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結局、念仏を唱えると、なぜ苦を乗り越えられるのかは分かっていないが、スピリチュアル的には理解できる

2024-03-20 08:09:35 | 仏教・神道・その他宗教
オンライン親鸞講座を聴いているっていうことは書いていたけど、
ちょっと前に最終回があったので、そのシェア

結局、「念仏を唱えると、なぜ苦を乗り越えられるのか」については
最後に触れてたけど、「この講座では説明しきれない」ので省略となった。
まあ、そうですよね、これ1つで講座ができますよね・・・

で、最終回は親鸞聖人が越後に流された後の話(関東に行って、京都に戻る)
についてでした↓がその時のメモ




なんだけど、最近、お念仏と同じような話を田淵可愛さんがしていた。
↓の8分20秒~

2024年3月12日〜14日【重要日3月15日までに済ませておくとよい3つのこと】 

「私は何が起ころうと宇宙を信頼し、お任せします」というという話。
こういっても、悪いことや思い通りではないことが起こるかもしれないけど、それは、エゴを手放すチャンスで、宇宙は私たちのことをよくわかっているから、宇宙にお任せするのがよいというお話。

宇宙→阿弥陀仏、エゴを手放す→煩悩を超えるということに置き換えると・・・「私は何が起ころうと阿弥陀仏を信頼し、お任せします」(南無阿弥陀仏)となるんだけど・・・

・・・これなら、スピリチュアル的には、理解できる。

・・・こういうことなのかなあ?

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