戦後補償の意味について、
ドイツと日本を比較する学者がいるが、
まったくナンセンスだと思う。
以下、ちょっと長くなるが、理由を述べよう!
まず・・・
そもそも、なぜドイツはポーランドを
侵略したか?
それはヒトラーの「わが闘争」に書いてあるように、
「ドイツ人の住んでいるところは、
ドイツの領土にしたい」という考えからであった。
(「広い意味の大ドイツ主義」と言う)
だから彼は、ポーランド侵略の前に、
オーストリアを併合し、チェコの一部も併合したわけだ。
そしてまた、ヒトラーは
「ユダヤ人は、ドイツにとって、マイナスである」
と考えたので、彼らの財産を没収し、収容所に入れた。
そして、*百万というユダヤ人を虐殺した。
またヒトラーは、ユダヤ人ばかりでなく、精神異常者なども、
「必要ない存在」と考えていた。
以上の考え方は、
「第一次世界大戦」後のワイマール体制への反発でもあったし、
「ドイツ経済の破綻という理由」から、もたらされたものでもあった。
他方、日本人が、朝鮮半島や満州や南京に進出した理由は・・・
1 日韓併合・・・について言えば・・・
これは、「朝鮮民族の合意の下」に施行されたものあり、
国際法上も何ら問題はなく、朝鮮と日本は、「合法的なひとつの国」であった。
だから日本人は、朝鮮民族発展のために、たゆまぬ努力をした。
(ハングルの学校も作るなど、彼らの文化もきちんと認めた)
2. 満州への進出・・・について言えば・・・
理由は・・・
①「ロシア」や「ソ連」や「共産主義」への防衛のため
②在留邦人の命を守るため(中村大尉殺害事件などがあった)
③満州の支那人軍閥(張作霖など)からの誘い・・・による部分が大きかった。
④そもそも満州は、歴史的に、満州民族の領土であり、漢民族(=中華民国)の土地ではない。
むろん、鉱物資源などへの日本の野心もあったが、
満州国においては、「溥儀=ラストエンペラー」を皇帝にし、
満州人を要職につけた。
ただしウラでは日本人が実権を握っていた点は確かだが。
また、これは大切でことであるが、
もしも満州がソ連の領土になっていたら、
支那も朝鮮も、戦後、大変だったであろう。
3. 南京への進出・・・について言えば・・・
もともと上海の日本人を守るための戦い(1937年第二次上海事変)
があり、最初は日本の租界地に、支那軍が、攻撃を仕掛けたものであった。
(その前の盧溝橋事件(1937年7月7日)も、支那側から仕掛けられたものだった)
その後、支那軍は敗走したが、ここで、日本軍はどうすべきか?
・・・日本陸軍首脳たちは悩むが、松井石根、武藤章など陸軍上層部が、
「南京まで平定すれば、在留日本人も、安心だろう」
ということで、南京への進出が決定したのである。
(南京入城は、1937年12月13日であったが、
日本軍も大きな犠牲を払った)
(ただし、支那軍は、その後、漢口、重慶に、首都を変えて戦った。
ウラでは、アメリカなどが蒋介石を支援していたので、そういうことができた)
4. 華北方面の、日本人による支那人虐殺・・・について言えば・・・
「八路ゲリラ軍(共産党軍)」や「匪賊」などの掃討の際、
市民や農民と、支那軍人の区別がつかず、やむをえず、行ったものである。
(八路ゲリラ軍は、たびたび満州在住日本人に、危害を加えた)
ただし、日本人は仕事に几帳面で競争意識も強いので、
任務をきちんとやりすぎ、虐殺が増えた・・・という点は認めないといけない。
5 南京の捕虜虐殺・・・について言えば・・・
「捕虜に与える食料がなく、やむをえず、行ったもの」である。
また日本兵は、「捕虜になるより、死を選べ」と教えられていた(戦陣訓)。
また、市民と便衣兵(兵隊で軍服を捨てたもの)の区別ができず、
便衣兵はゲリラ的に、日本軍を襲っていた。
だから、便衣兵虐殺のつもりで、市民虐殺はあった。
ここでも、日本人の几帳面さが、虐殺数を増やしたことはあった。
6. 最後に、非常に大切なことがある。
それは、中華人民共和国政府は戦後、
撫順戦犯管理所に、日本軍1000名あまりを戦争犯罪人として収容した。
しかし、ほとんどの日本兵士は、反省文を書かされた後、「起訴猶予」となっている。
裁判にかけられた40数名も、わずかの刑期を終え、日本に戻っている。
(ただし国民党政府(蒋介石政権)は、北京・南京・上海など10カ所で裁判を行い、
605件883人を裁き、日本兵149人を死刑に処している)
(これで、戦中の日本軍への裁きは、終了している!・・・わけだ)
7. その後、大きな転換があった。
すなわち1972年、田中角栄政権のとき、「日中国交正常化」が行われわけだ。
この共同声明の中では・・・
中華人民共和国政府は、「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」
ことを宣言したのである。
8. しかも、日本政府は、韓国との日韓基本条約(1965年)の際、
「多額の有償・無償のお金」を、韓国に与えた(注:これは賠償金ではない!
