赤ちゃんの時から診ている2歳半の女の子がいる。
その子はうちで産まれて、わたしが毎月健診にいっている保育園に通っている。
だから、ほんとに産まれた時からのお付き合いだ。
だけど、いつもいつも、外来診察の時も、保育園の健診の時も、必ず泣かれる。
病院とか白衣が怖くてしかたないみたいなのだ。
2歳を過ぎた頃からは、保育園の先生や外来に連れてくるパパやママが、
だいじょうぶだよ、痛いことなんかしないよ、と優しく言い聞かせてくれて、
その子も目に涙をためながら一生懸命泣くのをこらえるみたいなんだけど、
やっぱりいつも泣いてしまってた。
1ヶ月ほど前に、その子に弟が産まれた。
その子によく似た、色白で目がぱっちりのイケメン赤ちゃんだ。
お父さんもお母さんも、その子の赤ちゃん返りを心配していた。
でも、大丈夫。こんなことで心がゆがんだりしないから。
今はいっぱい泣いてもいいんです。
そんなお話をして、弟の1ヶ月健診が無事終わった。
それからしばらくしたある日。
赤ちゃんのお世話で忙しいママに替わって、パパと一緒に外来に来た。
あれ?
なんかいつもとちがうぞ?
そうだ! ゆきちゃん(仮名)、泣いてないじゃん!
いつもは診察室に入ってくる前に、名前を呼ばれるとすぐに泣いてたゆきちゃん。
その日は、普通にお父さんに抱っこされて、診察の時も泣かなかった。
まわりの看護師たちも、わたしも、拍手喝采。
やったねゆきちゃん! 今日は泣かないでできたねぇ!
パパも嬉しそうだった。
赤ちゃん返り心配してましたけど、案外大丈夫だったみたいですねぇ。
やっぱりおねえちゃんになると、だんだんオトナになってくるんですねぇ。
なんて会話をお父さんとしてたら、その子がぽつりと得意そうに言った。
「おねえちゃんになった」
またまたみんなびっくりして、そこでまたまた拍手喝采した。
そうだねぇ、ゆきちゃん、おねえちゃんになったんだよねぇ!
「がんばった」
またその子が言った。こんどはきっぱりと。
そうだねぇ、ゆきちゃん、今日はがんばったねぇ!
ここでまた拍手喝采。
でもね、ゆきちゃん。
あなたはまだ2歳半だから、泣きたい時は我慢しなくてもいいんだよ。
心の中でそう語りかけながら、ハイタッチをしてさよならした。
だけど、多分、その子はもう、訳もなく泣くことはもうあまりないと思う。
若い駆けだしの頃には実感としてわからなかったのだけど、
どんなに泣き叫ぶお子さんでも、ある日、ぴたっと泣かなくなる日が来るんだ。
ほんとに不思議なんだけど、ぴたっと泣かなくなる。
いや、小児の精神発達という学問的に捉えるなら、それは当たり前のこともいえる。
大人のようにまだ複雑に分化されない感情を、泣くことで身体全体で表現する時期は必要で、
この時期を経て、漠然とした感情が細分化され、自分で状況を把握して納得できるようになる。
でも、その時期にそれを受け入れてもらえずに、無理に感情を抑え込まれてしまうことは、
大きくなってから何らかの弊害が出ることだって、あるかもしれないと感じている。
だから、赤ちゃんのうちに思い切り泣くことは、成長する上でも大切なことだと思っている。
もう中学生ぐらいになったお子さんに、笑い話で赤ちゃんの頃のことを話すことがある。
キミが小さい時はねぇ、いっつも泣かれて、外来の玄関先からもう泣き声が聞こえてきて、
あ、○○くんが来た、って、泣き声でわかったようなもんだったんだよ。
それがこんなに大きくなるんだもんねぇ・・・。(しみじみ・・・)
その子は照れくさそうに笑う。お母さんも笑う。
おとうさん、おかあさん、今、お子さんがハンパなく大泣きしたって、
ノー・プロブレム! です。
泣いたぶんだけ、その子はひとつずつたくましくなるのだと思うのです。
大人だってそうじゃないかな、と思う。
歌にもあるじゃない。
「涙の数だけ強くなれるよ♪」って。(古いけど・・・。知ってる人いるかな、この歌)
2012年度の冬は、新しい年度の春とタッチ交替して、今背中を向けて去りつつある。
また次に季節に巡り会うまで、サヨナラだ。
(でも、「冬」さん、てば、まだその辺で道草くってるみたいだけどね・・・。笑)
生きていればいろいろな紆余曲折があって、だから楽しいんだよ、人生。
そういうことを、毎日出会うお子さん達から教えていただけるわたしは、幸せ者だ。
う~ん、もしわたしが何十億の大金持ちだったら・・・、
妄想はいろいろ際限なく膨らむのだけれど、
やっぱり、ここで、毎日お子さん達と会うことはやめられないかな。
その子はうちで産まれて、わたしが毎月健診にいっている保育園に通っている。
だから、ほんとに産まれた時からのお付き合いだ。
だけど、いつもいつも、外来診察の時も、保育園の健診の時も、必ず泣かれる。
病院とか白衣が怖くてしかたないみたいなのだ。
2歳を過ぎた頃からは、保育園の先生や外来に連れてくるパパやママが、
だいじょうぶだよ、痛いことなんかしないよ、と優しく言い聞かせてくれて、
その子も目に涙をためながら一生懸命泣くのをこらえるみたいなんだけど、
やっぱりいつも泣いてしまってた。
1ヶ月ほど前に、その子に弟が産まれた。
その子によく似た、色白で目がぱっちりのイケメン赤ちゃんだ。
お父さんもお母さんも、その子の赤ちゃん返りを心配していた。
でも、大丈夫。こんなことで心がゆがんだりしないから。
今はいっぱい泣いてもいいんです。
そんなお話をして、弟の1ヶ月健診が無事終わった。
それからしばらくしたある日。
赤ちゃんのお世話で忙しいママに替わって、パパと一緒に外来に来た。
あれ?
