100分de名著 ブルデュー“ディスタンクシオン”(3)「文化資本と階層」
をメモメモ
文化資本
学校が社会的不平等の再生産をしている
ブルデュー独自の3つの概念
ハビトゥス
界
文化資本←今回
文化「資本」
・趣味・嗜好も投資をされるもの
・利益をもたらす
→文化財・教養・学歴・文化慣習・美的性向など
【文化資本における美的性向と階級について】
家の壁:一点物の絵→金と教養がある
映画のアンケート
見る回数:収入・住むところ
映画監督の知識:学歴
→内容などと切り離し、形式だけを受け取る知識や態度
知る快感:
実践感覚:どこに位置づけられるか
→スタイルのほうの知識が大事ということが体でわかっている
→教え込みと出身階級
美的性向は世界への距離を前提としている
→禁欲的態度
どういう構図で、誰をどう出して・・
→自分の感覚から距離をとって方法・k3意識だけを眺める禁欲的な態度
→学校的ハビトゥス:ゴールなき甘受
→美的性向を得ている人は禁欲的な態度が身についている
文化資本を身に着けていくとき、抵抗感が少ない
→出身階級で100%決まらないが、「構え」は学校や世の中で有利に働く
有利に働くということは利益をもたらす「資本」
→有利になる人がいる一方で不利になる人もいる
知的能力ではなく、ある種の文化・態度
文化的再生産論
出身階級に傾向づけられる性向が階層を再生産するという社会学的な見方
→文化的再生産論と義務教育の皮肉
階級をシャッフルするのが義務教育の目的
→親の年収や階級が子供の学校的達成と相関している
【ブルデューは学校をどう見ていたのか】
・「解放する学校」と始め見ていた
→一方で学校は保守的なもので、強力に社会的不平等を再生産
学校が再生産する階級格差
→「ハマータウンの野郎ども」(Learning to labor労働者になる学習)
自分から進んで不利な立場に入っていく
レールに載っている
労働者文化:学校の文化に合わない
何十年後に東大に入れるより
今この教室空間を楽しくする方が合理的
みずから好んでドロップアウトして低賃金労働者になっていく
→親のしつけのせいでもない
勉強は頭だけでするものではない:体がじっと座っていられるかどうか
→自己責任論
そうじゃないというのが社会学
文化的再生産論を知る意義
社会は個人のせいにする
社会学は「その人の正じゃない」という作業を続けている
この社会で得をしている人は自己責任論理になりがち
→システム全体を見るところから始まる
人間は自分を正当化する倫理を選びがち
【階級格差の再生産 果たして決定論なのか】
・東大生の親の年収の平均は950万以上
決定論
→神話化を解体する
お互い恣意的な境界線に基づいていることを理解したい
クーリングアウト:野心が冷却される
ちなみに、自分が東京大学を受験したとき(もう何十年も前のこと。落ちたけど)、
東大内の立て看板に書いてあった表題と同様のアンケートに、自分の親の年収(300万くらい)
が〇〇万円以下でまとまった範囲に入っていたことで、
表題の件は何となく理解できる。
ただ、これ、反論あると思う。
事実、自分の親は上記のとおり、年収300万くらいだったが、
自分は国立大学の大学院(修士修了(経営学)、博士中退)
なので、表題の反例となるが。。。実際は、反例とは言えない。
なぜか、
実は、年収が低くても、高い学歴をとることはできるのだが、
学歴に見合う就職・結婚ができるかというと、別問題なのだ。
まず、高い学歴になってしまうと、地元の人たち(=高い階級ではない)と、話が合わない
(これこそまさに、文化資本とかハビトゥスとかの違い)
学校のみんなとは、所得が違うのでついていけない
(海外旅行、車の話などは、そんなの実現できる所得がないので、そういう話ができない)
結果として、仲間がいなくなってしまう。
そして就職は、学歴だけではどうにもならない
(親の職業とか、保証人とか、いろいろあるので、学校と試験の結果だけよくてもパスできない
面接すれば、階層はバレる)
結果として年収は・・・・先月の給与は手取り25万だから、親と一緒だね(^^;)
再生産されている。
社会的には、IT業界・・・ごまかされてはいけない。IT業界というのは親の世代の土方と一緒
(デジタル土方)なので、同じ階層なのだ!
