アイリス あいりす 

社会問題 日々雑感 家庭料理 健康管理

また 検索不能になりました 嫌がらせが始まりました<2396>

2015-09-08 12:58:25 | 天皇まんざーい

◆やはり、見張られているようですね。

てんのうについて、記事をまとめてきたところ、他のサイトを見ようとして検索が出来なくなりました。

嫌がらせがすぐに起きました。

ってことは、推察ではなく、本当の事なのでしょうか?

本当のことなのでしょうか?

やっぱり本当のことなんですね?

 


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てんのうはこの国を支配して 政局に関与している <2395>

2015-09-08 12:02:38 | 天皇まんざーい

◆鬼塚英昭氏と平野貞夫氏の文献により、かなり多くのことがわかってきましたね。

この国のてんのう批判のタブーは、国民からの眼を避ける為でした。

私達がこのタブーに挑戦して、まさかと思いながらも真実はどうなのかと、探るように調べてくれば、出てきます。そしてまか不可思議なでき事にも、出くわすのです。

私がこの事実を真実だと認識した当時は、心穏やかではありませんでした。ですからこのような話を初めて目にするあなたが、どのような心持になるかは、想像できます。自分がとんでもない秘密を知ってしまったようで、恐ろしい感情に包まれるかもしれないです。

あれから、ずいぶん経ちますが、よそのコメント欄を見ると、かなりの人がこのことを知り、拡散に勤めていることも、知りました。そしてその数があの頃に比べると、格段に増えてきています。

戦争法案を強引に推し進めるには、何かおかしいと思うはずです。それが政治家の背後の権力が圧力となっていたのですが、山本太郎の言うように、アメリカの言いなり政権は実は、上にはてんのうがいたことを、隠しているのです。やまもと太郎も、天皇に直訴していますから、てんのうを崇拝しているのではないかと、私は思っています。国民がタブー視してきたのですから、当初は当然かもしれないと、思っていましたけどね。

ただ、ここにきて、とても不可解な話もあります。日本財団が小沢氏に政治家を辞めるように、進言していることです。日本財団は笹川一家であり、天皇の下部組織です。田布施システムです。

小沢氏の母親は済州島の出身です。ですから日本人からしたら、同じ朝鮮人ですが、どうやら、彼らも一枚板ではなかったようです。

小沢氏は訴訟問題のあと、政治家としては、あまり表に出ないようにしていると思います。奥さんと離婚騒動の週刊誌のにぎわいも、ありました。リークするほどのことでもないのに、可笑しいなと思っていました。友人が当時週刊誌を読んだそうですが、奥さんは走化で

親戚も走化でした。これらの事から、小沢氏を天皇の手先と考えるのは、まだ早いのです。

昔手先だったのが、何かをして、今は政治生命を抹殺しようと圧力がかけられていると、私は見ています。てんのうからですね。しかし抹殺されていない生殺し状態が何を意味するのか国民の操作の一貫の可能性も捨てきれません。

ですから、小沢氏についても私は、注視しています。山本太郎と一緒に活動を始めたいきさつについてもです。

以前てんのうに謁見をした習近平のことを覚えていますか?謁見を宮内庁に入れたのは、小沢氏ですが。謁見後には、宮内庁から謁見の申し込みは1月前にするのが、通例であるから、今回の謁見を強引にいれた小沢氏を叱咤するものでした。

このことは、どのようなことが想像できるかと言えば、天皇は謁見が急だったことを叱咤したのではなく、習近平との会談そのものに、不満があったからではないでしょうか?

