ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
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2月15日と西行

2011年02月15日 | 日々のつぶやき
 ねがはくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ

これは、西行(さいぎょう)法師のあまりにも有名な歌です。
西行は、平安時代末期の歌人で、藤原鎌足の子孫で本名を佐藤義清(のりきよ)といい、
もともとは宮廷の警護をする天皇直属の武士で、平清盛はその当時の同僚だったそうな。
(晩年には源頼朝とも会っているそうです)
この天皇直属の武士というのは、いわゆるエリート集団で、
文武両道・眉目秀麗な武士が集まっていたとか。
ところが、さまざまな理由から、彼は23歳の若さで出家してしまいます。
これが1140年のことです。
出家の理由はさまざまあり、政争にあけくれる現世に嫌気がさしたとか、
やんごとなき身分の方との恋に破れたとか、詳細は不明です。
が、地位も妻子を捨ててというのは、余程のことだったのでしょう。

阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから、西行という名前(法号)になったそうです。
彼は、いわるゆ有名な寺院に腰を落ち着けるのではなく、
特定の宗派に属することなく、山里に庵をむすび、和歌を詠みました。
人の心の迷いや、混沌とした世の中の憂い、
それを自然の移り変わりに重ねて歌にしています。

冒頭の歌は、西行が没する10年以上も前に詠んだものだそうです。
意味は、

 もし願いが叶ううことなら、
 桜の木の下で春に死にたいものだ
 そう、(お釈迦さまが入滅なさったという)二月の満月のころに

という内容です。
如月(きさらぎ)というのは、2月のことですね。
もちろん旧暦の2月ですから、現代でいえば3月下旬でしょうか。
望月(もちづき)とは、満月のことを指します。

2月15日はお釈迦さまの命日なのだそうです。
西行は、ほばこの歌のとおりの2月16日に72歳で亡くなりました。
「漂白の歌人」とも称される西行の歌碑は、全国至る処にあります。