なぜなら、日本は、朝鮮半島のために、ひたすら、いいことをしたからである!)
その額は、8億ドル!
しかも、このとき、韓国政府は、「日本との過去の、国家および個人的な賠償は、
一切、解決したものとする」と、高らかに宣言しているのである。
注意すべきは、個人的な賠償も清算しているので、
いわゆる慰安婦問題への補償などは、一切しなくていいのである。
ましてや、徴用問題なども、全部解決しているのだ。
(注:もともと韓国の言う慰安婦問題も徴用問題も、
存在しないと言っていいのだが・・・)
しかも、朝鮮半島には、厖大な公共資産を残してきて、
それを全部、ただで提供しているのだ!
その額16兆円とも言われる。
日本人が残した個人資産も加えると、信じられないほど、すごいであろう。
9. しかも、日本政府への中華人民共和国政府へのODAは、
1979年以降、2015年まで、総額約3兆円以上!のODAを実施してきた!
10. 最近、支那や朝鮮は、靖国問題で、騒いでいるが、
支那は、なんと、日本首相の靖国参拝や、靖国のA級戦犯合祀発覚から
7年間も、何も指摘しなかったのである。
尖閣諸島の問題も、最初は、きちんと、日本領と認めていた。
それが、急に態度が変わるのは、
a) 日本を非難することで、国民の不満を解消し、国内政治を安定化させる。
b) 経済的な野心
・・・これは韓国も同様だ。
以上、ドイツと日本は、全然、戦後補償の意味はまるで違っている!
以上をまとめて、結論を言うと、
① 確かに、日本の大陸への進出は、野心も否定できない。
しかし、広い視野で見ると、「自衛的な部分」がほとんどである。
もしも満州がソ連の領土になっていたら、
支那も朝鮮も、戦後、大変だったであろう。
② 戦前の朝鮮は、「合法的に日本と同じ国であった」。
だから朝鮮民族の発展のために、日本は、
信じられないほど大きな犠牲を払った。
③ 支那共産党政府は、日本軍の戦犯問題は、
撫順戦犯管理所とその後の裁判において、
100%解決済みである・・・と自ら宣言している。
「自ら」というところが、大切だ。
④ 韓国政府も、1965年日韓基本条約で、「個人補償も含め」、すべて解決した
・・・と韓国政府が、自ら、宣言している。
「自ら」というところが、大切だ。
また「個人補償も含め」・・・というところが大切だ。
⑤ 日本は、やらなくてもいい厖大な援助を、
支那政府、韓国政府に行っている!
支那政府(政府への直接ではない部分もあるが)へは、
1979年以降、2015年まで、総額約3兆円以上・・・
韓国政府(政府への直接ではない部分もあるが)へは、
8億ドル!
・・・である。
⑥ 現在の日本への非難は、支那、2つの朝鮮の内政的な理由である。
・・・・そして、最後に非常に重要なことを述べたい。
ヨーロッパ諸国は、ほぼすべては、キリスト教国である。
つまり価値観が似ている。
ところが、日本と、支那、朝鮮は、
価値観がかなり違う。
日本は、仏教的無の精神で、「最終的には、悪魔も許してしまう」。
そういうところが、A級戦犯合祀のウラにはあるのだろう。
(ただし、A級戦犯を悪魔と言うつもりは、さらさらない。
彼らも日本のために、一生懸命戦ったことは間違いないからだ)
そして、日本の神道や皇国思想は、支那、朝鮮には、理解できないのは、
これは、間違いない。
日本の神道や皇国思想は、日本が島国であることから、生まれたのだろう。
その証拠に、島国のイギリスも、「立憲君主制」であるし、
イギリスのキリスト教は独自で、「聖公会」という一流派を作っている。
こうなると、最後は、
「大陸人は、島国人を理解できない」・・・ということになるだろう。
いずれにせよ、日本は、あまりに深く戦後を反省しているからこそ、
戦後70年、一貫して、世界一平和を守っているし、
国際的な援助も、国連を通して、またODAなどで、
世界で一番行ってきた実績がある。
ところで日本の戦後補償について、
まったく理解していない無知な学者は、「どいつ」だ?
な~んだ。
ドイツの歴史や政治を研究している学者じゃないか!
それじゃ、偏見を持つのは当然だよな。
ねえ、君!
もっと、東アジアの歴史を調べろよ!
大変申し訳ないが、あまりにも、無知じゃん!
だろ?