人間というものは、大喜びすることなら、このような不満は出ないはずですよ。

 

 


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平野貞夫 「昭和天皇の極秘指令」 <2394>

2015-09-08 11:16:35 | 天皇まんざーい

◆この記事を読んで、私は、震撼としてしまいました。平野貞夫氏は入江侍従長の日記を手にいれていたようです。これは世田谷一家殺人事件へと、通じているのかもしれないです。

世田谷一家殺人事件の被害者のお姉さんは入江といいましたよね。いつごろ、旦那さんがなくなったのかは、知りませんが、入江侍従長との関係があるかもしれないという話もあります。彼らも朝鮮人で在日一家です。宮沢さんは北朝鮮と関係があったようだ、とも噂されており、それらの接点からではないかと、言う話です。しかも、警察は強盗としていますが、詳しく調べてきた人は、宮沢さんの顔見知りが訪ねてきたと、しています。あの夜遅くに押し入り強盗なら、悲鳴などを隣、向かいに済んでいる親戚が聞かない事の方がおかしいですよね。お姉さんの隣とは、離れていなくて、壁が共有の家です。奥さんも人が訪ねてくることを、知っていたと思います。ですから八合わせをしても声をあげることなく、殺されてしまったのではないでしょうか?どこかで接点があった人だと推察できると思います。

youtubeの動画でもてんのうの仕業ですと。話しているものがありましたが、私はこの記事を読んで、やはりそうだったのかと、思わずにはいられません。推察の域ですが。皆さんはどう考えるでしょうか?

 

 

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokiido_koshitunoicoco.htm より転載しました。

 


 「1973.5.24日付け入江日記」は次のように記している。
 「この間、田中総理の拝謁の際、聞き損ったとて、日中航空に台湾をどうするか、沖縄のその後の模様は、とこの二件。昨日、羽田で長官が総理に云ったら、近く外相が宮中に出ると云っていたから、その時、申し上げるようにしようということだった由、調整してくれとの話」
平野貞夫氏の「昭和天皇の『極秘指令』」考】
 平野貞夫氏は、「昭和天皇の『極秘指令』」(講談社、2004.4.10日初版)の中で、ロッキード事件渦中に果たした昭和天皇の「極秘指令」を暴いている。直接的なものではないが、「入江相政侍従長日記」(以下、「入江日記」とする)の記述に留意しながら昭和天皇の意向を見ようとしている。「側近を通じ、昭和天皇の田中角栄という政治家に対する感情が浮き彫りとなる」、「ロッキード国会と昭和天皇の『極秘指令』は車の両輪として歴史を動かし、その陰には前尾議長の人知を超えた苦悩があった」と推定している。もう一つ。平野貞夫氏は、同書の中で、昭和天皇の「象徴制」にも拘わらず案外な政治的立ち回りをも暴いている。いずれにしても衝撃的な内容の良書である。概略を以下に記す。

 昭和天皇の「角栄不快観」は、政権発足時に忽ち表れている。「1972.7.7日付け入江日記」は次のように記している。(読み易くするため、漢数字の洋数字への書き換え、句読点等任意挿入、一部ひらがな転換をした)
 「田中内閣は少しづつ出来ていく。三時、両院議長、続いて佐藤総理それぞれ内奏。田中総理の親任式。続いて内奏。(中略)内奏の時、後から聞くところによると、贅沢な盆栽を持ってくるなとかアメリカへ行くことになっても前総理は随行するな、など相当なことをおっしゃったらしい」。

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鬼塚英昭 瀬島龍三とロシア抑留 <2393>

2015-09-08 10:55:10 | 天皇まんざーい

◆重なっている部分は省略しました。ロシアの捕虜収容所でロシア側の兵士の証言を読んだことがありますが、「日本人は統率されている兵士だということが良くわかった、我々が統率しなくても、彼らの中で、日本人を統率する人が出てくるからで、その日本人が捕虜をまとめてくれた。」というものでした。意気消沈している兵士の中で、ずる賢く動きまわる兵士はいるのです。この話と瀬島の抑留とがなんだか、重なりあってきました。

なぜ、今私がこレらの話を記事にするのかと思う方もいると思います。これらの話は過去の話ではなく、今から起こることだからです。また万世一大を頂点とする、田布施システムが戦争をしようとしているからです。

自民党から野田聖子が総理出馬を断念しました。これですべてお分かりいただけたとおもいます。万世一大の強力な圧力が自民党を制覇しているからです。ほかにありますか?