なんかいつもとちがうぞ?
そうだ! ゆきちゃん(仮名)、泣いてないじゃん!
いつもは診察室に入ってくる前に、名前を呼ばれるとすぐに泣いてたゆきちゃん。
その日は、普通にお父さんに抱っこされて、診察の時も泣かなかった。
まわりの看護師たちも、わたしも、拍手喝采。
やったねゆきちゃん! 今日は泣かないでできたねぇ!
パパも嬉しそうだった。
赤ちゃん返り心配してましたけど、案外大丈夫だったみたいですねぇ。
やっぱりおねえちゃんになると、だんだんオトナになってくるんですねぇ。
なんて会話をお父さんとしてたら、その子がぽつりと得意そうに言った。
「おねえちゃんになった」
またまたみんなびっくりして、そこでまたまた拍手喝采した。
そうだねぇ、ゆきちゃん、おねえちゃんになったんだよねぇ!
「がんばった」
またその子が言った。こんどはきっぱりと。
そうだねぇ、ゆきちゃん、今日はがんばったねぇ!
ここでまた拍手喝采。
でもね、ゆきちゃん。
あなたはまだ2歳半だから、泣きたい時は我慢しなくてもいいんだよ。
心の中でそう語りかけながら、ハイタッチをしてさよならした。
だけど、多分、その子はもう、訳もなく泣くことはもうあまりないと思う。
若い駆けだしの頃には実感としてわからなかったのだけど、
どんなに泣き叫ぶお子さんでも、ある日、ぴたっと泣かなくなる日が来るんだ。
ほんとに不思議なんだけど、ぴたっと泣かなくなる。
いや、小児の精神発達という学問的に捉えるなら、それは当たり前のこともいえる。
大人のようにまだ複雑に分化されない感情を、泣くことで身体全体で表現する時期は必要で、
この時期を経て、漠然とした感情が細分化され、自分で状況を把握して納得できるようになる。
でも、その時期にそれを受け入れてもらえずに、無理に感情を抑え込まれてしまうことは、
大きくなってから何らかの弊害が出ることだって、あるかもしれないと感じている。
だから、赤ちゃんのうちに思い切り泣くことは、成長する上でも大切なことだと思っている。
もう中学生ぐらいになったお子さんに、笑い話で赤ちゃんの頃のことを話すことがある。
キミが小さい時はねぇ、いっつも泣かれて、外来の玄関先からもう泣き声が聞こえてきて、
あ、○○くんが来た、って、泣き声でわかったようなもんだったんだよ。
それがこんなに大きくなるんだもんねぇ・・・。(しみじみ・・・)
その子は照れくさそうに笑う。お母さんも笑う。
おとうさん、おかあさん、今、お子さんがハンパなく大泣きしたって、
ノー・プロブレム! です。
泣いたぶんだけ、その子はひとつずつたくましくなるのだと思うのです。
大人だってそうじゃないかな、と思う。
歌にもあるじゃない。
「涙の数だけ強くなれるよ♪」って。(古いけど・・・。知ってる人いるかな、この歌)
2012年度の冬は、新しい年度の春とタッチ交替して、今背中を向けて去りつつある。
また次に季節に巡り会うまで、サヨナラだ。
(でも、「冬」さん、てば、まだその辺で道草くってるみたいだけどね・・・。笑)
生きていればいろいろな紆余曲折があって、だから楽しいんだよ、人生。
そういうことを、毎日出会うお子さん達から教えていただけるわたしは、幸せ者だ。
う~ん、もしわたしが何十億の大金持ちだったら・・・、
妄想はいろいろ際限なく膨らむのだけれど、
やっぱり、ここで、毎日お子さん達と会うことはやめられないかな。