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ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

苦しみを乗り越える方法があるらしいのだが、その方法がわからない…そこが知りたいんだけど…

2024-03-11 07:10:53 | 仏教・神道・その他宗教
前に聴いたオンライン親鸞講座について書いていなかったので
書いてみる。

ここまでのことで、わかったこと。
(池袋親鸞講座で学んだことと、混ざってる)

・人の世界には老病死があり、四苦八苦というように、苦が必ず存在する。

・そして、人の内側には煩悩があり、とくに三毒を持っているがゆえに、
 苦を感じる。

・この苦を乗り越えることが、弥陀の本願の本質であり、

・法蔵菩薩は、この弥陀の本願を成就して、阿弥陀仏となった
 →ということは、苦を乗り越える方法はあり、
  阿弥陀仏はそれを悟ったということ

ってことまではわかったんだけど、肝心の

「苦を乗り越える方法」

がわからない・・・

念仏を唱えること?

い~や~、そーは思えない。
(念仏の南無阿弥陀仏とは、「阿弥陀仏が弥陀の本願を達成して悟ったということ」を信じます(帰依します)っていう、信仰表明だとおもうんですけど。で、知りたいのは、その悟った内容なんだけど・・・)

その「苦を乗り越える方法」が知りたいんですけど・・・

わかったら、報告するね!

以下、その親鸞講座のときに取ったメモ



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「極楽浄土に生まれ変わる」とは? ー ってか、そもそも、「極楽浄土」の定義は?

2024-02-25 09:01:00 | 仏教・神道・その他宗教
先日行ってきた、池袋親鸞講座の内容のまとめ。

質問への回答で終わってしまっていましたが、
うち、2つめの質問
「極楽浄土ってあるんですか」の回答をめぐってのお話
が、表題の件となります。


経典には、極楽浄土は存在することが記されていて、
具体的には
「阿弥陀仏がいらっしゃる浄土」が極楽浄土



で、問題は、極楽浄土が存在するかどうかではなく、
(たぶん質問者の意図もそこではなく)
極楽浄土にいつ生まれ変わるか?ということ。

なんでこんなことが問題になるかというと、

「仏教は、四苦八苦を超えた世界に行くことを説いた」のであれば、
仏教により四苦八苦を超えた世界に行った人、つまり悟った人は、
人間界の穢土にいても、浄土にいることと同じになりませんか?
(穢土=人間界=四苦八苦の世界、浄土=神仏=四苦八苦を超えた世界)

ということ。



これは、浄土がないことを意味しているのではなく、
浄土にいつ生まれ変わるのか(浄土に生まれ変わる=往生)という問題。

2つの時点が考えられている
  ・煩悩を超え、四苦八苦を超えた世界に行ったとき
  ・死んだとき

 死んでしまえば、煩悩を興そうとしても肉体がないので興せない
  死んでいたら四苦八苦は越えている。
  なので、死んだときは往生していると考えられる
 なので問題は、「煩悩を超え、四苦八苦を超えた教えである仏教を
 悟った時、往生したとみるか、見ないか?」

浄土真宗大谷派(お東)は、このとき、「浄土に生まれ変わった」
  とみる人が多い

浄土真宗本願寺派(お西)は、死んだとき浄土に生まれ変わった
  とみる人が多い

とかなんかのお話。

↓はその話などの講義のまとめ

↑の右側は、教行信証の一部が書いてある



【以下、個人的所感:上の親鸞講座では言ってないし、関係ない話】

この話、スピリチュアルと対比して考えるとすごくわかりやすい

穢土=3次元
浄土=高次元
極楽浄土=阿弥陀様がいる高次元
  (↓の動画で、饒速日命(にぎはやひ)と瀬織津姫がいる次元と、
   ほかの神々がいる次元は次元が違うって言ってるけど、
   阿弥陀仏も、他の神々と違う次元にいると考えれば、
   納得できる)

往生(極楽浄土に生まれかわる)
  =穢土から浄土にいくこと
  =3次元から高次元に行くこと
  =アセンション

アセンションはいつ起こるのか
 死なないでも起こすことは可能(大谷派)
 死なないと無理(本願寺派)
→2つの考え方がある。

【次元を考える参考】
饒速日命からの御神託【ある計画が実行される。まず日本の復活を遂げる事が必要だ】

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「むさぼりの心」、「満足を知らないこころ」とは…

2024-02-22 07:12:30 | 仏教・神道・その他宗教
先日、「オンライン親鸞講座」を聴いたんだけど、
「むさぼりの心」が人生、生きる上で参考になった。

仏教には、「煩悩」は108個あるけど、その中で根本的なものは、
「貪瞋痴」(とんじんち)の3つなんだそうな(これを三毒というらしい)。
(↓のサイトに詳しい)

で、貪は「むさぼりの心」、つまり「満足を知らないこと」だそうで
これについて納得いく例を、この「オンライン親鸞講座」
で教えてもらったのでシェア
「ほしいほしいと思っていた洋服を買ったとたんに
 次にどの洋服を買おうか見ている」
・・・確かに・・・ありますよねこれ、資本主義だと
この満足を知らない心によって、いつの間にか自分の限界を超えてしまい
(=限界を超えて使いこんでしまい)破滅してしまうんですよね・・・

ってことで、それ以外の内容についても書いた、
メモを↓にシェア


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苦しみの原因は、「自分の思い通りにいくのがよい」と思っている思い込み

2024-01-20 11:28:51 | 仏教・神道・その他宗教
いや、ホンモノの坊さんの話はすごい!

