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休憩の後、集落を後にして再び歩き出す。
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しばらくは山道を進む。
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この路で とんでもない鉄人に出会う。
山道を歩いていると、向こうから大きなリュックを背負った人がやってきた。
しばらく立ち話をしているとこの人が大変な人だと言うことが分かった。
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この人は奈良県吉野町を出発して、世界遺産大峰奥駈道184キロを
歩き通したのだ。通常7泊8日と言われる 標高1500mから2000mの
尾根道コースを たった3泊4日で歩き、しかもそのまま「熊野本宮大社」で
ユーターンして 今度は世界遺産熊野参詣道小辺路を歩き もうすぐ高野山
にゴールするのだ。通常3泊4日と言われる小辺路を2日半で歩き通した
のだからこれも凄い。
当初計画では、高野山から 更に世界遺産の「高野山町石道(ちょういしみち)」を歩いて 高野山麓の慈尊院まで降りてから、電車に乗る計画だとか。
高野山町石道は 空海のご母堂の眠る高野山麓の九度山町慈尊院から
空海の眠る高野山奥の院までの参詣道で、180町約20kmの山道だ。
「もう食料を使い果たしたので、山歩きを続けるか考えています。」
と笑顔でおっしゃっていた。
スタート時点では 背中の荷物の総重量は子35キロを超えていたと言う。
まさに鉄人だ。こんな凄い人に出会ったのは初めてなので 写真を
撮らせていただいた。
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鉄人と別れてしばらく歩くと 「竜神スカイライン」に出た。
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竜神スカイラインにも小辺路の標識が立ててある。
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しばらくは竜神スカイラインを歩く。
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スカイラインはヘアピンカーブを繰り返しながら、どんどん高度を下げていく
ようだ。それに大型観光バス、ダンプカー、トラック、乗用車、大型バイク
などが びゅんびゅん走り抜けていく。
全く面白くないので ここらで引き返すことにした。
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新家集落まで戻ってきた。これが最終の民家だ。
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新家休憩所で 10人くらいのグループにすれ違う。大半が女性で
先頭のおじさんが 法螺貝を吹きながら歩いていった。
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左端の建物が公共トイレだ。右の民家のオバちゃんが洗面所のタオルの
取替えをしていた。しばらく山家の生活のお話を伺う。
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御殿川橋へ向かって急坂を再びどんどん下りていく。
民家が潰れていた。往路では気が付かなかった。
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御殿川橋に戻ってきた。これを渡ると再び急坂が待っている。
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高野槙植林帯の集落跡を登っていく。数軒の民家跡がある。
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薄峠への急坂の登り返しだ。
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薄峠(すすきとうげ)から林道を歩き 真別処に着いた。
ここで右分岐して 「高野七口女人道」へ入る。
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女人道をどんどん降りる。標識が整備されているので迷うことは無い。
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円通寺に出た。このお地蔵さんも見覚えがある。
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昔の女性たちが 歩きながらお祈りしたという お堂もある。
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東口女人堂跡に出た。かって七つあった女人堂は 今は一つだけ
残っているに過ぎない。
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せっかく世界文化遺産に指定されたのだから、和歌山県も
女人堂の復元をしたらいいのに、世界遺産の参詣道(町石道)をゴルフ場の
中を通すような 知識教養レベルの高い和歌山県は そんな気はさらさら
無いらしい。
昔の女性はここから山内へは入れなかったと言う。
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女人道は「中の橋」に出た。逆からだと全く分かりづらい入り口だ。
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中の橋には全国から来た沢山の巡礼者たちが 奥の院へ、また弘法大師の
御廟へと向い、沢山のお土産を買い求めて 故郷へ帰る。
沢山のみやげ物屋が並んでいる。
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私は熊避けのベルを外して 奥の院から出発地点へ向かう。
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奥の院から一の橋へ向かう。
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奥の院の中に 古い「町石」がある。
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世界遺産の参詣道「高野町石道」は一町(109m)ごとに町石が
立っている。この石は卒塔婆を模したものという。
空海の御母堂の眠る慈尊から壇上伽藍までの180丁でお終いだが
いつの頃からか、壇上伽藍から奥の院大師御廟までに 町石が
何箇所か増えたと言う。
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金剛峰寺前駐車場に無事帰着。
8時30分に出発して 15時30分帰着。
30分のお昼ご飯休憩を入れて7時間の山歩きだった。
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実際に歩いた記録 金剛峰寺から薄峠
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薄峠から竜神スカイラインまで
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歩いた距離と高度の記録。
薄峠から御殿川橋の急坂は凄かった。
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