水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2月13日

2013年02月13日 | 日々のあれこれ

 朝食は、ごはん、味噌汁、卵焼き、ブリ照り焼き、ほうれん草の炒めもの。昼はカツカレー、夕食はごはん豚汁、鮭フライにタルタルソース山ほどかけて。ああ今日も三食白ごはんを食べた。スキー場ではどうしてこんなに炭水化物がおいしいのか。新潟のごはんはどうしてこんなにおいしいのか。米の質自体なら、福井のコシヒカリもハナエチゼンも魚沼産コシヒカリに勝るとも劣らない。しかし新潟の方が福井よりごはんの炊き方がカタい。自分的には、このごはんのカタさは決定的だ。GOGOカレーのごはんがおいしいのも炊き方による。
 スキー直前に「脳男」を観た。生田斗真くんの肉体をみた瞬間、やべオレも少しからだしぼらなきゃ、スキー実習中は部屋で腹筋もしっかりやって、ご飯少なめにしようと思ったが、実習終わってから絞ることにした。
 朝おきると猛吹雪の光景が目に入ってきたが、集合時間ぐらいにはおさまり、気温も下がらなかった。
 発熱とけがで実習を休んだ子がいたが、全体によく取り組んでいる。いろんなことがすべて早め早めにすすんでいく。正直いって手がかからない学年だと感じた。

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2月12日

2013年02月12日 | 日々のあれこれ

 6時に起きてシャワー。朝食は、ごはん、とろろ昆布の味噌汁、明太子、野沢菜、焼き鮭、スクランブルエッグ、ベーコン。やっぱごはんおいしいわ。今日はきっちり晴れた。朝まで降った雪が圧雪されて、この日、新潟のスキー場としては最高のコンディションではないだろうか。昼食は牛丼。例年と異なり、ごはんと具が別々に供されたから、ごはんと牛皿というべきか。具の方はそれなりの量は入っていたと思う。だからおかわりしたい子は、ごはんだけをよそってもらいに行く。計画性をもった食べ方が必要だ。でもスキーのあとは炭水化物がおいしいはずだ。かりに具を無計画に減らしてしまっていても、おつけものもあるし、白飯食べ放題で充分だろう。教員は、別の畳の部屋に用意してもらっていたが、気を遣って早めによそってくれたようだった。「ごはん、かたくなってますよね」「具さめてますよね」とささやかたということは、学年主任としての仕事をせよということだろう。旅行会社さんに事情をきき、あわてなくていいから生徒と同じように、あったかいの食べさせてと言う。午後も晴れた。ゲレンデからスキーロッカーに入るところが、すべりやすくなって危なそうだったので、雪の階段をきちっとつくってみた。夕食のビュッフェは揚げ物が多かった。ナイター巡回の配置に早めについてもらう先生には、早めに夕食をとってもらいたい。夕食時間が近づくと会場前に並びはじめる生徒さんを制しつつ、何人かの先生方に先に入ってもらう。様子をみて生徒さんの手に消毒スプレーをかけながら、会場へ導く。7クラスと4クラスで別れて二会場あるので、両方の様子を見、先生方もつつがなく食べてるなと確認し、自分もラインに入った。ごはん、豚の角煮、牡蠣フライ。ふだん出来ない贅沢をひとつだけ神に許しを請い、タルタルソースをこれでもかとかけて食べたら幸せだった。
 全体がちゃんと動いているか、先生方もふくめてご飯を食べてるかを確認する、見落とされがちな仕事に気づいてさっとやってしまう、外部の人との交渉、など今日やったことは教師力のなかの主任力に位置づけられると思った。そして今日も三食白ごはんをとってしまった。