1月18日(木)、池袋親鸞講座の2回目を聴いてきた。
この講座は、教行信証のお話で、今回は2回目、
教行信証の製作の背景

 講師は大谷大学(浄土真宗の家の子が、坊さんを継ぐために勉強しに行くような、坊さん養成をやっている大学)の先生でもあり、金沢の近くのお寺の住職をしている(つまり、大学だけでなく現場もやっている)藤原先生。
つまり、坊さんになる授業を受け持っている、ほんまもんの坊さん。
(ただし、真宗は、坊主頭にならなくてよい。なので、真宗の坊さんといっても、見かけは普通の人。これは他の真宗の人も、私服だと同じ)

 金沢の近くということで、今回の講座の始まりは、今回の地震の話。
 ご自身の話、お寺の様子(金沢付近だと、震度5強ぐらいだったらしい。和島と違って)、真宗は北陸にお寺が多いので、輪島にも、多くのお寺があるんだけど、その辺の様子など。

 でそのあと、本来の講義の教行信証の製作の背景(というか、意図)について。その意図は、序文にあるのだが、この序文といわれる個所が、教行信証の中には何か所も出てくる。初めの序文が総序、一番最後の序(って普通「あとがき」っていうけど)が後序と呼ばれていて、総序には、「なぜ書くのかの理由」が書かれていて、後序には、「書くことに至った事由」が書かれている。

 後序の「書くことに至った事由」については、念仏の教えを正しく伝えるために、書かざるを得なかったというのが、当時の状況とともに書かれているらしい。

 で、総序には、何が書かれているかという話なんだけど、始まりはまず、阿弥陀様の本願は、「迷い・苦しみの中(難度海)にいる人々を、迷いを超えた世界(無明の闇を破する)に渡す(度する)」ことであり、そのための光(無碍の光明)によって、仏道、真宗は成り立っているというようなことが書かれている。

・・・って、1回目のプリントに書いてあるね、はい。一回目の復習。
なんせ、1か月空いてる間に地震あったから、忘れているよね。

で、今回の話題。

阿弥陀様の光によって、真宗は成り立ってる。
光を持っているのは、阿弥陀仏。
つまり、阿弥陀仏が救うのであって、自分が修行とか努力して救われるわけではないという、他力本願の考えが、真宗の考え方。
じゃ、何もしなくていいのか?っていうのが、一つの話題。

結論から言うと、そうじゃない。
阿弥陀様の光、大切な教えを聞いて、自分のこととして考える(=聞思)
これこそまさに、仏様と出会うということであり、
このことが、真宗の大事なところ、真宗のよりどころ(立脚点)となる。
この仏様と出会うことは、他人にはできない、真宗の信徒が自分でしなければいけないことであると説く。

では、仏様が教える目標地点、「本願」とは何か、ってことだけど、
「迷い・苦しみの中にいる人々を、迷いを超えた世界に渡す」
が、本願だった(迷いを超えた世界が浄土)
では、なぜ人々は迷い・苦しみの中にいるのか?

その苦しみの原因を人は、「景気が悪いから」「貧しい家に生まれたから」と外に求めるが、そうじゃないと説く。
   苦しみの原因は、外ではなく(自分の)内にある
それは、
 「自分の思い通りに行くのが自分にとって尊い人生である」という思い込み
のせいである。

人や社会は成長するのがいい、向上するのがいいという「思い込みがある」
年をとっても若くあるのがいいという「思い込みがある」
しかし、仏陀が説いたように(生老病死)のように、人は必ず老いて死ぬ。
思い込みの通りにはいかないので、苦しむが、それは、あくまで思い込みである。「人は必ず老いて死ぬ。その人生こそ尊い」という仏教の教えを聞いて、(聞いただけじゃだめで)その現実を受け入れたうえで、「あなたは、どう思うのか、どうやって生きるのか」ということが問われている。その問いに自分なりに答えを出して実践していくのが仏教。

人は、今回の地震でもそうだけど、一瞬で、思いもよらず、死ぬことがある。それは現実のことなんだけど、それを受け入れたうえで、「じゃ、今日、あなたはどう生きる?」という答えを出して行くために、仏の教え(他力)を聞き、思い、実践していく(ことにより、弥陀の本願を実践していく)のが、浄土真宗である。

というような、お話でした。

下のは、その時のメモ(地震の部分は、書いてない。聞き入ってしまった)




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測るから(人と比べるから)苦しくなるという浄土真宗と教行信証のお話を聴いてきた

2023-12-23 10:56:28 | 仏教・神道・その他宗教
12月21日(木)は、池袋親鸞講座で、教行信証のお話を聴いてきた。
教行信証とは、親鸞が著した(本人は集めたと言っている)「浄土の真実の教行証」のこと。

