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♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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女性用品にかこまれて・・・・

2012-03-12 19:56:25 | 日記

私の実家はスーパー。
子供の頃から、女性用品に囲まれて
育ちました。

女性専用用品は、
男性のものよりも、圧倒的に多く、
たとえば、
化粧品コーナーとか、
女性下着、洋品コーナーなどは、
確実に店全体の何割かを占めておりました。

女性用品の変遷は、女性自立の歴史・・・
少々恥ずかしいのですが、
小史を記してみたと思います。

私の幼児のころは、
女性たちは、あまりブラジャーは着けておりませんでした。
女性たちがブラジャーを積極的に着け始めたのが、
私が10歳頃(1960年初め)ではなかったかと思います。

私の中学の英語教師が、
「英語の兄弟はブラザーだ。ブラジャーじゃないぞ」
という冗談を言ったつもりが、
男子生徒には、私を除いてあまり通じなかった・・・
という笑い話もあります。

子供の頃の、女性たちは、
ストッキングが悲しかったですね。
そういう強い記憶がございます。

膝の上のところで、分厚い輪ゴムで止めてあるのです。
ところが、それが下がるものですから、
女性たちはいつも、それをずり上げておりました。
またゴムは、血行も悪くしておりました。
でもゴムをしないと、
ストッキングがズルズル下がるわけですから、
しないわけには参りません。

パンストができたとき、
これは大革命なのでありまして、
何と、女性たちの脚が美しく見えたことでしょう!

大革命と言えば、
やはり何と申しても、
生理用品です。

中学生の頃、初めて実家のスーパーに
「アンネ」という商品名の生理用品が
到着しました。

当然女性たちは、これを深く愛したのですが、
困ったのは、少年の私でした。
少年の私は電話で配達の注文などを受けるのですが、
私が電話に出ると、相手の若い女性たちも、
なかなか口に出ししにくく、
「あ、あのぅ・・・チャ、チャームナップミニ・・」
などと口ごもるのでした。
私も、ここで「チャームナップミニ40袋入りですね?」
とか「タンポンのスーパーサイズですね?」
とも、再確認はしにくく、
「適当なもの」を配達しなければならなくなりました。
それ以前の脱脂綿だと、医療用にも使えるわけで、
こういう苦労はなかったのでした。

この頃驚いたのが、生理帯でした。
初期の生理帯は、厚さ5ミリほどの
ぶ厚いゴム製でありまして、
触っただけで、カパカパ音がするのでした。
少年の私は、この重装備を想像し
「真夏などは大変だろうな」
と心より、同情申し上げました。

私のスーパーは二軒あり、一軒は洋品店でした。
ここでは女性の用品や下着を売っておりました。

ここでも少年の私は大いに困りました。
しばしば店番をまかされたからです。
女性客たちが、ピンクや花柄の下着類を買い、
それを私が包装するのですが、
少年の私は、平静を装いながらも、
やはり内心は、穏やかではなかったのでした。

でも・・女性の下着は、
年を追うごとに、立派になってゆき、
名称もズロースやシミーズ・・・などから、
パンティ、スリップとなり、
さらにはショーツ、キャミソールなど、
いろいろな呼び名に変わり、
ブラもカラフルになり、また針金もいろいろ入り、
とにかく色も装飾も、魅力的なものとなってゆきました・・・

そういう変遷を、少年の私は、ずっと見てきたわけで、
・・・また北海道の温泉地に育ちましたので、
お風呂は、いつも混浴に入っておりました。
ここでも、多くの裸の女性たちに囲まれ・・・・

私の少年時代は、高校の男子寮生活を除くと、
いつも回りに女性が豊富に存在した期間と申せましょう。

最後に思うこと・・・・
現在の女性の社会進出は、
女性用品の進歩のおかげです!

いつもストッキングをずるずる上げていたんじゃ、
女性たちもいい仕事はできませんからね。

(今、日本全国で女性社長がどんどん増えているそうです。
 とてもいいことだと思います!!)

大地一人『夏祭り』
http://www.youtube.com/watch?v=uDaWDNRz_Ls