ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

恩師の言葉

2011年11月14日 | 医療
「病気を治しても、心に傷を残すような治療をしてはいけません」
   は治っても

お世話になった教授の、退官前の最終講義の時の言葉だ。

外来の患者さんをこなすことに忙殺され、へとへとになった時に、ふと思い出す。
あぁ、今日わたしは、あのお母さんに、もっと丁寧に話を聴いてあげればよかった・・・。
しきりに反省するのだけれど、また、同じことを繰り返してしまうことがある。

「内科診断学」を常に手元に置いて、基本に立ち返りなさい、というのも、教授がよくおっしゃっていたことだ。
わたしも教えを守って、外来の机のそばに「内科診断学」を置いてはいるが、
実はじっくり読み返したことが、あまりない・・・・。
まったくもって、不肖の弟子だ。

でも、冒頭の言葉は、折りに付け、思い出す。

母校でお世話になった恩師たちの、

「(目の前の患者さんが)自分の子ども、家族だったら、どうするか・・・。」
「(今は無駄だと思えることも)教科書の一行になるのです。」

という言葉とともに、わたしの座右の銘ともいえるものとなっている。
いつもいつも守れている自信はないのだけれど、守ろうと思いながら、診療をしている。

教授はわたしの夜更かしもよくご存知で、メーリングリストの投稿時間が遅いと、たびたび叱られた。
医師は健康が第一! 早く寝なさい! ・・・と。(^_^;)
「早寝、早起き、朝ご飯」
と子どもやお母さんたちに説くべきわたしは、その逆の生活をしている。
まったく、困ったものだ・・・。

(先生、ごめんなさい、わたしは今日も、夜更かしをしてしまいました・・・σ(^◇^;) )



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 追記:(11月16日)
  ご本人である恩師から、メールをいただいた。
  (わたしのブログを時々読んで下さっているらしい・・・。ひえぇ・・っっ)

   一つ、お願いがあります。
   それは、先生のブログの冒頭の記載文です。
   ブログには、
  「病気を治しても、心に傷を残すような治療をしてはいけません」
   ・・・とありますが、
   「病気」は自然に「治るもの」でして、「治すもの」ではないと
   私は、常々、考えております。
   つきましては、
   「病気を治しても、・・・」を「病気は治っても、・・・」に
   修正していただければ幸甚に存じます。


  嗚呼・・・。
  なんということ!!!
  本当に、教授のご指摘のとおりである。
  日本語はむつかしい。
  しかし、この「て・に・を・は」を間違えれば、大きく意味が異なってしまう。

  実は、この記事を書いたきっかけは、過去の日記帳だった。
  「10年日記」というのを書いていたことがあって(もちろん、早々に頓挫している)
  いつかこの言葉を書こうと思いながら、いつ聴いたのだったか思い出せないでいた。
  ほとんど真っ白の分厚い10年日記帳を処分しようかどうしようか迷っていて、
  でも捨てる決心がつかずページをめくっていたら、最終講義を聴いた日のことが書いてあったのだ。
  そこには、「病気は治っても・・・」と、聴いたとおりの言葉をわたし自身が書いていた。

  なのに、この記事には「治しても・・・」と書いてしまった。

  わたしたちは、実は「治る」お手伝いをしているに過ぎない、と以前の記事にも書いたことがある。
  それなのに、このような表現をしてしまったのは、
  わたしの気持ちのなかに、無意識の「奢り」があったのかもしれない。
  反省だ・・・・。

  先生、またしても、ありがとうございます。m(__)m