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2月11日

2013年02月11日 | 日々のあれこれ

 スキー実習初日。
 朝食は前日の残りの炊き込みご飯を一杯。川越駅西口に集合し、バスに乗り込む。上里SAでトイレ休憩をとったが、すでに雪が舞っている。トンネルを抜けたらどんなことになってるのやら。バス内での昼食は幕の内弁当。関越道はスタッドレスで大丈夫だったが、ホテルに向かう坂道を上がるためにチェーンをつけることになった。バスの窓から見る他号車のチェーン付けの様子は、大変そうだけど運転手さんの動きがかっこいい。こういう仕事姿にもえる女子は多いのではないだろうか。遅れて到着したけど、予定通りすすめちゃおうかと体育主任と相談し、開校式、そして最初のスキーレッスンに入った。生徒さんたちの動きは実によかった。残念ながら天候は厳しい。吹雪とまではいかないが、雪は降り続き、風もある。そのせいもあるだろうか、もともと連休の最終日はこんなものなのだろうか、ゲレンデに一般のお客さんは少なかった。実習を終えて室長会議、そして夕食。夕食と朝食はビュッフェスタイルになる。毎回旅行にくるたび思うけど、高校時代の自分がこの場にいあわせたなら、あまりの感激に立ち尽くすのではないか。もしくは状況を理解できないのではないか。エビフライも焼き肉も唐揚げも、ほんとに好きなだけとって好きなだけ食べていいんですか? そんなことしていいんですか? と先生につめよってしまうかもしれない。でも、今の生徒さんは冷静だ。いや充分に男子らしくがっついてはいるけど、余裕がある。おかずとケーキを一つの皿に山盛りにしてしまう混乱ぶり、焼きそばと炒飯をよそった上で白ごはんをもらってしまう節操のなさも何人かに見られるものの、ここで食べなければもう食べられないかもという悲壮感はなかった(あたりまえか)。そういえば唐揚げって、自分たちの高校時代にあったっけ? なんかあんまり食べた記憶がないんだけど。田舎だからかな。初日夜だけは、教員は別会場の中華バイキングをいただいた。ごはん、豚の角煮、油林鶏、中華スープなどをいただく。日に三食米を食べたのはほんとに久しぶりだ。夜の教員ミーティングで翌日の動きを確認し、就寝。

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反モラル力

2013年02月09日 | 日々のあれこれ

 『教師力ピラミッド』の堀先生が、新聞には載らなかったこんな発言があると、ブログに書かれている。

 ~ 記者:堀先生は教師力ピラミッドの各能力で言うと、どのようなタイプの教師ですか?
堀:そうですね。父性型指導力、友人型指導力、研究力、教務力は割とあるかもしれませんね。先見性・創造性も割とある方だと思います。
 記者:なるほど。逆に自信がないところは?
 堀:モラルですね。
 記者:……? ~

 これは、若い女性記者を前にしてちょいワルぶったわけではなく、本音のところでそう言ったのかなと思う。
 『教師力ピラミッド』には「夜更かしや徹夜、遊びすぎや深酒」はいけないと書いてあるし、「『学校より友情』といった考え方も、仕事には通用しません」ともあるが、類推の範囲だが堀先生は飲むときは相当飲まれるし、義理人情は何にもまして優先してしまう方と思うのだ。
 教師というより文学の人と時々感じてしまうことがあるのは、そのへんだろうか。
 人としてきちんと生活できることが、教師力のベースであることは論をまたないと思う一方で、品行方正、一点の曇りもない日々を過ごすことがマストだとも言えない部分もあるのではないか。

 最近読んだ『ガキ教室』というマンガはおもしろかった。
 主人公は24歳イケメンの教師。中学1年生の担任だ。
 大学を出たあと、ホストクラブの雇われ店長になるも、オーナーの借金を背負って失業してしまう。 
 前に晶の里親だった人が、民間人校長として運営する中学校に誘われて働くことになったのだが、最初の自己紹介で「今日から桃山中のみんなと勉強することになりました片桐晶です。年上のボインちゃんが好みの25歳です!」といい、生徒をどんびきさせる。
 授業が始まれば好き勝手に騒ぎ出す生徒に「オレは … ガキが大っ嫌いなんだよ!特にお前らみたいな中房!!」と叫んでしまう晶。
 いつまでたっても、あいさつは「オアザース!」だし、先輩教師にたしなめられるときの謝罪は「サーセン」だ。 ところがそんなありようが幸いしてか、クレーマー扱いされているヤーさん風の保護者と打ち解けたり、不登校の生徒とのコミュニケーションに成功したり、女子には人気だったりする。
 教師らしくない教師が、教師らしくないがゆえに教師らしさを発揮する物語は多々あるとはいえ、久しぶりに読み出したら止まらないマンガだ。
 そろそろ5巻(最終刊?)が出てるはずだから、はやく買わなきゃ。
 片桐晶の風貌、元ホストの若者らしく、イケメン、細身で、髪の毛も今風で、ラフなジャケットを身につけている。この不良性、つまりモラルあふるる教師とは真逆の存在感が、晶を魅力的にさせている。

