「病気を治しても、心に傷を残すような治療をしてはいけません」
は治っても
お世話になった教授の、退官前の最終講義の時の言葉だ。
外来の患者さんをこなすことに忙殺され、へとへとになった時に、ふと思い出す。
あぁ、今日わたしは、あのお母さんに、もっと丁寧に話を聴いてあげればよかった・・・。
しきりに反省するのだけれど、また、同じことを繰り返してしまうことがある。
「内科診断学」を常に手元に置いて、基本に立ち返りなさい、というのも、教授がよくおっしゃっていたことだ。
わたしも教えを守って、外来の机のそばに「内科診断学」を置いてはいるが、
実はじっくり読み返したことが、あまりない・・・・。
まったくもって、不肖の弟子だ。
でも、冒頭の言葉は、折りに付け、思い出す。
母校でお世話になった恩師たちの、
「(目の前の患者さんが)自分の子ども、家族だったら、どうするか・・・。」
「(今は無駄だと思えることも)教科書の一行になるのです。」
という言葉とともに、わたしの座右の銘ともいえるものとなっている。
いつもいつも守れている自信はないのだけれど、守ろうと思いながら、診療をしている。
教授はわたしの夜更かしもよくご存知で、メーリングリストの投稿時間が遅いと、たびたび叱られた。
医師は健康が第一! 早く寝なさい! ・・・と。(^_^;)
「早寝、早起き、朝ご飯」
と子どもやお母さんたちに説くべきわたしは、その逆の生活をしている。
まったく、困ったものだ・・・。
(先生、ごめんなさい、わたしは今日も、夜更かしをしてしまいました・・・σ(^◇^;) )
_____________________________________________
追記:(11月16日)
ご本人である恩師から、メールをいただいた。
(わたしのブログを時々読んで下さっているらしい・・・。ひえぇ・・っっ)
一つ、お願いがあります。
それは、先生のブログの冒頭の記載文です。
ブログには、
「病気を治しても、心に傷を残すような治療をしてはいけません」
・・・とありますが、
「病気」は自然に「治るもの」でして、「治すもの」ではないと
私は、常々、考えております。
つきましては、
「病気を治しても、・・・」を「病気は治っても、・・・」に
修正していただければ幸甚に存じます。
嗚呼・・・。
なんということ!!!
本当に、教授のご指摘のとおりである。
日本語はむつかしい。
しかし、この「て・に・を・は」を間違えれば、大きく意味が異なってしまう。
実は、この記事を書いたきっかけは、過去の日記帳だった。
「10年日記」というのを書いていたことがあって(もちろん、早々に頓挫している)
いつかこの言葉を書こうと思いながら、いつ聴いたのだったか思い出せないでいた。
ほとんど真っ白の分厚い10年日記帳を処分しようかどうしようか迷っていて、
でも捨てる決心がつかずページをめくっていたら、最終講義を聴いた日のことが書いてあったのだ。
そこには、「病気は治っても・・・」と、聴いたとおりの言葉をわたし自身が書いていた。
なのに、この記事には「治しても・・・」と書いてしまった。
わたしたちは、実は「治る」お手伝いをしているに過ぎない、と以前の記事にも書いたことがある。
それなのに、このような表現をしてしまったのは、
わたしの気持ちのなかに、無意識の「奢り」があったのかもしれない。
反省だ・・・・。
先生、またしても、ありがとうございます。m(__)m
は治っても
お世話になった教授の、退官前の最終講義の時の言葉だ。
外来の患者さんをこなすことに忙殺され、へとへとになった時に、ふと思い出す。
あぁ、今日わたしは、あのお母さんに、もっと丁寧に話を聴いてあげればよかった・・・。
しきりに反省するのだけれど、また、同じことを繰り返してしまうことがある。
「内科診断学」を常に手元に置いて、基本に立ち返りなさい、というのも、教授がよくおっしゃっていたことだ。
わたしも教えを守って、外来の机のそばに「内科診断学」を置いてはいるが、
実はじっくり読み返したことが、あまりない・・・・。
まったくもって、不肖の弟子だ。
でも、冒頭の言葉は、折りに付け、思い出す。
母校でお世話になった恩師たちの、
「(目の前の患者さんが)自分の子ども、家族だったら、どうするか・・・。」
「(今は無駄だと思えることも)教科書の一行になるのです。」
という言葉とともに、わたしの座右の銘ともいえるものとなっている。
いつもいつも守れている自信はないのだけれど、守ろうと思いながら、診療をしている。
教授はわたしの夜更かしもよくご存知で、メーリングリストの投稿時間が遅いと、たびたび叱られた。
医師は健康が第一! 早く寝なさい! ・・・と。(^_^;)
「早寝、早起き、朝ご飯」
と子どもやお母さんたちに説くべきわたしは、その逆の生活をしている。
まったく、困ったものだ・・・。
(先生、ごめんなさい、わたしは今日も、夜更かしをしてしまいました・・・σ(^◇^;) )
_____________________________________________
追記:(11月16日)
ご本人である恩師から、メールをいただいた。
(わたしのブログを時々読んで下さっているらしい・・・。ひえぇ・・っっ)
一つ、お願いがあります。
それは、先生のブログの冒頭の記載文です。
ブログには、
「病気を治しても、心に傷を残すような治療をしてはいけません」
・・・とありますが、
「病気」は自然に「治るもの」でして、「治すもの」ではないと
私は、常々、考えております。
つきましては、
「病気を治しても、・・・」を「病気は治っても、・・・」に
修正していただければ幸甚に存じます。
嗚呼・・・。
なんということ!!!
本当に、教授のご指摘のとおりである。
日本語はむつかしい。
しかし、この「て・に・を・は」を間違えれば、大きく意味が異なってしまう。
実は、この記事を書いたきっかけは、過去の日記帳だった。
「10年日記」というのを書いていたことがあって(もちろん、早々に頓挫している)
いつかこの言葉を書こうと思いながら、いつ聴いたのだったか思い出せないでいた。
ほとんど真っ白の分厚い10年日記帳を処分しようかどうしようか迷っていて、
でも捨てる決心がつかずページをめくっていたら、最終講義を聴いた日のことが書いてあったのだ。
そこには、「病気は治っても・・・」と、聴いたとおりの言葉をわたし自身が書いていた。
なのに、この記事には「治しても・・・」と書いてしまった。
わたしたちは、実は「治る」お手伝いをしているに過ぎない、と以前の記事にも書いたことがある。
それなのに、このような表現をしてしまったのは、
わたしの気持ちのなかに、無意識の「奢り」があったのかもしれない。
反省だ・・・・。
先生、またしても、ありがとうございます。m(__)m