これらの記事を読めば、今国会でどのようなことがあるのかが、わかろうというものです。

巷に、この法案は通されるに決まっているなどという人達は、万世一大の力を知っているからです。知らないのは国民だけです。

どうか早く知って拡散してください。いつの時代でも天皇家が不在の時はありませんでした。天皇崇拝は幻ですよ。彼らのやってきたことを、直視しなければ、先の大戦でなくなった多くの日本人も外国人も浮かばれません。靖国神社参拝を天皇がしなくなったわけは、東条英機が祭られたからではないでしょうか?

戦犯を祭っているからだという国民世論を、まさにうまく行ってきたと思います。

国民世論操作にも、たけたてんのうだったと思います。

国を操作したのですから、大したことでもなかったでしょうね。

 

http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/262173030.html より転載しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

(前略)

 私は「オレンジ計画(War Plan Orange)」はアメリカ海軍がいずれ日本を戦争に引きずり込むために1919年に立案したことは知っていたが、太平洋の戦争自体、開始から集結までのシナリオがあって、それに忠実にヒロヒトと瀬島が軍を動かして敗北させ、将兵をいたずらに殺したとまではこの本を読むまでしらなかった。

 瀬島龍三は、巷間、捕虜のシベリア抑留の責任者であったと非難される。ソ連が天皇を東京裁判にかけようとするのを阻止するために、100万人とも言われる捕虜を天皇免責と交換に差し出したとされるのだが、実はもっと酷い話であったことも、この本で初めて知った。

 昭和45年8月22日に内閣が終戦処理会議を設置した。このとき「在外邦人は現地にて共存」という決定をしている。すなわち帰国させないと決定したのだ。東久邇宮稔彦が総理であり、重光葵、近衛文麿、米内光政、梅津美治郎、緒方竹虎、吉田茂らが関与した。内閣は白洲次郎を使ってGHQと折衝させた。
 在外邦人は満州や中国、朝鮮に定着させよ、置き去りにせよ、という方針であった。まさに「許しがたい行為」である。

 そしてヒロヒトは8月31日に閣議決定を許可している。彼らは一部の軍人だけの復員を考え、当時300万人は居たとされる在外の一般人や兵士を斬り捨てたのであった。
 瀬島もシベリアに11年間抑留された(優遇されたようだが)から、「斬り捨て御免になった天皇の赤子の一人」だと鬼塚氏は説く。

 「敗戦国日本にあって、斬り捨て御免とされた天皇の赤子たちを救ったのは、天皇の御心に反して立ち上がった、一般の船乗りたちだった」と鬼塚氏はしたためている。

 さらに
 「シベリアから帰ってきても、日本政府は彼らに補償しようとはしなかった。瀬島はその生涯にわたって、日本国家が元シベリア抑留兵士たちに補償する必要はないと言い張った。もし、国家が彼らに補償すれば、天皇の犯罪が問われることになるからである。
 しかし、昭和天皇と瀬島龍三があの世へと旅立ってやっとのこと、元シベリア抑留兵士たちが補償金を貰えるようになった。」
 とある。

 その特別給付金は、なんとたった「25万円~150万円」でしかなかった(平成24年3月末までに請求)。しかも国家がではなく独立行政法人が投げやろうとしたのだった。生存している人の平均年齢が88歳であった。

 「日本人よ、ソ連の横暴を説く前に、瀬島龍三の非人間的行動を説く前に、天皇をはじめとする終戦処理会議の首相、大臣らの非人間的行動を非難せよ」
 
 こういう事実を、売文歴史家どもはなぜ書かないのか。鬼塚氏は秦郁彦、半藤一利、保坂正康らが「天皇無罪論」と「軍人悪人説」を展開しつづけるのを非難しているが、そのとおりだ。ヒロヒトに最も責任はある。


