学年だより「才能×努力(2)」
一時期、テレビで目にしない日はないほどの売れっ子だった島田紳助氏だが、若いころのエピソードを知ると、彼の芸を支えていたのは並々ならぬ努力であったことがわかる。
漫才で身を立てようと決心した18歳。芸人の世界には教科書がない、まず自分で教科書をつくろうと若き島田紳助は考えた。
~ 僕は自分が「オモロイ!」と思った漫才師の漫才を、片っ端からカセット・テープに録音していきました。その頃は、録音機材といったら大きなラジカセしかなかったから、それをテレビの前に置いてね。劇場まで持って行ったこともありました。普通に持って行ったら怒られるから、鞄に忍ばせて。そうやって録音した漫才を、今度は繰り返し再生して紙に書き出していく。書き出すことで、なぜ「オモロイ!」のかが段々とわかってきたんです。そして、教科書が出来上がった時、僕は相方を探し始めました。 (島田紳助『自己プロデュース力』ヨシモトブックス) ~
テープおこしというとてつもなく時間がかかる作業をしながら、「このコンビの漫才はオチのパターンが2種類しかない」「このコンビは1分間に20の間をつくっている」というように、徹底的に分析する。当時憧れていたB&Bのネタは、そのシステムを完全に自分のものにできたという。
まさに、5の才能をもった人が5の努力をして、25の結果を残せた芸人さんだろう。
努力とは書くことだ。授業や講習がはじまってからおもむろにノートを出すとか、プリントにメモして終わりにしようというメンタリティで、成績が上がることはない。
23歳で年収2億のカリスマホステス、進撃のノアさんはこう語る。
~ 当時、水商売初心者のわたしがつけていたのが営業ノートです。
水割り派、お湯割り派、ソーダ創り派、ロック派など、お客さんの飲み方やカラオケの十八番、その日の会話などを、いただいた名刺と一緒に貼り付けて、一冊に情報を集約していたんです。
情報はほんま大事。メモするだけじゃなくて、覚えることが大事。
わたしは、営業ノートにメモしておいたお客さんのカラオケの十八番は必ず覚えるようにしていました。そのおかげで、若いコが知らないような曲もたくさん覚えることができた。「百万本のバラ」を歌えるようになったことで、「なんで若いのに、こんな曲知っとるん!」と不動産会社の社長さんにえらく気に入られたこともありました。
今はノートの代わりにスマホでメモを取っています。お客さんの写真を撮って、どんな人だったかをメモするだけだから、営業ノートのときよりめっちゃラク。
写真を撮りたがらないお客さんには、「この画像アプリ、めっちゃおもろいで!」とか言って、アプリ試すふりして写真をゲットすればええと思います。 (進撃のノア『好かれる力』光文社) ~
どんな分野の仕事でも、たくさん書いて、たくさん蓄積することが、努力の基本だ。