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はじめましてファインマン先生 ジム・オッタヴィアニ

この本を通読して感じたことは、本書がファインマンという学者のことをすっきり判りたいという人向けではないということだ。訳語のせいなのか、話の順番が必ずしも時代順になっていないせいなのか、あるいは物理学に造詣のある人向けの本なのか、それともファインマンという学者そのものが捉えどころのない学者だからなのか、いずれにしても本書は、ファインマンという物理学者について基本的なことを知りたいという人向けではないような気がした。この本自体が「ファインマンという学者が一筋縄ではいかない人物だ」ということを言おうとしているのであれば成功しているとは言えるだろうが、多くの読者としては「ファインマンという学者には捉えどころのない面がある」とすでに感じているからこそ、こうした類書を読もうと思ったのであるから、こうした内容で満足できる読者は少ないような気がする。もう1つの可能性は、本書が翻訳であるということで、翻訳が如何に優れていても日本人の感覚に合わない部分が残ってしまうという可能性だ。日本のこうした類書に比べて、本書は絵の部分が何かを語っているという要素が少ないような気がする。その結果、文字の部分が説明的になりすぎてしまう、あるいは日本人が慣れ親しんでいる絵と文字の融合というか、両者のバランスの彼我の違いということがあるかもしれない。要するに、ファインマンという学者を語る場合、文章でしか伝えられないことが多すぎるということなのではないかと感じた。(「はじめましてファインマン先生」 ジム・オッタヴィアニ、ブルーバックス)

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