2.東大寺山古墳
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かつては古墳の周りに堀がめぐらされていたと思えるが、今は部分的に数箇所の池が
残るだけだ。
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古墳全体が公園になっている。
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遺跡の説明看板がある。この地に勢力のあった「和邇族」の首長の墓だと書いてある。
この墓はイクメ大王の皇后ヒバス姫が父君「彦道主大王」のために晩年作り直したものだ。
記紀がでっち上げた和邇族なるものは存在しない。出雲王家大和分家の富美(トビ)家第八代当主アタカタスの分家が
和邇に住み和邇家を名乗ったのだ。
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古墳全体はは竹藪に覆われていて、手入れされていない。
約300年続いた磯城王朝最後の大王「彦道主大王」は 万世一系をでっち上げた藤原
不比等らにより、さりげなく 大王から降ろされて和邇族なる豪族の王に格下げされた。
王朝交代がバレて 自分たちが渡来人の子孫の征服王朝だということを隠すため
政権交代なぞ 無かったことにして 隠さなければならなかったのである。
宮内庁も この古墳を管理したいけどできないのだろう。
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東屋があり 天理市内や巻向が見下ろせる。
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イクメ大王が乗り越えてきた生駒山地もすぐそこの 右端にみえる。
磯城王朝の反撃で長い間生駒山地にとどまっていたイクメ大王にちなんで「イクメ(生駒)山地」と名づけられた山並みだ。
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イクメ王との戦いに敗れた道主大王は 娘のヒバス姫をイクメ王に差し出し、因幡の国造となられて
部下の武内宿祢とともに因幡の国へ着任された。
その時点でイクメ王はやっと 大王となられたのである。そして道主前大王は その地因幡で生涯を終わられた。
ヒバス姫皇后は晩年 父の終焉の地の因幡の国に住まわれた後、この和邇の地に父君の陵墓を
大王にふさわしく作り直されたという。
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その3 和邇に坐赤坂彦神社へ続く
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かつては古墳の周りに堀がめぐらされていたと思えるが、今は部分的に数箇所の池が
残るだけだ。
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古墳全体が公園になっている。
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遺跡の説明看板がある。この地に勢力のあった「和邇族」の首長の墓だと書いてある。
この墓はイクメ大王の皇后ヒバス姫が父君「彦道主大王」のために晩年作り直したものだ。
記紀がでっち上げた和邇族なるものは存在しない。出雲王家大和分家の富美(トビ)家第八代当主アタカタスの分家が
和邇に住み和邇家を名乗ったのだ。
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古墳全体はは竹藪に覆われていて、手入れされていない。
約300年続いた磯城王朝最後の大王「彦道主大王」は 万世一系をでっち上げた藤原
不比等らにより、さりげなく 大王から降ろされて和邇族なる豪族の王に格下げされた。
王朝交代がバレて 自分たちが渡来人の子孫の征服王朝だということを隠すため
政権交代なぞ 無かったことにして 隠さなければならなかったのである。
宮内庁も この古墳を管理したいけどできないのだろう。
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東屋があり 天理市内や巻向が見下ろせる。
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イクメ大王が乗り越えてきた生駒山地もすぐそこの 右端にみえる。
磯城王朝の反撃で長い間生駒山地にとどまっていたイクメ大王にちなんで「イクメ(生駒)山地」と名づけられた山並みだ。
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イクメ王との戦いに敗れた道主大王は 娘のヒバス姫をイクメ王に差し出し、因幡の国造となられて
部下の武内宿祢とともに因幡の国へ着任された。
その時点でイクメ王はやっと 大王となられたのである。そして道主前大王は その地因幡で生涯を終わられた。
ヒバス姫皇后は晩年 父の終焉の地の因幡の国に住まわれた後、この和邇の地に父君の陵墓を
大王にふさわしく作り直されたという。
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その3 和邇に坐赤坂彦神社へ続く
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