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鬼塚英昭 てんのうよいしょする人々 <2392>

2015-09-08 10:11:48 | 天皇まんざーい

◆やはり鬼塚英昭氏の本からの記事です。ここにあるように、最近にぎわしている、戦争法案に反対する漫画家の小林よしのりですが、彼の書いている漫画は、天皇よいしょの漫画です。ではなぜこの彼が戦争法案反対に回っているのでしょうか?人の心は一つしかありません。彼はトロイカだと私は思います。彼を信用してはいけないです。彼はスパイをしている可能性もあるからです。在日が乗っ取りにあったように、ある日突然ひっくり返されることもあります。漫画家の顔ではない、彼の眼がギラギラしているのが、とても気になっています。

一国民よりの発信より転載しました。 http://ameblo.jp/maeni76pop/entry-11359104210.html

~~~~~~~~~~~~~~

瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人  鬼塚 英昭  より

田布施システムは朝鮮人系列であり明治維新から 在日支配が徐々に浸透してきたのは

間違いないと思います。



天皇は神道の代表であり 聖人君子で居てほしいと言う期待がありますが、どうでしょうか。

天皇制はいい体制だと思いますが、出来のいい 悪いがあるので 本当にお飾りで判断はしない。

 

判断は周囲の優秀な人達が会議で決めると言うのがいいのではないでしょうか。

昭和天皇は先の大戦で、かなり判断や決断をしており 無責任ではなく

せめて退位すべきだったと思います。






『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』  より

http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/262173030.html

《1》 
 「田中角栄をどうしても逮捕して欲しい。彼は私のファミリーのスキャンダルを種に脅しをかけた。私は彼を赦せないのだ。」
 この発言は昭和天皇であった。
 田中角栄が首相を辞任して、これからロッキード事件が本格化する前、昭和天皇は三木武夫首相を呼びつけてこう言ったのだ。

 三木武夫は「どうすればいいでしょうか」と天皇に尋ねると、天皇は「フォード大統領に私の親書を渡してほしい。そして、『よろしく頼む』と伝えてほしい」と答えた。

 こうして角栄を失脚させるためにロッキード事件が起こされるのである。(ただし高橋五郎氏は、田中角栄が天皇のいわゆる「M資金」、アジア各地から略奪してきた金・銀、財宝に手を出したから、天皇がロッキード事件を仕掛けたと『天皇の金塊』で書いている。)
 このエピソードは鬼塚英昭氏の新著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』(成甲書房)にあったものだ。つまり、ロッキード事件はヒロヒトが角栄を追い落とすために仕掛けたのである。
 この本は発売前に予約しておいて、届いてすぐ一気呵成に読んでしまった。








『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を推す より

http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/44f37eebc6adab04fdc6f87ce421bcc0

 

司馬遼太郎の『坂の上の雲』は真実からはるか遠い異次元の坂に上る雲を描いている。日露戦争もほとんど予定通りに進行した。世界を支配する者達の一片のドラマであった。
 

 どうして大東亜戦争が予定通りに進行していったのかを考察するとき、天皇と瀬島龍三が進めた「和工作」が見えてくる。天皇はスキャンダルが公になることを恐れ、大東亜戦争を計画通りに進める以外に皇統を維持できないように仕組まれていた、と考える以外に解は見出せない。

 真珠湾攻撃がはっきりした日から、オレンジ計画は具体化し、計画通りに真珠湾は攻撃された。それも中途半端な攻撃であったが、これも計画通りであった。
 ということは、山本五十六、南雲忠一、草鹿龍之介、源田実たち司令官がアメリカの意を知り尽くし行動したということである。天皇と瀬島龍三の「和工作」の推進係であったことになる。続く珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦と彼らがオレンジ計画通りに動き、最初の真珠湾攻撃以外は敗北に敗北を重ねていったのである。

 彼らはソロモン海戦でついに力尽きた。続くインパール作戦、サイパン玉砕、レイテ沖海戦、硫黄島玉砕、沖縄決戦、これらすべて瀬島を中心とした参謀たちが、オレンジ計画通りに敗北を重ねるのである。これは単なる偶然ではありえない。日本の「和工作」とアメリカの「オレンジ計画」がほとんど日本人の知らないところで深く結ばれていたからである。
 
   *       *

 天皇と瀬島龍三の「和工作」とは、天皇が陸海軍の内乱を恐れていたということである。当時、陸軍内では皇道派と統制派が、海軍内には条約派(ロンドン軍縮会議推進)と艦隊派(軍縮反対)が抗争していた。それにヒロヒトは頭を痛めていたのだ。

 こうした陸海軍内の対立抗争が天皇制の護持すなわち「和」を危うくさせた。
 その解決法として、ヒロヒトはわざわざ負け戦を仕掛け、昭和20年夏には軍人たち全部を葬ったのであった。軍部がなくなればこそ、天皇制の護持が可能となった。要するにアメリカのオレンジ計画に乗って、ヒロヒトは軍部を潰し自らの身の安全を保障してもらったのである。

 
瀬島の作戦計画は、首尾よく日本の軍部を壊滅させる敗北への道であった。
 こうして見てくると、2・26事件とは皇道派(北進派=対ソ連戦を指向する派閥)を暴発させたうえで壊滅させるためにヒロヒトが仕組んだ作戦であったことも納得がいく。

 だからヒロヒトはあえて陸軍統制派の東条英機を首相に任命し、開戦に向けさせた。そして瀬島に大東亜戦争(南方作戦)をデザインさせて、その案を諒承した。また、原爆を広島、長崎に投下することもアメリカ側に諒承を与えた。
さらにソ連には、日本の4つの島以外は全部くれてやり、60万とも100万とも言われる兵隊を与えると約束したのである。
 だから敗戦後、瀬島がソ連との交渉役として密使になったのは必然であった。

 ヒロヒトは沖縄をアメリカに売り、広島・長崎で原爆を落とさせ、そしてソ連にも大盤振る舞いしたのは、すべて自分だけが生き延びるためであった。
 北方領土が返還されるわけがなかった。抑留された日本兵が曲がりなりにも復員できたのは僥倖なのかもしれない。

 アメリカは12月8日の開戦直前にルーズヴェルト大統領の親書を日本に届けている。戦争回避ないし延期を一応模索したというポーズだったのだろうが、瀬島は真珠湾攻撃の計画推進者だったので、この親書を真珠湾攻撃が終わるまで見せなかった。

 戦後、ヒロヒトはこの瀬島の判断を諒としている。「黙殺できたのは、不幸中の幸いであった」と戦後、述べている。
 つまり、ルーズヴェルトの親書なんか読まずに開戦に踏み切ったことを「不幸中の幸い」と言ったわけだ。なぜなら、と鬼塚氏は言う、それは「和工作」が成功したからである、と。

 大東亜戦争の死者は兵員が約230万人、一般人が80万人とされる。この犠牲をヒロヒトは「不幸中の幸い」と言ってのけたのである。

 鬼塚氏は多くの歴史家が、瀬島龍三がルーズヴェルトの親書を届いた時点で天皇に見せていれば開戦が避けられたかもしれないというので、瀬島一人を責める傾向にあるが、それは間違いだと言っているのだ。
 それは瀬島の責任ではなく、瀬島がヒロヒトの意向を汲んで親書を見せるのを遅らせたのだから、と。

 ここにもまた天皇無罪論が顔を出している。天皇は知らなかったから罪はない、取り巻きの軍人が悪いという論法である。

 しかし、東條も瀬島もその他高級軍人たちは皆、口をつぐんで天皇の責任を問うことをしなかった。海軍の軍人どもは悪いのは、また負けたのは陸軍のせいだと言い募ってきた。

 ヒロヒトだけが、自分は被害者であり、国民のことを心底心配していたのに、姦臣が朕の心をわかってくれなかったのだ、とぬけぬけと言って、それを政治家や歴史学者、作家、漫画家(小林よしのりのことだ)を動員して、国民に洗脳し続けてきたのである。

<転載終わり>


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鬼塚英昭 ロッキード事件とてんのう<2391>

2015-09-08 09:59:51 | 天皇まんざーい

 阿部ブログより転載しました。 http://blog.goo.ne.jp/abe-blog/e/67703bc787d3dfce5f33eb208f9dc21b

◆阿部ブログの方は元自衛隊の方です。国民よりもうすうすと田中角栄を嫌っていたてんのうについて、噂があったようですね。田中角栄は日本人の血筋で、田布施システムとは、まったくかけ離れていたからです。そして国民からの熱望が大きかった事、自分の思うような操作ができないことから、このような事件を操作させたのでしょう。中曽根も5億円の献金を受け取っていたにもかかわらず、萱の外です。秘密保護法で、明らかにできないようにしてしまいました。

~~~~~~~~~~~~~~

昭和天皇とロッキード事件  ( 2012 3 31)

昭和天皇が田中角栄を嫌っていた事は、広く知られている。
でも何故? 理由が分からなかった。

それが鬼塚英昭氏の『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を読んで分かった。
同書から引用する。



『私はあるルートで妙な事を聞いた。それは三木武夫首相が天皇に呼び出されたとき、天皇は首相に次のように言ったのだ。
「田中角栄をどうしても逮捕して欲しい。彼は私のファミリーのスキャンダルを種に脅しをかけた。私は彼を赦せないのだ。」
三木武夫首相はフォード親書について説明した後だった。「どうすればいいでしょうか}と三木は天皇に尋ねた。
天皇は答えた。
「フォード大統領に私の親書を渡してほしい。そして、「よろしく頼む」と伝えてほしい』

天皇は、下々の内奏を唯々諾々と承認するだけと言うイメージがあるが、それは違う。
明治天皇、大正天皇はそうだったが、三代目の昭和天皇は将に天皇&大元帥として戦前から終戦に至る長きに渡り君臨した国家を先導する真の元首であった。彼の発言はそのまま大日本帝国の方針となる。即ち陸海軍も政府も意のまま。
勿論、戦後も憲法がどうあれ超法規的存在として昭和天皇は君臨した。それが上記の発言として如実に現れている。
最後の「よろしく頼む」とは、太平洋戦争の時も有効で、真珠湾、ミッドウェー、東京大空襲、原爆投下など日米の相互調整の上、帰趨なる戦闘は行われた。
これは先のMHKの原爆投下に関する番組でも明らか。

さてロッキード事件は、2.26事件に匹敵する暗黒裁判であり、戦後日本は資本主義ではあるものの、民主主義体制ではない証左を示す重要な裁判であり、これは未だ終わらない2.26事件と同じく、後世に明治政府体制の本質も知らしめることがらとして語り継がれ、これの関係した魂は浮かばれることはないだろう。
曰く、現世では天皇と臣下でも、死んだら皆同じ。死んでから幾百万の魂に攻められるのは地獄の以上の苦しみだろう。



しかし鬼塚英昭氏、重要な事は語らないでいる。
まあ、鬼塚氏の御著書で何れ読む事もあろうかと思えば、これは待ち遠しいですね~


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鬼塚英昭 「てんのうはんの守りびと 瀬島龍三」 <2390>

2015-09-08 09:24:04 | 天皇まんざーい

 ◆日本人がタブーとしていたてんのうについて、書かれたものです。鬼塚英昭氏は膨大な資料をもとに、本を書く方ですので、信頼性は高いです。ただし、彼はイル身ナティの存在は知らないのか、言及はしていません。史実をここまで深く掘り下げてくれた本は日本では貴重なものです。彼の本は全国の図書館にあると思われますので、ぜひご一読してみてください。私もそれでもやもやが消えて、目がすっきりと覚めた次第です。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

