ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

「革命」

2009年12月13日 | 音楽
革命、といっても政治の話ではありません。

子どもたちがお世話になっていたピアノの先生に、わたしもレッスンを受けるようになって、
もう10年近くになります。
そろそろショパンのエチュードやりましょうよ、と先生に言われ、
最初にレッスンしたのは、「エオリアンハープ」と言われている曲。
この曲は、ショパンのエチュードの中では、比較的弾きやすい方なのだそうですが、
エチュードとはいえ、そこはショパンなんだなぁ。
難しいのなんの、って・・・…>_<…
数ヶ月かかって、やっと曲らしくなったところでしたが、
もうこれはだいたいいいから、次やろう、次♪ と先生はおっしゃる。(^_^;)
知ってる曲がいいわよね、といくつかあげていただいたのが、
エチュードの1番(辻井くんがコンクールで弾いた)、3番の「別れの曲」、そして「革命」。
譜面をちょっとさらってみましたが、どれも難しい・・・。(当たり前だが)
でも、譜読みのしやすさで選ぶと、「革命」が思ったよりは取りかかれそう・・・。
・・・てな訳で、こんどレッスンすることになったのです。

ピアノは幼稚園の頃から習っていました。
全然うまくはなかったのだけれど、高校3年まで続けました。
でも、手が小さいのと、持って生まれたとしか言えない能力のなさはいかんともしがたく、
本気で音楽に進みたいと「ふっと」考えたこともあったものの、それは夢のままでした。

浪人中は予備校の寮にいましたから、さすがにピアノどころではありませんでしたが、
勉強に行き詰まるとどうしても弾きたくなることがあったりして、
予備校帰りに、近くの貸しスタジオで1時間ほどピアノを弾いたりしたのも、
今となっては切なくも懐かしい思い出です。

大学に入学したら絶対ピアノが弾けるサークルに入ろう、と思っていましたが、
コーラス部の伴奏者はすでにいて、しかもはるかに上手でわたしの出る幕なし、
仕方なく入ったのが、ジャズオーケストラでした。
わたしの入学した大学は、医学部のくせに選択で音楽の講義がありました。
その教授は、ジャズオーケストラ部の顧問もなさっていました。
さる音大を出られてましたが、終戦当時の進駐軍相手のジャズバー等でバイトもしたとかで、
ジャズピアノもセミプロ並の方でした。
高校までは、テストなどで3日も引かないと指の動きが明らかに落ちる感覚がありましたが、
浪人してさらに弾けなくなってしまったのが残念で、
思い切ってその教授に、個人的にレッスンをしていただくことにしました。
当時、週1回、30分のレッスンで5千円でした。
学生の身に毎週5千円の出費はきつかったのですが、どうしても習いたかったのです。
もちろん、遠くにいる親には内緒です。
アパートにはピアノなんてもちろんないので、練習は部室のピアノでやっていました。

それまで、強い音や大きな音が出せないのは、わたしの手が小さいからだとばかり思ってたのが、
実は全然違うということを、その先生から教わりました。
p(ピアノ)、つまり小さく弾くのも、単に音を小さくすればいいのんじゃない、ってことも。
(実はフォルテよりピアノの方が、わたしには難しい・・・)
音の響かせ方、つまり「音色」のコントロールをどのようにつけるか、ということを、
基礎からやり直して教えていただいたのは、目からうろこの体験でした。
はじめは、誰もが大嫌いな「ハノン」を、ゆっくり、1音ずつ、音の響きを聴き訳ながら。
音がちゃんと抜けるように響かせて弾けるようになったら、今度は少しずつ速く弾くのです。

阿保らしいと思ったらいかんデ。演奏会で聴かせられるように弾けんといかん。
そう言われ、練習したのが「ブルグミューラー25」の曲集。
これは一般に小学生あたりで弾くのだけれど、オトナのブルグミューラーを弾けと教わりました。
1年間はこれらの易しい曲でみっちり基本の練習でしたが、
毎週のレッスンは楽しくて、ちっとも苦ではありませんでした。
その後は、バッハの平均律や、モーツァルト、ベートーヴェン、といった定番のピアノソナタ、
シューベルトやショパンのワルツなどもレッスンしていただきました。
実際は、先生がおっしゃるようにちゃんとできるようになった訳ではないけれど、
ピアノは鍵盤を押せば誰が弾いても音が出るけど、
「自分の音色で奏でる」ってどういうことか、少しは理解できるようになりました。

そのうちジャズのアドリブ理論も教えたるデ、と先生はおっしゃってましたが、
3年生も後半になると実習が入り、週1回のレッスンはなかなか予定通りにはいかず、
結局は続けることができませんでした。

その後、医師になってからの生活は、、食事の時間も寝る時間もない有様。
子どもも産まれ、子育てしながら仕事を続けることは本当に大変で、
10年間ぐらいは趣味どころではありませんでした。

そして紆余曲折を経て夫と共に田舎に戻り、今の先生に巡り会ったという訳です。
今の先生も、大学の頃に教わった先生と、教え方がほとんど同じ。
これって、偶然? 卒業大学は違うのだけれど。
音楽の専門的なことはわからないのだけれど、「音色」とか「情感の込め方」とか、
感覚的なものが、その先生と今の先生は似ているのかな。
だとしたら、わたしにとっては、これ以上ないぐらいの幸運な巡り合わせです。

今は月に1~2回のレッスンの時間しかとれませんが、
先生のお宅のおじゃましてあれやこれやピアノの四方山話をするのも、一服の清涼剤のよう。

さて、「革命のエチュード」、何ヶ月で仕上がるでしょうかねぇ・・・(^_^;)