 堀先生自身も、父性型指導力を発揮することが求められるキャラクターであるからこそ、ひげをはやしたクマのようなたたずまいを自覚的にとっているはずだ。
 ただし見た目を変えても、生徒は中身までかなりの程度見抜いてくる。
 どんな人生を送ってきたかは、やはりじわっと表面に出てしまうものだから、若いときにやんちゃしたとか、修羅場をくぐった経験なんていうのは、教師力ピラミッドのベースの、さらに見えない下部においていいのかもしれない。
 目の前のこの大人は何か得たいのしれないものを持ってるかもしれないと、生徒に思わせる力。
 そういう意味では「異形力」といってもいいような何かが、教師にはあっていい。
 それは父性型指導力の重要な構成要素になると思う。

 理想的、民主的、生徒第一主義だった金八先生が、髪型だけはあの長髪だったことは、彼の教師性の奥深さを象徴するものだったといえる。
 なるほど、自分に足りないのは、そこかな。品行方正すぎることかな。

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尚美ウインドオーケストラ

2013年02月08日 | 演奏会・映画など

 紀尾井ホールで行われた尚美ウインドの演奏会にでかけてきた。
 第一部は、「シンフォニックバンドのための序曲」吹奏楽のための」「復興」「紺碧の波濤」という邦人名曲集。
 小澤先生らしい手堅い演奏だった。途中ちょっとうとうとしてしまったのはGOGOカレーで缶ビールを飲んでしまったからだが、それは休憩中に出会った部員には話せなかった。
 二部は、宮川彬良先生の指揮・MCによる宮川作品集で、一転して若々しい演奏。
 いちばんパワーにあふれていたのは宮川先生だったかも。
 演奏者が指揮を信頼し(信頼しすぎ?)、畏敬の念をもっているのがひしひしと伝わってくるが、精進をつめばつむほど、もっとすごさがわかってくるだろう。
 その宮川先生の、父と比較されるのがずっといやだった(ヤマト)、手塚治虫が表現したいことを音楽で表現したらこうなるはずだと思ってつくった(「ブラックジャック」)、音楽は見えない、だから表現するんです、といったいろいろなお話が心にしみた。アンコールはもちろん「マツケンサンバ」だ。行ってよかった。
 「ブラックジャック」の入ったCDを買おう。
 そういえば今年になって初めての演奏会だ。もう少し生に接しないといけないかな。

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教師力ピラミッド

2013年02月07日 | 日々のあれこれ

 今朝出がけに新聞をひらいておどろいた。畏友、堀裕嗣先生がでかでかと載っているではないか。
 学校にきてデジタル版でゆっくり読む。そうか、ブログにインタビューを受けたと書いてらしたが、これだったのか。
 白髪増えたなあ(そこかい!)
 現場の中学校の先生で全国区といえば、少し前なら河上亮一先生だが、いまなら堀先生の名が一番にあがるだろう。東京にいないと全国的な発信はできないなんて時代じゃないんだなとあらためて思う。
 ていうか、昔からそうだったのかな。
 でも、しばらく前までは、都会と地方とでは暮らしぶり違いがあったから、教員の仕事内容にも差があったのは事実だろう。
 昔ながらの地域共同体が残っている土地と、都会化した地域とでは、こどもたちというか親の価値観がちがうから、生活指導の方法なんかは一様ではなかった。
 堀先生の提示した「教師力ピラミッド」は、望ましい教師モデルをピラミッドの形で提示している。
 そのベースに、つまり三角形のベースの部分に「生活・モラル」とある。
 人としての基本だ(あ、くわしくは本をどうぞ、小生は来週じっくり拝読する時間があるので、たぶん改めて書く予定です)。
 地域共同体が成立していた時代には、このベースの「生活・モラル」の部分に欠けている先生でさえ、先生としてやっていけたのだ。
 結構古い話になってしまったかな。
 今や日本中に、コンビニがあり、ファミレスがあり、マンガ喫茶があり、生徒ひとりひとりが市民になり消費者になり個人になった。
 それは西欧社会でいうところの「個人」とはまた別種の概念ではあるが、そういう「個」を生徒として扱うには、またその「個」の親のニーズに答えるには、教師一人一人の力量ではまったく無理だ。
 日本全国、同じ状況におかれている。
 日々の暮らし、仕事、お上への報告、教室や部活でのやりとり、保護者との対応で毎日がいっぱいいっぱいの先生は多い。
 ひとまず、堀先生の本を読んで、一歩ひいたところから自分の仕事を見る目が持てれば、少し楽になれるんだけどな。

