後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

アメリカの銃社会の実態を知って身の安全を守ろう!

2012年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

通リスクコンサルタントの小林實さんは私が1960年にオハイオへ留学した時大変お世話になった方です。彼は留学後、警察庁の研究所で長い間、交通安全の研究を続けて来ました。最近は独立し、有限会社、「シグナル」を経営しながら、交通リスクコンサルタントとして講演活動をしています。

その小林さんが「交通安全時評」という文章を2006年5月から毎月一遍ずつ書いて、HPに掲載しています。交通安全学の専門用語が混じった随筆集ですが、その内容に深い考察や日本文化へ対する批評も含まれています。大変考えさせる内容ですので、その中から面白そうな内容の時評を5編ほど選んで、このブログの連載記事としてご紹介したいと思います。尚、2006年5月から2012年11月の第78回時評までの全ては、http://www.signal-net.co.jp/2011/08/post-507.html に御座います。

今回はアメリカの銃社会の実態をご紹介したいと思います。

アメリカを旅したり住んでいる日本人は数多いものです。しかしその銃社会の実態をよく知っていないと危険な目にあいます。

そこでその銃社会の実態に詳しいリスクコンサrツタントの小林實さんの交通安全時評からその13回目の文章をお送りいたします。2007年6月に書かれた文章ですが内容は現在でも正しいのです。

=====小林實著、第13回交通安全時評==========

アメリカでは銃器の保有数は3億丁ともいわれ、成人のほとんどが「護身用」と称して武器を保有している勘定です。州によって違いがありますが、身分証明一つあれば簡単に銃を購入でき、コンビニで弾薬も手に入ります。
 アメリカの歴史は、建国以来、銃とともにあったといっても過言ではないでしょう。自分たちの兄貴分にあたるイギリスからの独立を勝ち取るために彼らと銃火を交え、西部開拓時代のアメリカインディアンとの戦いは、すでに西部劇でおなじみのものです。さらに南北戦争後、アフリカからの黒人奴隷が大量に流れ込んだ南部の各州では、彼らを抑え込むのに銃が必要であったわけです。ですから、保守勢力の強い南部では、銃の個人による所持をきわめて合法的とする姿勢が強いともいえるわけです。
 ヨーロッパの諸国は、国により事情が違いますが、フィンランドでは所持が認められています。これは、国民皆兵制度により射撃技術の維持が必要だからだといわれています。また、アメリカの隣国カナダでは違法です。

銃に対する自制心

 アメリカの銃社会の風土というものは、自分たちの命は自分たちで守るという自己防衛の見地から、きわめて当然といえます。生まれるとすぐ銃になじみ、車の運転よりもはるか以前に銃を扱えるようになります。女性の8人に一人といいますから、1千数百万人の女性が銃を所持し、性的暴力などに対峙(たいじ)しています。こうした一連のことが、いわば認知母型となって彼らに根づいているわけです。
 したがって、一般の人々は銃のもつ殺りく性の高さからくる危険について、十分に承知をしており、その扱いは慎重であるのが一般的です。しかし、アジア系の移民は頭のなかにこうした銃に対する自制心というものが生まれにくく、あたら自分の持つ社会に対する不平不満というものを暴発的に外にぶつけ、その結果、罪のない人々が犠牲にするという事件が時々起きます。
 しかし、銃で殺害される人が年間1万人以上、自殺者は3万人以上という現状をこのまま放置してよいのだろうか、何か対策を打てないのかと思いますが、実はアメリカの政治にはいわゆる「ロビイスト(lobbyist)」が強くかかわっており、なかでも退役軍人協会であるとか、俳優のチャールトン・ヘストンが会長を務めたこともある全米ライフル協会(NRA)のもつ力は、与党である共和党の動きをも左右しかねません。このため、かつてのブッシュ政権をはじめ歴代大統領は銃の規制についてはあまり積極的でないのが現状です。
 例のコロンバイン高校での銃乱射事件以降、学校の保安は厳しくなっていますが、大学、ことに州立大学などの場合、キャンパスが広大であるため、一般車両が何の検問もなく学内を通っています。大学警察(University Police)も、大学構内ではそれほど大きな犯罪が少ないため、その規模は小さく、十分な火器も用意されていません。当然、大きな事件が発生すれば、市や州警察の応援を受ける形になります。

義務と責任

 アメリカの交通事故による年間の死者数は約4万人ですが、この統計数字に彼らは意外に無関心です。それは、交通事故による被害は個人の責任でこれを防ぐしかないという発想により、車による移動のもたらす便利性というものが優位に立っているからです。「車は走る凶器」といわれますが、銃はそれそのものが凶器です。銃の所持についても、本来は所持する本人の義務と責任ということが常に表に出てきます。こうした点で、単に銃の所持そのものを危険だとする我々の発想とはかなりの隔たりがあるように思います。
 アメリカにおける車社会の歴史は、我が国よりも圧倒的に長いわけですが、そこに生まれる安全への考え方は、ある意味で伝承の長さかもしれません。皆が合意をした事柄のある一線を越えることは、いかなる事情があってもそれを許さない──という融通の利かなさが、ある意味での安全文化の母型ではないでしょうか。


冬の山里の静かさや清冽さを写真に写す

2012年12月12日 | 写真

山里に冬がやって来ました。朝夕の気温が氷点下まで下がります。林の木々の葉がみな落ちて明るくなります。風の無い日は静かです。はるか高い青空に雲がゆっくり、ゆっくり動いています。この山里の静かさや清冽さを写真に写し撮ろうと思いました。下の写真です。静かさや清冽さが写っていれば嬉しく思います。

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山梨県、北杜市、甲斐駒岳山麓にて、12月6日よ7日に撮る。