水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

大人は泣かないと思っていた

2018年12月30日 | おすすめの本・CD

「翼!」
「なんだよ!」
「迷惑かけろよー! かけまくれよ迷惑を! お前がこの世でいちばん愛するこの俺に!」
「えっ」
 さあ! 鉄腕は大きく両手を広げている。笑いそうになった。
「愛してないよ、お前のことは」
「嘘つけ!」
 正直に言え! 鉄腕の顔は真剣そのものだ。愛してると言え! 俺を! 冗談にしてはやけにしつこい。最初はおもしろかったが、だんだん面倒になってきた。
「うるさいよ。とにかくお前じゃねえから、この世でいちばん愛する相手はお前じゃねえからほんと」
 ええ? 鉄腕が身を乗り出す。
「嘘だろ? じゃあ誰だよ」
 誰だよ、お前が愛しているのは誰なんだよ、言えよ、と俺の肩を摑んでがくがくと揺さぶる。助けを求めようと店主のほうを見たが、異様な光景におびえているのかこちらに目もくれない。だ、だれか。だれかたすけて。強い力で揺さぶられ競けて視界がはげしく揺れる。なにやら意識が朦朧としてきた。
「え、えっと……こ……小柳……さん」一品
 ええ? なんて? 鉄腕がまた大声で言う。ようやく手を放してもらえたが、そのはずみで背中を椅子の背もたれにいやと言うほどぶつけた。
「小柳さんだってば」
 鉄腕が「フー」と息を吐く。それから、信じられないことを言い出した。
「だってよ、小柳さん。もう出てきていいよ」
 厨房に続く、藍色ののれんが揺れる。小柳さんが歩み出てきた。衝撃のあまり椅子から転げ落ちそうになる。小柳さん? と叫んだ声が裏返ったが、それを恥じる余裕すらなかった。
 頬っぺたと耳朶を真っ赤にした小柳さんは俺を一瞥し、「バーーーーーカ!」と言い放つ。
                        (寺地はるな『大人は泣かないと思っていた』集英社)

 今年読んだ本のなかで1番よかった場面。
 寺地さんの小説には、すぐに映画やドラマになるような一大悲劇、スリル・サスペンスが描かれているわけではない。
 超能力者もいないし、美男美女も出てこないし、SF仕立てでもないし、有能な刑事やらやり手の経営者やらは出てこない。
 客観的には、そこらの普通の人しかでてこない。
 でも普通の人々にとって、自分の人生におこることは、映画のヒロインに起こった事件より、現実的体感はよほどドラマチックだ。
 誰もが自分という主人公であることはまちがいない。さだまさしみたいだけど。
 登場人物たちがそれぞれの屈託をかかえながら、それぞれ自身にとっては大切な人生を生きている。
 他人はなかなかそれに気づけないが、気づく瞬間の愛おしさを積み重ねようとしているのだ寺地作品だと感じる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年表彰

2018年12月30日 | 演奏会・映画など

作品賞 「犬猿」
主演女優賞 黒木華「日々是口実」「来る」
助演女優賞 松岡茉優「万引き家族」「ちはやふる」
よくぞあのキャラを具現化してくれたで賞 平手由梨奈「響」 
元気をくれたで賞 浜辺美波「センセイ君主」
最高のコメディエンヌで賞 知英「レオン」
これが母で賞 ジュリア・ロバーツ「ワンダー君は太陽」
お芝居が横綱すぎるで賞 安藤サクラ「万引き家族」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする