったような気がする。

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島根県民の森で指谷山、指谷奥を歩く 2014年6月12日 その1

2014-06-21 10:28:21 | 島根県の山を歩く
その1 登山口から指谷山まで

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島根県と広島県の県境の山の一部が 「県民の森」として整備されていて、その森にホテルもあるというので 一泊して山歩きに出かけた。

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雨の夕暮れにホテルに着いた。「森の巣」という施設だ。

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森のホテルはこじんまりとしてきれいなホテルだ。

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部屋も木目をふんだんに取り入れてナチュラルな感じだ。

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手作りの壁飾りやティーセットのバスケットもあり、いい雰囲気だ。

しかし食事の予約は3日前までにしなければならないという。これはちとつらいなあ。しかたないので、飯南町まで食べに出かけた。

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ホテルでもらった「県民の森登山地図」に計画線を記入した。

ピンクが予定縦走ライン、ブルーが激しい雨のため途中で下山したルートを示す。

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昨夜の土砂降りの雨も上がり、曇り空のなかホテルの横の登山道を朝7時にスタートした。このあたりは公園になっていてとてもきれいだ。

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しばらくは林道を歩くが、すぐに山道になる。

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すぐに林道と交差する。指谷山へは直進だが「土谷展望台へ0.5km」という標識があるので、まず寄り道してから行こう。

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約20分で展望台に到着。しかし雲に覆われて景色はほとんど見えない。

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これから進む方向に雲に覆われた山が見える。あれが指先山かと思ったが、実際はいくつもピークを超えて行かなくてはならなかった。

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足元にホテルと私の車が見える。

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すぐに引き返して先ほどの分岐点から指谷山へ登る。道は広く、階段も整備されていて遊歩道になっている。

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このあたりの山にはいたるところに「山ボウシ」の木があり皆大きな木だ。

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この一帯は天然の森なので、杉やヒノキの植林帯と違いとてもきれいだ。歩いていてもさわやかで、飯南町が売り出している「森林セラピーの町」というのもうなずける。

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向こうに見える白い花も「山ボウシ」でかなり大きな木だ。雲の流れるなかで白く光っている。

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急坂をジグザグに登っていく。

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到着した木地屋谷展望台は雲の中だ。ここは峠になっていて、そのまままっすぐ進めば広島県側へ下る。登山道は標識どおり 左へ曲がり尾根道を進む。

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今までは道幅が広く熊笹も刈られた遊歩道だったが、ここからは山道になる。

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進む右手に時々雲がちぎれて山が見える。広島県側の山だろう。

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すぐに指谷山山頂到着だ。見通しはあまりきかない。

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「Love Nature」といいながら こんなことしている。手作り標識をステンレスワイヤでブナの木の幹にきつく締め付けている。これではブナがかわいそうだ。

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標識は、植物繊維の紐で木の幹にくくるか、針金の場合は木の枝にぶら下げるか、人工物に こういう風に取り付けするのだよ。わかったかな、付け替えといたけんね、広大生のワンゲル君。

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その2へ続く
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「世界遺産大峯奥駆道を歩く」蜻蛉の滝から金峰神社と西行庵 2014年6月8日 その2

2014-06-20 09:07:03 | 世界遺産大峰奥駈道
その2 金峰神社から西行庵に寄り道して往路と別ルートで下山

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金峰神社は新緑の中に静かにたたずんでいた。日曜日なのに誰も訪れるものも居なかった。

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御神体は金峰山なのだろう。拝殿の先に本殿は無くて 石段の先は山だ。

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金峰神社の休憩所には役行者像が安置されていて、いろんなお供え物があった。神仏混合の名残だ。

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もと来た奥駆道を引返す。石畳がきれいだ。

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吉野母公堂(ははこどう)と書いたお堂があり、役行者と彼の母親の白専女(しらとうめ)の像が安置されていた。

天川村洞川温泉の母公堂は実際に白専女が住んで わが息子役行者(役小角えんのおずぬ)が山から下りてくるのを待ったという。

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奥駆道を少しそれて「西行庵」に寄り道をする。

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歌聖西行が実際に住んだ庵を復元させたという「西行庵」はモミジの新緑の中にひっそりと建っていた。

