後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

清春芸術村と甲斐駒、八ヶ岳の今日の山容

2012年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、急に甲斐駒の山麓の山小屋へ行きたくなり、車に蒲団を積んで昼前に出ました。

大月と勝沼の間は高速道路が不通なので渋滞の甲州街道を根気よく走りました。途中、レンガや一輪車の車輪を買ったりしたので小屋に着いたのは3時半過ぎでした。

急いで庭の小川から多量の水を小屋の中へ汲み込みました。水洗トイレの水も必要なのです。

蒲団を運び込んで泊まる準備が出来たので、夕闇のせまっている山道をたどって近所の木内正夫さんの山荘を訪ねました。一人で山荘に住んでいるので偉いものだと尊敬しているので、山小屋に行ったときは必ず敬意を表しに行きます。数分、立ち話をするだけですが、木内さんに会うとこちらの気持ちも穏やかになるのです。山小屋に泊まる前の儀式のようなものです。

夜は独りで薪ストーブを焚いて読書をしました。スコッチの水割りを少しずつ味わいながら読書するのは楽しいものです。

今朝はコーヒーとトーストとベーコンの朝食でした。

落ち葉掃除や薪拾いをして早めに小屋を出ました。

清春芸術村から北の杜カントリークラブにかけては高原の牧草地が広がっています。そこからの甲斐駒岳と八ヶ岳の眺望が美しいのです。四季折々、写真を撮りに行くところです。

下に清春芸術村と甲斐駒岳と八ヶ岳の写真をお送りいたします。

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上と下は今日の甲斐駒岳です。

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下が今日の八ヶ岳です。

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アメリカ社会の奥深さの寸描・・・アメリカを暖かい気持ちで理解しよう!

2012年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

1960年にアメリカのオハイオ州に留学しました。そうしたらアメリカ社会の奥の深さが少し理解できたのです。以下はその寸描です。昔の話です。しかしいろいろな人に聞くと、現在もあまり変わっていないようです。

アメリカを暖かい気持ちで理解して頂きたいと思い、以下に断片的な話を書きつずります。

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@閉鎖的な組織の存在

アメリカの大学の周辺には一戸建ての家を借り切って学生寮にし、それを単なる宿舎以上の種々なクラブ活動の組織にして、学生自身が管理運営している結社的な組織が数多くありました。男子学生のためのフラタニテイと女子学生用のソロリテイと呼ばれる学生組織です。

メンバーは数十人ですが、出身地や専門分野で集まっているわけではないようです。キリスト教の宗派や慈善事業の種類、あるいはクラブ活動の目的別で分かれているのです。また上流階級のみでつくっているものも多いのです。

1960年ごろのオハイオは人種差別が強く、このような学生組織で人種差別護持を活動目的にしているものもありました。

フラタニテイやソロリテイの建物はたいてい立派な一戸建てで、その入り口にはアルフアー・シグマ・ムーというようなギリシャ文字で、三文字の看板が出ています。

非常に差別的で閉鎖的な結社の場合が多く、黒人や外国人の近寄りがたい組織でした。このような結社による人脈がアメリカ社会では重要な役割を果たしていると言われるています。

@アメリカ社会の強みの源泉はその複雑さと急速な変化にある

進歩的な評論家はよく、アメリカ社会を開放的な自由平等の社会と気楽に書きます。しかし、そんなに単純ではなく、一方では秘密結社も多いのも事実です。

こんな暗い一面も有していることを忘れてはいけないと思います。

ただどのような結社も自由意思で参加するのです。辞める時も自由でです。

日本のヤクザの組のように止めると殺されることは絶対にありません。

それに加えて宗教関係の団体も多くあります。キリスト教は勿論、仏教関係の組織も多く、ユダヤ教もイスラム教もあります。

アメリカには創価学会の支所も多数ありますし、韓国の統一教会の教会も各地にあるのです。

この複雑な社会のもう一つの特徴は「ダイナミックな変化」にあります。

変化の速度がヨーロッパ諸国や日本のように遅くないのです。

時々刻々巨大な歯車が回るように変化しているのです。この変化こそがアメリカの強さではないでしょうか。

女性の国務長官が活躍したり、黒人男性が大統領になったことはその巨大な変化の一例です。黒人の権利を守る運動に献身して、後に暗殺されたキング牧師も喜んでいるに違いないありません。