「教行証」とは、教え、行い、悟りについて書いたもので、これは浄土真宗いがいの仏教でもある。ここに信ずるということを加えていて、親鸞は、この信ずることが大事としている。

「浄土門」とは「阿弥陀に気づく」ことだけど、阿弥陀は
amidaの音写。amidaとはa(=un)mida(mesure)=測ることができない
ということで、逆に言うと、
人は測っているから(「こんなに」努力したから、私は「偏差値が高い」のに、「あの人より私は」優れているのに)期待して、叶わないと苦しくなる。
測ることに苦しみがあるんだと気づくことを指している。

このほか、教行信証は6巻でできていて、お東(真宗大谷派)とお西(真宗本願寺派)で読み方が違うところがあるとかの話。

メモは以下の通り



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葬儀の仕方について聞いてきた!

2023-12-04 07:16:52 | 仏教・神道・その他宗教
前の記事にも書いた通り、
12月3日に真宗会館の「大人の寺子屋」講座で、
葬儀の仕方について聞いてきた!

具体的には、2時限構成で
1時限目は葬式のこころについて
2時限目は、真宗の葬式のしかたについて
 具体的には、葬式は 死んだあと
   枕勤め
   通夜
   葬儀
   還骨
 とすすみ、
   初七日(と還骨を一緒にお勤め=お坊さんを呼ぶのは1回にするケースもあるけど)
   49日
   納骨式                     ↑ここまでが仏事
----------------------------------------------
   100か日法要  ↓ここから法事
     :

のそれぞれについて、どのようなお勤めをするか(何を唱えるか)についてのお話を聴いてきました。
今回は、質問も一緒にメモって来ました!
では、以下詳細です





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お仏壇(浄土真宗だとお内仏)の話を聴いてきた!!

2023-12-03 01:52:15 | 仏教・神道・その他宗教
先週(11月26日)真宗会館の「大人の寺子屋」でお仏壇(浄土真宗ではお内仏というらしい)の話と、ご本尊についての話を聴いてきた。

ので、そのメモを↓に載せたあとで、そこで出た質問を書いてみたいと思います(質問部分はメモ取りそびれたので、ここに書く)

【Q&A】

■質問1
先祖代々からの大きな仏壇を受け継いだが、
今住んでいるところは団地なので、仏壇を置けない
そこで廃棄しようと思う。
仏壇は江戸時代のもので、どこで買ったかわからない。
なので、売ってくれたところに引き取ってもらうこともできない
魂ぬき(っていうのかな、捨てていいようにするお祓いみたいなやつ
専門用語で言ってたので、記憶できなかったけど、意味的には魂ぬき
のことだと思う。以下「魂ぬき」っていう言葉が出てくるところは
こんなかんじ)は、した。
粗大ごみとして出してよいか

(講師の先生の)回答:
理論上は魂ぬきをしたら、ものなので、粗大ごみとしてすてていいことになるが、社会的に、近所の人もその仏壇が捨てられているところを見るわけだし、
そうしたときに、見た人はどう思うだろうか。
町で話題になってしまったりしません?
ってことで、困るので、実は売ったところではなくても、お仏壇はお金を払えば、引き取ってくれる。
なので、まずは、近所でお仏壇を扱っているところに相談に行くとよい。
で、相談すると、受け取ってくれないものがある。
法名軸・過去帳とか。
そういうものは、お寺さんに相談する。そうすると引き取ってもらえる。


■質問2(質問1の続き):
 金香炉をもらった。大きなお仏壇にしない場合、どこに置けばいい?

回答:
 まず、大きなお内仏(お仏壇)の場合、どういう構成になっているか確認すると、

一番手前:お線香をあげるために必要なもの
まんなか:お焼香を上げるために必要なもの
一番奥 :ご本尊

 都会の小さなお内仏の場合、真ん中の段を省略する。
 これは、お焼香は普段はしないためで、お坊さんが家に来ない場合、まず不便はない。お坊さんは、ないと困るんだけど・・・
 金香炉はこのお焼香をするところに置く。
 土香炉は、お線香をたくところに置く。
なので、都会の真ん中を省略するところの場合、金香炉は飾らなくてよい

■質問3:
 奥さんのほうの家系も過去帳に記載する?

■回答:
 過去帳に合わせて記載するという方法ももちろんあるが、
 過去帳を分けて、別々に保管するという方法もある。
 理由は、
  ・過去帳を合わせてしまうと、まったく知らない人が
   過去帳に現れ、知っている人がみんな死んだとき、
   この人は誰?となる

  ・過去帳を合わせた後で、何か問題が起きたら、どうします?
  (問題=離婚したらどうします?っていうように私は、とらえた)
   分けておけば、そういうときにも対処できる

■質問4(質問3に続けて):
 過去帳を合わせるとき、
 他宗教の戒名はどうするの?取り直す??

回答:
 取り直す人もいる。
 例として、奥さんだけが、新興宗教の一派を信仰していて、
 その宗派での葬式を行った。何周忌かして、ご主人の希望で
 奥さんを真宗のほうで、法事を行いたい。過去帳にも入れたい
 ということで戒名を取り直しました。


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