池袋親鸞講座の最終回を聴いてきたんだけど、
ここに載せていないのでシェア
仏教とは、仏法とは、何だろうかというお話。
それは、内観の眼を持つということ。
昔、高光大船氏か、松本梶丸氏かに向かって(講義ではどっちかはっきり言ったんだけど、自分が今各時点で忘れた)「仏様とは何か」という質問をした人がいて、その答えが「仏法は鉄砲の反対」だったそうな
どうも、
鉄砲は、生きている人が外に向かって打って、人を殺す武器
仏法は、死んだ人を生かして、生きている人の心の内側に向かわせる武器
ということらしい。
そして、外側に向かう場合、人の心の煩悩を基に外界のものを見る。
この心の煩悩は、もっとお金を得たい、そのためにもっと効率的に働きたいと思い、将来に向けて計画を立ててそれ通りに、今、動こうとする。
将来のために、今という時間を失っている。
しかし、効率や、もっとお金を得たいという考えなら、ここに来る人はいないはずである。効率的な話や、お金儲けの話を仏法はしない。なのに、仏法の話を聴きに、ここにきている人が、こんなにいる。それはなぜか。
仏法は、人の内面に目を向ける。これが内観の眼。内観の眼により命そのものをどう受け止めたらいいか、生きていくことの意義を、今、いただく。
というような話を聴いてきました。
以下メモ