名刹・妙心寺の山内には40余りの塔頭があるが、退蔵院はそのうちの屈指の古刹として知られ、足利時代の波多野出雲守重通により、応永11年(1404)妙心寺第3世・無因宗因禅師を開山として建立された。妙心寺は足利義満の弾圧で「竜雲寺」と山号を変えられ、関山一派の人々も祖塔を去る悲運に見舞われた。退蔵院は応仁の乱で妙心寺とともに炎上し、後に亀年禅師によって再建された。
宮本武蔵が愚堂禅師を求めて参禅した頃、この瓢鮎図を前に自問自答したという寺伝があり、武蔵自作の刀のツバ(岡山県・宮本武蔵資料館所蔵)にはこの「瓢箪と鯰」がデザインされているものが現存する。
その瓢鮎図(如拙筆)は、「瓢箪でどうすれば鯰が捕らえられるか?」という禅の問答で、「公案」を表すもので相国寺の僧・如拙(じょせつ)によって描かれた。後に周文、雪舟まで筆が渡り、現存する彼の作品では最も傑出したものといわれている。名前の由来は「大行如拙(たいこうせつなるがごとし)」の語からとったもので、「最も大功(上手)であろうとするなら稚拙(下手)であるのがよい」とされている。
■山門
本山の南門西にある「勅使門」は親柱2本、控え柱4本からなっており、様式名を「四脚門」という。退蔵院「薬医門」は親柱2本、控え柱2本から成り、当時、高貴な薬医にしか与えられなかった御屋敷門の形であった。妙心寺塔頭でも、バランスの整った美しい形状を残した「薬医門」であると言われており、江戸中期に建設されたもの。
■大玄関
唐破風造りの変態で珍しいとされている玄関の様式は、袴腰造りと呼ばれるもので、昭和41年に重要文化財に指定された。破風の曲線が袴の腰のように直線になっている大胆な着想は、禅の精神を表象しているのかも知れない。茶道石州流の祖片桐石州の発案した様式だとの説もある。また、玄関は江戸初期の富豪比喜多宗味居士より寄進されたもので、法要儀式その他高貴の人々の出入り以外は使用されていない。
■余香苑
広大な庭園は中根金作氏の設計によるもので、昭和38年に着工し、3年かけて完成した比較的新しいものである。余香苑は伝統的な造園手法を基本に、厳格さの中にも優雅さが醸し出されている昭和の名園である。正面から庭園を見ると奥行きが生まれ、庭園が広く見えることなど、随所に工夫が凝らされている。
■元信の庭(枯山水庭園)
室町時代の狩野元信の作品で、絵画的な優美豊艶の趣を表わした風格を備えている。庭の背景には、椿、松、槇、もっこく等、常緑樹を植え、1年中変わらない美しさを求めたとものと評されている。
借景として「双ヶ丘」をいただき、50坪ほどの中に滝組・蓬莱島を中心に、細心の心配りをした石を配置し、絵画的な曲線を用いている。狩野元信は、父・正信の創造した狩野派画法の典型をつくり基礎を確立、方丈庭園「元信の庭」は、画家としてもっとも円熟した晩年の頃の築庭と言われており、画家としての最後の作品が造園であったことで珍しい作品の1つと数えられている。
■水琴窟
「つくばい」の下深く底を穿った瓶を伏せ込み、手水に使われた水が瓶に反響して琴の音に聞こえる水琴窟、耳を傾けた古人の侘び寂びの風情がうかがえる。
■襖絵(非公開)
狩野光信の高弟であった狩野了慶は、探幽と共に狩野派の俊英で、この襖絵は高台寺の屏風絵や西本願寺の襖絵などとともに、桃山後期の優れた遺品とされている。国宝の「瓢鮎図(ひょうねんず)」は如拙が描いたもので室町時代の代表的絵画。
所在地:京都市右京区花園妙心寺町35.
交通:JR京都より市バス26、宇多野山越行き妙心寺北門下車、JR山陰線(嵯峨野線)花園駅下車徒歩8分。
宮本武蔵が愚堂禅師を求めて参禅した頃、この瓢鮎図を前に自問自答したという寺伝があり、武蔵自作の刀のツバ(岡山県・宮本武蔵資料館所蔵)にはこの「瓢箪と鯰」がデザインされているものが現存する。
その瓢鮎図(如拙筆)は、「瓢箪でどうすれば鯰が捕らえられるか?」という禅の問答で、「公案」を表すもので相国寺の僧・如拙(じょせつ)によって描かれた。後に周文、雪舟まで筆が渡り、現存する彼の作品では最も傑出したものといわれている。名前の由来は「大行如拙(たいこうせつなるがごとし)」の語からとったもので、「最も大功(上手)であろうとするなら稚拙(下手)であるのがよい」とされている。
■山門
本山の南門西にある「勅使門」は親柱2本、控え柱4本からなっており、様式名を「四脚門」という。退蔵院「薬医門」は親柱2本、控え柱2本から成り、当時、高貴な薬医にしか与えられなかった御屋敷門の形であった。妙心寺塔頭でも、バランスの整った美しい形状を残した「薬医門」であると言われており、江戸中期に建設されたもの。
■大玄関
唐破風造りの変態で珍しいとされている玄関の様式は、袴腰造りと呼ばれるもので、昭和41年に重要文化財に指定された。破風の曲線が袴の腰のように直線になっている大胆な着想は、禅の精神を表象しているのかも知れない。茶道石州流の祖片桐石州の発案した様式だとの説もある。また、玄関は江戸初期の富豪比喜多宗味居士より寄進されたもので、法要儀式その他高貴の人々の出入り以外は使用されていない。
■余香苑
広大な庭園は中根金作氏の設計によるもので、昭和38年に着工し、3年かけて完成した比較的新しいものである。余香苑は伝統的な造園手法を基本に、厳格さの中にも優雅さが醸し出されている昭和の名園である。正面から庭園を見ると奥行きが生まれ、庭園が広く見えることなど、随所に工夫が凝らされている。
■元信の庭(枯山水庭園)
室町時代の狩野元信の作品で、絵画的な優美豊艶の趣を表わした風格を備えている。庭の背景には、椿、松、槇、もっこく等、常緑樹を植え、1年中変わらない美しさを求めたとものと評されている。
借景として「双ヶ丘」をいただき、50坪ほどの中に滝組・蓬莱島を中心に、細心の心配りをした石を配置し、絵画的な曲線を用いている。狩野元信は、父・正信の創造した狩野派画法の典型をつくり基礎を確立、方丈庭園「元信の庭」は、画家としてもっとも円熟した晩年の頃の築庭と言われており、画家としての最後の作品が造園であったことで珍しい作品の1つと数えられている。
■水琴窟
「つくばい」の下深く底を穿った瓶を伏せ込み、手水に使われた水が瓶に反響して琴の音に聞こえる水琴窟、耳を傾けた古人の侘び寂びの風情がうかがえる。
■襖絵(非公開)
狩野光信の高弟であった狩野了慶は、探幽と共に狩野派の俊英で、この襖絵は高台寺の屏風絵や西本願寺の襖絵などとともに、桃山後期の優れた遺品とされている。国宝の「瓢鮎図(ひょうねんず)」は如拙が描いたもので室町時代の代表的絵画。
所在地:京都市右京区花園妙心寺町35.
交通:JR京都より市バス26、宇多野山越行き妙心寺北門下車、JR山陰線(嵯峨野線)花園駅下車徒歩8分。
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