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西行庵の中には 西行像が安置されていた。

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西行の歌で有名な「苔清水」に立ち寄り、のどを潤す。

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山道をゆっくりと上り返し 奥駆道へもどる。

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正面の遠くに山上ヶ岳らしき山が見える。

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山道のそこらじゅうに空木の花が咲き、白い花びらを敷き詰めていた。

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再び青根ヶ峰にもどった後、来るときにみつけた音無し川からの道を下る。

川への下り道はジグザクを繰り返しながら どんどん高度を下げる。

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川に下りた。山道はよく整備されて歩きやすかった。往路のような危険箇所はまるでなかった。

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音無川沿いの道を歩く。道は平坦で歩きやすくどんどん歩く。

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整備された道には丈夫な橋が何箇所も架けてあり、安心して渡れる。

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やがて舗装道路に出た。このあと 川上村の簡易水道の施設があり、私が歩いてきた道は 取水施設のメンテナンス道路のようだ。

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山にはまだまだ満開の山ツツジがあった。

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奥駆の道や川沿いのいたるところに白くふわふわした「小紫陽花」が咲いていた。

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よく見ると 奥駆や川沿いの道には稲盛草がひっそりと咲いていた。

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スイカズラの咲く季節になったのだなあ。山のあちこちに咲いていた。

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スタート 10時30分  青根ヶ峰着 12時15分 青根ヶ峰スタート12時45分

青根ヶ峰再到着 15時00分 駐車場帰着 16時15分

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「世界遺産大峯奥駆道を歩く」蜻蛉の滝から金峰神社と西行庵 2014年6月8日 その1

2014-06-17 22:38:48 | 世界遺産大峰奥駈道
奈良県川上村に「蜻蛉の滝(せいれいのたき)」があり、世界遺産大嶺奥駆道の登山口になっている。

今回はそこから奥駆道へ登り、奥駆を歩いた。
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その1 蜻蛉の滝から金峰神社へ
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ピンクが往路、ブルーが復路である。蜻蛉の滝の近くに運動公園があり、そこに駐車した。

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登山口はきれいに整備された遊歩道と公園になっている。

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歩き出すと直ぐに「仙竜寺跡」がある。建物は洪水で流されて今は無い。

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背後の大きな岩には梵字がほりこんである。「梵字岩」と言うそうだ。

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そのまま歩くと 直ぐに「蜻蛉の滝」に着く。

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蜻蛉の滝はかなり落差が大きい滝だ。

蜻蛉とはトンボのことで その昔雄略天皇がこの地に狩に来たときにアブに襲われたが 大きなトンボがやってきて助けられたという伝説があるそうだ。

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滝の上部には大きな釜があり、この釜の水が滝になっていた。

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ここで遊歩道と分岐して奥駆道への山道となる。

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いきなり急な登り道が始まる。

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途中に岩屋があり、「聖天岩屋」と言うそうだ。

役行者が大峰山開山のときにこの岩屋で篭り修行したそうだ。大普賢下の「笙の岩屋」にも同じ伝説がある。

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急な登り道はその後も延々と続くが この鋼製の道はまだ安心して歩けるが狭い急斜面の危ないところも多い。

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危険な急な登り道も随所にあり、緊張する。

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急な登り道は更に続く。どうやら滝の場所から背後の山の尾根へ一気に上るようだ。尾根に出たら少し楽になるのを楽しみに急坂を登る。

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きれいな新緑の羊歯が風にそよぐ場所の登り道。しばし眺めて体を癒す。

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尾根に出たら突然林道になった。しかも荒削りのとてつもない不細工で無残な光景だ。がっかりだ。

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しかもその不細工な林道歩きは続く。道標があり 確か青根ヶ峰まで3.8キロとあったような気がする。

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ここまでやるかと言うような急な登りのコンクリート舗装。歩いて登るのも大変で四つんばいで登ろうかと考えたほどだ。

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かなり歩いて、もうすぐ青根ヶ峰に着くころ 突然左の谷底から山道が突き上げてきて合流してきた。標識には「蜻蛉の滝へ4キロ」と書いてある。