をメモメモ
文化資本
学校が社会的不平等の再生産をしている
ブルデュー独自の3つの概念
ハビトゥス
界
文化資本←今回
文化「資本」
・趣味・嗜好も投資をされるもの
・利益をもたらす
→文化財・教養・学歴・文化慣習・美的性向など
【文化資本における美的性向と階級について】
家の壁:一点物の絵→金と教養がある
映画のアンケート
見る回数:収入・住むところ
映画監督の知識:学歴
→内容などと切り離し、形式だけを受け取る知識や態度
知る快感:
実践感覚:どこに位置づけられるか
→スタイルのほうの知識が大事ということが体でわかっている
→教え込みと出身階級
美的性向は世界への距離を前提としている
→禁欲的態度
どういう構図で、誰をどう出して・・
→自分の感覚から距離をとって方法・k3意識だけを眺める禁欲的な態度
→学校的ハビトゥス:ゴールなき甘受
→美的性向を得ている人は禁欲的な態度が身についている
文化資本を身に着けていくとき、抵抗感が少ない
→出身階級で100%決まらないが、「構え」は学校や世の中で有利に働く
有利に働くということは利益をもたらす「資本」
→有利になる人がいる一方で不利になる人もいる
知的能力ではなく、ある種の文化・態度
文化的再生産論
出身階級に傾向づけられる性向が階層を再生産するという社会学的な見方
→文化的再生産論と義務教育の皮肉
階級をシャッフルするのが義務教育の目的
→親の年収や階級が子供の学校的達成と相関している
【ブルデューは学校をどう見ていたのか】
・「解放する学校」と始め見ていた
→一方で学校は保守的なもので、強力に社会的不平等を再生産
学校が再生産する階級格差
→「ハマータウンの野郎ども」(Learning to labor労働者になる学習)
自分から進んで不利な立場に入っていく
レールに載っている
労働者文化:学校の文化に合わない
何十年後に東大に入れるより
今この教室空間を楽しくする方が合理的
みずから好んでドロップアウトして低賃金労働者になっていく
→親のしつけのせいでもない
勉強は頭だけでするものではない:体がじっと座っていられるかどうか
→自己責任論
そうじゃないというのが社会学
文化的再生産論を知る意義
社会は個人のせいにする
社会学は「その人の正じゃない」という作業を続けている
この社会で得をしている人は自己責任論理になりがち
→システム全体を見るところから始まる
人間は自分を正当化する倫理を選びがち
【階級格差の再生産 果たして決定論なのか】
・東大生の親の年収の平均は950万以上
決定論
→神話化を解体する
お互い恣意的な境界線に基づいていることを理解したい
クーリングアウト:野心が冷却される
ちなみに、自分が東京大学を受験したとき(もう何十年も前のこと。落ちたけど)、
東大内の立て看板に書いてあった表題と同様のアンケートに、自分の親の年収(300万くらい)
が〇〇万円以下でまとまった範囲に入っていたことで、
表題の件は何となく理解できる。
ただ、これ、反論あると思う。
事実、自分の親は上記のとおり、年収300万くらいだったが、
自分は国立大学の大学院(修士修了(経営学)、博士中退)
なので、表題の反例となるが。。。実際は、反例とは言えない。
なぜか、
実は、年収が低くても、高い学歴をとることはできるのだが、
学歴に見合う就職・結婚ができるかというと、別問題なのだ。
まず、高い学歴になってしまうと、地元の人たち(=高い階級ではない)と、話が合わない
(これこそまさに、文化資本とかハビトゥスとかの違い)
学校のみんなとは、所得が違うのでついていけない
(海外旅行、車の話などは、そんなの実現できる所得がないので、そういう話ができない)
結果として、仲間がいなくなってしまう。
そして就職は、学歴だけではどうにもならない
(親の職業とか、保証人とか、いろいろあるので、学校と試験の結果だけよくてもパスできない
面接すれば、階層はバレる)
結果として年収は・・・・先月の給与は手取り25万だから、親と一緒だね(^^;)
再生産されている。
社会的には、IT業界・・・ごまかされてはいけない。IT業界というのは親の世代の土方と一緒
(デジタル土方)なので、同じ階層なのだ!