@留学当時の建物も50年後も変わらず残ってるアメリカの驚異

それはそれとして、以下に私が留学していたオハイオ州立大学の建物を示しておきます。留学当時の建物が50年後も変わらず残ってるアメリカの底力さを感じます。

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写真の説明:左は、オハイオ州立大学内のLord Hall という建物で筆者が1960年から1962年の間に実験装置を作って研究していた建物です。

右は同じくFontana Laboratory という建物で、マフィアの親分のように見える学科主任が建設費の一部を寄付して作った建物で、彼の部屋はこの入り口を入りすぐ右手にあったのです。上は2枚とも現在の様子です。

アメリカの大学は情報公開が徹底しているのでHome Page 内のキャンパス地図にある建物や風景の写真を自由に転写・使用できるようになっているのです。

ついでに卒業したり研究生活をしていた日本の大学の建物の写真を探して見たが、公開されて居ません。情報公開の努力が足りないのか、あるいは大学文化が異質なのか考えさせられました。ついでにアメリカ社会の一断面として同窓会のことを書いていきます。

@アメリカの同窓会の気楽さ

学歴によって差別しないアメリカ社会では、どの学校を卒業したかは重要ではありません。

多くの学校では開校記念日などを「ホームカミング・デイ」と称して、老若男女の同窓生が学校へ帰ってくるのです。卒業した時代ごとや、学生クラブごとの昼食会をした後、校内を散歩し個人個人が学生時代を懐かしむのです。

フットボールで有名なオハイオ州立大学の各学科の同窓会は、フットボールの試合の日に開かれます。従って、毎年、開催日が違うのです。学科ごとの昼食会に出席し、格安の入場券を買います。昼食後は大きなスタジアムへ行き、母校のチームを応援するというスケジュールになっていました。しかしこれも各学科で異なるようです。

金属工学科では、慈悲深いマフィヤの親分のように見える老学科主任だけが昼食会へ出席します。他の教授連は出ないのです。

アメリカ社会の同窓会は自由な雰囲気がみなぎり、個人の楽しみを重視するのです。そして同窓会としての組織が無いところが多いようです。

日本の高校や大学では卒業生を自動的に同窓会組織へ入会させ、毎年会費を徴収しようとします。また、体育系の部活動の遠征費などへの寄付をしつこく呼びかけて来ます。どこで入手するのか、同窓生名簿を使って投資や商品購入の勧誘の電話が来るのには驚きです。

アメリカの同窓会を体験し、日本と比較すると、学校制度の役割の違いも理解できます。本来、どこの学校に入学するかは個人の自由です。同窓会組織に入会するか否かも個人の自由である筈です。

@アメリカの大学の同窓会の日本支部

戦後60年以上になると、日本の高校を卒業してアメリカの大学へ入学、卒業する人の数も多くなります。従って、有名アメリカ大学にはたいてい同窓会の日本支部が組織化されています。ある有名大学はその日本支部を利用して大企業から研究費や寄付金を集めている所もありました。

事の善悪は問いませんが、何かアメリカ文化の良さを歪曲しているようで困ったものでした。

オハイオ州立大学の同窓会にも日本支部がありました。卒業生で大企業の社長になった人がなんとなく交代で会長になり、毎年一回、夕食会の開催を連絡して来ました。

参加者は受付で夕食代を支払って入場します。アメリカ流に三々五々飲み始めるのです。偉い人の退屈な長い挨拶や話が無いのです。オハイオのコロンバス市の昔話を楽しむだけです。多く出る話題は英語に苦労した話、学生時代の貧乏生活の話などです。最後に参加者の健康を祝し乾杯をして終わります。

以上とりとめも無い断片的なことを書きましたがアメリカ社会の奥深さを少しでもご理解して頂ければ嬉しく思います。

下の写真はオハイオ州立大学のフットボールのスタジアムと試合の写真です。出典は、Ohio State University の Home Page です。。

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