帰路はここに決めた。

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すぐに舗装道路に出た。なんか見覚えがある道だ。たしか四寸岩山へ歩いていったときに歩いた道のような気がする。

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青根ヶ峰へは この階段を上れと書いてある。

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階段を上り、今度は急な山道をしばらく登る。すぐにピークらしき空が見えてきた。

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青根ヶ峰到着、奥駆に出た。10時半に歩き出して12時15分だ。

ここにベンチがあったのでお昼ご飯とする。12時45分再び歩き出す。

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青根ヶ峰の直下には「女人結界」の石碑があった。昔は女性はここまでしか歩いて来れなかったのだ。今はもう少し先の「五番関」が女人結界地点だ。

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しばらく奥駆道を歩く。モミジの新緑がとてもきれいだ。

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歴史を感じさせるような大きな切り株もあちこちにあった。

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奥駆道を歩いていくと、「左大峯」と書いた石標もある。大峯とは山上ヶ岳のことだ。

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金峰神社到着に到着。
吉野山から山上ヶ岳に掛けてのこのあたりの山塊には金塊の鉱脈があると信じられてきた。そのためこのあたりの山を金峰山と呼ぶ。

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その2へ続く
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九輪草の群落に出会った金剛山 2014年5月28日

2014-06-12 21:40:32 | ダイヤモンドトレイル、紀泉山脈を歩く
九輪草が気になっていたので、金剛山へ出かけた。

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山頂に着くといつものように まず転法輪寺にお参りする。境内の「海棠」が満開になり ピンク色になっていた。

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我が家の盆栽の海棠は 3月20日過ぎに満開になったのにやはりここは標高1100mの山の上なのだ。2ヶ月も遅い。

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この間は一輪草が沢山咲いていた お地蔵さんのまわりへ行ってみた。

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今度は二輪草が沢山咲いている。

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ひとつの茎からちゃんと二厘の花が出ているのが分かる。一輪は蕾だけれど。

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その中に混じって 「三つ葉土栗」の黄色が咲いていた。

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境内には九輪草も咲いていてびっくりした。

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黄色の花が多い「山苧環」より更に高山タイプの「深山苧環(みやまおだまき)」は薄いブルーだ。これも境内に咲いていた。

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下山しながら 変わった実を見つけた。

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足元を見ると「猩猩袴」の葉っぱだ。ということは猩猩袴の実なのだ。

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「常盤ハゼ」も山道にたくさん咲いている。

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キランソウも多い。

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山のあちこちで「空木(うつぎ)」の花が咲いて その回りがパッと白くなっている。

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九輪草の渓へ入ってみる。

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谷筋を歩いていると 突然ピンク色の沢に出た。九輪草だ。

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斜面がピンク色に染まり、見事な群落だ。

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九輪草の花のアップ写真。一見したところ「園芸種の栽培された花」のように見えるが、日本原産の山野草だそうである。

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名前の由来は 五重塔の先端部分を九輪というが、その九輪のように何段にも輪になって花が咲くことから九輪草と呼ばれるらしい。

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ピンク色の濃い花が多いが 色の薄い花も咲いている。

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この渓の「九輪草」が盗掘されず、何時までも元気に咲くように、Kさんたちボランティアの方たちが 時々パトロールしたり、九輪草を駆逐する「御宝香」や「梅惠草」などの駆除をしていると 以前この渓の入口でお会いした Kさんがおっしゃっていた。

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このブログをご覧になったtakemoさんから九輪草の新聞記事を送っていただきました。此花には毒があるので いかが食べず 山の中で増殖している場所もあるそうです。始めて知りました。takemoさんありがとうございました。



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梅雨の晴れ間の岩湧の森 2014年6月5日

2014-06-10 21:49:16 | 岩湧山の四季
関西地方は昨日 入梅宣言が出され、今日は大雨の予報だった。しかし朝から薄日が差して、雨は降りそうに無かったので、久しぶりに岩湧の森を歩いた。

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一番下の駐車場にバイクを留めて、「杉木立の道」をゆっくり登り始める。周りの新緑がいい匂いだ。やがて 新緑の向こうに岩湧寺の屋根が見えてきた。

