スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(民族神は必要か)

2019-12-18 16:19:08 | 日記
12月18日(水)
gooよ、老人苛めはするな。仕方がないので目を見開いて書く。

 民族神はナショナリズムを高揚させる。例えれば自動車のエンジンを高馬力のものにするようなものである。それで制御を失って道路から飛び出すか、目的地に素早く着くかは、運転技術の問題である。運転技術に自信を失った現在の日本は、わざと低出力のエンジンにして、道を飛び出すまでに相当の時間がかかるようにしている。直近の世論調査では内閣不支持率が上昇して、支持率と拮抗する有様だ。馬鹿らしい限りだが桜問題が不支持率を高めたのである。ここで安倍首相を叩いておかないとエンジンを吹かして突っ走るぞ、道から飛び出すぞとの、運転技術に自信が持てない国民の不安感が作用した結果である。それで憲法改正に賛成だとの意見も低下した。国民は速く走ること、すなわちナショナリズムを怖がっているのだ。
 ナショナリズムの低下は国力の衰退という結果となる。これは明らかな事実だと思うが今の日本で結果を目にするには時間がかかる。だから他国に例を求めるしかないのだが、朝鮮が何故日本に併合されたかの理由は、朝鮮のナショナリズムが乏しいものだったからだと考える。一進会に代表されるように多くの朝鮮人が日本との併合を望んだ。これは当時の朝鮮の状況を見れば賢明な運動だったと言えるが、「俺たちは朝鮮人だ、朝鮮人で国をつくろう」とのナショナリズムが朝鮮人になかったからでもある。何故朝鮮にナショナリズムがなかったのかと言えば、朝鮮に強い民族神が居なかったからである。民族神的なものはあったろうが明治維新を起こさせるまでの、強力なものではなかったのだ。だから韓国は今「反日」を民族神にして、国の崩壊を必死に防いでいるのである。
 民族神即ちナショナリズムを失うと国も失うのが、歴史の現実である。だがと、多くの人は反問するだろう。ナショナリズムの高揚で日本は敗戦という塗炭の苦しみを舐めた、ナショナリズムは危険だと。そういう人達は大きな失念をしている。ナショナリズムがあったればこそ日本は西洋の植民地にならずに済んだという、大きな側面を。一つの側面だけに囚われるのは己を井の中の蛙に落とすことである。これはマスゴミが日々我々に仕掛けている乍術だから、知らず知らずのうちに多くの人々がそいう思考方法に染まってしまっている。ナショナリズムは高馬力のエンジンである。危険に感じるのは運転が下手だからだ。羹に懲りるのは良いが膾を吹くばかりでは、国は発展しない。
 日本は自信を失っているからナショナリズムの高揚即ち民族神の登場は、今のところ難しいであろう。だが原理的に、国の発展には絶対に必要なものである。
 

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