八尾市市民活動支援ネットワークセンター「つどい」(ブログ)

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~八尾の戦争遺跡と大阪の防空体制~緑ヶ丘コミセン歴史講座

2017-08-20 18:27:44 | 【アーカイブス】取材記録(2012~2020年度)

こんにちは  「つどい」スタッフ鞠ちゃんです。


8月3日(木)、緑ヶ丘コミセンで、第3回歴史講座

「八尾の戦争遺跡と大阪の防空体制」

が開催され、講師として「つどい」登録団体「河内の戦争遺跡を語る会」
代表の大西 進氏が話をされたのを取材しました。


大西氏は、長年、大阪の防空体制の研究をされてきた方です。

「八尾市のどんな所に、どんな施設があったのかを知ってもらい、
眼で見て、感じて、平和がどれだけ大切かを知ってもらいたい!」

 今回は、八尾市内に残っている太平洋戦争の軍事施設の紹介にしぼって
お話をされました。



旧陸軍大正飛行場は、敷地面積80万坪、本土防空の中心基地として
昭和16年に建設され、現在は八尾飛行場として、15万坪の敷地を有しています。
陸軍が強制的に土地を持ち主から取り上げて、朝鮮半島から連れてこられた
人たちによって建設されたそうです。



赤線で囲まれた部分が旧陸軍大正飛行場です。
大正地区の今の中央環状線から外環状線の間に広がっていたそうです。
そして、周辺に掩体壕・修理工場・物資工場など多くの軍事施設があり、
八尾市は度々空襲に見舞われたそうです。

久宝寺緑地を始め、大仙公園、服部緑地、鶴見緑地は、防空緑地として、
都市に対する空襲被害がでた場合の避難場所として、また延焼を防ぐ目的で
大阪市を取り巻く形で作られたそうです。
現在は、府民の憩いの場や、70年万博の会場や第2京阪道路に活用されています。

その他、八尾・枚方線や、八尾市表町などが、どのような目的で作られたのかetc、
いろいろ興味深いお話も聞けました。

詳しいことは、大西氏が編著された「戦争の記憶」に記されています。
この本は、八尾市非核・平和都市宣言30周年記念誌として刊行されました。

太平洋戦争では、約310万人の日本人が亡くなり、その63%が20才から29才の若い
人たち。そして、その75%が昭和19年から20年の戦争末期に亡くなられているそうです。

私には、戦争について考える良い機会になりました。




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