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そのまま尾根道を歩くと、やがて岩湧山の山頂が見えてくる。山頂も山焼きから完全に回復して新緑が濃い。

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編笠山から岩湧寺へ降りてから、「きゅうさかの道」を登る。40分ほど登り山頂を少し行き過ぎて 滝畑側へ少し下りた場所。いつもの私のお弁当ポイントだ。

山頂は風がきつかったが、ここはいつも風が弱い。

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お弁当を食べた後、再び山頂へ登り返す。今日二度目の山頂へ。
山焼きのあとの萱もかなり伸びている。蕨や薇もまだまだあちこちにある。

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山頂から見る河内平野と生駒山。なんか空は夏空のようだ。

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関空とゲートタワーの先に淡路島が見えているが、なんとその先に小豆島が見えているではないか。小豆島の寒霞渓の山だ。直線距離で約80キロある。

今日は風が強く 黄砂や煤煙が吹き飛ばされたようだ。

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ダイトレを東へ歩く。正面には金剛山系最高峰の葛木岳が見えている。

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その横に 先週満開ツツジを見に行った「大和葛城山 」も見えている。今日は向こうからもこちらが良く見えるだろう。

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ダイトレの「岩湧の道分岐」から岩湧の道を下る。

展望台横の「行者の道」は半年以上経っても未だに通行止めのままだ。四季彩館の職員も 毎日暇そうにぶらぶらしているが、自分で道を直そうとはしない。市民税から給料をもらっていながら、市民の為に何もしない。

河内長野市も、無駄な農道建設には巨額の支出をするが登山道はほったらかしだ。お寒い田舎行政だ。そんなことだから大阪府でトップクラスの人口減少率なのだ。税金泥棒たちめ。

去年の台風で崩壊した 金剛葛城山系の山道も奈良県側の道二箇所は速やかに復旧工事され、大阪府側の千早村の道も年末には復旧していたのに。 

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この日見た花たち

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笹ゆりの蕾があちこちで大きくなっている。

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この笹ゆりは背丈も大きくつぼみも大きく、もう数日で開きそうだ。

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丸葉空木の花が 今が盛りと森のあちこちで満開だ。

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黄色い「小衝羽根空木(こつくばねうつぎ)」の花も咲き出した。

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森の中で「小昼顔」が咲いている。ピンク色の「昼顔」に対して花が小ぶりで白い花だ。周りに蕾も沢山合った。

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「鳴子ゆり」もあちこちで一斉に咲き出した。

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二人静も見つけた。「二人静は花軸が二つ」といわれるが、実際は1から5本あるそうだ。名前の由来は「静御前とその亡霊の舞姿」を二軸の花に例えたというから、なんともはや 優雅な名前だこと。

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山の中で出会った岩湧の達人「あつきさん」に教えてもらった「稲森草」は山の斜面にひっそりと咲いていた。

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江戸時代に名古屋の花屋が鈴鹿山系稲森山からこの花を採取して売り出したのが 名前の由来とか。小さな可憐な花だ。今では西日本に自生しているという。

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落葉低木の雁皮(がんぴ)も咲き出した。雁皮とは紙の原料名らしいがこの木で紙がつくれるのか不明。

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山アジサイも咲いている。アジサイを見ると梅雨という気分だ。

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花火が開いたような 「犬柘植」の花も咲いている。

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栗の花が咲くと あたり一面に独特のにおいがぷんぷんと漂う。バッタも吸い寄せられている。

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捩木(ねじき)の花も鈴なりに咲いている。木の幹が捩れて育つから付いた名前だそうだが、硬いけど柱には使えず、傘の柄などに使われるという。

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薩摩稲森の小さくてふわふわした花も日陰の山道に咲いていた。

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立浪草も山道のあちこちで見かけるようになった。叩き付ける浪のようにみえるから付いた名前らしい。

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白糸草が咲き出した。白糸と言うよりは「ビン洗いのブラシ」にしかみえないけどなあ。

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下山して林道を第6駐車場(一番下)まで歩いていると、見慣れない花が咲いていた。

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なんか変わった花だ。調べてみると「アメリカ石楠花」というのだそうだ。日本の石楠花とは 花の形がずいぶん違う。別物のようだ。

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