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意志力

2013年02月06日 | 学年だよりなど

 学年だより「意志力3」

 「やりたいこと探し」をしなくていいという話を繰り返してきた。
 じゃあ、何をするべきなのか。やりたいことが見つかったとき、やりたいことだとわかったとき、もしくは何かをやりたいことにしようと思った時、それをやりきれる自分になるエクササイズだ。
 人間の意志力を科学的に解明しようとしたチームが行った実験では、「利き手ではないほうの手で歯磨きをする」「汚い言葉はつかわない  たとえば『うん』とは言わずに『はい』という」というトレーニングをした。
 二週間のトレーニングだったが、衝動的欲求に従う脳から、立ち止まって考える脳に変化していく変化があきらかにみられたという。これは「やらない力の強化」というトレーニングだ。
 さらに、毎日何かを継続する「やる力の強化」トレーニングもある。
 「毎日母親に電話する」「毎日5分瞑想する」「毎日捨てるものを一つみつける」といった具体例があげられている。なんだ、そんなことでいいのか? と思いませんか。
 意志力を鍛えるのは、実は小さな行動の積み重ねなのだ。
 机に向かって勉強するという行動は、上記のトレーニング内容に比べれば、かなりグレードが高い。それを1年、2年と続けられる人は、自己コントロール筋がもりもりになってくるのだ。
 これは単語を覚えた、公式を覚えたといった勉強そのものの成果以上にすごいことではないか。
 毎日元気にあいさつすること、自分のものを整理しておくこと、眠くなっても我慢すること … 。
 学校で求められている細かい行為は、それ自体がみんなの根本を育てるエクササイズになっていたとわかり、あらためて最近の科学の成果はすごいと思う。
 「やらない力の強化」「やる力の強化」に加えて「自己監視の強化」というトレーニングがある。


 ~ ふだんはとくに注意を払っていないようなことについて、きちんと記録をつけてみる。何にお金を使ったか、何を食べたか、インターネットやテレビをどのくらい見ていたか、などでもいいでしょう。特別なテクノロジーなど必要ではありません  紙とエンピツで充分です。 ~


 これも、何の勉強をどれくらいしたか、に置き換えてみればいい。
 毎日机に向かって勉強をし、何をしたかを記録していくこと。何の変哲もない、何の工夫も目新しさもないこういう行為が、人間そのものを鍛えていく。


 ~ 私たちにはすべてをコントロールすることはできないけれど、自己コントロールを強化するには限界を伸ばすしかありません。筋肉と同じで、意志力も「使わなければ駄目になる」ようにできているのです。 … 頭のよいアスリートのように、限界を少しずつ超えながらも、ある程度のペースを守ってトレーニングを行うのが課題です。 (ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』大和書房) ~

 

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素材

2013年02月05日 | 日々のあれこれ

 スキー実習直後に、高文連主催の技術講習会に1年生だけ参加させてもらう。
 その楽譜を主催の先生に送っていただいた。アレンジされたのは、指導していただく植田薫先生だ。
 武生東高校を何度も普門館に導いた、吹奏楽の世界では全国的に有名な方だ。私の母校の先輩でもあらせられる。
 吹奏楽の世界では、こうしてご自身で編曲される先生がかなりいらっしゃって、それが出版されるレベルになっている例さえある。
 ただし、演劇部顧問の先生が、ご自身で脚本を書かれる例が相当あるのに比べると、吹奏楽の先生で作曲される方の話はそれほど聞かないなとふと思う。
 音楽で、まったく新しいメロディーがふってくるのは、限られた才能をもつ方のところだけで、それはちょっと別次元のものかもしれない。
 アレンジも、もちろんきわめて創造的なお仕事で、もとの素材が平行に移動してできあがるものではない(そういうのもあるけど)。クラシックやポップスの曲が吹奏楽曲として立ち上がるには、そう、立ち上がるだな、平行移動ではなく立体的に組み立てられ、元の素材とは別種の作品になる。
 お芝居の脚本は、現実のこの娑婆の姿が素材なのだ。
 新しい物語を生み出せるのは神かそれに近い人だけ。
 現実世界の素材をどういう観点でとらえて、どう立体的に組み立て直すかで脚本ができると考えたら、吹奏楽でアレンジをしてしまう顧問と、お芝居を自分で書いてしまう顧問と、同じくらいの比率で存在するのではないかという仮説を思いついた。