ルイネットより転載しました http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=265580

日本を守るのに、右も左もない。

鬼塚英昭著「てんのうはんの 守り人 瀬島龍三 」  山澤貴志 2012・6・18

 

鬼塚英昭著「瀬島龍三と宅見勝 てんのうはんの守り人」を読んだ。

著の主要論点をまとめる。

1) この国の支配階級は明治天皇の首のすげ替えを行った。この挿げ替えによって権力を手にしたのは山口県の田布施にゆかりのあるメンバーであり、この権力システムを「田布施システム」と呼ぶ。しかしその弱みを外国につかまれているがゆえに彼らにはまともな国家運営ができず、日本は米英の国際金融資本の思惑の通りに操られる操り人形になってしまった。
尚、鬼塚氏は昭和天皇についても「大正天皇に子種がなく大正天皇とは血のつながりがない」可能性を示唆している。つまり(病弱な大正天皇を除く)明治・昭和天皇が裏天皇の系統としてつながっており、鬼塚氏はそのような視点から、秘密を抱えた昭和天皇も米英の脅しにかけられて戦争に突入していったのだと分析している。

2) 天皇の参謀である瀬島が、自身を含む60万人のシベリア抑留を受け入れたのも、そのような弱みを握られていればこそである

3) 戦後、瀬島は電通とつながり伊藤忠の中で武器商人として出世街道を昇っていった。その中で右翼、ヤクザが活用された。そして田布施システムに従順でなかった田中角栄は排除され、中曽根が田布施システムの表の顔となった。

4) 瀬島・中曽根によって国鉄解体が仕組まれたが、その結果、左翼も右翼も死んでしまった。そして瀬島・中曽根によってバブルが演出され、その結果、滅んだ右翼の中から経済マフィアが生まれ、地上げの先鋒を担ったが、最も深くこのバブルを牽引したのは住友銀行であった。

5) しかし大企業は経済マフィアの排除に動き「暴対法」が強化されていくことになる。小悪党ばかりが批判され、瀬島も批判されるが、右翼や瀬島の背後で作動している「田布施システム」そのものにメスを入れない限り本当の問題を切開したことにならない。

「田布施システム」の起こりについては既に投稿されているので、以下、主に戦後の部分を投稿していく。

●農民のこせがれから田布施システムの期待の星へと昇りつめていった瀬島龍三

瀬島は富山県の農家の三男で1938年陸軍大学校主席卒業。満州へ赴任し1940年には大本営陸軍部作戦課に配属され、天皇の参謀として働いた。一介の農民のこせがれであった瀬島が天皇の参謀の位置にまで駆け上ったのは田布施システムの閨閥に入り込んだからである。

瀬島は同じ富山出身の松尾伝蔵の娘と結婚した。松尾伝蔵は元首相・岡田啓介の妹の夫である。また岡田の娘婿が敗戦時に内閣書記長官を務めていた迫水久常。迫水の祖父は大久保利通の従兄弟でもあり、牧野伸顕・吉田茂、敗戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎とも親戚であった。つまり孝明天皇暗殺事件の真相を知る薩長の中核人物と血縁を結び、彼ら「田布施システム」の期待の星となるように努力することを通じて、戦後は「田布施システム」の中心人物に成り上がっていったというわけだ。

特に瀬島が天皇家存続のために60万人のシベリア抑留を無事にとり仕切ったことは、迫水らから非常に感謝され、帰還後は手厚く支援を受け、伊藤忠への就職が決まった。

そして迫水は旧満鉄人脈=電通を駆使して「田布施システム」を隠蔽する諜報広宣活動を推し進めていった。瀬島は必ずしも伊藤忠で成功ばかりだったわけではなく、実は背任罪に問われかねない失敗もたくさん犯しているが、それでもマスコミに叩かれることなくむしろ名参謀として持ち上げられ続けたのは、電通によるマスコミ支配のおかげである。

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