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意志力

2013年02月04日 | 学年だよりなど

 学年だより「意志力2」

 人間の意志力は筋肉のようなものだから、使い続けていくと、使い果たしてしまう。
 現代人の生活には、いろんな局面で意志力が必要だ。
 たとえば会社勤めをする人なら、残業で帰りが深夜になっても翌朝は普通通りに起きなければならない。着替えて準備をして、満員電車に乗って通勤し、仕事のだんどりをして、上司に指示をうけて、お客さんに電話をして … 。
 もう少しだけ寝ようかな、休んじゃおうかな、シャワーやめようかな、今日の業務って何からだっけ、ヤだけど後回しすると大変だからやろうかな … というようなちょっとした自制心と決断の積み重ねで、どんどん意志力は消費されていく。
 その結果、仕事の後ジムで鍛えようと朝のうち思っていたにもかかわらず、夕方にはその気持ちが弱まっているどころか、気づいたら甘いものを大量に食べていたという事態に陥っている。
 みんなも我が身に置き換えてみれば、容易に想像できるのではないだろうか。
 意志力は、筋肉と同じように「限られた資源」なのだから、これは当然の姿でもあるのだ。
 ではどうすればいいのか。
 まずは、自分の自制心が強くはたらくのはいつか、一日のなかでどんな増減をみせるのかを、自分で意識してみることだ。
 そして意志力が強く発揮される時間帯は、一番やりたい仕事がやれる状況をつくり、一方でそれほど働かない時間帯には、脳に負担の少ないルーティンの作業をいれていく。
 さらに、意志力の挽回をはかるエネルギー補給を考える。
 脳は、人間の身体の中で最も大量のエネルギーを必要とするが、そのわりには脳自体に蓄えられているエネルギーは少ない。
 なので、たえず血液を通して、身体のエネルギー減少度合いをチェックし続けている。
 通常の業務に必要なエネルギーが減っていることを感知した脳は、まず自己コントロールという、最も負担のかかる業務を縮小しようとする。
 結果として、注意力が減少し、誘惑に負けやすい脳の状態がうまれる。
 エネルギーを欲するだけでなく、目先の利益、衝動的欲求に従い行動しようとする状態になる。
 こういうとき手っ取り早いのは、甘いものを食べて一時的に血糖値をあげることだ。
 ただし、この方法は、血糖値の上がり下がりの度合いが大きいので、多用するとかえって自己コントロールがきかない体を作ることにもなるという。


 ~  もっとよい方法としては、体に持久性のあるエネルギーを与えてくれるような食べ物を摂取することです。多くの心理学者や栄養士が推奨しているのは「低血糖食」、すなわち、血糖値を一定に保つための食事です。 … 低血糖食品とは、脂肪分の少ないタンパク質、ナッツ類、豆類、食物繊維の豊富な穀類やシリアル、そしてほとんどの果物や野菜など、基本的にそのままの状態が保たれていて、糖分や脂肪や化学物質などの大量の添加物が入っていない食品です。 ~


 こういう食事に変化させること自体に意志力は必要だが、それを補ってあまりある脳の状態がつくられることになるようだ。

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応援ありがとうございました

2013年02月03日 | 日々のあれこれ

 朝少し合奏して、楽器を積み込み、川越市民会館へ。
 先に出発してもらった打楽器チームには、定演チラシの挟み込みをやってもらった。
 全員合唱の練習をし、ちょうどお昼に開会。
 今日は川越市内の小、中、高校、それに一般の川越市民吹奏楽団さんも参加してくれて、16団体が出演した。
 東邦音大さんで開催したり、大ホールが押さえられなくて中ホールでやったり、4月にやったり、7月にやったり、いろいろしてきたが、2月に川越市民会館でという今年の形が一番が音楽祭ぽい雰囲気になった気がする。
 市内のすべての団体が参加できるような日程をつくるのは不可能なのだから、しばらくはこの形を定着発展させて会のグレードをあげることで、自然な参加校増加をはかるのがいいのかなと思った。
 表日本は、この時期は寒いけど雨が降りにくいというのも条件の一つに考えられる。
 そして、川越駅近くに建設予定の新ホールが落成したなら、何よりも優先してこの音楽祭をやるべきだと思うな。
 斎藤智徳先生にもそこでふってもらいたかった。
 「大阪俗謡」は、新人戦のときに比べたらだいぶ曲らしくなった。川東にあっているとおっしゃってくださった先生もいるので、さらにきちんと積み上げていきたい。
 課題曲も昨日とどいた。
 ふと思ったけど、課題曲って本当に毎年5つもつくらないといけないのだろうか。
 新しいのは2曲ぐらいにして、たとえば今年はマーチについては過去のでもいいですよ、ただし3年以上前ね、みたいにしちゃだめなのかな。
 毎年、みんながなんらかの「文句」を言いながら取り組み、コンクールが終わるとほとんどの作品は、そのまま「使い捨て」されるのは、曲にも申し訳ない気がして。
 また今回のは、いつにもまして難しいように感じるのは気のせいだろうか。

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